11月22日には広島で7歳の女児が、その10日後の12月2日には栃木でこれまた7歳の女児が、そして12月10日に京都で12歳の女児が犠牲となった。不謹慎ではあるが、猟奇的なミステリー小説のようである。
広島、栃木の事件のように登下校が狙われたのであれば、監視カメラの設置や見回り組の組織等、なんらかの対策の取りようもあるが、この京都の事件のように塾で殺害されたとなるとなんらかの対策を取るといっても難しい。
なぜ、この女児が殺されなければならなかったのか。この女児が容疑者を嫌っていた、というまるで怨恨が理由であるかのように言われているが、23歳ともなれば大の大人であり、10歳も下の子供の言動をいちいち気にするのは異常である。うまく受け流す分別はないとおかしい。
まして、殺害するなんてことは、狂人の所業である。このような狂人を監視したりすることは無理である。とすると、このような狂人に命を絶たれてしまったということは、そういう運命であったとしか言いようがない。そのような運命を創り出した神を恨むしかない。
とはいえ、我が子を失った家族の心中は察しようにも、察しきれないものだろう。傷は時間が癒してくれる、というが時間によっても癒すことのできない傷もある。もうすぐクリスマスであるが、そういうイベントがあるたびに我が子を思い出し、亡くなった我が子の年齢を指折り数えて日々を暮らす。考えるだけで胸が張り裂けそうになる。
ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかにお眠りください。