ミケの雑記帳

グ~タラしたい毎日

琵琶湖一周旅行④ 安土城跡

2010年09月01日 17時39分13秒 | お出かけ
近江八幡から道路に表示された案内板に従って移動。
市街地から10分弱で安土城跡に到着。
砂利の広めの駐車場に車を停めてとりあえずトイレへ。
山の上はトイレないです。
この時ちょうど開山の9時でしたね。

まずは大手門跡地の広場を見回してました。
そこから坂を少し上ると受付があります。
入山料は500円でした。
受付を過ぎるとすぐに大手道という名の石段の上り坂。
まん丸まで続いていて、全部で400段くらいだったと思います。
かなり急です。
しかも段差がまちまちで、中には5,60cmの段差のところもあったと思います。
この段差は上りでも下りでも肉体へダメージを与えてくれます。

大手道を上ってすぐの場所、右に前田利家邸跡が、左には羽柴秀吉邸跡がありました。
跡地なので石垣以外何も残っていませんが、看板にはこのようであったのではないか?という邸宅の様子が描かれていました。
羽柴邸は平たい感じだったんですが、前田邸は石垣が入り組んでいて平屋が作りにくそうな感じでした。

さらに少し(この少しが結構キツいんです)上ると、見寺仮本道というのが右手にあります。
ちょうど前田邸跡の上にあたりますね。
見寺というのは安土城の城郭内に建てられていて、あとで述べますが、現在も跡地が存在しています。
ここは本堂などが焼失してしまった後に、徳川家康邸跡に建てられたものです。
日曜・祝日は別途拝観料が必要ですが入れるみたいです。

さらに急な石段を上って後ろを振り返ると眼下に田んぼが広がってました。
安土山の南側は地形的な変化はしていないみたいなので、信長さんなんかも似たような景色を見ていたかもしれません。
石段の途中には石仏が石段の一部として存在しています。
ちょっとビックリします。

大手道の石段を上りきって少し行くと分かれ道があります。
北に行けば天守跡、西に行けば見寺跡です。
自分は先に見寺跡に向かいました。

裏門跡を通り本堂跡へ。
そこは展望台な感じで、写真のように西の湖が望めます。
奥にある山は長命寺といい、その向こうに琵琶湖・沖島があります。
この眺めで少し疲れが癒されました。
ここも石垣くらいしかありませんでしたが、三重塔だけは完全な形で残っています。
もう少し下ると二王門があるんですが、面倒なのでやめました。
この見寺はイメージ的に勝手口みたいな感じで、ここを通り抜けて本丸へと向かう人も当時多かったようです。

この後ついに天守跡へと向かいました。
相変わらず石段はキツかったです。
途中、森蘭丸邸跡なんかもありました。

安土城は本能寺の変で織田信長が殺されたあと明智光秀に攻められました。
その際、原因は未だに特定されていませんが、天守なんかが焼失しています。
その後は焼失しなかった二の丸は使用されたみたいですが、天守などは修復されることはなかったみたいです。
実際、二の丸だけで事足りたみたいですし・・・。
ここには石垣以外に供養塔や信長公本廟、天主の礎石が残っていました。
天守跡の石垣からは琵琶湖が望めます。

全部見るのにかかったのは1時間程度でしたかねぇ。
戻る途中で家族連れが何組か来てました。
自分は戻る時に大手道を引き返しましたが、段差のキツい石段を下りるのは大変でした。
足腰の負担が半端じゃないし、意外に腹筋を使いました。
順路では見寺側から下りていくことになっていて、そっちの方が石段が歩きやすきなっているので順路通りがいいと思います。
下りたら受付前のベンチで水分補給をガッツリしましたよ。
高くない山でも勾配がキツいと洒落にならんわ。

安土城は基本的に石垣や石段くらいしか残っていません。
自分は歴史好きで当時の暮らしや城のつくりなんかにも興味があるので楽しめました。
単純に戦や武将が好きってだけの人には合わないかもしれません。
まだまだ未調査の部分が多く、山を少しずつ切り開きながら全体像をハッキリさせていく感じでしたね。
これからも発掘調査や整備が進むとさらにおもしろそうです。


今日の天気 
 行けて本当に良かったなぁ

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