気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

記憶の整理

2021-08-15 12:21:14 | 日記
最近はTVerで自分が見たい番組を選んで見ているのですが、昨日見たドラマが凄くタイムリーな内容でした。「准教授・高槻彰良の推察」というドラマです。
小学校でコックリさんをやっていた子供達がコックリさんが帰ってくれないと霊に怯えていたのですが、真相はやり方を教えてくれた先生の心の中に問題があったのです。
クラスに病気でほとんど来ていない子がいてその子が転校する時、子供達が彼女を覚えていなくて「いないよ、そんな子」と言った事に凄くショックを受け、転校した子の事を思い出して欲しくてコックリさんを教えたようです。
先生の心の中には「忘れるなんて可哀想だ。そのことが許せない」という気持ちがあったのでしょう。
でも転校した子は楽しかったと言っていたそうです。
そしてドラマの中で高槻教授が言ってた言葉が印象的でした。
「忘れるなんて可哀想だと思うあなたの理想は大人の価値観の理想で、子供は忘れる事で成長する。子供の毎日は初めてで溢れているのだから」

そうなんですよね。
頭の中にいらない価値観とか常識とか他人の考えとかたくさん増えてくると、もう余裕がなくなって新しいものは入ってこなくなる。
忘れるというのは決して悪い事ではなくて、次に入る新しい事への準備なんだと思います。
可哀想だと思う同情は、相手にとって嬉しいものなんでしょうか?
自分を「可哀想な人」と思われたら、私は嬉しくないし、気分も下がります。
でも「あの人は大丈夫。きっと自分でなんとかできる」と思われたら嬉しいし気分も上がる。
かつて教習所の先生が言ってくれた『あなたはやれば出来る人』という言葉はとても心強いエネルギーになりました。

そして今朝見た夢も凄くタイムリーな内容でした。

2021/8/15
実家に両親と3人でいて何かテストを受ける前みたいな感じで両親は勉強をしていた。
親がやっているのだから私もやろうかなと思って自分の部屋に戻った。
整理棚の大きなファイルを取り出してみていた。
教科書はほとんど開いてないみたいで内容が分からずテストに出ても答えられないなと今から猛勉強しなきゃ間に合わないと思っていた。
古文や歴史の教科書だったような気がする。
昔自分が描いた絵が何枚か一緒に入っていて、もうこれは要らないなと処分していた。
その様子を四角い小さな窓から父が見ていた。
四角い窓に父の顔だけが見えていたのが凄く印象的だった。
父は私が勉強しているのを見て安心したのか母のもとへ戻った。
両親が待っているから早くここを整理して両親のいる部屋に戻ろうと思っていた。

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寝ている時に脳や身体は「整理して不要なものは出している」そうですね。
私の心の中の記憶や思考も整理して、新しいものが入ってくる準備をしているんだなと感じました。


コメント
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