ひとり井戸端会議

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消費者庁は必要か

2008年08月27日 | 消費、環境、食品問題
消費者庁、定員208人でスタート(読売新聞)

 内閣府は27日午前、自民党内閣部会に、2009年度予算の概算要求内容を報告した。
 消費者庁設置の関連経費として総額182億円、消費者庁の定員として208人を求める。
 主な事業では、地方の消費者行政充実のために新設する交付金などに79億円を要求。また、消費者行政関連の法律移管に伴う事業に45億円を盛り込んだ。



 私の専攻は消費者問題とも関係しているので、特に今回の消費者庁設置の件に関しては関心がある。確かに、最近の消費者問題(と世間一般で言われているもの)の数はマスコミ等の過剰な報道によって一見して多そうに見えるが、これまでと比較して殊更増加しているわけでもないし、この分野を専攻している者の立場から言わせてもらえば、消費者庁など設置するだけ無駄、それこそ税金の無駄遣いである。

 福田内閣が担当大臣まで充ててこの政策を実施しようとしている主な背景は、低迷し続ける支持率の回復と、「生活が第一」と豪語する民主党に対抗するためなのであろうが、たとえば耐震偽装であれば国土交通省、食品問題であれば農林水産省、金融関連では経済産業省といったように、すでに消費者問題に対応する窓口は存在しているのであって、消費者庁の設置というのは、いわば屋上屋を架すようなものである。しかも、総合的な消費者問題については、全国各地にある地方公共団体が設置している消費生活センターや、独立行政法人国民生活センター等が存在しているのである。

 消費者行政においてはフランスが先進国の中でも進んでいると思われるが、そのフランスでは「消費法典(Code de la Consommation)」が制定され、その中で厳格に消費者契約に関するルールが定められている。そのフランスにおいてでさえ、私の知る限り消費者庁なる組織は存在していない(フランスには「フランス国立消費研究所」という組織があるぐらいのはずである)。消費者庁という無駄な役所仕事を増やすことよりも、既存の消費者保護基本法(従来の消費者基本法を2004年6月2日改正し成立したもの)の理念に従い、各省庁に消費者政策の徹底を促したほうが、よほどまともな政策であると思う(消費者保護基本法1条の「目的」には、この法律は「消費者の利益の擁護及び増進に関し、国、地方公共団体及び事業者の果たすべき責務並びに消費者の果たすべき役割を明らかにするとともにその施策の基本となる事項を定めることにより、消費者の利益の擁護及び増進に関する総合的推進を図り、もって国民の消費生活の安定及び向上を確保することを目的とする」とある)。



 消費者庁の設置の問題は、屋上屋を架すという次元に止まらない。消費者庁の設置を前提に考えたとしても、その存在が「庁」どまりという点も大いに問題となるのである。防衛庁が昨年念願叶い防衛「省」に昇格したが、このとき省昇格賛成派が指摘していたように、「庁」ということは、庁である限り内閣総理大臣を通さないと予算の請求ができず、閣議の開催の請求もできない。ということは、消費者庁を設置したところで同庁の権限の行使には限界があり、政策実行能力にも疑問符がつく。このような中途半端な役所を設置するメリットは、果たして具体的に一体何なのか。

 そもそも、消費者政策で本当に重要なウェートを占める消費者問題(たとえばサラ金問題やマルチ商法など)については、判例の蓄積や民法の規定の柔軟な適用、消費者契約法や特定商取引法等の運用によって、適切な問題解決が図られている。対して、今回の消費者庁設置の発端となった「消費者問題」とは、船場吉兆の一件をはじめとした度重なる食品偽装問題であろう。

 食品偽装問題と言っても、高度経済成長期に起こった「森永ヒ素ミルク事件」(1955年)や、「サリドマイド事件」(1962年)のような、直接に生命の危機に関するような重大なものではなく、いわば企業の経営のモラルが問われる範疇の問題である。偽装はもちろん悪いことではあるが、極端なことを言ってしまえば、ここ最近の食品偽装は、中国の天洋食品の毒餃子事件を除けば、人体には一切影響のない瑣末なものばかりである。とりたてて消費者庁設置を騒ぎ立てるような次元の話ではないはずだ。



 しばしばマスコミや国民は行政に対し無駄の削減(いや、今に至っては無駄「ゼロ」か。)を要求するが、今回の福田内閣のこの目玉政策こそが、無駄そのものであることに気づくべきである。

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