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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

久々のフラワーアレンジメント

2006年08月24日 | my favorite・・・
本当に久し振りに、フラワーアレンジメントの画像が友人から届けられました。今回のアレンジにはパイナップルが素材として加えられているようです。お花にフルーツを添えるというアイデアも非常に斬新で素敵です。パイナップルの先っぽのトゲトゲしたグリーンがアクセントになって野性味と可愛らしさを主張しています。全体的に淡いピンクのざっくりした大振りのお花が、この夏の茹で上がるような暑さにささやかな涼を運んでくれているような気がします。

先日、遠い親戚筋の人と本当に久し振りに電話で話しをしたのですが、彼女は地元のカルチャーセンターで友人3人とフラワーアレンジメントを月に2回、講師として教えているということを言っていました。新聞の折込の洒落た宣伝紙にも時々、フラワーアレンジメントの講習会のインフォメーションが載っています。フラワーアレンジメント人口も裾野が広いのかもしれません。

今回のお花はピンク色が主流です。ピンク色の優しさや穏やかさに心が癒されるような気がします。パワーストーンをオーダーする際にも、自然とピンク色めいた色彩の石を選んでいました。私のピンクブームはいつまで続くのでしょう。ピンク色の鉱物が象徴するキーワードは慈愛・優しさ・和やかさなどです。持つ人を豊かな愛情と柔らかな波動で包み、感情面での安定を促し、心に受けた傷を癒し、機能しなくなった古い生き方からの束縛を溶かし去る…というような意味合いを保持しています。愛を受け、愛を与える象徴としてのピンク色の石。石に限らず、ピンク色が醸し出し、周囲に放つオーラには優しい愛情が溢れているようです。

パワーストーン

2006年08月16日 | my favorite・・・
オーダーパワーストーンブレスレットなるものを作ってもらいました。この頃、石のブレスレットをしている人を見かけることが多くなりましたが、大抵は出来合いのものが多いようです。私のパワーストーンは特注のものです。まずは、47種類の石のすべてとの相性をみていきます。石を左手の手のひらに乗せて、右手でOリングを作り、ブレスレットを作ってくれる人が、私が作ったOリングに力を加えて、その輪が外れるかどうかを一つ一つの石で試していきます。外れてしまえば、その石は、自分に対して効力を持っていないということになりますし、外れなければバイブレーションを伝えてくれる石ということになります。47種類もの石の効力を一つ一つ手のひらで確認していく作業はなかなかに大変なことですが、嫌な顔一つせずに、その過程に付き合ってくれる作成者との関係は、どこかカウンセリングを受ける時のセラピストとクライエントとの関係にも似ていて、その関係が良好なものであれば、そこには、ゆったりとした癒しの時間が流れていくのです。47種類の石の中から、自分に合う石が限定されていきますが、さらにその中から、自分が好きな色合いや雰囲気の石を十数種類選び出します。後は予算との関係で、石の大きさやカタチは、作ってくれる人のセンスにお任せすることになります。私のブレスレットを作ってくれた人が、ご自分用に着用していたものはさすがにカタチもさまざまならば、大きさも大粒で素敵なものでした。そのブレスレットをイメージしていたので、私のブレスはやや無難な仕上がりになっています。(予算の関係で仕方がありません。)通常の丸いものとは違う石は2種類だけで、一つは平べったく、一つは長細いものでした。けれど、全部が丸いものではなく、2種類でも様子の変わった石を取り入れてもらえたことで満足感を得られました。

暖かい色合いの一群の石と、クールな色合いの塊の石とが白っぽい石で繋がっている、このブレスレットに対する私の感想はといえば、2種類の性質の異なる世界が統合されているというイメージのものでした。太陽と月、昼と夜…というように異質なものだけれど、大局的にみれば、同一の価値のもの、すなわち大いなる宇宙が私の腕の中にあるという印象を持ったのです。製作者に素直な感想を伝えたら、とても喜んでくれました。どんなに素敵なブレスレットをつけていても、装飾品としてならばそれでもいいのですが、もしそこから何らかのパワーを欲するのならば、Oリングで、自分との相性を確かめてみることがまずは肝心のようです。

成功者の生き方

2006年08月08日 | my favorite・・・
テレビ東京の「ソロモン流」を毎週楽しみにしていて、その時間はテレビの前に釘付けになっています。たまたまひょんなことから、一度チャンネルを合わせたに過ぎなかったことがきっかけでしたが、今では私の‘お気に入り’番組の一つになっています。

この番組に惹かれるには、幾つかの理由があります。私の回りには、特別な成功者や大金持ちが見当たりません。だから、知恵と才覚で通常の生活者より、頭一つ、二つ分位、精神的にも物質的にも秀でた生活を送っている人の思考回路や生きる上での心情や心構えというようなものに触れる機会が全くないのです。母の親友の弟さんが、名前を挙げれば知らない人はいないほどの著名人(文化人)ですが、その方に、私がお会いできるチャンスなどはあり得ないことなので、(テレビなどで観る以外には)やはりどういう日々を過ごされているのかは知る由もありません。

周囲に卓越した人生を生きる人がいない、また、そういう人々と関われるチャンスがないということは、それなりの艱難辛苦の末に獲得したであろう、その人独自の人生観や世界観(=成功者の生き方)を教えてもらえる機会が全くないということです。

自分と似たような人と話をしたりしていても、なかなか今の自分を乗り越えるためのヒントは得られないものです。人生が平和と安寧の連続で十分というのであればそれでもいいのかもしれません。けれど、命尽きるまで、自分の未知の可能性を開拓していきたいとか、思いも寄らなかった出来事との遭遇を求めて挑戦を忘れたくない…とかいうような野心を抱いてしまったら、現状の生活の中だけから、飛躍の芽を見つけ出すことはなかなかに困難なことです。

‘ソロモン流’には独自のアイデアをカタチにすべく、苦労をものともせず、あるいは苦労は百も承知で、それでもなお前進していこうとする選ばれた人々の生き様が、毎週、紹介されています。すべての回の出演者に共感できるわけではありませんが、それでも「こんな生き方もあるんだ!」という驚きと感動が迫ってくることが、私にとっては新鮮な体験になっています。

成功者として、‘ソロモン流’に取り上げられるような方たちの多くに共通している特徴は、前進することをやめない。現状に安住して停滞してしまわない。そして何よりも、自分と周囲の人々を大切にする生き方を追及しているということだという感想を、私は持っています。

このブログで、ソロモン流のことを取り上げるのは2度目です。その位、私を啓発してくれる魅力的な番組です。3週間ほど前に放映された回で紹介されていた山本麗子さんは、私の田舎の長野県東御市に居を構えて活躍されている料理研究家です。同じく東御市在住の玉村豊雄さんとも大の仲良しのようです。そのせいもあってか、とても親近感を覚えながら、その生活ぶりを拝見しました。

ソロモン流

グランカフェ ローザ
■「グランカフェ ローザ」は山本麗子さんが軽井沢で経営されている(結婚式や披露宴もできる)レストランです。

山本麗子・アトリエ発 スウィートハートと仲間たち
■「山本麗子・アトリエ発 スウィートハートと仲間たち」は山本麗子さんのお料理教室スウィートハートのスタッフと仲間たちが運営するサイトです。



恨みが消えた!

2006年08月05日 | my favorite・・・
「私の人生はどうしてこうもうまくいかないのだろう!」いつもいつもそう思ってきました。自分の内面と外界の現象との間を結ぶパイプに何かが詰まっているからかもしれない!そう考えて、その原因を探るべく精神療法を受けて心の探索に夢中になっていた時期もありました。それでも、こじれた糸はますますひどく絡まってしまい、ほぐすことはほとんど不可能な状態のまま長らく放置するしかすべはなかったのです。

それがどうしたことでしょう。ビジネスの世界に足を踏み込んでからというものは、人に対する恨みの気持ちや感情が消え失せてしまったのです。うまくいかないことや失敗といえる出来事に遭遇しても、そのことに対して生まれてくる感情を誰のせいにもする気がなくなっているのです。あえて言えば、自分のせいですが、もしかしたら自分のせいでもないかもしれない。それは、私が成長するために神が与えた試練というものなのかもしれない、と理屈付ければそんな風にも考えられるようになっているのです。人が私に何をしてくれなくても、それは当たり前のこと。してくれれば有難う、ということです。自尊心を傷つけられるようなことを言われても、その時は嫌な気持ちに見舞われますが、次の日には、まあそういう言い方もあるわなぁ~などと思ってしまっているのです。

もし、私以外の誰かが、私と同じように、ビジネスを始めたいと言っているのを聞けば、留めることはしないまでも、「大丈夫かな!」と不安な気持ちに駆られることでしょうし、その人には余り近寄らなくなるかもしれません。何故ならば、阻止はしないまでも、応援することなどとてもできないからです。余りにも厳しい道のりだから、自分以外の人がそんなことに耐えられるかどうかは責任の持てない事柄だからです。(自分のことであれば、良かれ悪しかれ、出来ようが出来まいが、自分のことには責任を持つしかありません。)それとも、人を差別的な目で見ることの嫌いな私のことですから、その商品を気に入れば、商品だけをは積極的に購入していくかもしれません。少なくとも、背後に怪しげなビジネスがありそうだと思っても、その人とその商品とそのビジネスとを混同して、一色単にしてみることはしないかなぁとも思います。ともかく、私は、このビジネスの世界を通して、非常に遅ればせではありますが、世の中の厳しさやビジネスの過酷さや非情さと共に、その裏にある、人の心の襞の柔らかさや機微というものに触れる瞬間をも数多く体験するようなになったのです。

そうした体験に伴って、不思議なことですが、人の言動が、私に不安を喚起するような感情のうねりに圧倒されるということも少なくなってきたのです。それよりも何よりも、私は私の生を全うさせるという使命のことだけを大事にしたい…などと考えるようになったのです。まだまだ生きることを楽しむという域には達することができませんが、極力、余分な雑念は払いのけて生きようと思えるようにはなりました。私に悪意を持つ人がいても、私がそのことを許さない限り、誰かが、私に悪意を向け続けることはできないということも知りました。私が脅えたり不安になったりすれば、それは相手の思う壺です。ある状況に抵抗しようとすればするほど、私自身の力も萎え、その状況も強化されます。私は状況に抵抗しなければいいのです。そうすれば、その勢いはいつか自然消滅するでしょう。私をやっつけようとしていた人も、もうそんなことには興味を失います。私が動揺しなければ、やっつける理由がなくなるからです。恨みや僻みや嫉みなどの感情と無縁で生きるということはとても楽なことです。それもあってか、私の生活はとてもシンプルで(内面的には波乱万丈のジェットコースター的急降下を繰り返していても)表面的には穏やかなものになってきています。他人には迷惑をかけないで済むようになったということです。

「世界のすべては等価である」

2006年07月25日 | my favorite・・・
朝日新聞の日曜版に載る各界の著名人が語る「仕事力」というコラムを愛読しています。このところ、銅版画家の山本容子さんが語る仕事観が続いています。今回のタイトルは「世界のすべては等価である」というものです。

最近では、私もこのタイトルに近い世界観を持つようになっています。便宜上、人生の道すがらで起こる出来事やその結果を私たちは失敗とか成功とか、良いこと・悪いことあるいは勝ち負けなどのような二分法で仕分けしがちですが、何が良くて何が悪いかは人間の浅知恵で容易に決めてしまえるようなことではありません。そう考えるようになってからは、自分が行動したことの影響をいちいち良い悪いで、すぐに判断するようなことをしなくなりました。そうした性急な態度はとても愚かなことだと思えるようになったのです。

一見、わけもなく落ち着かなかったりイライラしたりする時は、じっと胸に手を当てて振り返ってみると、状況が自分の当て込んでいた成り行きとは食い違っていたからというようなことが原因だったりします。自分の責任の範疇の出来事であるならば、自分の力で将来の展望を変更していく可能性も孕んでいますが、人の気持ちや人の生き方を支配しようとしていないかを注意深く点検してみる必要があるかもしれません。自分が手を出したり口を挟んだりしてはいけない領域に踏み込むことは、例え、親密な関係にある間柄であっても慎むべきことだと思います。それを自他の境界を曖昧にして、他人の尊厳を侵しそうになった時に、残酷で悲しい出来事が発生してしまうのだと思うようになりました。

人生で起こることは、目先の現実を見る限りでは、自分の思うように都合良く展開していくということなどは皆無といってもいいと思います。美味しいところだけ、収穫だけを手にすることなどはとてもできない相談というものです。努力したからといってうまくいくほど、この人生は簡単なものではありませんが、努力なしに、ことをなすことなどまず100%無理と言えるでしょう。

山本さんも言われています。「何を持って失敗とするか。それは初めに定めた分かりやすいゴールに到達しなかったというだけのこと。」そして、掲げた目標自体が馬鹿げたものだったのかもしれないと指摘されています。陳腐で姑息な目的を達成できないのは余りにも当たり前、というか、その時は失意の気持ちに打ちひしがれたとしても、長い目で見れば、達成できなくて幸いだったということにもなっていくと思います。何事も行き詰ってからが勝負です。ここで、山本さんの哲学が登場します。「その時、自分の前提として掲げるものは何か。それが自分の哲学であり、その人だけの主題なのですが、それが確たるものになれば道程は本当に楽しい。旅の素晴らしさと同じで、成功や失敗といった貧しい定義など、まったく存在しなくなります。」

私はこの文章に触れた時、数年前のギリシャ旅行のことを思い出していました。旅、特に海外旅行は本当に楽しいものです。異空間に降り立った瞬間から、日常を脱ぎ捨てて、気の遠くなるような寂しさと開放感を道連れに旅の行程が始まります。そこでは先々何が起こるかを予め想定することはできません。すべてがまさに今、想像を絶して目の前に立ち現れてくるのです。文化も景色も雰囲気も食物も、何もかもが、私の固定観念を超えたところに存在しています。日々起こることを善悪で判断したりはできません。どんな感情もどんな出来事をも受け入れようとしている自分を発見するばかりでした。

旅は楽しいばかりのものではありません。とても恐いものでもあります。友情を再確認する場にもなります。ちょっと気が合うくらいの関係では海外旅行は厳しいものになる可能性があるからです。関係がそこで、再度試されることになります。非日常の空間で日常を共にする同伴者はそこでは「たった一人の同胞」だからです。言葉も通じない異国の地で、その同伴者と同調できなければ、旅そのものが大きなダメージを受けてしまいます。ならば、一人の方がいい、というわけには、少なくとも私の場合はいきません。一人では、必ずや事件や事故に遭遇してしまうだろうという恐怖に圧倒されるからです。旅が人生とほとんど同質のものであるならば、旅の知恵は日々の生活の中にも取り入れられるものとなります。そして、人生そのものである仕事にも旅から得られる教訓が役に立つことでしょう。一人では生きられない。生きられるとしても、孤独には耐えがたい場合があるし、一人の知恵には限界があるということです。

仕事といっても、そうなると、もはや仕事を通しての自分の人生観がどうであるかという問題になってくるでしょう。私がどういう思いで、この人生を生きていこうとしているのか、ということを自分に問いかけることにもなっていきます。自分なりの理念を持つことが何かの助けになるかもしれません。私を助ける、雨露をしのぐ傘や杖に相当する理念・価値観・概念は目下のところ「世界のすべては等価である」というものです。

ポータブルキャリア

2006年07月18日 | my favorite・・・
中野裕弓さんという方が「これからの仕事はポータブルキャリア」という考え方を提示されています。映画「男はつらいよ」の寅さんをイメージしてみてください。小ぶりのトランクを持って、あちこちにふらっと出没しては道端で仕事をするというやり方がこれからの仕事のやりようだとの主張です。寅さんはどんな組織にも属さず、けれど,、どこででも鞄一つで商いをしてしまいます。言ってみれば「一起業家」として生計を立てているわけです。周囲の厄介者として生きているかに見えた寅さんでしたが、こうしてみると、多くの人から、長年にわたって根強い支持を受け続けている理由が分かるというものです。きっと人間の理想の姿の原型や普遍的なテーマが隠し味としてあちらこちらに散りばめられているから「男はつらいよ」は永遠に不滅の人気を誇っている映画なのだと、今更ながらにその独特の魅力の秘密を知らされる感じがします。従来のような、バックに控える大会社の看板や名刺に刻まれた肩書きを外して生きる時代の到来だそうです。たとえ、どこかの組織に属していても、一起業家としてのスタンスと心意気で(常に持ち歩ける「売り」を自分の中に常備して)仕事をしていけば組織の中に埋没した生き方とは歴然とした違いが仕事ぶりに現われてくるといわれると、それは本当にそうかもしれないと思えます。少なくとも、ずっと自分を守ってくれる、生涯安泰な砦などはもはや、この時代にはどこにもなくなったということだけは確かなことのような気がします。人と競争することには気が進みませんし、能力を超えた職務に汲々とすることも不健全なことです。けれど、組織の中では往々にして、生き延びるためには、そうしたこともやむを得ないような状況が設定されたりして、かなり無理をしなければならないこともあります。それが組織人としての最低限の責務にもなったりするからです。自分の本性をある程度は押し殺してでも、組織の中に居場所を与えられることは、一応の、取り敢えずの安全をはもたらしてくれます。その安全を手放す勇気はなかなか持てないものですが、それを手放しても余りある‘何か’を身につけられたら…という願望を持ってしまいます。現実を切り開いていく力は自分の中からしか作り出すことはできません。ポータブルキャリア…自分のキャリアを手に持ち歩いて、必要ならば、どこででもそれを開いて必要な人に手渡せる。そんなライトな感覚がこれからの時代のトレンドになっていくのならば、私自身の心身ももっともっと軽いものにしていかなければならないなぁと思っています。

誰よりもママを愛す

2006年07月11日 | my favorite・・・
日曜劇場の今期のドラマの題名です。配役や内容が面白そうだったので1回目をとても楽しみ観劇(?)しました。けれど、予想に反して初回終了後の感想は、私にとっては空振りとしか思えない出来栄えでした。ママが、ただのヒステリックで口うるさいだけのママで、家族に対する優しさのカケラも感じられない女性としてしか描かれていなかったからです。1回目に興味を失ってしまった私は、本当は2回目を見る予定はありませんでした。ところが、配役欄に劇団ひとりと阿部サダヲの名前があるではありませんか!これはただ事ではないなぁ…というか一波乱起こるだろうなぁということが予測されましたので、2回目も観てみることにしました。2回目の方がずっと楽な気分で楽しむことができました。無理のない展開でしたので、作り物の感じがしなかったからです。ママの本来の持ち味が少しずつオモテに現われてきていました。友人をかばったためにいじめを受けておろおろしている次男へのママの対応が社会の第一線でバリバリと働いている女性としての頼もしさに溢れていてほっとしました。いつもキリキリと急がしそうにしていて、家に帰れば、疲れて寝るばかりのママがこんな時にどんな力を発揮するのかがとても心配でしたが、まずまずでした。一番良かったのは、次男に、「ママはどうしてそんなに強いの?」と聞かれた時に、「パパのおかげよ!」と言うところです。好きな人が傍にいてくれるというだけで、自分が頑張っていける。輝いていけるというようなことをママが言います。そして、難しい弁護(ママは弁護士です。)の仕事に自信がない時などは、パパのところに電話をして、いつもの励ましの言葉で檄を飛ばしてもらうのです。「ママ頑張って!ママならできるよ!愛しているよ!」と。ここに秘密があったんですネ。次男のナレーションが入ります。「人が毎日悩んだり苦しんだりしているのは、ずっとぞばに居て欲しい人を見つけるためなのかもしれない。」と。録音していたわけでもビデオにとっていたわけでもないので、言葉の細かいニュアンスには間違いがあるかもしれませんが、私はこのように解釈しました。25年も専業主夫をやってママを支え、ママを幸せにすることだけを(?)自分の幸せにしているパパ。ドラマですので、誇張やデフォルメのきいた極端な描き方はされていますが、なかなか楽しめる成り行きになっていきそうです。阿部サダヲや劇団ひとりの活躍ぶりは来週以降になるようです。乞うご期待ですネ!

私も最近ではよく思うのですが、自分のために何かをしてくれる人だからとかというようなことに対してではなく(もちろんそのこともすごく大事なことではありますが)、その人が存在してくれているだけで、(自分が)生きることが楽になったりやる気が出たり、「自分はこれでいいんだ。」と思えたりするようなことが、とても大切なこと、もしかしたら、一番大事なことなんじゃあないかという気がしているのです。

誰よりもママを愛す

欄間の彫り物

2006年07月06日 | my favorite・・・
写真の撮り方が下手なので、細部をはっきりとお示しすることができなくて申し訳ないのですが、田舎の親戚の家の、いわゆる‘客間’の欄間の画像をアップしてみました。(この欄間には、ウサギと菊の花が彫り込まれています…何故、ウサギと菊の花かということにも実は理由がありますが、個人の秘密に関わることなので、ここでは詳細は省きます。)欄間の下の障子にも、部屋別の障子ごとにデザインの異なる格子がはめ込まれています。欄間の背景に嵌め込まれているガラスの隅にも何かのデザインが彫られているのが(分かりづらいですが)ご覧いただけますでしょうか?

私の母の父、すなわち私の祖父はなかなかの粋人だったようで、建築というか家の造り方には特段の興味を持っている人だったのです。心の中で膨らんだイメージを必ずカタチにしていく人だったようです。家のそこここを増築したり改築したり、家の周囲を植木で囲んだりということに凝っていたので、夏休みなどで田舎に遊びに行く度に、大工さん等の職人さんが入っていることが多かったことが記憶に残っています。

客間の天井からぶら下がっている照明の笠も、今時では何処でも見かけることのできない不思議な落ち着きのある無国籍的な雰囲気を持ったものが使われています。(うっかりデジカメに収めてくるのを忘れてしまいました。)けれど、光を上手く取り込めなかったせいか、どの写真もとてもご紹介できるような写りとしては残せませんでした。

幼い頃、お休みの度に、祖父が東京まで迎えに来てくれて、私は田舎の祖父母の家に遊びに行きっきりになっていました。いとこ達もまだ生まれていない頃は、私がたった一人の孫でしたので、おじおばを含む大人たちの愛情を一身に受けて、遣りたい放題の楽しい日々を過ごしたものです。小さい頃はおしゃまさんだった私は、おばの着物を持ち出したりしては(何故、着物なのかは分かりません。)帯を締める真似事をしたりしていたようです。そんな写真が残っています。少し足を延ばせば、清水の湧き出る通称‘弁天様’と呼ばれる小川もありました。夏は花火大会・盆踊り・七夕・四谷怪談(小さな映画館では夏休みの時期には必ず、四谷怪談と番町皿屋敷の映画の広告が貼り出されるのですが、それが怖くて怖くてたまらず、目を半眼にしてそこを通り過ぎたものです。)という風物詩が目白押しでした。スイカやとうもろこしは食べ放題の状態で食卓に並んでいました。今、思い出しても、私の幼かった頃の夏休みの生活の豊かさには特筆すべきものがあったことを実感します。心がきゅんとするような懐かしくも切ない少女時代の想い出が走馬灯のように蘇ります。

今は昔…の物語です。

森林浴

2006年07月03日 | my favorite・・・
この画像は数年前に屋久島に出かけた時に、空洞になっている木の内部から空を見上げるようにして写したものです。

森林浴という言葉は1982年に林野庁長官が提唱してから、あっという間に広まったもののようです。2001年には、大学の研究機関や医療機関・民間企業や自治体などが、林野庁と厚生労働省のバックアップの元に森林セラピー研究会なるものを発足させています。

私が扱っているフランスのアロマオイルはディフューザーと呼ばれる装飾品のような器具(?)で燻蒸し空気中に拡散するような仕組みになっています。セラミックとプラチナで精製されたカタリティックバーナーという仕掛けに一旦は着火するのですが、数分で火を消すと炎のない状態で60℃~300℃に保ち、高温気化により殺菌作用のあるオゾンとフィトンチッド(植物のホルモン)を生み出します。オゾンは不安定な分子であるため、ほどなく、酸素とマイナスイオンにな分かれます。酸素は免疫力の向上や細胞の強化を促しますし、マイナスイオンは電化製品から出るプラスイオンを中和させる働きがありますので、ディフューザーを使ってアロマを燻蒸させれば、空気を清浄にするばかりでなく、ハウスシック症候群などによるアレルギーなどの症状を緩和させる効果もありますので体質改善を図ることができます。最近では、社会的ストレスから内分泌系や神経系の不調を誰もが抱えていますが、こうした微妙な領域にも対応してくれるものとなっています。一言で言えば、森林浴をしているのと同様の効果が得られるということになるのです。

















ディフューザー



森林セラピー研究会では、日本国内の優良な森林を選定し、森林ウォーキングロード(セラピーロード)なるものを設けて、森林療法を取り入れ、ゆくゆくは森林医学を確立することを目的にしています。経験的には、森林浴は細胞を活性化させストレスを緩和させる予防効果や治療効果があることがわかっていますが、森林浴が健康に及ぼす影響(リラクゼーション効果、ストレス発散効果、生活習慣病予防など森林環境が与える人への効用)を実証的・科学的に研究・解明することに、官民が一体となって積極的に取り組み始めているという事実があります。

我がふるさと長野県は、優良な多数の森林を蔵しているためモデル地に選定されている地区が4箇所もあります。森林を相手に研究開発するとなると、多大な時間と労力を要することが予想されます。森林療法メニューや滞在メニューの開発がなされた暁には、一体どれだけの人がこれらのメニューの恩恵に浴するすることができるのでしょうか?

森林セラピー研究会の活動の一分野に森林療法を医療行為として確立するために「森林療法」関連商品の開発を実施しているワーキンググループがあります。もうすでに開発済みの製品がここにあるのに…と思っています。

森林セラピー研究会
森林セラピーポータル


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2006年06月25日 | my favorite・・・
もう好きなように生きるしか道はありませんネ。それが分かっただけでも、今の私はとても満足しています。どのように生きても一生は一生。だから好きなように生きた方がいいのだということが分かったのです。品行方正に、清く正しく美しく生きても、それはそれまでのことでした。ただ、つつがないというだけのことで、大きな至福感をもたらしてくれたわけでもなかったのです。自分が幸せでなければ、当然、まわりの人もさして幸せではなかったはずです。ただ間違いのない人生、というものを選ぼうとすれば、運命が顔を出す隙もないわけです。そんなところには運命でさえ詰まらなくて登場も出来ないわけです。私が私でさえあれば、私はもう何をやってもいいのです。これからは、私は私の生活を自由にデザインしていきましょう。きっと、運命は、もはや、私の敵になることはないでしょう。もともと、私はとても純粋な人間でした。これからはその特技を生かして、純粋であり続けてもいいのです。真っ直ぐな気持ちを真っ直ぐに、人に伝え続けてもいいのだと思います。子どものような自分を恥ずかしく思い、大人げのある人間になろうとした日々はとても窮屈なものでした。出来もしないことでも、「出来ない!」と明言することがはばかられる社会もしくは職業生活は、私にはそぐわないものだったのかも知れません。世の中とはただただ厳しいものだから、背伸びして頑張り続けなければいけないのだと思ってきました。それが、‘人の道’だと信じて疑わなかったからです。でももうやめです。人は人。人がどのような人生を選ぼうと、それはその人の自由ですが、自分は自分で、私も私の自由を獲得して、この人生を生きていきたいとやっと思えるようになりました。