
もう好きなように生きるしか道はありませんネ。それが分かっただけでも、今の私はとても満足しています。どのように生きても一生は一生。だから好きなように生きた方がいいのだということが分かったのです。品行方正に、清く正しく美しく生きても、それはそれまでのことでした。ただ、つつがないというだけのことで、大きな至福感をもたらしてくれたわけでもなかったのです。自分が幸せでなければ、当然、まわりの人もさして幸せではなかったはずです。ただ間違いのない人生、というものを選ぼうとすれば、運命が顔を出す隙もないわけです。そんなところには運命でさえ詰まらなくて登場も出来ないわけです。私が私でさえあれば、私はもう何をやってもいいのです。これからは、私は私の生活を自由にデザインしていきましょう。きっと、運命は、もはや、私の敵になることはないでしょう。もともと、私はとても純粋な人間でした。これからはその特技を生かして、純粋であり続けてもいいのです。真っ直ぐな気持ちを真っ直ぐに、人に伝え続けてもいいのだと思います。子どものような自分を恥ずかしく思い、大人げのある人間になろうとした日々はとても窮屈なものでした。出来もしないことでも、「出来ない!」と明言することがはばかられる社会もしくは職業生活は、私にはそぐわないものだったのかも知れません。世の中とはただただ厳しいものだから、背伸びして頑張り続けなければいけないのだと思ってきました。それが、‘人の道’だと信じて疑わなかったからです。でももうやめです。人は人。人がどのような人生を選ぼうと、それはその人の自由ですが、自分は自分で、私も私の自由を獲得して、この人生を生きていきたいとやっと思えるようになりました。
自由=混沌でもありません。
僕らは、自分の中の法則に従って生きればいいんです。それが、自由に生きるってことだと思います。
自分の中の法則は、宇宙の法則に繫がっています。フラクタル構造でしたっけ?
Rayさんは、自由に生きる権利があります。
僕は、そのお手伝いができればと思います。