ミケの雑記帳

グ~タラしたい毎日

いい加減暖かくなれや

2011年03月27日 17時22分15秒 | 

彼岸が過ぎて雪とか何よ。

3月の終わりだってのに寒いんだよ。

ようやく近所の梅の花が咲き始めたし。

半月ほど季節が遅れている気がしますよ。

supercellの2ndアルバムを買いました。

最高過ぎて日々の活力となっております。

あぁ、素敵。

京都旅行記で書いた信玄袋を買ったお店の名前が分かりました。

新京極通り沿いにある『井和井』というお店です。

HPもあるので、気になる方は調べてみては?

今月はインフルエンザになったり体調不良で休日はゆっくりと過ごしております。

毎月県外に出ようという目論見は早くも崩れ去った訳ですが、仕方ありません。

来月から再び精力的に活動するべく様々なことを考えております。

金銭的には多少の余裕はあるしなぁ。

秋の沖縄旅行の為に我慢するってのも一計ですし・・・。

先のことを考えられるってのは幸せなことです。


今日の天気 
 明日からは晴れの陽気が続くそうです

そうだ、京都に行こう ⑦ ~東寺~

2011年03月24日 18時53分56秒 | お出かけ

今回で京都旅行記は終了です。
楽しんで頂けたでしょうか?
っても、反応ないから分からないけど・・・。
写真は東寺にある五重塔です。
写真を撮る時良いポジションが逆光でした。
悪しからず。
それじゃあ最終話をご覧あれ~。


次の日、アルコールと一日中歩いた疲労とでグッスリと眠り、心地良い朝を迎えました。
ぼ~っとした頭で朝食食べて、シャワー浴びてスッキリして、9時半くらいにはホテルを後にしました。

ホテルから九条通りに出て西へ。
しばらく歩いていると東寺の南大門に到着。
東寺は真言宗の総本山です。
教王護国寺といいます。
東寺と言いつつ西寄りなのは、現在の京都が御所を初めとして大部分が東にずれたからです。
東寺は元の場所にそのまま残っていたため、現在では市の中心からすると西側になってしまった訳です。
西寺も存在したのですが、東寺の西寺は平安後期には衰退して現存していません。
立派な門を潜って寺院内へ入っていきました。
東寺の敷地内は拝観料の必要なエリアが柵で囲われています。
建造物は観察できますが、中の庭園や堂内の仏像なんかを見たい場合は有料ですね。
勿論、自分は拝観料を払って内部まで隈なく見てやりましたよ。
講堂・金堂内には仏像が立ち並んでいました。
一体一体が大きかったですね。
五重塔の内部にも入れました。
と言っても1階部分だけですが、普段は閉じられているんだったかな?
中には真言宗を伝えた8人の方(空海さんもいたよ)の絵が壁に描かれていたり、中心には願いを叶えてくれるらしい仏像がありました。
五重塔を撮ったんですが、ベストポジションが逆行となってしまい暗い写真となってしまいました。
ちなみに、この五重塔は4度災害で焼失しており、現在は徳川家光時代に再建された5代目です。
庭園部分もきれいでしたよ。
自分はお寺の建物や瓦なんかが好きなので、鬼瓦とか眺めていました。
角にのびる反りとかいい感じでしたね。

東寺を見学したら帰宅です。
他を巡っていると遅くなりそうだったので、この日は東寺だけ見て帰るって決めてました。
駅構内で千枚漬などのお土産を適当に買って正午前の電車で福井へ。
電車内では疲れからかほとんど寝ていました。
3時過ぎには地元に到着。
楽しい京都旅行はこうして終えました。


僅か一日ばかりでしたが様々なところを巡れて良かったです。
先輩とも話が出来たし、京都のマニアックな部分も知れたしで楽しかったです。
まだまだ今日とは見るべき場所が沢山あるので、また遊びに行きたいと思います。
したらば、これにて京都旅行記は終了。
次回は普通の日記だと思います。
アデュ~。


今日の天気  時々
 次はどこに出掛けようかな?

そうだ、京都に行こう ⑥ ~四条の宴~

2011年03月21日 18時50分47秒 | お出かけ


写真は東本願寺の御影堂門です。
見て分かるように、馬鹿みたいにデカいです。
どれだけの費用がかかっているのやら・・・。
では、京都旅行の夜の部開幕です。
どぞ~。


耳塚から七条通りに出て西へ。
そして、京都駅正面から延びている大通りで北に少し行ったところに東本願寺があります。
本願寺は元々大阪城のあった場所が本拠地で、織田信長との戦で負けて京都へ。
その後、確か信長の策略によって顕如の後継者問題で子供達が兄弟喧嘩して今の西本願寺と東本願寺に分かれた、だったかな?
何にしても、信長としては長年の障害だった本願寺を筆頭に、一向宗の力を削ぎたかった訳ですね。
そんな歴史的な話はさておき、東本願寺は建物が馬鹿デカいです。
中には入れなかったので外からの見学でしたが、写真で分かるように御影堂門でさえバス4台分くらいの高さと幅があります。
門の向こうには御影堂があり、門を超える高さだった気がします。
一体どれだけの費用が必要なのか、一般人には分かりません。
先輩曰く、京都ではお寺関係に就職するのが一番良いらしいです(コネがないと大変らしいですが)。

東本願寺に圧倒された後は、予約していたホテルのチェックインのために京都駅へ。
京都駅で先輩と一旦別れました。
予約していたのは八条沿いにある『エルイン京都』。
ネットで調べて最も使い勝手が良さそうなのがここでした。
一泊6,200円と、京都にしては安いです。
ホテルマンの対応なんかも良かったですよ。
京都で泊まるならここはオススメですね。

ホテルで小休止してから京都駅で先輩と再合流。
京都駅からは四条へと向かいました。
京都で買い物がしたくて、欲しいのは小物を入れる巾着袋のようなものです。
ウロウロとアーケードのお店を渡り歩いて一軒良さげなお店を見つけました。
店名は忘れてしまいましたが、かなり品物が逸品ぞろいでした。
吟味した結果、信玄袋という手提げ袋を購入しました。
かなりデザインが格好良いです。
同じようなデザインのボストンバッグも並んでいて、そちらは今後購入しようかと考えています。
ここはかなりオススメですね。
店名分からないけど・・・。

目的のものを買って心躍る気持ちで飲みへと突入。
確か、適当に天狗に入った気がします。
飲めれば場所なんてDoでもいいって気持ちでした。
飲みながら近況だとか今後のことだとか馬鹿な話だとか真面目な話だとか喋っていたと思います。
9時過ぎくらいに先輩の彼女である一つ上の先輩が合流。
他の人と同様、とりあえず体型変化に驚いていました。
そこからは何かについて話していたというよりは、御二方の掛け合いを見て楽しんでいた感じでしたね。
見ていて楽しかったです。

そんなに遅くならない時間に宴を終えて四条駅でお別れです。
お別れ前に写真を撮らせてもらいました。
今後は誰かに会いに行く度にその人の写真を撮ろうかと思っています。
僅か一日でもかなりの場所を巡れて非常に満足しました。
これも先輩のおかげですよ。
感謝感謝。
駅のホームで一日お付き合い頂いたお礼と再開の約束をしてお別れしました。
電車に揺られてホテルに着いて、余韻に浸りながらベッドでぐっすりと眠りました。
楽し過ぎて顔がずっとニヤけてたと思います。
こうして、飲みを含め丸一日を費やした楽しい観光は幕を閉じました。
あ~、楽しかった。


次の日は単独行動です。
いろいろ考えて午前中だけ観光して正午前には帰宅しました。
ま、その話は次回の更新で。
それでは。


今日の天気 時々
 休日のおかげでちょっと体調回復

そうだ、京都に行こう ⑤ ~豊国神社~

2011年03月20日 18時32分24秒 | お出かけ

交信が途絶えていてゴメンなさい。
今日も今日とて体調悪いですが、更新をしようと思います。
写真は大阪の陣のきっかけとなった鐘のある豊国神社です。
では、Doぞ~。


対応の良くない荒い運転手が運転する満員のバスに乗って三十三間堂にやってきました。
途中、先輩はビールのせいか陽気のせいかうたた寝してました。
無事に辿り着いたはいいんですが、冬季は3時半で閉まってしまうために残念ながら入れませんでした。
自分達の他にも、何組かの方々が入り口で締まっているのを見て残念がっている姿を見受けることが出来ました。
三十三間堂は後白河上皇の離宮があって、そこに建てられたものです。
中には無数の仏像が収められています。
これら沢山の仏像は、当時は仏像を造れば造るほど極楽浄土へと往けるという考えが一般的であったために造られたそうです。
三十三間堂という名が有名ですが、正式名称は蓮華王院本堂で、宮本武蔵と吉岡伝七郎の試合があったとか・・・。

三十三間堂の早仕舞いに予定が若干狂いましたが、先輩はさすがに京都に詳しいだけあってすぐさま計画の変更を頭の中で考えてました。
三十三間堂の道向かいには京都国立博物館があり、その隣には交差点に交番があります。
その交番は大仏前交番。
京都には大仏が今は存在しません。
しかし、かつては存在していました。
現在の京都の街並みは豊臣政権下に出来たそうです。
その当時、秀吉の命令で方広寺というお寺に大仏が建立されました。
しかし、焼失して再建されず、方広寺も江戸時代には廃れて現存していません。
現在まで残っているのは、『国家安康 君臣豊楽』の鐘があることで有名な豊国神社です。
この鐘に家康がいちゃもんをつけて大阪の陣、そして豊臣家滅亡へと至りました。
神社の周りは大きな石垣が積まれていました。
神社自体は普通の神社です。
ま、写真のように、拝殿は豪勢に見えないこともないかもしれませんけどね。
鐘も見ました。
件の文字は白く囲ってあり、肉眼でも囲いの外から確認できました。

豊国神社を後にして、すぐ近くの耳塚へと移動しました。
秀吉の命令による朝鮮出兵で「獲ったど~っ」って証として、首ではかさばるので首級の代わりとして耳や鼻を削ぎました。
その集められた耳や鼻なんかを供養した塚です。
想像していたよりも遥かに大きなものでした。
それだけの数が塚の下に埋まっているということかもしれませんね。

時刻は4時を過ぎ、少しずつ日が暮れてきました。
この後は駅方面へ向かって自分は一度ホテルへ。
その後は四条へと移動して小さな宴へと移行しました。


飲みでは途中からもう一人先輩が加わります。
久し振りに会う方は皆自分の体型変化に驚かれるようです。
ですが、現在の体重は平均くらいなので、以前が太りすぎていただけの話です。
では、次回の更新で。


今日の天気 時々
 体調悪いのは今日も治りません。

すみませんね

2011年03月19日 19時48分49秒 | 

まずは、震災に見舞われた方々、お見舞い申し上げます。

連日の報道以上に過酷な現実を過ごされている方々、無責任な言い方かもしれませんが、頑張って下さい。

僅かばかりですが、赤十字の義援金にいくらか出しました。

現在、様々なものが復旧中ですが、早く復興に変わることを願っております。

インフルエンザは治って今週は普通に仕事をしてました。

が、今日、再び風邪っぽいです。

頭痛と微熱、関節痛にダルさが襲ってきております。

痰もひどいし・・・。

健康でありたいよ。

明日元気であれば京都旅行の続きを書いていきたいと思います。

楽しみにしている方々、申し訳ありません。


今日の天気 
 喉が痛ぇ~

インフルエンザです

2011年03月12日 15時07分03秒 | 

更新が途絶えていてスミマセン。

A型のインフルエンザを患いました。

昨日辺りからようやくまともに動けるようになりました。

闘病してたら悲惨な地震が起きていてビックリです。

映像見てて涙出そうになる。

ひど過ぎるわ。

『twitter』を3年前に登録して放置していたものを設置してみました。

放ったらかしにし過ぎてて、使い勝手がよく分かっていません。

誰かフォロワーよろしく。

では、再び頭痛と格闘します。


今日の天気 
 リアル引きこもり中なり

そうだ、京都に行こう ④ ~慈照寺~

2011年03月08日 10時09分53秒 | お出かけ

京都旅行記も早や4回目。
多分、今回の更新が折り返し。
写真は誰もが歴史の教科書で見たことのある銀閣寺です。
正式には慈照寺で、その中の銀閣が有名になっただけなんですけど・・・。
そこら辺は本文で説明します。
では、Doぞ~。


吉田神社を後にした我々は、先輩の腹の不調により一旦コンビニでトイレを借りることに。
後で判明したのですが、原因は食後に噛んだキシリトールガム。
あれに含まれる甘味料ステビアがお腹を緩くさせる効果があるとか・・・。
自分は慣れました。
トイレ後は「天気がいいから」という理由で先輩は缶ビールを飲んでいました。

今出川通りを東へ進み、京都中心部から見て吉田山の裏手へとやってきました。
ここには銀閣寺として知られている慈照寺があります。
完全な観光スポットです。
慈照寺へと至る坂はお土産や食事処・甘味処が連なっていました。
慈照寺は足利義政が政治に関心をなくして後年引き篭もっていた場所です。
背の高い生垣に囲まれた参道を抜けて門をくぐって中へ。
入ってすぐ右手に写真の銀閣がありました。
慈照寺は銀閣もいいんですが、庭がきれいです。
池と砂と木々とのコントラストがたまりません。
あと、展望所があってそこからだと庭が上から見れます。
角度を変えてみた庭も良かったです。
展望所からは市街地も見えますが、吉田山で中心部は見れません。

慈照寺を出て『哲学の道』を通って南下。
哲学の道は銀閣寺辺りから南禅寺付近までの小川沿いの遊歩道です。
哲学者の西田幾多郎という方がこの道で思索に耽ったことから名付けられたとか。
現在、一部区間が改修工事のため、そこは通ることが出来ませんでした。

哲学の道からちょっとだけ外れたところにある『法然院』にも立ち寄りました。
浄土宗の開祖である法然ゆかりの地に出来たお寺とのこと。
静かな心落ち着く場所でした。
そんな場所で先輩は2度目のトイレへと駆け込んでました。


この後はバスに乗って七条まで下りました。
そして、ちょっと残念なことがありました。
では、今回はこんなところで。
次回も適当に読み流してね。


今日の天気 
 母親は修学旅行で銀閣内に入ったことがあるそうです

そうだ、京都に行こう ③ ~京都大学~

2011年03月07日 18時53分05秒 | お出かけ

やっぱり旅日記は訪問者数が増えますニャ~。
今回の写真は知る人ぞ知る「折田先生像」です。
「何やねん、これ?」って方はインターネットで調べてみて下さい。
今ではウィキペディアに載るほど有名です。
では、今回も心持ちお楽しみ下さい。


みたらし団子を食べて少し休憩した後、歩いて京大方面へと出発しました。
来た道を戻って、鴨川デルタで東へと方向転換。
出町柳駅を越えて細めの路地を抜けて百万遍の交差点に辿り着きました。
途中に建物が元商店って感じの京大生御用達のセブンイレブンがありました。

京大に着いたんですが、時間的にお昼だったので道を挟んだ定食屋さんに行きました。
店名は忘れてしまいましたが、学生用のガッツリ系定食屋さんでした。
そんなお店でオイラはおかずが5つ付いたスペシャルランチを頼みました。
先輩はチキンカツ定食でしたかね?
外の心地良い小春日和に対して店内は初夏のような暑さでしたよ。
女性だったら薄着になればいいじゃないっ!?ってな感じ。
そして身体のラインを強調しちゃえばいいじゃないっ!?
んで、運ばれてきた料理をガッツリ食べたわけです。
さすがにおかず5品は手強かったですね。
それでも値段は680円とリーズナブル。
学生の味方でありんす。

満腹、と言うか胃もたれするお腹を引き摺り京大校内へと侵入。
京大は良くも悪くも“自由”な校風です。
基本的に大学の上層部は黙認ってな感じですね。
なので校内に住人がいます。
信じられない話ですが・・・。
京大校内はドラマ『ガリレオ』の撮影場所として使われたことがあるようです。
設定が東京の大学だったので知りませんでした。
そんな本部構内を抜けて吉田南構内へ。
入ってすぐの所に折田先生像が建てられていました。
今年は赤と白の粒々野郎でした。
あ、粒々の中には赤と白以外にもモンスターボールなどが入っているようです。
芸が細かい。
今年は偽像も現れました。
しっかしクオリティ高いわ。

京大の次はすぐ近くの吉田神社へ。
吉田兼倶が吉田神道を創始して拠点とした場所です。
仏教が一般に広まっている現在、神道は身近なものではなくなりましたね~。
オイラは仏よりも神の方が好きです。
悟り開いた人は苦手。
人も動物なんだから俗っぽくて普通なんだよ。
吉田神社は京大の東にある吉田山にあります。
『鴨川ホルモー』ではここで男子部員が冬に裸踊りをした場所です。
あれはフィクションなので真似しないでね。

吉田神社を後にして吉田山の向こう側にある慈照寺へと歩みを進めました。
歴史の話をメインに下ネタも交えた男2人の歩き旅。
正午を過ぎてもサードギアくらいでダラダラと観光していくのであります。


今回はこれにて終了。
次回、先輩にちょっとした変化が訪れます。
ではでは次の更新もお楽しみに~。


今日の天気 時々
 定食屋さんのメニューはかなり豊富でしたよ

そうだ、京都に行こう ② ~下鴨神社~

2011年03月06日 21時05分04秒 | お出かけ

仕事場の生産の関係上、今週と来週の月曜が休日となりました。
ちょっとゆっくり出来そうです。
服とか買いに行こうかな?
ってな訳で、今日は前回の旅行記の続き。
写真は下鴨神社に飾られていた絵馬です。
ではではDoぞ。


11時くらいに京都御苑を出て鴨川デルタへと向かいました。
鴨川デルタは高野川と賀茂川の合流地点で、この地点以降は鴨川となります。
京都周辺はよく川の名前が変わるのでおもしろいですね。
現在、鴨川は治水整備が進んで浅めの穏やかな川になっていますが、平安時代などでは暴れ川として有名でした。
このことは白河法皇の『天下三不如意』として有名です。
鴨川デルタには飛び石があって、その上を渡って対岸へ行くことが可能です。
飛び石の中には亀を模した亀石もあります。
飛び石の間隔は小さな子供には広めだと思います。
ここでは大学生なんかがよく酒盛りをしている場所らしいです。
コンビにもトイレも近くにありますし、50人くらいなら余裕で集まれるスペースがあるので最適でしょう。

鴨川デルタを北上して下鴨神社へ。
鴨川デルタから下鴨神社へと続く参道を含めた森は『糺の森』と呼ばれ、8月には古本市が開かれています。
ちなみに下鴨神社の正式名称は『賀茂御祖神社』で、通称葵祭と呼ばれる賀茂祭で有名です。
あと、世界文化遺産でもあります。
ここには国家の歌詞に出てくる『さざれ石』もあります。
あと、2本の木が途中から1本に繋がった『連理の榊』と呼ばれるご神木があって、その隣に『相生社』というものがあり、縁結びの神様として有名です。
一応、良き出会いがあるように祈っておきました。
楼門をくぐって、まず目にしたのは舞殿。
右手には橋殿があって、そこに写真の絵馬が飾られていました。
大きさは高さが小学生くらいの子供ほどはあったと思います。
下鴨神社では本殿の他に『言社』という各干支を奉ったお社もありました。
下鴨神社を訪れた際は本殿以外にも自分の干支のお社もお祈りしてみてはいかが?
境内には『御手洗社』というものもあり、社前の『みたらし池』では7月に「足つけ行事」という厄除け・病除けの行事が行われます。
ちなみに、この池に湧く水泡をかたどって「みたらし団子」が出来たようです。

お次はみたらし団子発祥と云われている「加茂みたらし茶屋」に行ってみたらし団子を頂きました。
普通スーパーや和菓子屋さんでは団子3か4個が串に刺さっていて、そこに甘めのタレがかかっています。
が、ここでは5つの小さめの団子が串に刺さっており、タレは甘いんですが醤油の風味が効いています。
美味しかったです。
あと、関西では一般的な「冷やし飴」も飲みました。
簡単に言えば水飴と生姜汁の飲み物です。
味はす~っとしないハッカって感じでした。
自分は後味スッキリしてて飲みやすかったですが、苦手な人は苦手でしょうね。
軽めの運動後にはいいんじゃないでしょうか?

この後、来た道を戻って京大方面へ。
そして受験シーズン名物のあの像と生で初対面することに・・・。


では、今宵はここら辺でお終いです。
次回の更新もお楽しみ下さい。


今日の天気 
 この旅行で日焼けして、おでこの皮がむけました

そうだ、京都に行こう ① ~京都御苑~

2011年03月05日 23時03分45秒 | お出かけ

暖かくなったと思ったら再び寒くなってしまいましたね。
雪まで降って・・・。
日が少し開きましたが、京都旅行記を書いていきます。
後で説明しますが、写真は京都御所の『建礼門』です。
ではでは、出発から語っていきますよ。


2月26日(土)
午前4時半に起床。
朝早いですが、この週はずっとこの時間に起きてたので余裕です。
6時過ぎの北陸本線でとりあえず敦賀へ。
敦賀で湖西線に乗り換え。
さらに、近江今津で京都行きへ乗り換え。
京都に着いたのは9時過ぎでしたね。
乗車時間は3時間くらいでしたが、ただ座ってただけだったので車旅よりも楽でした。
車窓を見ながら去年の夏の琵琶湖一周旅行を思い出したりしてました。
久し振りの電車旅で乗換えが若干不安でしたが、車内アナウンスを聞いていれば大丈夫でした。

京都に着いてまずは荷物を駅構内のコインロッカーに預けようと思ったんですが、一日の利用料金が300円で小銭は200円しかなく、お札は全て万札だったので両替機が使えなくて、仕方なく本屋で漫画を一冊買ってくずしました。
京都での最初の買い物が漫画て・・・。
その後10時の先輩との待ち合わせまで中央改札口周辺で不審者のごとくウロウロしてました。
普段は福井の片田舎に住んでいて人の往来なんて大したことの無い場所なので、京都駅の人の往来に軽く酔いそうになってました。
時間よりちょい早めに先輩と合流。
行きたい場所として『京都御苑』『鴨川デルタ』『京大周辺』の3箇所をリクエストしてました。
今回は先輩にガイドをお任せしたので完全にノープランな旅でした。
ま、大概は出発時間と目的地以外ノープランですけどね。

とりあえず地下鉄に乗って『京都御苑』方面へと移動。
今出川駅で降りて、御苑の前に同志社大学へ行きました。
先輩のマニアックポイントその壱ってことで、同志社大学構内の発掘調査で見つかった室町幕府の遺構を見ました。
が、さすがに石積みだけでは何とも言えませんでした。
マニアック過ぎでしたね。
まぁ、高校で理系なのに日本史を選択していた自分としては遺構よりも先輩の話の方がおもしろかったです。
先輩の専門は日本史ですからね。

南下して御苑へGO!
平安時代の政治の中枢はここでした。
平安時代から江戸時代が終わるまで朝廷が存在していた場所ですね。
現在では京都御所や仙洞御所など宮内庁管轄の建物が残っていますが、基本的には広い公園のような場所でした。
幕末に長州藩士が攻めた蛤御門も当時のまま現存していて、今でも弾痕が残っていました。
京都御所も仙洞御所も宮内庁へ申請すれば「入っていいよ」って許可が下ります。
京都御所は春と秋に一般公開されるそうです。
写真は先に述べたとおり『建礼門』で、御所の南門になります。
写真では分かりにくいですが、かなりの大きさです。
ちなみに、御所の塀に近付くと警報が鳴ります。
実際に鳴っているのを聞きました。
御苑内は道(砂利道)がだだっ広くて門が大きくて感覚がちょっとおかしくなります。
昔はこういう所を牛車とか通ってたんですねぇ。


京都御苑を後にして向かったのは下鴨神社。
小説によく出てくる鴨川デルタも通りました。
そこら辺の話は次回です。
お楽しみに。


今日の天気 時々
 今回の旅は完全にただの観光なので、ハプニングや面白話は期待しないで下さい