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南の島で幼稚園の先生になろう!

活動から19年。現在も現地の教え子や家族から連絡があり、素敵な人と出会えた青年海外協力隊生活に感謝しかない。

連携がうまくいった?保育 午前編

2006年09月04日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は午前・午後の2部構成。

一週間が始まりました。
朝、6時前に起きて、学校から見える朝日を見に行きました。
朝日に照らされた学校の校舎もなかなか綺麗でした。

昨日は、掃除をしたり、家族で体操教室をしたりしたので、少し身体が痛いです。

今日は、新しくALYIHAという女の子がECEに入りました。
緊張気味でしたが、周りに世話をする子がいて、お母さんも一緒だったので楽しく過ごせました。

今日は、とてもバランスのいい保育ができたように思います。
8時過ぎに約半分の子どもがいたので、学校全体の朝の会に出た後、私以外に先生が誰もいなかったので、英語の絵本を僕の周りに集めて読みました。

私が現地語を分からないことも一因ですが、ポンペイでは現地語の絵本というものがほとんど存在していないので、絵本などのお話を聞く、親しむという習慣が子どもにはないのだと改めて思いました。
それは、子どもに絵を見せても「それは人間の子どもだとかウサギだ」と見たものをすぐ言おうとして、それ以上に膨らむことがありませんでした。
お話自体も単発的だったのですが。

まだまだ先の話ですが、英語の絵本ををポンペイ語に換えたり、先生が御なしを考えて、僕が絵を描いたりと、一緒にお話を作り、子どもに伝えることができればいいなあと思いました。

その後は、ジュディーがいつもの1月~12月までなどのカウンティングを子どもにしていました。

驚いたことは、一人の先生が教えると、もう一人の先生は誰が1-10まで言えたかをちゃんと一人ひとり名前を書いて記録していることです。
日本のような個人の出来事や性格的なことを書くことはないのかもしれませんが、たとえ数字とはいえ個別に把握するのはすごいことだと感心しました。

朝食・歯磨きの後は、僕が保育を担当しました。

いつもしている「トントントントン、アリシオンラウド」を今日は僕の隣に一人ずつ出てきて、子どもが先生のような立場になって手遊びをしました。


やってみると以外にいつも恥ずかしがる、マイクやコビーが手を上げて「ぼくしたい」と言ってくれたことが何よりうれしかったです。
日本で大切にしてきたように、個々の変化をしっかりと感じ取りたいと思います。

そして、「AMA(かなづち)トントン」と「ギャロップ」をしました。
こちらの子どもは一人ずつするときに必ず端から順番にすることが多いので、僕がランダムに子どもを当てると戸惑いもありましたが、楽しめました。
やはりそれぞれの個性が出ています。

一人ずつがギャロップをする時も、先生の願いをしっかりともって取り組みたいです。
元気すぎて普段の保育では、飛び出してしまうこともあるアブサレムの良さをこのステップで他の子どもに、彼のよさがあることを知ってもらいたいですし、幼いけど一途なジュンの良さもみんなに感じてほしいです。
こういう言葉でなかなかうまく説明できない保育の大切さ、思いを毎日保育実践しながら、互いに感じ取りたいと思います。

あとは、ケンケンにも挑戦。ケンケンは日ごろの子どもの動きから、これはだれでもできると思ったので、やってみたかったです。

ケンケンをして、誰が最後まで足をつけずにできるかなど、ステップに競争やゲームの要素を入れたかったのですが、最初からそれは難しいので、2人でケンケンして、終わらなかったほうが「ララカング(えらい)」といって遊びをしました。

初めてした遊びであることと二人ですることに抵抗があった子もいましたが、ほとんどの子が楽しめました。
この遊びでは、勝ち負けをはっきりすること(いい悪いではなく)自分で両足をついたらちゃんとやめる、友達がしていることをしっかりと見るなどの要素を大切にしたいと思います。

今日はかなりしっかりと体を動かしたので、そのあとの遊びであるシニータの発音練習もかなり集中して聞いていました。手前味噌かもしれませんが。

子どもが先生の話をもっと聞いてみたいと思う気持ちになるように保育を順序だてて、子どもの興味を探っていくこと、そして子どもが今何に興味を持ち、どういう思いを持っているかを汲み取った保育の大切さを少しでも伝えていければと思います。

机の配置

2006年09月01日 | ミクロネシアの幼稚園
今日の幼稚園のメインは、一枚の紙に点線で丸・三角・四角・ハート型が書いてあります。それに線を上からなぞって、色をつけるという遊びです。

シニータが最初からしていましたが、いつも調子で「HIRO、テーブルの上に紙を置いて」と言われ、おいおい「Please」つけてくれよと思いつつ、これを良い機会に、机の配置を換えてしまおうと思いました。子ども達は丸い机1つ・長い四角の机を3つ使って、これらの遊びをするのですが、丸い机なら丸い部分を全部、四角の机なら四角の辺を全部使うので先生が説明するときによく見えません。そこで先生の立ち位置を決めて、全員がその立ち位置が自然と見えるような配置に換えて紙を置きました。

先生は案の定?ぼくが考えたのと反対の場所に立って説明しようとしましたが、「こっちにたって説明してよ、みんなが見えるから」というと動いてみんなに説明してくれました。
こんなことを一回したからすぐに何かが変わるというのではないのですが、なんでも「何で紙を僕が置かないといけないの?自分で置いてよ」と考えてしまうのではなく、「紙を置くことによって、どうしたら自分の考えや子どものよりより指導にどうつなげていけるかだと思います。

また、今朝僕が昨日作ったリンゴの木の一部がはずれていて、パートナーの先生に「HIROはずれている」と言われました。いい方はいつものようにぶっきらぼうですが。
それって「僕がしたことにきっと興味を持ってくれているからはずれたことに気づいてくれているんだ」とできるだけ、物事を良い方向に取っていきたいと思います。

ちなみに今日の給食はお刺身でした。

わかっていることを教える難しさ

2006年09月01日 | ミクロネシアの幼稚園
「わかっていることを、わからない人に教える難しさ」

もちろん、教えるということはすべて自分がわかっていることを人に教えることに尽きるのですが、自分が考えるまでもなく当たり前のこととしてわかっていることで、子どもがまったくその意味や原理など生活になかったことを理解してもらうことは、最も難しいことだと感じています。それは単に覚えさせるということではなく、真に物事の道理を教えるという意味で。

しかし、それを乗り越えたときに教えること、また子どもから学ぶことがたくさんあるのです。

今日は、なかなか文字や色を塗ることができにくい子どもを特に教えました。
はさみを使って自分で色塗りをした四角を切ることにしても、初めて使う子どももいて、戸惑っていました。

このようなときの導入が課題のように思います。
四角を教えることがメインなのでしょうが、はさみを使うことへの導入、つまりはさみがどんなふうに切ればよく切れるか、扱い方、またどんなに便利なものなのかを「こうしますよ」ではなく、遊びながら感じさせることが少ないように思います。

また今日の内容も四角が書いてある紙に色で塗り込む、そして切る、終わった子は違う髪に「A・I」など簡単な文字を書くと四角と簡単な文字と関連性がないものを急に二人するので時々子どもは混乱します。子どもが混乱しても、わからなくても、この教え方はまずかったのではないか?といった反省につながることの有無に対して疑問を感じてしまいます。

私もなんの準備もなく、私に教えていく中で、子どもにはさみやAを書くといったことに夢中、いや意地になってしまいました。教え込もう、またこれはこういうものなんだという風に教えるともう子どもの気持ちとずれてしまってだめになりそうでした。

私は今までこのような数字や文字といったことを窓口に保育をせずに遊びや歌などから子ども自らが気づいて考えることをメインにしてきたので、このような保育は苦手です。

しかし、今このミクロネシアに遊びを通して学ぶ幼児教育をしたいというニーズもなく、今の保育をいかによくしていくかと考えておられるわけですから、今の保育がよりよくなっていく方向を探っていく必要があります。
子どもが飽きない、まただれもが興味を持てる、もっとやってみたいと思える意欲が高まり、自分で次を考えようとするやり方を考えていきたいと思います。

まず学ぶ&野球初挑戦

2006年08月30日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は朝早く幼稚園に行きました。
そして、子どもが座るコの字型の隊形の真ん中に切ったダンボールを木のように並べて置き、そこに昨日子ども達が描いたリンゴを飾りました。本当は子どもがダンボールにクレパスで色塗りをさせたかったのですが、それは実現しませんでした。
みんなでひとつのものを作る経験につなげたかったのですが。

今日のこの試みは、僕にとっては冒険です。
教育現場の多くの仲間は、自分の授業時間を与えられ、その時間は任されます。あまりカウンタパートに干渉されることはありません。またそれぞれ自分のクラスルームをもらっているので、ずっと同じ部屋にいるわけでもありません。

しかし、ECEは、子どもを教えている4時間はずっと同じ部屋です。
ですので、物を飾ることひとつでも「相手がだめ」と言えばそれは却下されます。
そして常に子どもに何をどう教えるかを共通確認して子どもに保育することが要求されます。

これらをうまく成立させていくには、まずじっくり今の状況を受け入れる。
その中でこれはやってみても相手の気持ちを害さないし、自分がやってみたいと思ったことは時には相談し、時には子どもに提示してみることにしています。

今日は朝からサブの経験のある先生のジュディーが手で四角を書いていました。全員分同じものを作ろうとしていました。
その四角はどうやら一人ひとり辺の数をカウンティングして、色を塗って、切るという三段階を経るようでした。

その準備が終わると今度は、別の紙に「Aa」と書き、その文字の横や下に点線で「Aa」と書き、「このようにして、子どもに文字をなぞらせたい」といいました。
そして子どもがなぞる部分の点線を僕に書いてほしいと言いました。

自分に「これ頼む」と言ってもらい、こどもへの目的が明確になっているとうれしいし、張り切ってしました。一人に16文字書くので全部で300以上。

正直一枚を書いてそれを職員室にいって、印刷すれば出来上がりなのですが、彼女が1枚1枚書くことにきっと何か意味をもっているのだと思います。
また、すぐに「これはこういう風に書いて、印刷すればいいよ」と日本人的な感覚を押し付けるのではなく、まず、彼らが考えていることを自分も体験してみることに尽きると思います。
時には面倒に感じたり、じれったくなったりすることもあるでしょうが、それが互いを分かり合う近道だと信じて。

今は与えられたことを一生懸命にすること、そして与えられた仕事に喜びを感じなければいけないと思います。自分が現地の先生に何かを教えるという意識はまず捨てて。
信頼関係がない時に、「教える教わる」という思いは成立しないはずですから。
それは子どもと先生も同じです。

そして逆に、いろいろなことを現地の先生から教えてもらおうと思います。

今日は、先ほど書いた「Aa」を教えるときになって先生は二人ともどこかに行ってしまい、手遊びなどで時間をつぶしていましたが帰ってこず、よしこの子どもたちに人生最初の文字は日本人が教えてしまおうとまず、鉛筆を机に置かせ、「A」の発音をみんなで言った後、一人ひとりが立って言った後に、文字の指導。
僕が黒板に字を書きながら、それにそって人差し指を使って、文字を書くことにしました。

そしてその後、一人ひとりに点線で書いた上をなぞらせることに。どうにかわかってくれました。

終わった後に先生に「なんで先生いなかったの?」ではなく「わからないけど、こういう風に教えてみたいけどどう?」と感想を聞いてみました。
すると線を描くときにひとつずつ「エーウ」(いち)とカウントするといいと言ってくれました。日本の画数と同じのようです。

文字の指導を任されたことに?喜びを感じ、「どうしたらいい?」「これこうしてみようと思うけど」と常に次どうするか、一緒に考えようという姿勢を大切に。

謙虚さを忘れずに。(僕は謙虚さに欠けるところがたぶんにあるので)

また、私が日本の歌やそれをもとに新たな指遊びを子どもに教えていた時に、横にECEの事務所関係の人がおられて、「それおもしろいね。ほかの先生にも教えたらいいのに」といってくれました。
自然な形でポンペイの先生向けにワークショップの要請が来れば理想ですが。

まずは、人に信じてもらうこと、興味を持ってもらうこと、そのために今何をすべきかを毎日考えていきます。

夕方コロニアに。目的は野球(正式にはソフトボール)
昨日小学校の校庭で一緒に練習した人たちが「明日の試合に来て良いよ」と言ってくれたので。
7時に開始の予定なので6時には行っていると、前の試合も練習が始まったばかり。
やっと7時を過ぎて仲間らしい人が集まり、話をして入れてもらいました。
今日は出番なしだったけど。

でもいろいろな人と知り合いになる、また仕事とも家庭とも違う人と共通のスポーツでつながれたら良いなあと思っています。

PLEASEをせめてつけてください&野球

2006年08月29日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、朝学校でおじいさんのお婿さんで教育委員会の小学校チーフ(小学校で一番偉い人)をしているフランシスコさんが「元気?」と声をかけて来られました。
こども達に僕を指差して「この人はなんていう名前」と聞くと子ども達はしばらく考えて「日本から来た人」と答えました。

そうですよね。名前もちゃんと子ども達にいってないし、言葉も十分に通じないし、幼稚園の先生が3人もいたら(現地の先生2名・日本人1名)わからないだろうな。

そもそも日本人がミクロネシアの先生に技術移転に来たなんて、現地の先生もどこまでわかっているか疑問なのに、子どもがそんな難しい事情を理解できるわけがないですよね。

今日は朝から現地の先生が「月曜日から日曜日や1月-12月まで」現地語で言わせるなど、かなり張り切って教えていました。
子ども一人ひとりに聞くので、朝全員が終わるのに約1時間。
見ている僕も少し退屈になってしまいましたが、これにはこれをする理由があるのだろうと考えることにしました。

子どもは朝食・自由遊びの後に、りんごの形が書いてある紙にクレパスで色塗りをする遊びをしましたが、現地の先生の二人の間で今日することの意思疎通がはかられていないので、僕が間に入って説明しました。(途中で終わって次は違う先生が来たため、なんでこれするの?って僕にきくので)

あとやはり、準備がかなり難しいです。
子どもに紙を渡してから、「なにで書くの?」と僕が聞くと「クレパス」というだけ。
大きなかごの中にごちゃまぜに入っているクレパスを出すのにかなり時間がかかりそう。
ちょうどそのときに自由遊びになったので、その間にクレパスを用意しておくと、今度は「赤の他に茶色と緑もいる」というので用意すると、片方の先生は「なんで茶色がいるの?」と聞いてきます。

話が前後しますが、自由遊びでクレパスを準備していると子どもが二人くらい僕を呼びに来てくれました。やはりいつも一緒にいることは大切なので、言葉の障害はありますが、
続けたいと思いました。

またシニータ(の先生)は自分で教材を取るのが好きではないので「HIRO 鉛筆とってよ」「この鉛筆、削れていないからだめ」など。
臨機応変にしつつも、疲れてしまいます。
せめて「PLEASE」ぐらいつけてくださいって感じですが。

とりあえずどんどん動く、でも自分ばかりが動きすぎていていいのか?など疑問に感じたり納得したりしながら、働いています。

あとやはり、教える難しさ。他人の保育を見て感じることですが。
日本でも自分が保育をしていると陥るのですが、教える内容にばかり気持ちが行き、肝心の子どもの状態が見えていないように思います。

子どもはこんなの退屈だと表現であらわしているのですが。
今日は途中で出て行ったり、待つときに待てなかった子が多かったです。
それが子どもの保育に対する評価だと言うことに気づいてくれたらいいのですが。

昼ごはんが終わって帰るときに、同じ小学校の日本人の先輩が「今日幼稚園のバスで子ども達と一緒に乗ってみたい」といって子どもを送り届けることになりました。

子どもが帰る姿や友達にバイバイをいう姿をみて「かわいいですね」と。

校長先生にスポーツアクティビティーのトラックフィールドどうなりましたか?と聞くと、「あれは中止。野球も僕の学校は出ないから。隣のサラダックはでるけおど」なんで?ときいても???
これからあきらめずにいろいろ校長先生にはアタックして小学校にも関わっていきたいと思います。最初に「あなたにも体育の先生してもらう」って言ったのは校長先生なのですから。

夕方、家族のアイセイアと友達と3人で学校の校庭でキャッチボールをしました。
アイセイアは僕がグローブを持って校庭にいくのを見ていて急いできたようです。
アイセイアは家に帰るなり「おもしろかったよ。また明日出来る?」と聞いてきたので、「明日もしよう」と約束しました。

僕が校庭にグローブを持っていたのは、野球をするため。
幼稚園のドライバーのJOHNが野球チームに入っていると聞いたので、「一緒にさせて」と頼んでいたのですが、毎日予定が変わったり、待ちぼうけをしたりしていました。

JOHNは来ませんでしたが、前に子どもに一緒に野球を教えた人が来たので、一緒にキャッチボールなどをしました。そして明日試合がコロニアのスパニッシュウォールであるので、「一緒に行って良い?」と聞くと青いシャツを着てくるように言われました。
僕の住む村のカラーは青色なので。
コロニアで初の野球。しかもナイター。試合に出るかはわからないけど、楽しんできます。予定が変更変更が日常なので、どうなるか楽しみです。

子どもに何が必要かを考える(ステップ&折り紙などなど)

2006年08月28日 | ミクロネシアの幼稚園
一週間が始まりました。土日は遊びと家事に励みましたが、月曜日はすぐに体も心も切り替わりにくいです。

でも子どもは元気いっぱいです。
先週の月曜日は、入園2週目ということもあったのか、子供たちの気持ちが少し荒くなっているように感じました。
しかし、3週目の月曜日の今日は、朝、バスの時間の都合でまだ来ていない友達を待っている時から「先生、トントンしよう」「あの歌を歌おうよ」と声をかけてきます。
また現地の先生たちも朝から表情は晴れやかで、子どもの欲求に答えて歌などを歌ってくれました。

やはり大人が醸し出す雰囲気が大切ですし、子どもはそれをしっかりと感じ取って表現しているなあと思います。やはり子どもの感覚は世界共通のものがあると思います。

ミクロネシアの幼稚園は8月から始まるので、たぶん今日8月28日生まれたのサルバトルが幼稚園で一番年上のはずです。たぶん。

僕もみんなでお祝いしたらいいなあと思っていたら、朝の会でお祝いをしてみんなで「HAPPY BIRTHDAY」の歌を歌いました。

あと朝の会で子ども一人
日本でも子どもの本当の誕生日にお祝いをすることを新任のときから続けていたので、ミクロネシアと同じ感覚があったことがわかってうれしかったです。
サルバトルにお祝いの印に「肩車」をしました。キョトンとしていましたが。

朝の子どもと先生のやりとりを聞くとどうやら今日は「土日何をしていたか?」というテーマで一人ずつ子どもが話をしていました。
私の家のほぼ斜め前に深夜営業しているあまり評判がよろしくないディスコの「シーサイド」に行ってきたという子どもの時は、保護者は大爆笑でした。

今日は朝から「トントトンひげじいさん」ならぬ「トントントンアリシオンラウド」をやり、「かなづちトントン」ならぬ「アマ トントン」をしました。

いつも体を動かすときに、前に僕が教えたラビットあそび(ウサギになって跳んで遊んだり、犬から逃げたりする)をする子がいるので、もっといろいろなステップをしようと今日はギャロップに挑戦しました。
急にステップといっても難しいので動物など彼らがイメージできることが何より大切です。

みんなですると部屋が狭く、子ども達が動きにくくなったので、「プチャック(男の子)」「セレベイン(女の子)」に分かれてしました。

その後に、一人ずつギャロップに挑戦。
全員がひとりですることができました。

もちろん、Maeにしたことのあるウサギ遊びのつもりで、ウサギになって跳んでいる子やうまく足が出ない子もいますが、まずトライすること、そして「自分がこうだ」と表現することを大切にしたいと思います。

このミクロネシアの子どもを見て、国民性としてシャイな部分だけでなく、自分ひとりで自信を持ってすることや人前で自分を表現することを少し避けてしまうところがあると思いました。
無理強いはいけませんが、まず幼稚園教育の中で自分らしく表現することの大切さ、「なんだか自分を表現するのは楽しいなあ」と思える気持ちを大切にしたいと思います。

あと折り紙にも初挑戦。犬を作りました。最初なので子どもがイメージしやすいものにしましたが、三角とか四角とかもっと単純なものでもよかったかもしれません。
折り紙は、僕のとても苦手な分野ですが(というか折り方を知りません)、日本の良さを伝える機会ですし、子どもに普段使わない指の動きや思考力を使う良い活動でもあるので、またチャレンジします。

昼ご飯は家に帰って戴きました。なんと鶏ベースの野菜スープ&サラダでした。
ヨウヨウヨウ(ヨウとはおいしいって意味です)を連発しました。
いつもおいしいご飯をありがとう。ここでは野菜はもっとも貴重なごちそうです。

昼から子どもが帰ってからの仕事はなかなかはかどりません。
前回前々回など丸を指で描いたり、毛糸で引っ張り絵にしたり、クレパスで描いたりとひとり4-5枚子どもが描いたまま張ってない紙がたまっていますが、一向に張る気配なし。

勝手に僕がするといけないのですが、最初から聞くと「後でしよう」ということになって延び延びになってしまいます。

そこで、話をしながらどんな風に貼りたいかを聞いておいて、下準備(子どもごとに作品をまとめる・すぐに貼れるようにセロテープなどを切って用意しておく。)などをしておくと、「ああそこまでしてくれたんだ、ありがとう」と任せてくれました。

ただ、「じゃあ終わったら帰ってね、私は先に帰るから」と言われましたが。
(きっと何か大切な用事があったんだ。きっと、絶対に・・・・)

自分で自由に保育はもちろん仕事ができないことは辛い部分も多いです。
しかし、そこで相手のことを考えながら、どう自分の考えを出していくかですね。
とても難しいことですが、悩み、これでいいんだという思いを繰り返しながら、頑張りたいと思います。

お祖父さん激怒&絵画

2006年08月24日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は午前の部のブログと午後の部のブログ2つに分けました。
まず午前の部。

今週に入って、家で夕食を食べて部屋に帰ると、すぐにベッドで眠り込んでしまいます。
自分なりにかなり疲れているのだと思います。
火曜日に家の子どもの誕生日があって、アイスクリームを食べたとき、ジーンときて、自分の体が自然と甘いものを欲しているのだと感じました。

今日は昨日からアシスタントの先生に次の絵画をすることを聞いていたので、6名を受け持って絵を描きました。
①紙の上にのりで丸の形を子どもが描き、その上に砂をおいて絵にすること、(砂絵)
②毛糸に絵の具をつけて、紙の上に丸くおいて毛糸を紙の上から放して絵にすること
(糸絵)
③指に絵の具をつけて自由に子どもが丸を描くこと(フィンガーペインティング)

以上3つの絵の遊びをしたので、かなり大変でした。子どもの名前のスペルがまだわからないので、絵に名前を描くときに慌ててしまいます。

子どもは、描くときは集中するのですが、描き終わると大騒ぎでそれらが課題です。

今日は同じ小学校で数学の教員として働いている仲間が幼稚園の様子を見に来てくれました。
絵を描くのを見て、紙や絵の具を幼稚園が使うのを見てびっくりしていました。
やはり小学校に比べて、幼稚園は教材や給食など恵まれていることが多いように思います。
あと「幼稚園はかなり大変ですね」と。

今日は見に来て貰いましたが、僕もまた反対に見に行きたいと思います。
日本人同士が互いの仕事ぶりや仕事の内容を理解することが大切ですね。

昼ごはん、ランチを持ってきてもらうと職場の仲間に勝手にシェアーされたら困るので、家に帰えりました。
するとおじいさんのお嫁さんが僕にこっそり話をしてくれました。

おじいさんがとても怒っていると。
理由はサカオ。
サカオとはこちらの独特の風習で、アルコール分のないお酒を家で育てた植物の根っこから作って飲むのですが、お孫さんのお嫁さんは、おじいさんに許可なく作ってしまい、おじいさんが怒っていると。

この家では何事もまず最初におじいさんに聞いて許可を得ることが大切です。
それが家のルールや秩序を守る大切なことだと。

こういうときに間をとりもってくれたり、僕に「いまおじいさんが怒っているから、なにも聞いたりしたらだめですよ」と教えてくれたりするのもおじいさんのお嫁さん。

彼女のご主人(おじいさんの息子さん)はハワイで仕事をしているので、もうすぐハワイに帰ります。正直彼女がいなくなるとかなり不安です。

いろいろ家族内にもトラブルは起こります。一人暮らしをしていれば、こんな思いはしなくてもいいのですが、「やっぱりおじいさんに言わないといけないよね」とか「今日はおじいさんにこういう風に接してね」など家族同士でしか出すことのない気持ちを言い合うことも大切なことです。

家族からのリクエストで今日はおじいさんに僕から話しかけることはしないと約束しました。

お嫁さんに「僕が家にいるからおじいさん機嫌が悪くなっていることはないですか?」と聞くと「それは絶対ないから大丈夫だよ」といってくれました。

おじいさんがこれ以上怒らないように僕の行動も気をつけます。

夕食は、お祖父さんのことが気になって、何食べているかわからない感じでした。
(ちょっと気を遣いすぎてしまっているかも知れませんが)

仲間から「明日コロニアに遊びにおいで」と言われましたが、みんなは自由に遊びに行けますが、僕はお祖父さんが機嫌よかったらいけるって感じです。
(もちろんいきたければいけばいいですが、お祖父さんにあまり寂しい思いはできるだけさせたくないので)

そんな気を遣う必要ないよって仲間には言われますが・・・・

受け入れること・教えてもらうこと・作り上げること・仲良くなること

2006年08月23日 | ミクロネシアの幼稚園
昨日、自分の中でいろいろと考えました。
今、幼稚園の中で円滑に人間関係がいっていないのではないだろうかと?

自分の中で仕事をしながら、不信に思ってしまう事等もあります。
価値観も習慣も言語も違うこの国では当然通らなければならない道ですが。
今までのブログにも書いたように、職場を含む他者に問題を見出すのではなく、自分自身はどうなのかを考えることが一番大切なのだと。

すぐに「この人はこんな人だから」という気持ちを相手にもってしまうと、相手も自分に対して同じ気持ちしかもてないだろうし。

今日はもっと自然体で臨むことにしました。
保育をしながら、自分と子どもが楽しまなければと思いつつ、現地の人に「こんな風にするんだ」という少し肩に力の入った自分がいたように思います。

またどこかで現地の先生がしている保育に対して、「どういうところが問題だろう」と粗探し的になっていたのではないだろうかと。

もっと自分が教員仲間として入り込んでいくこと、相手が保育で望んでいることなど相手の立場になって動くことが必要ではないかと。

どこか現地の先生になりきれていない、存在だったのかも知れません。

幼稚園はチームティーチングなので、言語など助けてもらえる半面、価値観の違いや人間関係が大きく仕事に左右します。

今日は、昨日カウンターパートの先生がしていた、子供一人ひとりが歩きながら1-10まで現地語で数えるという遊びを自分なりにアレンジしました。

昨日、カウンターパートは急に一人ずつに10歩歩きなさいと言ったので、子供たちはかなり戸惑っていました。そこで、手遊びで10まで数える遊びをしてカウントすることに親しみながら、次にみんなで一斉に歩くことを楽しみ、その次にみんなで1-5まで数えながら歩き、最後に3人ずつの子供と先生が一緒に1-5まで数えながら歩きました。
昨日は少し不安げだった子供が教師と一緒にすることで、照れや戸惑いが少なくなりました。カウンターパートも興味を少し持ってくれて、いつも恥ずかしがる子供について個人指導をしてくれました。

また今日は現地の先生の指導の下、絵の具で丸を描きました。

前回の絵の描かし方から、上手に書かせることを大切にしていると思い、3分の1の子供を自主的に担当しましたが、終わってから経験のあるサブの先生に「先生が教えすぎないほうがいい」といわれ、自分が思い違いをしていることに気づきました。

現地の人はいいものを作ることがいいことだと思っていると考えていたからです。
あとで「今日は悪かったよ」と話すと、試行錯誤しながら丸を描いた子供の絵を見ながら「こんなふうにしながら考えているだよね」とサブの経験ある先生と話しました。

逆にこちらが教えられました。
相手の気持ちになること、教師仲間になることはもちろんのこと、いかにたくさんのことを現地の先生から学ぶかということが自分にはなかったと思いました。

家ではおじいさんや家族へのリスペクト、そして職場では子供へのリスペクトと教師仲間へのリスペクトを大切にしていきたいと思います。

そして自分が何かをするではなく、一緒に何かを作り出す気持ちをもっと持たなければならないことも。

もっと幼稚園だけでなく、小学校の先生全体にも自分から声を掛け、まず仲良くなることも大切にしないといけません。

昼から校長先生に直訴。
内容は、今度10月にあるポンペイ全体のスポーツ大会の野球の子どもの指導を任せて欲しいと言うこと。
答えは「その大会、9月11日に決まってあまりにも時間ないから、反対が多くてなくなったよ」とのこと。
じゃあ、昼から子どもにスポーツとか教えさせてくださいって。
それはいとも簡単に「いいよ」
先生にも子どもにも野球のやり方教えてよだそうです。
いつ実現するかはわかりませんが、いろいろ自分から発信していきたいと思います。
そのためにもちゃんと話が出来る関係を築ける努力を怠らないようにしたいと思います。


変更?変更 ハプニング連続

2006年08月22日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は入園して3日目から来なくなっていたオランダが幼稚園に来ました。
彼女のお母さんは、同じ学校の先生をしていて、途中で心配して様子を見にきました。
オランダがお母さんの様子に気がつきそうだったので、お母さんに「大丈夫」というサインを送って安心してもらいました。

僕が保育をする時間になり、いつものように「トントントントン」と手遊びをしようとするとカウンターパートのシニータが「Do You Rember ME」と。
実はオランダが先週に幼稚園を抜け出したことがあり、なぜ逃げ出したか家族の人がオランダに聞くとオランダは僕の「トントントン」の手遊びの中に「鬼という言葉が出てきて怖かったからだ」と言ったそうです。でも彼女が逃げ出したのは、ぜんぜん違う時間なので本当は関係ないのですが、
シニータはオランダ僕のことが嫌で幼稚園に来ないと思っているようです。


今日はECE長年勤められた方のご苦労様会がひらかれるのですが、3時の予定が1時に変更とのこと。
バスの運転手のJOHNは、僕に「急いで帰って、子供をバスで送るときに一緒に乗っていけばいい」というので、急いで家に帰り、着替えていきました。
家に帰るとおじいさんが「私の家族が、君のお昼ご飯を持っていったから」と教えてくれたので、幼稚園に戻ると他の職員がぼくご飯を食べてしまっていました。
まあこれもシェアの精神なのでしょう。

ハプニングでバスに乗ることになって、いろいろなことがわかりました。
できるだけハプニングをWELL COMEで受け入れていきたいと思います。

バスは1回目の2回目がバスの中の様子がかなり違うこと。
子どものの子どもが山のほうから来ている子供が多いこと。
ウー村の端の方から来ている子がたくさんいることなどなど。

そうそうシェアーといえば、スクールバスもシェアーの精神いっぱいです。
途中で家族の荷物を積んであげたり、歩いて困っている他の幼稚園の子供も乗れたら乗せてあげたり、本当に必要なやさしさをその場すぐに発揮する能力・生活態度には驚きます。

昨日も日本を訪ねてこられたサービス業の方に「ポンペイには日本にはないサービス精神がありますね」と言われました。つまり日本人のように、たくさんの言葉やお世辞は言わないけれど、接していると心がいらいらせずに落ち着くと。
やはり視点を変えてこのポンペイを見るとたくさんの魅力がまだまだあります。

結局最初のお疲れ様会は3時で、急いだことは無駄になって、仲間が働く隣の学校の近くで止められたので訪ねました。なかなか行くこともできないので。
やはりこれもハプニングをいかに受け入れられるか、どう自分で感じ取っていくかにかかっているのだと思います。

サービス業の方の話ではないですが、僕もこんなばたばたさせられても何故かイライラせずにいられるのも、このポンペイの魅力なのでしょう。

今日は「えー?」って思うことも多かったですが、まあ勉強と思ってうけいれてきましょう。

悲しみの後には喜びが

2006年08月21日 | ミクロネシアの幼稚園
新たな一週間の始まりです。
今日は、設定の出番なし。シニータが今週からはカリキュラムにのっとってするといっているので、これからは彼女たちの保育を見せてもらい、必要に応じて手伝わせてもらおうと思います。

今日もやはり大変だったのは、NAPという自由な時間。前にも書きましたが、この時間、幼稚園の子供たちは、園庭で遊具などをつかって好きに遊ぶのですが、先生はまったくノータッチ。僕にいろいろと訴えてきてくれるようになったのはうれしいですが、ロープで作ったブランコに髪の毛がひっかかるなどいろいろあります。

極めつけは、なんとプラスティックでできている滑り台が傾き、倒れそうになったこと。
あのまま滑り続けたら、滑り台の上にのっていた子供は、怪我をしていたと思います。

正直、NAPの時間が終わったときに、シニーターに「どうなっているの」と訴えましたが、
まったく通じませんでした。正直少し悔しい気持ちが高まりましたが、そんなことで起こっていてもしょうがないので、とりあえず、職員みんなで直すことを提案しました。

そんな僕を助けてくれたのは、小学生の子供たち。
昼休みいつものようにホストファミリーがもってきてくれたランチを職員と一緒に食べて、
まだ昼休みなので、今日の夜に日本からのお客様に聞いてもらうウクレレの練習をすることにしました。
小学3年生から昼から授業があります。
幼稚園・1-2年生は昼までです。

曲は「夢をあきらめないで」
土曜日にUCCのみんなで練習しましたがなかなかいい曲です。
たくさん子供が集まってきて、歌詞とかを説明している間に、子供もくちづさみはじめて、一緒に歌うことに。
「あなたのゆめをあきらめないで、熱く生きる瞳がすきだわ」は完全に覚えてくれました。この曲はかなりキーが高いのですが、子供たちには歌いやすかったようです。

ウクレレを練習しながら、子供たちと歌えるのは最高に楽しいです。
おそるべしウクレレの力。
それは人を集めること、歌う心地よさを伝えてくれること。

最後に大合唱。20人はいたかな。
こんな風に自然な形で、日本語コーラスコンクールに出ることができればなあと思いました。
昼休みの楽しみが増えました。

去り際に一人で「あなたのゆめをあきらめないで」と口ずさむ子がいて、園子に向かって歌っていると、本当に目の前の子供の純粋なきもちをいつまでも大切に、「夢をあきらめないで」いれる人になってほしいなあと思いました。


今日は夕方、日本からのお客さんの前でウクレレをしました。
「若いのにしっかりしているね」と誉められましたが、僕の方が年上ですからって感じでした。

小学生に話が出来て、少しでも協力隊のことを伝えられてよかったです。

帰りにドミトリーで高校野球の決勝戦をみてしまいました。
いろいろな意味で暑い日本が伝わってきました。


十喜一憂

2006年08月19日 | ミクロネシアの幼稚園
今日の10時30分からの設定保育は、昨日のような子供の心が躍るとまではいかなかったです。僕の心の中に「子供をこういう風にしてやろう」という部分と、こちらの幼稚園教育の方針である知識的に教えるという部分をきっちり入れ込もうとしたこと、そして言葉の壁がうまくいかなかった原因です。

でも心は何故か晴れやか。
昨日は、NAPという好きな遊びの時間にいつものように子供は幼稚園の園庭で遊具を使って遊んでいました。昨日は自分は言葉がうまく通じないので、子供の細かいトラブルにも対処しきれないと、子供に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
昨日仕事が終わってから同僚のシニータにそのことを話すと「あなたがポンペイ語をはなせないことはみんなわかっているし、気にしなくていいよ」と言ってくれました。

そんな昨日でしたが、今日もやはり自分が好きな遊びで他の先生が見ていなくても、ちゃんと子供の姿を捉えようとして姿勢を伝えたいと思い、子供といることにしました。

すると、困った子供が僕の所に「悲しい」と言いにきました。今日明日では駄目ですが、
b子供にこの先生は僕のことをわかってくれると感じてもらうには言葉の壁がある僕にはやはりじっくり子供と付き合い、共感していくしかないと思いました。

それに元気者で昨日僕にたたいてきてアブサレムくんが僕の背中に乗ってきたり、泣いている子を僕がなだめていると「大丈夫」と励ましたり、クラスの部屋の中では見せない部分を見せてくれました。他にもにっこりと微笑む子どもなども。

本当に日に日に「これがいい」「これはやめたほうがいい」など気持ちが移り変わったり、
喜んだり悲しんだりと一喜一憂ならぬ、十喜一憂です。それくらい嬉しいことのほうが多いという意味で。

たくさんの喜び、憂いがあるということは、まだまだこの国に浸っているのではなく、自分が新鮮な感覚でものごとを感じ取っているから思える感覚なのだと思います。
そんな一喜一憂、やはり十喜一憂をしていきたいと思います。

保育開始・入園式?

2006年08月14日 | ミクロネシアの幼稚園
日本は夏休み真っ只中ですが、こちら、ミクロネシアいやポンペイでは、今日はいよいよ幼稚園が始まります。不確かですが、ポンペイ以外の島はそれぞれ新学期が違うみたいです。

朝始まる時間は、8時と聞いていたので、行ってみるとなんとシニータは、部屋を空けてもう来ていました。

金曜日に聞いたとき「8時より早く来ることはない」って言っていたけど、ちゃんとやるときにはやるじゃないですか。

部屋の前になんとなく保護者と子供が集まり、出席を確認することもなく、小学校の合図の鐘がなって、「MAKE LINE」といってECE(幼稚園)の子供たちも並びました正直とても上手です。(日本より?)
今日入園したばかりなのに。

そして校長先生の話の後、一列になって100メートルくらい離れている校長先生の所まで行き、一人ずつ握手をして、そのまま教室を3つぶち抜いた多目的ホール?にいって座らせました。
校長が僕に「今日は何人いるの?」と聞いてきたので23人中19人です。と答えましたが、他の先生はわかっていなかったみたい。

僕は前からシニータに「ちゃんと子供の表を作ったほうがいいよ。男女をわけるとわかりやすいよ」(今ジェンダーフリーで男女に分けるのは良くないという意見もありますが)
そして子供の表を昨日作ってきました。それをつかって始業式の最中にシニータは子供をチェックしてくれました。

話は正直言ってかなり退屈。僕も紹介してもらいました。また校長は「ヒロヒト」と言って僕を紹介してくれました。「それは前の天皇の名前でしょう」といつも突っ込みますが。

子供はかなりがんばっていましたよ。日本の子より落ち着きあるかも?
途中一人他の友達にちょっかいを出す子がいたので、一緒に座っていました。
そこで嬉しかったことは、言葉はわからないけど、ちゃんと「それでいいよ」「それはだめだよ」ということが、言葉を解さなくてもアイコンタクトで通じるということです。
ほっとしました。これならどうにかできるかもしれないと。




式が始まる直前に子供は全員集合しましたが、名前が違う子がいてこれって飛び入り?
でしょうか?
終わるとすぐに朝食で給食室に移動。建物は違いますが歩いて10歩くらいかな?
メニューはバナナとミルク。
ちゃんと食べる前に一人ずつに液体石鹸を手につけて、洗って、消毒液に手をつけてからテーブルについて頂きます。
このときは、給食を作る人の仕事でお祈りもその人がして、何故か担任はいませんでした。
一人の子供に当てると、ちゃんとお祈りの言葉を立っていっていました。

終わると、それぞれきまったこちらが用意したタオルが入れれてあるロッカーがあり、そこで歯ブラシをとって歯磨き粉をつけて、砂時計で先生が時間を測りながら歯を磨きます。
その歯磨きを指導するのは何故か?PTAのような会の会長。
日差しの照りつける所でするから「ここは暑いから」っていっても言うこと聞きません。

幼稚園では最初に座って、アシスタントティーチャーが歌を歌って僕はキーボードで伴奏弾きました。でも何故か初めてなのに、一回歌ったらおしまいです。
それでは子供がわからないだろうってちょっと思いました。

そしてクラスですき遊び。サイエンスやアートのコーナーもありますが、人気は積み木やおもちゃがあるところです。
ボールを持った子供は外に出ても良いので、4-5人の女の子と外に出て、ボールをなげあったり、とちゅうから僕一人と子供4人で同時にボールを投げたりして遊びました。
遊んでいる所に大人用のバスケットゴールがあるので、それに入れようと子供はしますがそれは到底無理。なので部屋にあったダンボールを持ってきて僕がもって入れる遊びをしました。
入ると「マウ」(GOODの意味)を言うと笑顔で返してくれました。

そして片付けは僕の積み木ボックス効果があったのか、かなり片付けやすかったみたいですが、あまり片付けには力を入れていないようでした。

後トイレの使い方と遊具のある場所への行き方などを話した後は、11時30分のランチまでは、サークルになりながらも待ち状態。

僕が「トントントントン、ひげ爺さん」という手遊びを日本語でしました。
恥ずかしがってしない子もその子供にも「ちゃんと聞いていたね」と認めたのですが、なにせ英語なのもで。

1ヶ月はじっと見ておくつもりだったのですが、こども見ていると黙ってられないです。

今日は夕食時に今日の手遊びのポンペイ語版を教えてもらいました。
おじいさんにやってみると「面白いねえ」と受けていました。

昼食を食べて帰ります。バスを見送っていると他の先生はもうお昼ご飯食べ始めていました。

歩いて2-3分の家に帰るとお昼ごはんはカレー。ついでにひと風呂ならぬ、シャワーを浴びて再び学校へ。
家の子供たちに「もう1時だから学校に行かないと」と言ってから出たのですが、今日は学校昼まででした。

ポンペイ語の1時間の職員会議のあとに、今日子供たちが給食室で混乱したことはロッカーに名前や子供のサインがなかったことを伝えて、僕が家とか車とかでそれぞれの子供のサインを作りました。いつも任せることの多い先生も自然と手伝ってくれて、これは必要と思っているなあと。

やはり子供の前に立って保育すると胸が熱くなります。
そしてたとえ言葉が通じなくても気持ちが通じたときは最高です。
今日はデジカメで全員の写真を撮ったので明日までに覚えて挑みます。
明日もミクロネシアの子どもと炎天下の中、思いっきり遊びます。

そして明日は終戦記念日です。ミクロでシアでしか感じられない終戦記念日を送れればと思います。