goo blog サービス終了のお知らせ 

アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

博士の愛した数式

2006年01月27日 | 映画
数学が提示する深い‘意味’を読み取れない私は、とても残念ながら、この映画の真に優れた核の部分を読み取れないも同然なので、表層的な理解しか出来ませんでした。義姉と博士との複雑な関係や家政婦と博士と家政婦の息子ルートとの時を追って徐々に深まっていく情愛の世界のことも、まさに人物配置や設定の巧みな‘良く出来た映画’を観ている以上の感動は伝わってこないのです。家政婦の靴のサイズが24センチであることに、博士は「実に潔良い数字だ。」と感心するのですが、何故24センチが潔い数字なのかがちんぷんかんぷんだった時、すでにこの映画を、私は理解することが出来ないとお手上げの気分に襲われてしまいました。一事が万事。ここがポイントだと思える箇所はすべて見送らなければならないのですから、あとは分かる部分だけを繋ぎ合わせるだけの情けないものとなりました。ですから、大人になって数学の先生になったルートが授業で、博士と過ごした‘ありのままの日々’の素晴らしさを数式を用いながら回想する、この映画の要とも言えるシーンでも、ガラス張りの向こうの世界を眺めるような白けた気分が付きまとってしまうのです。義姉の頑な心が緩んでいく経過にも説得力が伴いません。深刻すぎても気が滅入る。けれど、辻褄あわせは嘘臭い。この世の真実を、あるカタチで表現するということはかくも難しいことなのですね。こんな複雑で困難なことに挑戦し続けている映画人に敬服しきりです。
映画「博士の愛した数式」公式サイト

最新の画像もっと見る

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
映画の見方 (Bliss)
2006-01-27 12:19:06
映画をそんなに難しく見なくても良いと思いますよ。「理解する」のではなく、「感じる」ことを優先してみてください。

理屈や理由など、「考えて」見てしまうと、むしろ本当に伝えたい部分が伝わらなくなってしまい、結果、見終えた時に白けてしまうのです。



靴のサイズが24cmで、潔い数字という表現も、意味を求めるより、単純に『○.5』みたいに端数がないからスッキリしてるくらいに受け取れば十分だったと思います。



有名な絵画に専門家は、様々な理論や理屈をつけて褒め称えていますが、本当に大切なのは、その絵画を見て、何を感じたか、ではないでしょうか?

映画も同じことだと思いますよ。
返信する
始めに感情ありき (midnight_ray_polaris)
2006-01-27 22:32:22
私がそんなに難しい人間でないことは、Blissさんは良くご存知だと思います。たまたま、「理解」という言葉を使ってしまってはいますが、人は感じることをしないではいられない生き物だとは思いませんか?特に、私は思考型の人間ではありませんし、悪しき感情優位傾向を払拭したいと望んでいる程、元はと言えば、感じたことで物事を捉えることにしか脳がない人間です。この映画では、数学の世界観が極めて重要なのです。それが分かるだけでも、その他の筋書きの意味さえもすらすらと解読できてしまうほどに大事な要素なのです。だから、その意味を知りうることの出来ない‘数学に弱い’私は、この映画の核の部分に触れることが出来ない悔しさに臍を噛んだのです。その辺の微妙なニュアンスをお伝えできないことが残念なんですが…決して難しく観ているわけでないことだけはお伝えしたいと思います。
返信する