今日の夜は麻布十番の国際交流会館で岩手県大槌町赤浜の川口博美さんのお話を聞かせていただきました。
川口さんは、今日の政府追悼式で岩手県代表として天皇陛下へご挨拶をされた方です。
お母様と、奥様と、お孫さんを、震災で亡くされました。
大槌町は震災で約1,000人中93名が亡くなり、震災後200人の方々が町から出て行き、5名が自殺をされたそうです。
川口さんはおっしゃいました。「災害に強い町造り」ではなく、「災害に強い人造り=防災教育」が大切だと。どんなに高い防潮堤を作るよりも、「地震が来たら高台に逃げることを教える」ことが大事だと。「“釜石の奇跡”なんて言うけど、あれは奇跡なんかじゃない。防災教育が徹底されていたのだ」との話には胸が痛みました。
川口さんの話す言葉は、秋田へ長く住んでいた私には懐かしすぎる響きで、心がつぶれそうな感じがしました。
お話を聞く会の参加人数は少なかったものの、川口さんへご挨拶へ行く勇気がありませんでした。
お話を聞いている最中に泣きすぎて恥ずかしかったのです。
直接お話をしたら、きっと私は号泣してしまうと思いました。今想像しただけでも…、ダメです。
逃げですかね・・・。弱い人間ですね、私は。
あの震災が持ち去ったものは、津波が流したものは、あの震災で奪われたものは、二度と戻らないものなのですね。
今、帰宅してきましたが、言葉にできない想いがあります。
震災から一年。
振り返れば、昨年の今日は日本造血幹細胞移植学会が開催された愛媛県松山市より東京の自宅へ着いた途端に“大きな揺れ”がきました。
大きく長い揺れのあとの余震が続く中、私は市民公開講座で回収したアンケートの集計をしました。
恐怖感から逃げられる唯一の方法だと考えたからです。
今はこのアンケート結果を早く送らなくちゃ!と言い聞かせたのです。
そんなに早くしなくてもよかったのだけど。
怖い気持ちを紛らわすために集中できることがほしかったのです。
テレビから流れる画像は酷かった。
そこに映る地元の人の会話は、長年東北地方に住んでいた私には懐かしくて…それも辛さを増しました。
正直、「見たくない」「聞きたくない」「知りたくない」と思ってきました。
でも、それは「人としてイケナイこと」だと思ってきました。心のなかで「ごめんなさい」と思ってきました。
昨日、「川口さんのお話を聞きに来ませんか?」と誘われたとき、迷いました。
時間と場所の知らせを受け取ってからも、行くかどうか迷っていました。
震災で多くの人たちが困っていて苦しんでいるのに、悲しんでいるのに、辛いのに・・・
私は何もしていない。そこに罪悪感を感じている。でも胸が痛くて近づけない。逃げだとも思う。
ずっと、、、そう思ってきた。
でも・・・
今日。今日しかない。勇気を出して、話を聞きに行ってみよう。
新聞やテレビなどの報道じゃなく、生の声を聞かせてもらおう。
・・・そう思って、会場へ向かいました。
すると、途中で、ポツンポツンと雨が降ってきました。
涙みたいな雨でした。
今日はお話を伺いに出掛けて良かったと思います。
何ができるかわからないけれど、何かできそうな気持ちも湧いてきました。
「私にもできることを見つけよう」という気持ちが湧いてきました。
今日の日に感謝。
心の雨にも感謝。
おやすみなさい。