ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

文民統制について色々と

2008年11月02日 | 憲法関係
空自トップを更迭 懸賞論文で「日本の侵略ぬれぎぬ」(朝日新聞) - goo ニュース

航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長(60)が「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する論文を書き、民間企業が主催した懸賞論文に応募していたことがわかった。旧満州・朝鮮半島の植民地化や第2次大戦での日本の役割を一貫して正当化し、集団的自衛権の行使を禁じる現行憲法に疑問を呈している。政府見解を否定する内容で、浜田防衛相は31日、田母神氏の更迭を決めた。
 政府は同日深夜の持ち回り閣議で、田母神氏を航空幕僚監部付とする人事を承認した。



 今回の田母神俊雄航空幕僚長(以下、「幕僚長」と言う)の論文をめぐる更迭問題で、マスコミが文民統制をいかに理解できていないか、よく分かった。そもそも、今回の「事件」において、文民統制という言葉が出てくること自体、おかしい。これも全部、マスコミが本来の意味の文民統制を理解できておらず、その意味を勘違いしているからなのであろう。

 前回も述べたが、文民統制とは、軍事権を議会に責任を負う文民たる大臣がコントロール(支配)し、軍の独走を防ぐという原則である。これは憲法66条2項において規定されている。そして、文民統制とは、国民の選んだ代表者(国務大臣)に軍事権の行使を一任することにより、軍事権に関しても民主主義のルールの下支配しようというものである。つまり、文民統制の究極的淵源には、われわれ国民がある。

 なお、文民の定義については諸説あるが、これまで職業軍人でない者を指すというのがわが国の学説の支配的な見解であると言っていい。一方、アメリカでは退役軍人であっても、退役してから10年を経過すれば文民と扱われる。このように、諸外国で敷かれている文民統制でも、文民の理解は統一的ではないのだ。これまでわが国でも国務大臣に元軍人が就いたこともあり(たとえば元自衛官永野茂門氏は法務大臣に就任しているし、小泉内閣で防衛庁長官を務めた中谷元氏もそうであった)、実務においてはどちらかというとアメリカ的な解釈なのではないだろうか。

 そして文民統制の国家における具体的作用としては、行政については、文民である大臣が軍事権の行使に対して国民に責任を負う、制服組は文民で構成される政府に服従する、軍の運営には文民たる防衛相があたる。立法においては、開戦等の決定権の付与、予算について審議することにより軍事費についても支配・監督権を及ぼすことができる。司法については、国民の権利や利益が軍によって不当に侵害されることを防止する、といったものが挙げられよう。これらを統合して文民統制と理解してもよいと思われる。

 しかしながら、このような文民統制を正常に作用させるには、これら三権を担う者たちに、軍事についての正確な知識が備わっていることが求められる。特に文民統制を第一に担う政治家には、軍事についての深い知識が強く求められる。いや、軍事を知らない政治家に、国家の舵取りを任せること自体、文民統制を指向するのであれば、異常事態なのである。石破茂氏の言葉を借りれば、「自分たちが理解できないものを、きちんと機能させるなんて、出来るはずがない」のである。

 つまり、民主主義社会を守るために文民統制を正しく機能させるには、政治家が軍事に知悉していなければならないのである。しかし、これまでわが国において、政治家が軍事について発言しようものなら、すぐさま「軍国主義者」「軍靴の足音が聞こえる」などとおかしなレッテルを貼り、軍事についての議論を封殺してきたのは、他ならぬ、今回の件でやたらと「文民統制」という言葉を振りかざしている勢力である。これは私が述べたさきの理解からすれば、非常におかしいなことである。彼らの言うように、政治家が軍事について口を噤むような状態こそ、かえって文民統制を瓦解させるものであるのに。

 私としては、軍人たる制服組こそ国防の最前線に立っている存在であるので、彼らが日本の安全保障について積極的に意見を述べることはむしろ歓迎すべきことであると思っている。現場の生の意見こそ、戦争を遂行するのは軍人なのであるから、積極的に耳を傾ける必要があろう。その上で、傾聴に値する意見は政治家を通じて国政に反映させていけばいい。もちろん、受け入れられない意見には断固としてノーを突きつければよい。しかし、これが可能になるのには、政治家が安全保障についての見識を深める必要があるのは言うまでもない。



 話が脱線したが、翻って今回の件を考えてみると、やはり一体どこで文民統制という言葉を用いる必要があるのか、分からない。マスコミの心配(?)とは裏腹に、今回の幕僚長の論文が文民統制に影響を与えたという事実は確認できないし、集団的自衛権や攻撃用兵器の導入を一官僚である幕僚長が主張したところで、国政が動く可能性など皆無である。ましてや、幕僚長が今回の論文によって防衛大臣に就任したわけでもなく、先述した文民統制の具体的作用が今回の論文によって全うできなくなったわけでもない。

 …、ではどうしてわざわざ文民統制などという概念を持ち出して騒ぎ立てているのか。思うに、マスコミは文民統制を異端な見解や思想を封殺するための「思想」統制として持ち出しているのではないか。

 このように考えると、今回マスコミが幕僚長論文について文民統制という言葉を用いて執拗に批判(否定、と言ったほうが適切か?)していることが、すんなりと理解できる。しかし、これはサヨクマスコミがとってはいけない手段であることは「北海道新聞(サヨクマスコミ)の矛盾」において既に述べたところであるから割愛する。

 たとえ幕僚長という立場であっても、大東亜戦争について田母神氏のような歴史認識を持っていても構わないし、逆に自虐史観の持ち主であっても構わない。ただ、軍人としての職務をきちんと遂行してくれればよい。安全保障についても同様である。というか、本来の文民統制の理解に立てば、安全保障については政治家がしっかりとした国防についての認識さえ持っていれば、官僚にどのような考えを持った者がいてもいいはずである。それ以前に、官僚の思想統制までしだしたら、それこそ問題である。今回、幕僚長論文を批判している勢力は、文民統制と言う言葉を借りながら、実は特定の思想を排除しようと思想統制をしているのである。

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4 コメント

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痛恨の極み (ハイ)
2008-11-03 23:01:11
このような歴史観を持った方が「軍」のトップにおられた事を嬉しく思ったのと同時に、更迭された挙句に定年退職させられたことをとても残念に思います。
が、これを機に村山談話の見直しや大東亜戦争の検証など政府内で議論される事があるならば、それはそれで幕僚長の大きな功績ですよね。

退役後も誉れ多き軍人で、また誇り高い日本人でいらして欲しいです。
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ハイさん (管理人)
2008-11-04 00:12:27
コメントありがとうございます!

個人の歴史観は人それぞれであり、それをたかだか一企業の懸賞論文で披見しただけで更迭してしまうというのは、あまりにも酷いですよね。
というか、浜田防衛相が歴史観を理由に更迭すると発言したのがいけないんですよ。

更迭するならただ一言、自衛隊では今綱紀粛正中にあるにもかかわらず、組織の最高幹部が内規に反して論文を公表したため更迭することにした、と言えばよかったんじゃないでしょうか。

村山談話の踏襲など、毎度毎度総理に求めるなんて、はっきり言って正気じゃないですよ。これでは村山談話が「見解」ではなく法化していますよ。
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Unknown (冥王星)
2008-12-17 11:43:17
文民統制という規定に関して、日本人の意識が低いという問題があるでしょう。
ただし、幕僚長が公務員倫理法に翳して不適切な行為を行ってきたことは事実であって、その部分での懲戒処分であると考えれば降格は妥当な判断だと考える。
ただし、国家公務員法の射程内である自衛官の政治行為の自由は非常に厳しく制限されていることは、公務員の自由を考える上で論題になって然るべきだと思うのだが、幕僚長の擁護論は、そのような視点がないのがとても残念である。

さて、記事に関して異論を挟んでおきたい。
>集団的自衛権や攻撃用兵器の導入を一官僚である幕僚長が主張したところで、国政が動く可能性など皆無である。

皆無であると断定するべきではないだろう。
例えば、幕僚長論文において「士気」を問題にした指摘があるが、これについての検証作業が行われようとしている。
冥王星は、現代戦争における士気のプライオリティの低さから士気論の必要性を否定している。
この皆無というのは問題であろう。
なにより、内閣法制局とのパイプがない制服組軍人であってもその影響力は背広組への牽制にもなりえる。

さて、次に指摘するべきは、制服組軍人の国会発言権の問題である。文民統制の規定が厳しい諸氏によれば、国会発言すら認められないようだが、
世界の国政議会では公聴会で制服組軍人が意見する機会が与えられ、背広組を牽制することができる。
日本の軍政は、制服組・背広組の抗争部分も存在していることを考えれば、現場の制服組の意見を聞き入れるだけの国政議会のあり方を考えるべきだろう。

さて、論文に関して文民統制という問題は棄却するとして、幕僚長は大きな負の問題を残した。
名古屋地裁でのイラク航空自衛隊の憲法訴訟での違憲判決では、幕僚長は三権分立の建前論をなし崩しにした責任も問われるだろうし、寄付金騒動もまだ解決をみていない。
歴史感の自由は担保されて然るべきだろうが、特定の方向性に偏重するのは好ましくないことは言うまでもない。
F-15戦闘機にAP会長を乗せるなどの行為は、実に不可解な行為であるし、自衛官の教育課程に「新しい歴史教科書の会」の講師陣だけを招聘しているなどという事実関係は問題があろう。

さて、最後に。日本の学説に関しては、文民は非軍人という規定を採用しているようだが、これには視野狭窄というべきものがある。
実は、政教分離論と併行して、聖職者(宗教)は文民と規定しないことが通俗的である。
政教分離の規定にもよるが、最近はめっきり文民統制の文民の意味が議論されないようだが、聖職者を加えることは、文民統制という論題の本旨である歴史が長いのである。

文民統制の統制は、軍事だけではない。むしろ、軍事だけに収斂するような見解からして、学説が稚拙と言うべきだろう。(政教分離原則が代用しているというが、文民統制の思想下に政教分離があったはずである)

さて、次に、コメントへの牽制を

>それをたかだか一企業の懸賞論文で披見しただけで更迭してしまうというのは、あまりにも酷いですよね。

自衛隊法86・87条解釈を素直に読めば、懲戒処分は可能であるし、類似した事例(来栖発言・週刊ポストのクーデーター騒動)などが懲戒免職処分だったことを考えれば、まだ緩いとも言える。
降格で処分であって、更迭ではないことも注意されるべきだろう。

次に「村山談話」はすでに法としての拘束性を持っています。
まったく理解されていないようですが、日本が中国との条約でたびたび村山談話に関わる条約が列記されていますし、それは批准されています。従って、条約としての有効性が村山談話に付帯することで、国際法としての拘束性が介在します。
よって村山談話は法制化していると断じてもいいでしょう。
むしろ、法制化していないという詭弁など国際法知識のない無知の言動と断定できるでしょう。

え?国際法を知らずに憲法を語っていると?そりゃ、日本の憲法学を論じる人の底の浅さでしょうw
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冥王星さん (管理人)
2008-12-17 21:43:59
コメントありがとうございます。
貴殿のブログを拝見しましたが、どうやら私とは大いに考え方を異にする方のようですね。

まぁ、貴殿のコメントについて反論する気は、私にはありませんよ。別に反論できないほど論破されたからというのではなく、どういうわけか反論してやろうという気が起こらないのですよ。

多分、貴殿がアニメ好きなヲタな方だからでしょうか(笑)。私もアニメ好きなオタクなので、同じアニメが好きな人は私の同志というのが持論なので。。。すみませんね、反論もできないで。私は貴殿のブログの益々の繁栄を祈念してこのコメントを終わろうかと思います。
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