「自分探し」という言葉をよく耳にする。
自分はどういう人間なのか、自分のやりたいことは何なのか。
自分を見つめなおし、「自分」を探すと言うことである。
そのために、世界中を旅したり、海外に留学したり、
お遍路の旅にでかけたり…
たしかに、そういう体験は自分の心を豊かにする。
人生観、世界観が変わることもあるだろう。
しかし、「自分」というものは、今ここにいるのではないか。
旅をしなくたって、自分を見つめなおすことはできる。
それに、いろんな体験をいくらしたって、それを
現実の社会で活かすようにしなけらばならない。
以前、ドキュメント番組でお遍路を旅している青年がいた。
2,3ヶ月かけて、88ヶ所を巡る。その中で、人々の優しさ、
あたたかさにふれ、スタートする前とは顔つきが違った。
しかし、いざゴールが近づくと、足が前に進まない。
ゴールすれば、家に帰らなければならない。
日常に引き戻される恐怖があった。
誰もが、この青年のように、悩み苦しむことがある。
「自分」がどういう人間か、「やりたい仕事」とは何か、と。
しかし、そういうことは容易にわかるものではない。
もちろん、「自分」を探求することを止めてはならないが、そ
れを完全にもとめてはならない。
社会の中で、いやなこと、つらいことも多い。
そういうことを抱えながら、一歩ずつ進むしかない。
「自分」とは何か、その答えが完全にわかるのは、
おそらく人生が終わる時ではないかと思う。
それまでは、もがき苦しみながら、生きていく。
徳川家康の言葉に、「人の一生は、重荷を負うて遠くへ行くがごとし。」とある。
まさにその通りだと思う。
だから、「自分探し」という言葉は、まやかしなのだ。
自分はどういう人間なのか、自分のやりたいことは何なのか。
自分を見つめなおし、「自分」を探すと言うことである。
そのために、世界中を旅したり、海外に留学したり、
お遍路の旅にでかけたり…
たしかに、そういう体験は自分の心を豊かにする。
人生観、世界観が変わることもあるだろう。
しかし、「自分」というものは、今ここにいるのではないか。
旅をしなくたって、自分を見つめなおすことはできる。
それに、いろんな体験をいくらしたって、それを
現実の社会で活かすようにしなけらばならない。
以前、ドキュメント番組でお遍路を旅している青年がいた。
2,3ヶ月かけて、88ヶ所を巡る。その中で、人々の優しさ、
あたたかさにふれ、スタートする前とは顔つきが違った。
しかし、いざゴールが近づくと、足が前に進まない。
ゴールすれば、家に帰らなければならない。
日常に引き戻される恐怖があった。
誰もが、この青年のように、悩み苦しむことがある。
「自分」がどういう人間か、「やりたい仕事」とは何か、と。
しかし、そういうことは容易にわかるものではない。
もちろん、「自分」を探求することを止めてはならないが、そ
れを完全にもとめてはならない。
社会の中で、いやなこと、つらいことも多い。
そういうことを抱えながら、一歩ずつ進むしかない。
「自分」とは何か、その答えが完全にわかるのは、
おそらく人生が終わる時ではないかと思う。
それまでは、もがき苦しみながら、生きていく。
徳川家康の言葉に、「人の一生は、重荷を負うて遠くへ行くがごとし。」とある。
まさにその通りだと思う。
だから、「自分探し」という言葉は、まやかしなのだ。