南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

車から大声で

2006年11月23日 | ミクロネシアの幼稚園
今日、学校の1時間半にも及ぶ長い現地語の職員会議でぐったりしていた後、道を歩いていると僕の名前を呼ぶ声がトラックから。

そう僕の生徒で友達に何か言われるとすぐ涙ぐむCOBEYの姿が見えました。
何度も僕の名前を幼稚園では見せない大声で言っていました。

僕の姿が遠くに見えなくなりそうになってもトラックでおかあさんに僕の名前を何度も行っているのが聞こえました。

日々活動を送りながら、なかなか同僚に上手く技術移転はもちろん、気持ちが上手く繋がらずに「空回りしているなあ」「いったい何が悪いんだろう」と悩むことも多いですが、子ども達は僕のことをしっかりと受け止めてくれているのだなと嬉しくなりました。

最終目的は現地の子どもではなく、同僚の先生への技術移転ですが、それを支えてくれるのは間違いなく子どもたちです。
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大移動

2006年11月23日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は朝同僚二人週始めの儀式のように今週の予定について話していると思うと、子どもの朝食が済むと、急に教室全体の大移動を始めました。

「汚い」といって。いつもそりゃこれだけほったらかしにしていたら汚れるよと思ったけど、かなり今日は本格的です。

僕が算数の棚を整理して自分のものをうまくおいているのをみて、自分も自分のオフィスのようにしたくなったようです。僕の棚まで触るので、自分で戻したけど。

でもやはり一言言ってあげないといけないです。
「部屋を片付けるのはとても良いことだし、とてもよくなった、でもこの仕事を昼から始めたらもっと良かったね」と。

きっと彼女の中にそんな悪意はないのでしょうが、僕たちの仕事はまず目の前の子どもことを考えることです。

今日は彼女が片づけをしている間、子どもたちに1-5の数が書かれたものと数字をあわせる遊びをしました。

そして、日本で言う「1本・2本・3本・・・」と木やビンなどの数え方の練習をして、作っていたワークシートに木の絵を塗っていく活動をしました。

僕の職場は、同僚の気分がとても左右するする職場です。
教室も一緒だし、教えるのもずっと一緒。でも教科書とか共通すべき情報が少ないので、他の職場以上に同僚とは力をあわせていかなくてはいけませんが、なかなか難しいのが現状です。

注意ばかりされるのはいやだろうし、僕も同僚の欠点ばかりを見つけていては何も生まれないし。でもこれは子どものためになっているかな?ということは、改善していかないといけないですが、本当に難しいです。

同僚は現地の人が二人で僕は一人なので、僕は完全にアウェー状態です。

そんな中で自分がどのようにしていけば良いのか?
そんな試行錯誤がきっと自分を高めてくれると信じて諦めず、焦らずでも一生懸命にしていくしかないのだと自分に言い聞かせながら。



車から大声で

今日、学校の1時間半にも及ぶ長い現地語の職員会議でぐったりしていた後、道を歩いていると僕の名前を呼ぶ声がトラックから。

そう僕の生徒で友達に何か言われるとすぐ涙ぐむCOBEYの姿が見えました。
何度も僕の名前を幼稚園では見せない大声で言っていました。

僕の姿が遠くに見えなくなりそうになってもトラックでおかあさんに僕の名前を何度も行っているのが聞こえました。

日々活動を送りながら、なかなか同僚に上手く技術移転はもちろん、気持ちが上手く繋がらずに「空回りしているなあ」「いったい何が悪いんだろう」と悩むことも多いですが、子ども達は僕のことをしっかりと受け止めてくれているのだなと嬉しくなりました。

最終目的は現地の子どもではなく、同僚の先生への技術移転ですが、それを支えてくれるのは間違いなく子どもたちです。
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空港で表れる僕たちの活動の成果。

2006年11月23日 | ミクロネシアの生活
11月18日の土曜日は、4時間以上空港にいました。

なぜなら仲間の仲良かったピースコ(アメリカの平和部隊で、協力隊と同じような活動を世界各地でしています)が、任期を終えて旅立つことになりました。

すぐに帰国せずに、アジア各地をまわるようです。

彼にはたくさんの仲間が別れを告げに駆けつけてくれました。
同じ仲間であるピースコ。
ポンペイのカソリック小学校で働いている教会系のアメリカ人のボランティア。
僕たち。
そしてホストファミリー。

こうして帰国するために空港から旅立つときにその人の活動の成果が現われるのかなと思いました。たくさん集まれば良いというのではないですが、どれだけ自分自身も思いいれ深くなれるか、またどれだけの人の心に自分が残ったか。

私は2008年3月に帰国しますが、そのときにどれだけの人が僕との別れを惜しんでくれるのだろうとも考えました。
ホストファミリーはお祖父さん以外はみんな変わるから難しいし、おじいさんはたぶん空港に来れないだろうなあと。

幼稚園の子どもたちも僕が帰国すること良く分からないからこないだろうし。

ちょっと僕は空港に一人ぼっちだったりして。(ちょっと大げさだけど)

この活動には必ず決まっていることがあります。
それは、別れがあること。それは単に別れではなく、日本での新たな生活の始まりでもあります。
その両方を意識しながら、空港で悔いのない気持ちで旅立てるように日々がんばらないといけないなあと改めて思いました。
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