goo blog サービス終了のお知らせ 

南の島で幼稚園の先生になろう!

活動から19年。現在も現地の教え子や家族から連絡があり、素敵な人と出会えた青年海外協力隊生活に感謝しかない。

ありがとう

2007年01月30日 | ミクロネシアの生活
今日、お世話になった調整員の方が無事任期を終え、帰国の途につかれました。

先日の送別会で、そんな感謝の気持ちを込めて曲を作ってウクレレバンドで演奏しました。曲はそのまま「ありがとう」

曲はスローなバラード調です。
新隊員の方から「なかなかグレード高いですね」って誉めてもらいました。

個人名はXXXで表示しています。

       
            「ありがとう」

G   Em    C      D7      G   Em C    D7
「ありがとう」そんなかんたんな言葉が   なかなか素直に言えなくて

C  D7 G     C        C    D7  G     C
いつも近くで見守ってくれたから     いつまでも一緒にいられると思ってた

C    D7  G    F#m7   C    D7   G 
だけどそれぞれの旅立ちの時が      目の前に近づいている

 G    Em  C    D7     G Em C  D7 
「ありがとう」いつも温かい言葉で    僕らを助けてくれたね

C   D7  G   C        C   D7 G  C   
さりげない 心遣いがうれしくて     凛とした姿勢が頼もしくて

C    D7   G    F#m7  C  D7  G 
これから 3人がいなくなっても     その志(きもち)忘れない

C  D7  G  C          C  D7   G  C 
互いに 離れ離れになっても       この時間(とき)決して忘れない

C     D7  G   F#m7   C     D7  G
さよならは永遠の別れじゃなく      いつか会う約束の言葉

G   Em C    D7       G   Em C   D7
ありがとう  XXXXさん        ありがとう  XXXさん

G   Em C  D7       G   Em  C   D7
ありがとう XXXさん        ありがとう  ありがとう 
  
G  Em C      D7    C  G 
この言葉  いつまでも 心に 刻む

南の島で迎えた震災の日

2007年01月17日 | ミクロネシアの生活
今日は1月17日。この日は僕にとっても、そして多くの仲間にとっても忘れられない一日です。

12年前に阪神淡路大震災が起こった日。

今年は南の島で迎えましたが、やはり少し心がざわざわしたような。

僕は震災で遺児になってしまった子ども達のケアーをする施設でボランティアを昨年まで7年ほどさせていただいていました。

子ども達はどんな思いでむかえたのだろうか?

南の島では何も出来ないことが申し訳ないです。

協力隊に行くことになったときもバタバタしてちゃんと子ども達や職員の方にも話をせずに出てしまい、申し訳ないことをしました。

夕食の時に、お祖父さんや子ども達に12年前に僕の住んでいた所で大きな地震があり、6000名の命が奪われたこと等を話しました。

家族は、あなたの兄弟は大丈夫だったの?と心配してくれました。

帰国した際には、日本で幼稚園教諭の仕事を頑張ると同時に、震災遺児の子ども達にもこの経験を生かした関わりをしたいと思っています。

2007 初ブログ

2007年01月10日 | ミクロネシアの生活
もうあけましておめでとうございますという言葉も使えなくなってしまった時期になって、2007年の初ブログです。

1月6日にマーシャル(ミクロネシア国外)とコスラエ(国内)に行ってきました。

南の島もそれぞれの島によって、事情や環境が様々異なり、やはりミクロネシアに6ヶ月も住んでいると、日本にいたら分からない違いが分かるようになったのかなと嬉しくもありました。

なんといっても、同じ訓練所で生活した仲間が逞しく?現地で活動している姿を見ることができ、みんな頑張っているんだなって嬉しくなりました。

もっと自分も頑張らないといけないなあと同時に思いました。

旅のことはきりがないので、また今度(きっと書ききれないだろうなあ)

写真は、僕が帰って2007年初の幼稚園生活での給食の写真。

食べているのはコスラエみかん。

ポンペイではみかんはなかなか食べられず、隣の島のコスラエで日本に似たみかんがあります。
僕が子ども達へおみやげで買ってきました。

日本の僕がいた幼稚園では、教師が旅行に行ったときにおみやげを子ども達に買うことは難しくて出来なかったのですが、ここでは大丈夫。

全員「おいしい」といって食べてくれました。

日本とは異なる価値観で動いているこの島。
大変なこともありますが、こういう日本ではできないことがいっぱいあります。

今日は協力隊の18年度2次隊の仲間が到着しました。

仕事は校長先生に話をすると「迎えに行ってきて良いよ」と言ってくださったので、仲間の隊員と一緒にタクシーに乗り、ダッシュで。

丁度空港から出てくるところで、会えました。

ドミトリーという連絡所まで一緒に行き、そこで簡単に使い方を説明しました。

僕から見ると「日本人だなあ」って感じました。現地化している自分が怖いです。

ジュースを出すときも、何気なく水道水で洗ってそのままジュースを入れようとしたら、仲間に「この水道水は慣れないとおなか壊すから、ティッシュで拭いてから出さないと駄目だよ」と言われました。

新たな仲間とも仲良く活動が出来ればいいなあと思います。

金曜日には歓迎会があります。

もちろん、歌を準備しています。彼らを迎える為のWELLCOME SONGを書き下ろしました。

喜んでもらえると良いのですが・・・・


明日海外脱出

2006年12月26日 | ミクロネシアの生活
今日は、デジカメのバッテリーを入れ忘れて、画像なしです。
理由は、バッテリーを充電していたから。
それは、海外脱出のため。

明日から暫く海外に行きます。

日本から見れば海外ですが、ミクロネシア連邦国を脱出します。

東隣のマーシャルという国です。

もちろん島国です。

ここで新年を迎える予定です。

この島は、世界で一番早く新年を迎えます。他にもサモアなどたくさんありますが。ミクロネシア連邦国より1時間時差が早いので。

暫く(最近ずっと暫く更新していませんが)更新できません。

更新していなくてももちろん元気です。

この国にはないボーリングというものもあるそうなので、したいしダイビングも挑戦します。

マーシャルには訓練所時代の仲間もいるのでその再会も楽しみです。

自分へのクリスマスプレゼントとして楽しんできます。

ポンペイのクリスマス

2006年12月25日 | ミクロネシアの生活
今日は、クリスマス
ちょっと、詞を書いてみました。

         ポンペイのクリスマス

まばゆいばかりのイルミネーションもブランド商品のプレゼントもない。
でも村の教会では、イエス様の誕生を祝って、たくさんの人が集う
そんなポンペイのクリスマス

クリスマスイブを祝うカップルも豪華なディナーもない。
でも、人と出会えば誰とでも「MERRY CHRISTMAS」と喜び合う人達。
そんなポンペイのクリスマス

ロマンチックな雪や肩を寄せ合う寒さを感じることもない。
でもみんなはお気に入りのアロハを着飾り、クリスマスを祝う人達。
そんなポンペイのクリスマス

イブの夜には教会に行き、みんなでイエスキリストが生まれた神聖な夜を
ただひたすら祈り、祝う。
他人がどんなクリスマスを祝ったのか?自分は1人で寂しいクリスマスなのか?と
心配することもない。
ただ、みんなが同じ思いで過ごせる日。

寒さから身を守るために、暖かいコートやマフラーで身を覆い隠す必要もない
余計なことなど何も考えず、ただ半袖シャツに汗を流し、暑い夜に熱い思いで、
素直な気持ちで過ごせるポンペイのクリスマス。

熱い?クリスマスの近況

2006年12月24日 | ミクロネシアの生活
ポンペイはすっかりクリスマス一色。

ある隊員に家族から電話があり、隊員が「毎日クリスマスPARTYだよ」と話すと
「なんで冬でもないのにクリスマスなの?」言われたそうです。

こちらは毎日30度近い日々ですが、島はすっかりクリスマス一色。

お店はそれぞれ趣向を凝らしたイルミネーションを飾り、平日の昼間でも町は普段みることのない大渋滞。もちろん理由はみんなが町に繰り出して、クリスマスショッピングにいそしむため。

ポンペイでクリスマスが日本より活気があります。もちろんこちらは3万5千人、日本は1億2千万人なので規模は違いますが、明らかにクリスマスへの熱い思いはポンペイのほうが勝っていると思います。一人がクリスマスのプレゼントのために使うプレゼントの数も金額も、そして参加するPARTYの数も。

僕も20日の午前中に幼稚園と学校の子どもたちとクリスマスPARTYをし、午後はポンペイの幼稚園の先生全員とのPARTYに参加しました。

幼稚園の子どもたちは、プログラムの最初で歌を歌いました。いつもはぼくのキーボードとウクレレの音と一緒に歌っているのですが、今日は同僚にキーボードどうする?と聞くと、「いらないよ」といわれて、子どもは自分達の声だけで歌いましたが、やはりいつもと勝手が違うので、音が取りずらかったようです。
僕がやはり楽器をするといえばよかったのかもしれません。
1年生から8年生までの歌や劇では、どのクラスも先生の性格がはっきりと出ていて、面白かったです。イエス様のコメディータッチの劇では僕の家で最初に僕と一緒に暮らしてくれた家族の子どもが主役をしていて、なかなか頑張っていました。

幼稚園の部屋に戻って、先生たちから子どもたちへプレゼントを渡します。
同僚が「あなたがサンタになって」といわれて、一人ひとりの子どもたちに手渡しました。
いつも日本では、サンタさんの役割は校長先生など幼稚園の外部の人にお願いしていたので、初体験。

あとびっくりしたのは、子どもが個人的に僕にクリスマスプレゼントをくれました。
それも家に帰ってびっくり。新品のアロハシャツでした。きっと僕が幼稚園では正装のアロハがいいと思って毎日子どもたちの前で着ているので、家族の人がアロハが好きなんだと思って買ってくれたんだと思います。いつも来ているのは3ドルの古着なので、先生新品持っていないからと思ってくれたのかもしれません。
日本では、子どもから物をもらったらもちろんいけませんが、ここでは素直に「ありがとう」ともらいました。物をくれる、くれないで判断するのではないですが、形として感謝を表されるは、一人間として嬉しいなあと感じました。

21日からはクリスマスバケーション開始。
この日は、幼稚園のスタッフが11時集合って言うので、行ってみると誰もおらず、1時間以上してから、料理の準備をする先生が来て、豚を船で運ぶ(PARTYの場所は、島ではないのですが、海沿いでマングローブという木が邪魔をしているため、陸続きではいけないので、船に乗ってその場所に行きます)のを手伝いました。船といっても竹のいかだなので半分沈んでいるので、豚ももう少しで溺れそうでした。PARTYといえば、豚。
生きた豚を可愛そうだけど殺して、蒸し焼きにするのです。あとはサカオという前にも紹介したお酒を造ること。今回はサカオも作り、豚の命を絶つことも手伝ってしまいました。先生がそろい始めたのは4時。待つこと5時間以上。PARTYが始まったのは6時を過ぎてから。一日費やしてしまいました。

でも先生たちみんなの表情は、いつになく穏やかでした。やはり仕事が一区切りし、ほっとしたこと、クリスマスというみんなが楽しみにしている時期なので、自然と笑顔がでるのでしょう。

もうひとつPARTYの恒例は、プレゼント交換、20ドルくらいのプレゼントを買ってくるのですが、なんと僕は前日の幼稚園の先生たちとのPARTYでもらったプレゼントと全く同じものを小学校の先生たちとのPARTYでももらいました。ポンペイのプレゼントで大事なことは大きいこと。値段の札なんてつけっぱなしでかまいません。

この先生たちのPARTYの時に、仲間の隊員が5重になったタッパをもらいました。そのときはなんてものをくれるんだと思いましたが、それが幸運なプレゼントに変わりました。

話は少し前に戻ります。
実は前にブログで書いたように僕たちの村は、この島の野球大会で優勝しましたが、大人たちは「お祝いのPARTYしないとなあ」と言葉では言うものも、全く気配なし。

学校の子どもたちのPARTYの時に、隣の学校の子どもたちも遊びに来ていてその中に野球のメンバーがいたので、話をしていると「どうせPARTYなんてないんだ」というので、「それなら僕がPARTYをするよ」と話して、PARTYをすることにしました。

でも僕の家でPARTYをするには、おじいさんの許可を得ないといけないので、子どもとはその場では「たぶん金曜日のにするよ」とかしか言えないままで、準備をしていました。
PARTYの食事をどうしようかな?と思っていたところに

この仲間の隊員がもらったタッパの詰め合わせが、子どもたちのPARTYの食事の詰め合わせに変わりました。ポンペイでのPARTYは、持ち寄りですが、みんな食べきれないくらい持ってくるので、このチャンスをものにするしかありません。

PARTY当日は、子どもへの連絡のため、家族の力をかりて、電話攻撃。
さすがみんな友達の村なので、家族が子どもの名前を見て、親や親戚、近所の人に電話をしてくれて、連絡がつきましたが、来れた子どもは6名+終わり頃に2名の計8名。

かなり無理をしたので、来れなかったり連絡がつかない子ども、遅れてきた子どもには申し訳なかったです。でも大人もちゃんとお祝いをすることを伝えたかったのですが、その気持ちが伝わったかどうかは?

でも、まず子どものためにやってみるという気持ちはこれからも大切にしたいです。
今日はクリスマスイブ。

今からウクレレの練習そして教会の前でお祈りに来る人たちを対象にクリスマスの曲のウクレレをします。

教会の助祭であるおじいさんは、反対していたのですが、他の方がせっかく練習したのだからと教会の外ですることに。

気温も活動も心も熱いクリスマスになりそうです。


ポンペイでの一風景

2006年12月13日 | ミクロネシアの生活
僕の家の庭では、見慣れた光景。

それはお祖父さんの末息子のイケナシさんが子ども達の髪の毛をバリカンで切ること。

切られているのは、イケナシさんの息子さんではなく、お祖父さんの長男の娘さんの子どもなので、なんていう関係なんだろう?

よくわかりませんが、誰でもイケナシさんは髪の毛を切ってくれます。
きっと僕が頼んでも快く。

ポンペイの子どもの髪の毛は基本的にはVERY SHOUTが基本です。
あの子ども長いなあって思っていて暫くすると超短くなっています。

僕の家出している子どもはいないけど、後ろの一部分だけをたまに残して、中国人みたいにするセンスは納得できないけど。

イケナシさんは、他にも色々なことが出来ます。
電気関係ならなんでもこいって感じです。

洗濯機は二層式ですが、両方ともたまに調子が悪くなりますが、どこからか中古部品を調達して、なおしてくれます。

彼が僕が最初に家に来たときに、食堂でパソコンしていたら「蚊に咬まれた大変だ」と自分の部屋に電話線を引いてくれたり、戸外にあるシャワーの部屋から出てくる僕を見て「これをつかったらいいよ」ってバスローブを貸してくれました。
(未だに使ったことはないけど・・・・)

彼は今空港の仕事を待っていて、その仕事に就けるとかなり良い仕事のようですが、今はとりあえず無職というか主夫です。奥さんはバリバリのオフィスウーマンで、ばりっとしたスーツで出かけます。

なので、彼は昼食・夕食を作ってくれたり、家の草刈りをしたり、まだ幼稚園に行く前の2人の子どもの面倒を見たりといろいろなことをしています。

でもさすがお祖父さんの息子さんです。無職だけど働き者です。
そしてとても気がいい人です。

洗濯機の脱水の方が壊れていて、僕が洗いだけをかけた服をかごの中に入れていると、脱水機が直ると、ちゃんと脱水機に入れてかごになおしておいてくれます。

少し日本語が話せて、僕が昼から野球の大会があるため、早く昼食を取るときも「ちょっとまってね」っていいながらご飯を作ってくれます。

次々にホストファミリー(お祖父さんの世話をする家族)は、変わりますがみんないい人で本当に感謝しています。

次はいつ家族が変わるんだろう?そして次は誰が来るんだろう?



DIVERライセンス取ってしまいました。

2006年12月12日 | ミクロネシアの生活
この2週間以上ブログを更新していませんでしたが、元気だった証拠。

それはダイビングのライセンスを取得しました。

PADIのOPENWATERっていう初球のコースです。講習が5時間(5クール)?、あと海での実技が2日間。

最後は18メートルくらいまで潜りましたよ。

僕は左の耳が水を抜きにくくて、途中で痛くなることが何度かありましたが、だんだん慣れてきたような。

このライセンスを取ることになったのは、冬休みを利用して、同じミクロネシアの隣の島(州)のコスラエと隣国マーシャルに行くことにしたからです。

やはり南の島に来たからにはダイビングしないとねと。

どれだけするかはわかりませんが、折角来たんだからまず免許ってことで勢い余って取りました。

自動車、バイク(大型)、船舶、そしてダイビング、残すのはやはり空ですね。

飛行機は無理だけど、バラグライダーとかはしてみたいなあ。

せっかくの一度しかない人生だから、やりたいことはなんでもしたい。どん欲にいかなくてはね。

復活!UUCブラックコーラル合宿

2006年12月11日 | ミクロネシアの生活
2週間以上のご無沙汰でした。長い協力隊生活の中で、ちょっと日本の皆さんへ報告を滞ってしまいたくなることも時にはあるのかな?と曖昧な言い訳でブログ再開します。

身体は元気です。一度熱を1日だけ出しましたが、ここに来て初めてでした。
それ以外はずっと元気です。

この2週間以上を全て振り返るのは難しいので、全くのランダムに。

まず、写真のランタンの光のもとでUUC(ウー村・ウクレレ・クラブ)の合宿を離島のブラックコーラルで行いました。

クリスマスの曲を練習するためです。今の予定では村の教会に理解を得て、クリスマスイブのミサの前にウクレレのコンサートをさせていただく予定ですが、教会員の賛同が得られたのかが不明です。

ブラックコーラルとは、ポンペイの離島で、宿泊施設もあるとても小さな島です。

僕たちの首都?コロニアから車で40分、ボートで20分くらいかな?

ランタンをともして小屋でウクレレを弾いたり、星が降り注ぎそうな夜空を眺めたり、近くの海で潜って仲間が鮫に遭遇したりと本当に日本では味わえないことばかりです

仲間の4人で「こんな休日日本では味わえないんだろうなあ」と語り合いました。
それは、単にたくさんの自然に囲まれると言うだけでなく、このゆったりとした時間も含めて。

こう話すとどんなにのんびり過ごしているかと思われるかもしれませんが、そのことが時には活動する中で、いらだちになったり、この島の大きな問題ともなるのですが。

ウクレレのサークルも、ポンペイのウクレレ人気を繁栄して、若干揺れ動いていますが、僕たちは僕たちらしくやっていこうと思います。

人は人、自分自分、でも仲良く。が僕のモットーなので。

自然の中に囲まれると今僕がはまっている創作活動にも磨きがかかって?曲もできあがりました。

ブラックコーラルっていう曲まで作ってしまいました。

次々曲が出来ているけど、これもこの島で生活しているからこそだろうと思います。

もちろん活動で日々大変なことは山ほどありますが、そんなことをはねのけてくれるくらい豊かな自然、大切な仲間がここにはいます。

ウクレレもそんな気持ちを自分で確認する大切な活動の一つです。

空港で表れる僕たちの活動の成果。

2006年11月23日 | ミクロネシアの生活
11月18日の土曜日は、4時間以上空港にいました。

なぜなら仲間の仲良かったピースコ(アメリカの平和部隊で、協力隊と同じような活動を世界各地でしています)が、任期を終えて旅立つことになりました。

すぐに帰国せずに、アジア各地をまわるようです。

彼にはたくさんの仲間が別れを告げに駆けつけてくれました。
同じ仲間であるピースコ。
ポンペイのカソリック小学校で働いている教会系のアメリカ人のボランティア。
僕たち。
そしてホストファミリー。

こうして帰国するために空港から旅立つときにその人の活動の成果が現われるのかなと思いました。たくさん集まれば良いというのではないですが、どれだけ自分自身も思いいれ深くなれるか、またどれだけの人の心に自分が残ったか。

私は2008年3月に帰国しますが、そのときにどれだけの人が僕との別れを惜しんでくれるのだろうとも考えました。
ホストファミリーはお祖父さん以外はみんな変わるから難しいし、おじいさんはたぶん空港に来れないだろうなあと。

幼稚園の子どもたちも僕が帰国すること良く分からないからこないだろうし。

ちょっと僕は空港に一人ぼっちだったりして。(ちょっと大げさだけど)

この活動には必ず決まっていることがあります。
それは、別れがあること。それは単に別れではなく、日本での新たな生活の始まりでもあります。
その両方を意識しながら、空港で悔いのない気持ちで旅立てるように日々がんばらないといけないなあと改めて思いました。

初!BBQ やっぱりなんでも初がいい。

2006年11月12日 | ミクロネシアの生活
仲間の友達が日本から僅か3日間、会うために金曜日に来られました。

なぜ3日間か?なぜならポンペイに来るためには、来る時にグアムで一泊、帰る時にグアムで一泊しないといけません。
つまり、5日間かけてやっと3日ポンペイに滞在できます。

そんな思いまでして来てくれた友達のために、僕の住むウー村アワックにてBBQをすることにしました。

この村で我々がBBQを開いたのは、初めて。
場所は、教会の上にある修道院。

日本人のシスターが住まれていて、BBQの話をすると快く場所を提供してくださいました。

この日のために、買出しなど準備をして、修道院に行くと、食べるところに葉っぱを引いていてくださったり、心遣いが嬉しかったです。

昼過ぎから夜暗くなりランプの光のしたでBBQを楽しみました。

これからもいろいろな初!を行なっていきたいと思います。

そうです。僕は初が大好き。
初めてってなんでも大変ですが、初ならではの喜び、影響があるからです。

やはり二番手ではなく、いつも一番手を目指して、いろいろなことに取り組みたいと思います。
そのためには即実行。

これは楽しいかも、これは現地や仲間のためになるかもと思ったことをやってみること。

そのためには概念にとらわれず、いつも新鮮な気持ちで物事を見る目をしっかりと持ち続けたいと思います。

そうしないと、この島に来て4ヶ月以上たって、物事に対して感動がともすれば薄らいでしまいがちの自分になりそうです。

常に新鮮な気持ちを持ち続けるためにも、何か新しいことを常に求めて生きたいと思います。

健康のためにテニス

2006年11月12日 | ミクロネシアの生活
土曜日日曜日は、コロニアで過ごすことが多いこのごろの生活。

仲間と会ったり、外食したり。
なかなか体を動かさずに食べることが多くなります。

日々暑い気候に汗をかくことが多いですが、土日は町を歩くくらい。
そこで今マイブームがテニスです。

昨日も話しましたが、長く住まれておられる日本人の方が相手をしてくださいます。
このコロニアには日本のようにとは行きませんが、テニスコートがあります。
しかも、無料。時にはナイターがつくころもあります。

この島では「こんなことをしよう」というアクティブな動きがとりにくいのが実情です。
そんな中でテニスはまさにぴったりのスポーツです。

仕事とは違う汗もかきたですし、やはり食事が肉食中心なので、一週間に一回はしかり運動しておかないとと思っています。

あつい時間はさけて、出かけようとするとポンペイ名物の雨。

雨がやんで、テニスコートに出かけてみると誰一人いなかったので、仲間と二人はじめていると、徐々に顔見知りの日本人の方が。

たかがテニスかも知れませんが、自分で何か行動を起こすと人間関係が広がったり、この狭い島特有の閉塞感から逃れられるのではないかな?と思います。

いつもまずやってみてから、そしてやり始めたことは、諦めず続けてみる。
そうするといつの間にか片手では数え切れない数の活動が・・・

これって日本と同じかも。
でもそれが楽しいですし、それが僕らしいと思います。


現地の日本人の方々

2006年11月11日 | ミクロネシアの生活
私たちは、現地の人々、そして仲間の隊員のほかにもたくさんの人と出会います。

そのひとつが現地に住んでおられる日本人の方。

大使館や協力隊関係者といった一時的な滞在ではなく、永住もしくは10数年滞在されている方がたくさんおられます。

様々な仕事に従事されています。
ホテルを経営されている方、ダイビングを教えておられる方、ホテルのマネージャーをされている方など様々です。

私たちは、時には日本人同士として集まることもありますし、そのお仕事のお客さんという立場でお世話になることもあります。

長年住まれている方々には私たちが気づかないこの島のことをたくさん知っておられるます。
また、たくさんの人間関係を形成されておられます。

僕はテニスをするので、そこで一緒にPLAYしてくださる方、また今度ダイビングの免許を取る際にお世話になるインストラクターの方など、僕の生活に欠かすことの出来ない方々です。

現地のことを良く知っておられる先輩として、いろいろなことをいい距離感を保ちながら学びたいと思います。

街はクリスマスモード。休みの意味は複雑。

2006年11月05日 | ミクロネシアの生活
これは、日用品のお店のデコレート。

10月末までは、ハロウィン一色でしたが、今ポンペイはクリスマス一色です。

クリスマスは真夏のポンペイでも一年で最大の行事らしいです。
11月ー12月は、クリスマス一色のようです。

Tシャツかアロハに短パンという格好の僕にとって、クリスマスというのはなんだか違和感が多少の懲りますが・・・

11月はポンペイの祝日がいっぱいです。
11月3日、8日そして11日と3つの祝日あります。

今日は何の日ですか?とホストファミリーに聞いても「えーと今日は・・・」は、
すぐに答えが返ってこないことがあることも

でも休みはきっちり取るのがこのポンペイ。

11日の祝日は土曜日ですが、10日の金曜日に振り替え休日があります。

11日は、アメリカ軍兵士としてイクラに赴き、イラク戦争で亡くなられたミクロネシア人兵士の追悼の日だそうです。

休日の意味を考えると複雑です。

イラク戦争はこの南の島でも影を落としています。

またこのことは、改めて書ければと思います。

日本にいるより、戦争、平和と言うことについて考える機会を与えてくれるポンペイです。

ポンペイ 初 Hair Cut

2006年11月04日 | ミクロネシアの生活
今日は、あいにくの雨。

午前中は、来週僕の村で開くアワックバーベキューの網などを買いに行きました。

あと、スーパーセイバーという、古着専門店にみんなで行きました。
ハワイでの中古品をきっとコンテナごと買っているみたいです。

みんなが欲しいのはアロハシャツ。一枚2ドル~3ドルで買えます。

そして先輩隊員の方が昼食をごちそうしてくれるというので、そうめんをごちそうになりました。

そして、今日は同期隊員が「髪を切ろう」というので、僕も髪の毛を切ってもらいました。

他の隊員で、この島で髪を切ってもらって、気に入らなくて丸坊主にした人もいるくらいなので、この島で髪を切ってもらうのは少し勇気がいるかも・・・・

とっても器用な隊員なので、上手に切ってくれたはずです。今乾かしているので、詳細は分かりませんが・・・

日本では「髪の毛が伸びたなあ。美容院にいこう」ということになるけど、ふべんだからこそ、仲間で助け合ったり、知恵を出し合える喜びがあるのだと思います。

ポンペイでは、他の国ほど不便なことはたくさん無いのが現実ですが・・・