気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

ドライアイ

2015-01-23 12:45:05 | 日記

昨夜、エアコンで目が乾いてきたので目薬をさした。
さしながら思った。
潤いを外から補給するのではなくて、自分の内側から補給しなくちゃ
いつまでたってもドライアイは治らないなー。。。

 (・・∂) アレ?

あー、自分の内側から愛を出して心に潤いを与えない限り、心の乾きは治らないのか!

昨日読んだ「マンガギリシャ神話」の中の一場面を思い出した。
アポロンの愛を受け入れる事へのプレゼントに「予知能力」を与えられたトロイア王女カッサンドラが
その予知能力で「アポロンが自分の元から去って捨てられる未来」を見てしまい
悲しい結果を招くのならと、アポロンの愛を拒んでしまった。
どうせ苦しむと解っている愛なら、最初からあきらめる。
そうすれば傷つくこともないと。

でも、その後の彼女の運命は悲惨なものだった。
アポロンの愛を拒んだ為に予知能力は与えられたけど
誰も彼女の予知能力を信じてくれないという悲しい運命が待っていて
そして最後に気づく。
未来なんか見えなくても、誰か一人でも自分のことを信じてくれる、
そんな普通の生き方がずっと幸せなんだと。

自分を守るために愛をあきらめるのは、私も同じだ。
もう傷つきたくないからと、それ以上前に進めなくなく。
そこに至るまでの悲しい経験があって、それが「予知」と似ている。
予知も過去の経験も同じなのか。

人は悲しい出来事があると、その場面だけが記憶に残ってしまう。
その時の心の傷が強烈だから、そこで時間が止まってしまうのだろうな。
そこに至るまでには悲しいことだけではなくて嬉しいこともたくさんあったのだけど
それらはすっかり忘れてしまうんだ。
自分で手繰り寄せないと見えてこない。

その時気づかなくて、後で大切な事に気付くことってたくさんある。
その時は解らないから、それがそんなに嬉しいことだって気づかない。
でもそれがなくなって、とても愛おしいものだと後で気づく。
そういう事って、いつも後になって解るんだ。

そう考えたら、例え悲しい結末が待っていると解っていても
そこに至るまでの喜びもたくさんあるのなら、それは幸せな事なのかもしれない。
それを経験出来るというのは、心が潤うことで幸せな事なんだ。
最後の悲しみばかりを見てしまうけど、ちゃんと喜びもある人生なんだ。

だけど最初から愛を拒絶したら、心の傷は少ないかもしれないけど喜びも生まれてこないね。
何も起こらないというのは、自分を潤す事も出来ないのかもしれない。
傷つくというのは、その奥に隠れた愛を知る事でもあるのかな。。。

人は生まれてくるときも去る時も皆違っているから、皆いつかは自分の元を去ってしまうもの。
そう考えたら最後の結末を気にするよりも、その途中の人生をじっくり味わって楽しめばいいだけなのかもしれない。
自分から心を潤すこと、愛することを恐れてはいけないなと思った。

 

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