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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

JUST FOR TODAY

2005年07月13日 | 日々の泡
JUST FOR TODAYとは「今日一日」という意味です。覚せい剤のような薬物に一度でも手染めると(嫌な表現で済みません。)薬物なしの生活がとても難しくなるようです。それほどまでに、薬物の力は生きることの苦しさを、たとえ束の間でも忘れさせてくれる効果が絶大なのだということになります。刹那の至福と引き換えにもたらされるものが永遠の苦痛だなんて、何というアイロニーでしょう!薬物をやめられなければ最後には廃人になってしまいます。(私はその惨状をこの目で確認した経験は皆無ですが、その恐ろしさについては耳学問で少しは聞かされています。薬物からの離脱。薬物汚染からの回復。その過程で、心に刻まれる言葉が「JUST FOR TODAY=今日一日」という言葉です。合言葉と言ってもいいかもしれません。この言葉なしには、とても今日一日を無事に乗り切ることは出来ません。それほどまでに過酷なプロセスのようです。今日一日だけでもクリーンで居られればいいじゃないか!今日一日だけのことしか考えられないよ!今日一日はいつ途切れてしまうかもしれない危うい今日一日なのです。「今日一日」という日々の積み重ね。昨日と同じ今日ではありません。「一期一会」の今日一日なのです。「日々新た」な今日一日なのです。こうして、今日一日の平安が積み重なって・・明日への道が続いて行きます。一条の光を頼りに、彼らが、いつも繰り返し唱える「平安の祈り」というものもご紹介します。「神様、私にお与えください。自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、変えられるものは変えてゆく勇気を、そして、その二つのものを見分ける賢さを。」「平安の祈り」の冒頭にある神とは、「自分の外にある自分を超えた偉大な力」と理解されています。ハイヤーパワーとも言います。アルコールや薬物からの自由を真に自分のものにしていこうとする人々は、スピリチャルな世界にアクセスする以外には、もう生きるための方便を、他の世界には持ち得ない人々とも言えます。断崖絶壁を間近に感じながらも、ある状況の瀬戸際を歩く決意をした人々なのです。それでも、彼らは多くの場合、これ見よがしな悲壮感を漂わせていることは少なく、何故か、突き抜けた明るさの持ち主であることが多いように思われます。あるいは、そっけないくらい淡々としています。私には、それが一つの際立った特徴のように見えるのです。

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点を生きる (Bliss)
2005-07-14 12:32:55
我々は、三次元の世界に生きています。

四次元の世界では、時間軸があり、時間を自由に行き来できるのですが、残念ながら我々は、過去や未来を自由に行き来するすべを持っていません。

我々は、一瞬一瞬の『点』を生きています。

過去は記憶を辿ることにより、遡ることが可能なように錯覚しがちですが、それは記録であって遡っているわけではないのです。

つまり、今、この一瞬こそがすべてであり、大切にしなければならないということです。

一期一会は、この人に対してだけではなく、この一瞬にも当てはまる言葉なんだと思います。
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