見沼・風の学校BLOG

知るより感じろ。――見沼田んぼ福祉農園で日々耕作をしているボランティア団体、見沼風の学校のブログです。

農的若衆宿2011 ~百姓の底力~に向けて 1

2011年11月08日 | 農的若衆宿
今回の農的若衆宿で島岡さんをお迎えするにあたり、
前回の農的若衆宿で震災・原発に関する勉強会を行いました。

そこに出たスタッフの意見を記事として掲載します。


------------------------------------------------------------------

意識の根底にある身体感覚
                 
■3.11後のわたし
3.11後、目の前で起きていることがとてつもなく重大なことであることはテレビから、新聞から、農園のメーリスやあらゆるメディアから伝わってきた。一人ではとても抱えきれないようなことが次々と発せられ、体も頭も動かなくなるほどだった。
被災地に行くという選択もできたはずだが、わたしはそれをしなかった。私が被災地に行けなかったのは、今被災地で起きていること、今日本で起きていることがあまりにも大きすぎて、自分の目の前にあった就職活動や卒論といったものがとても小さく思えて、被災地に足を踏み入れたら、そのままその大きな動きに入っていってしまうのではないかという不安が少なからずあったからだと思う。また、復興というものを「3.11以前のシステムに戻すこと」にさせないために、これまでのシステムの糾弾の方にかかわりたいという気持ちもあった。今、少しずつ自分の状況が落ち着いてきて、自分自身でその場に行って考えるために、現地に行きたいという気持ちがむくむくと膨れ上がってきている。

■3.11によって、より一層感じた身体感覚の重要性
3.11後、わたしは、農園に関わっていたからこそ、社会の動きの中で感じ取れたものがあると確信している。土とともに過ごし、命を育てたり、多様な人々とそこで伝えあったり、聴きあったりするなかで、わたしの身体感覚、反射神経は研ぎ澄まされ続けている。消費社会の中で、日々をひたすら走り、満員電車で知りもしない人と密着する不快感を自分の感覚を落とすことで生き抜いている人が失った感覚を、農園では少しずつ研ぎ澄ませていけるような気がする。その感覚があるからこそ、ちょっとした違和感を感じ、問題意識を持ち、動き出していけるのだと思う。農園にいると、状況の変化に敏感でいなければならない。いつも同じなようでそうではない。考えていた作業の段取りやイメージがあったとしても、時として状況に合わせて対応しなければならない。大雨が降れば、すぐに声を出して、しなければならないことを確認しあう。それは自然に対する反射神経のようなもので、今だってまだまだ未熟と感じるが、ここに通い始めたころはまったくその動きについていけなかったことを覚えている。
そして、この場ではそれだけでなく、サバイバルキャンプ(毎年8月に一週間農園に泊まり込んで農作業する)などの中で、抑えきれなくなった、普段の生活では隠しているような感情や表情、言動がいろんな人から見えてくる場面に多く出会い、生身の人間を見てきた。さらに、勉強会や代表の話、さまざまな場面で、ただ農作業をするのではなく、農園というこの場から社会を見てきた。
これらの要素があるからこそ、身体感覚が研ぎ澄まされていくのだと思う。そして、それはちょっと気を抜くだけで、忘れてしまったり、抜け落ちてしまったりするものでもある。鍛え続け、研ぎ澄まし続けていくものなのだ。だからこそ、代表にどんなに「センスがない」と言われようと、わたしは農園に通うのだと思う。

■身体感覚からの動き、反原発運動
その感覚やそのさきにある動きは、農業という土地に根差して、生命に近い営みをして生きてきた百姓たちに共通して持たれているものだと考えたわたしは、百姓である島岡さんが中心となった、窪川での反原発運動の成功に興味を持った。そして、島岡さんを訪ねたのである。わたしたちに原発反対運動について語ってくれた島岡さんの眼は、反対運動を成功させた過去や現在には向いておらず、つねに今より先に向けられているように感じた。島岡さんは、感覚として原発とともにある自分たちの土地の未来に違和感を覚え、それに論理を加えて展開していった。町の経済を考えても、原発に頼らなくても、自分たちの第一次産業(主に農業)だけで十分成り立つことを訴えた。さらに、自分ひとりですべてをまとめようとせず、婦人支部や労組支部など、どんどん多様な組織を増やしていった。その中で、「窪川の未来は、窪川の人で」という信念にもとづき、各地から駆けつける支援者には語らせず、応援というかたちで運動に関わってもらった。こうして、地元の人々に自分たちの未来を決定するという自覚、和子さん(島岡さんの奥さん)の言葉を借りるなら、そこで「民意」が高まっていったのだと思う。そこで出来上がった民意があったからこそ、その先にある現在に生まれてきた四万十川の汚染や町の人口減少など、町の今、そしてこの先に向けた動きが生まれてきているのだろう。

■身体感覚を鍛える、研ぎ澄ます場
わたしにとっては、農園という場が身体感覚を鍛える場所だが、もちろん他にもその感覚を研ぎ澄ます場所はあるはずだ。農園にも来たことのある原田麻以さんは日雇い労働者の街・釜ヶ崎で、それまでに感じていた生きづらさとは違う心地よさを感じ、社会の底辺である釜ヶ崎から世界を見てきた。そして、彼女は9月から福島市で「放射能から子どもたちを守るネットワーク」の事務局で働いている。20代で現在の福島市で働くこと=より多く被ばくすることに対する恐怖はないのか、という質問に対し、「また同じことを繰り返したくないから、若い世代として関わりたい」という答えをくれた。そこには、犠牲の精神とかではない、純粋な反射神経のような、身体感覚が背景にあるのだと感じた。彼女の話を聞いて、たぶん口ではうまく説明できない彼女の本能のようなもの、感覚から生まれる衝動に突き動かされて、福島での活動を行っているのではないかと感じた。その感覚は、もちろんもともと彼女が持っていたものであるだろうが、それを研ぎ澄ませ、鍛えていったのは、釜ヶ崎で多様な人々と出会い、おっちゃんたちと生身の人間としてかかわり、釜ヶ崎から世界を見た年月だったのだろう。
  これ以外にも身体感覚を研ぎ澄ます場というのは、無数に存在しているはずだ。その場には、たぶん、生身の人間として人と出会い、ぶつかりあう場面があり、その場所から社会や世界を見つめる場面があるのだと思う。



------------------------------------------------------------------



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。