この度の台風により被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

↓庭を眺めるのが日課です👀


↓「何かご用ですかな?」

↓寝姿も可愛いです💤




愛猫くん、我が家に来て丸三年です!
この度の台風により被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
ブログの筆者・飼い主です!
ご無沙汰をしておりました
今月は「庭仕事の強化月間」と決めて、親父殿の絶対的?管理下にあった我が家の庭の改造に取り組んでおりました。
…といっても、荒れ放題のジャングル状態だったので、草取り・ゴミ拾い(落ち葉や木の実が腐敗した状態でした)が中心です。
「庭を放置するのは勘弁してください!」と、心の中で幾度となく親父殿に抗議しました(実際に何度も口に出しました)
腐敗したりカラカラになった枯葉や実を拾うと、その下から大量の虫さんたちがワ~っと出て来て、まさに「蠢く」という感じでした。
親父殿は植物に何らかのこだわりというか執着?があるらしく、とにかく植物を傷つけたくないと主張しています。
そして、虫が発生すると殺虫剤や消毒液を撒いています…
う~ん、虫さんの発生を予防するという観点からも「日当たりと通気の良い庭」を目指したいのですが…
親父殿から、フェンスに絡まった蔓性の植物は剪定を許されたのですが、陽が入らないくらい生い茂った庭木の剪定は禁止されてしまいました。
そこで、「上がダメなら、横からだ!」と考えて、込み入った低木の間に手を突っ込んで雑草を抜き、落ち葉等を拾うという作業を繰り返しました。
すると、かなり風通しが良くなり、土の表面の湿気も少なくなってきました。
その過程で、抜いて良いと言われていた「リュウノヒゲ(ジャノヒゲ)」と間違えて「シュンラン(春蘭)」を抜いてしまい、親父殿に激怒されるという事態が発生しました
「そんなに大事なら、手入れをして見えるように管理してくれ~」と心の底から思いました。
そんな訳で、毎朝30分~2時間、草取りとゴミ拾いをコツコツ続けたところ、かなり清潔感のある感じになってきました。
塀の脇などは下草が繁茂して潜り込めない状態でしたが、今は恐れることなく近づくことが出来ます。
折角なので、詳細も記そうと思います!
1.植木鉢をギッシリと家屋の周囲に配置していたため、雑草が伸び放題だった
→現在は外壁塗装工事をしているので、大量の植木鉢は庭の中央に集められています。
親父殿は、植木鉢をひっくり返した上に板を敷き、その上に植木鉢を置いていました。地上からの高さは10cm以下で、奥まで手が届きません
家屋の南側の外壁に沿って植木鉢を置いていた場所には、フキが繁茂していました。
フキは地下茎が長くて太いので、シャベルを使って掘り出す作業が大変でした。
また、庭の別の場所にもフキが大量に繁殖していて、そこの地下茎を掘り出すのも大変な作業でした。
家屋の近くの低い位置に植木鉢をギッシリ置く。
これは湿気も多くなり、どう考えても良いとは思えないのですが…
親父殿は凝りもせずに「工事後は元に戻す」と言っていますが、阻止したいと思います。
2.親父殿が落ち葉を放置したため、腐敗した状態のものが大量に土の表面を覆っていた(虫さんの楽園と化していました)
親父殿は理系で山歩きを趣味にしていたので、自然には並々ならぬ愛着があるようです。しかし、専攻は化学なので、自然科学を本当には理解していないと思われます。
思い込みで物事を進めるので、本当に困ります。
「落ち葉は微生物が分解してくれるから、放っておいても大丈夫」というのが、親父殿の持論です。
確かに自然界では、そうかも知れません。
ただ、我が家の庭は森などの自然の状態とは、明らかに違います。そもそも塀に囲まれています。
落ち葉を微生物が分解してくれる前に、腐敗が進んでしまいます。
そうなると、虫さん達が大量に繁殖してしまう…ということが親父殿には分からないようです。
いや、分かっていても、落ち葉などを拾ったり掃除するのが面倒だったのかも知れません。
それなのに、「口を出すな、手を出すな、干渉するな」と言っていた親父殿…
綺麗になった庭を見たら、内心は嬉しかったようで、最近はせっせと庭の見回りをしています。
つまり、「高齢になって、庭の維持管理が面倒になって放置した」ということなのでしょうが、それならそうと早めに庭仕事の許可が欲しかった…と思いました。
…長々とスミマセン
お詫びに、2年前に撮影した猫さんの画像を載せます!
↑草地で風に吹かれる黒猫さんです!
庭仕事も一段落して、今後は毎日15分~30分程度の作業で大丈夫そうです。
この記事のタイトル通り、一定の成果は得られました~
ここのところ、庭仕事に集中していたので、また元の感じの生活リズムに戻していこうと思います!
【追記】2019年7月29日
後から読み返してみて、やっぱり愚痴が多過ぎました!
反省の意味もこめて、猫さんの写真を追加いたします
↑挨拶を交わす黒猫さんコンビです!
↑カッコいい猫さんです!
ブログの筆者・飼い主です!
前回の投稿から日にちが空いてしまいました!
「ブログの更新頻度を上げる!」という目標?を立ててから半年。
まさに中だるみといったところです
下半期も緊張感を維持しつつ、目標に向けて邁進します
(…と、掛け声だけは元気の良い飼い主です)
↑気持ち良さそうに眠る愛猫くん!
さて、更新が滞っていた間、慣れない庭仕事に精を出しておりました。
「庭仕事」と言っても、枝の太くない植物の剪定作業や、雑草の草むしりがメインです。
我が家の庭は、親父殿が全権を握っていて「口を出すな・手を出すな・干渉するな」的な決まりがありました(父方の祖父が購入した土地を父が相続したので、父の単独所有になっております)
ただ、親父殿もかなり高齢になってきました。
「庭木の手入れが負担になってきた」
「しかし、下手に手を出されて大事な植物をダメにされたら困る」
という相反する気持ちのバランスが遂に崩れ、庭の維持管理を自分だけで行うことを諦めたようです。
先月、飼い主も庭仕事に参加する許可を得ました~
そこで、飼い主にとって最優先事項であった「フェンス(道路に面しています)から出ている蔓性の植物を剪定する」という作業から開始しました。
約10mにわたって、蔓性の植物の葉が10cmくらいフェンスから飛び出して生い茂っていました。
何度も父に訴えたのですが、「誰かから指摘されたら切る」と言って、聞き入れてもらえず悶々としていました。
庭仕事の許可が下りてすぐに、剪定作業に取り掛かり、炎天下の中、半日ほど作業をしました。
蔓性の植物は、根から続いている重要な部分以外の枝葉を取り除き、かなりスッキリとさせました。
フェンスから庭が見えてしまいますが、通行の妨げになるという事態は避けられました。
フェンスの脇を小中学生の生徒さんも通学で通るので、ホッとしました
親父殿は「年寄りの願いを聞き入れてもらえなかった」と、後で不満を漏らしていたようでしたが…
親父殿は戦時中に東京で生まれ、戦後の混乱期も東京で過ごしていたためか、所有欲の強さが恐ろしいのです
「一度手に入れたものは絶対に手放さない」という感じで、それは通行の邪魔をしている植物に対してまで適用されていました。
何とか折れてくれて良かったです…
雨の降っていない時間に、伸び放題になった雑草を抜く作業や、込み入った枝の剪定などに集中していたので、ブログの更新が間遠になってしまいました…というご報告でした~
親父殿のご先祖を探ってみると、農業に専念していた人は少ないようです。
飼い主には母方の血の方が濃く流れていて、母方は代々農業を営む家系です。
そのためなのか、自分の家の庭が無法状態だと何となく落ち着かず、「せめて生い茂る雑草を何とかして、土を乾燥させたい」という欲求に駆られます
今は風通しも良くなり、雑草も大幅に減り、少し安心しました!
…今回は愚痴っぽい内容になってしまいました~
我が家の犬猫くんたちは、梅雨寒のためか、よく眠れるようです
庭仕事に精を出しつつ、「庭づくり」の勉強も始めたいと思っています!
ブログの筆者・飼い主です!
先日、愛猫くんの「ノミ・ダニ予防」のお薬をつけました。
↑後頭部がボサボサっとして、ワイルドな感じです
耳の感じから察するに、ちょっとお怒りのようです
愛猫くんと伝之助の写真は、また別に投稿しようと思います!
今回は「邪馬台国」について書こうと思います。
このところ邪馬台国にハマって、邪馬台国についての本を何冊か読みました。
今回は次の二冊をご紹介します。
【一冊目】
書名:邪馬台国は熊本にあった!ー「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国
著者:伊藤雅文さん
発行:株式会社扶桑社(扶桑社新書)
【二冊目】
書名:邪馬台国は「朱の王国」だった
著者:蒲池明弘さん
発行:株式会社文藝春秋(文春新書)
※著作権の関係上、詳しい内容までは記載できません。ご容赦ください。
<邪馬台国は熊本にあった!ー「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国について>
著者・伊藤雅文さんは、次の視点から邪馬台国の場所を検証されたそうです。
「魏志倭人伝」を含んでいる『三国志』の撰者・陳寿さんの記述は正しかったけれど、後に正史を扱った人が「間違いを正してやりたい」という思いから改ざんしたのではないか?という仮説を唱えていらっしゃいます。
飼い主が前回ご紹介した「邪馬台国の全解決」の著者・孫栄健さんも、陳寿さんの優秀さについて指摘されていました(ご興味のある方は「飼い主、邪馬台国に関する本を読む」をご参照ください)
伊藤雅文さんも、孫さんと同じく陳寿さんを評価しています。
伊藤さんは「魏志倭人伝」の原本(オリジナル版)には、正しい「道里」が記述されていたが、ある時期にその記述が改ざんされたと書かれています。
メモ【邪馬台国の所在地が論争になっている理由(一般論)】
邪馬台国の所在地を特定できない大きな理由として、「魏志倭人伝」の邪馬台国への行程記述が、途中までは「里数」で表記されているのに、投馬国と邪馬台国については、水行二十日(投馬国)、水行十日陸行一月(邪馬台国)というように「日数」で書かれいることが挙げられています。
伊藤さんは、不彌国以降の投馬国・邪馬台国への行程の日数表記に矛盾を感じ、「魏志倭人伝」オリジナル版には「正しい里数が書かれていた」と仮定しています(「水行〇〇里」「水行〇〇里陸行〇〇里」というように…)
改ざんは、陳寿さんの記述を「誤り」と考えた人(集団)が、陳寿さんの誤りを正してやりたいという気持ちから、苦肉の策として日数表記に変更したのではないか?と仮定しています(邪馬台国の所在について、「魏志倭人伝」には「会稽東治の東にある」と書かれています。伊藤さんは、改ざんの理由として「会稽東治」と「会稽東冶」という別の土地についての誤認を挙げていらっしゃいます)
伊藤さんは、数式(方程式)を用いて、投馬国への水行の里数・邪馬台国への水行と陸行の里数を導き出しています。
その上で、行程について詳しく検証され、邪馬台国の比定地を挙げていらっしゃいます。
<飼い主の感想>
この本の前に読んだ、【決定版】邪馬台国の全解決 中国「正史」がすべてを解いていた(孫栄健さん著)の影響もあり、『三国志』の撰者である陳寿さんについて「優秀で簡潔明瞭に記述する人」というイメージがありました。
そういったことからも、著者・伊藤雅文さんの「後世改ざん説」について、それが本当に正しいかどうかは別として「あ~、そうなのかぁ」とスッと納得できました。
<邪馬台国は「朱の王国」だったについて>
「魏志倭人伝」の倭国全体に関する記述に、産出する鉱物・宝石類として「丹」(朱)が挙げられています。
著者の蒲池明弘さんは、「朱」(辰砂)という水銀の元となる鉱物が、邪馬台国の所在地を解明する手掛かりになるのではないか?という視点から、この本を書かれています。
この本では、邪馬台国の時代から奈良時代までを対象として、「朱」が重要な輸出品であり、巨大古墳を造る際の経済的な基盤になったのではないか?邪馬台国の時代から「朱」によるバブルが発生して、その採掘地をめぐる争いや移動が古代史と関係があるのではないか?という説が展開されています。
朱の三大産地である「奈良」「伊勢」「九州」を対象地として、古代史との関係も書かれています。
奈良は、「山地が多いため土地が少なく農業生産は豊かではなかった」「金・銀・銅の鉱山があった記録がない」という条件にもかかわらず、邪馬台国の候補地である纏向遺跡があり、都も置かれていました。
農業・工業を含めて、奈良がナンバーワンの産地であるのは「朱」のみだそうです。
著者の蒲池さんはその点に着目して、「朱産地としての奈良」という視点から古代史について検証されています。
また、神武天皇の東征伝説について、神功皇后が九州を行軍したという記録について、宇佐八幡宮について、景行天皇と景行天皇の皇子ヤマトタケルの伝説についてなど、様々な視点から解説されています。
<飼い主の感想>
先日、BS-TBS『諸説あり!』の邪馬台国スペシャルを見て、「丹」(水銀)が邪馬台国にとって重要だったと知り、その関係から、この本を読ませていただきました。
邪馬台国の候補地である九州と奈良、そして宇佐や伊勢が朱の産地だという事実を知り、とても驚き勉強になりました。
朱が、金や銀にも負けないくらい価値があり、朱の輸出で財政が潤っていたという説に説得力があり、朱と古代史との関係に関心が湧きました!
とても勉強になり、読んでいて分かりやすく、著者の蒲池さんの説に感銘を受けました!
古代において朱の探査・採掘にかかわった人々が「丹生」姓を名乗ったということは『諸説あり!』を見て知ったのですが、今回、朱の産地が「丹生(にう)」と名付けられ、丹生神社が祀られることが多いということも、この本で知りました。
また、十一面観音と朱産地との間にも、何らかの関係があるらしいということも初めて知りました。
十一面観音菩薩といえば、芝山仁王尊(観音教寺)のご本尊です。
観音教寺が建立された経緯をみると、朱産地とは関係がないようですが、千葉県には馴染みの薄い「朱」が急に身近に感じられました。
さて、我が千葉県には「火山がない」ということで、朱とは無縁だろうと思って、何気なく「丹生神社」を検索していたところ、習志野市に丹生神社がありました!
そこで、訪ねてみることにしました!
<丹生神社にお参りしました>
本殿です。正面からの撮影は遠慮しました。
御由緒について案内板を読んでみました。
和歌山県伊都郡かつらぎ町にある「丹生都比売神社」を勧請して祀られたとのことです。
江戸時代の承応四年(1654年)に建てられ、現在の本殿は1812年に建立されたそうです。
※「伊都郡」というところに不思議な縁を感じます。邪馬台国連合の重要な国である「伊都国」が連想されます。
千葉県には、黒潮に乗って和歌山県・徳島県から移り住んだ人が多いということなので、和歌山県から移住した方がお祀りされたのかも知れません。
昔はこの辺は海辺で、漁業が盛んだったようです。
敷地内には、漁業組合解散の碑が建てられていました。
↑本殿には竜宮伝説のような彫刻が施されていました。
漁業と関係があるからかも知れません。
千葉氏に関する寺院を撮影する時には感じない不思議な緊張感があり、ドキドキしました。
話は飛ぶのですが…
岐阜の各務原に住んでいた曾祖母の旧姓が「丹羽(にわ)」です。
「丹生が転じて丹羽になったのかも…」と勝手に思ったりしました
岐阜の曾祖母に関する姓として、丹羽姓・柴田姓・遠藤姓があります。
美濃・尾張の丹羽姓・柴田姓・遠藤姓といえば、丹羽長秀さん・柴田勝家さん・美濃国郡上の遠藤氏といった方々が思い浮かびますが、曾祖母の家系との繋がりは無いとのことでした。当地では、かなり多い姓だということです。
ブログの筆者・飼い主です!
昨日(6月1日)ブラタモリ「“ちばらき”~“ちばらき”はニッポンの要!?~」を見ました
(ご興味のある方は、以下のリンクからご参照ください)
利根川を挟んで千葉・茨城の県境にまたがるエリア「ちばらき」について楽しくご紹介して頂き、「ちばらき」系?の飼い主としては感無量です
香取市は、飼い主の生涯の研究テーマである「武石胤盛さんが神生に住んでいた理由について」の現地調査の地です(旧山田町神生です)
番組を見て、広々とした田園地帯が広がる香取市周辺に行きたくなりました!
本格的な夏が始まる前に訪ねてみたいと思います
それでは、我が家の犬猫の画像を載せていきます!
↑掛け布団をケージの上に載せていたところ、愛猫くんの臨時ベッドになってしまいました~
↑よく眠れるようです
↑夏の訪れを感じつつ、のんびり眠る愛猫くん
愛猫くんが眠っている時間帯、伝之助は…
↑お気に入りのぬいぐるみを振り回して遊んでいます!
↑振り回しながら走る練習に余念がありません
昨日は飼い主の姪っ子(小学生)の運動会でした
伝之助くん、「オレも参加したいワン!」と思ったかどうかは分かりませんが、走り回っていました!
連続した画像でご紹介します!
↑「ぬいぐるみ噛み走り競争なら負けないぞ~」
↑「軽くジャンプするワン!」
↑「急ブレーキだって余裕だぜ~」
↑「華麗なターンでしょ?」
↑お散歩後の伝之助です!
ご機嫌が良さそうです
お袋様の足が写り込んでいます
邪馬台国関連の本も何冊か読みましたので、またご紹介したいと思います!