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小さな応援歌

集団ストーカーの被害者の方々に小さな応援の言葉と、ささやかな祈りをお届けします。Amebaブログへ引っ越し中です。

加害者のために祈る

2013年11月15日 | キリスト教
「敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章)とキリストはお教えになる。

ありがたい教えだと思っている。教えられなければ、誰がそんなことできようか。

集団ストーカー、電磁波犯罪の加害者を愛することができるか。

感情として愛することは難しい。しかし愛の本質は感情ではなく意思だ。彼らにも幸あれと祈る、その程度ならできる。

もちろん、嫌がらせがうまくいくようにとは祈らない。犯罪に対してはそれなりの罰が必要だ。しかし一人の人間としての幸福のために祈る。

間違った認識のもと、正しいと信じて加害をおこなっている人も多かろう。正しいことのために一生懸命なのかもしれない。私も加害教団の家に生まれ育っていればそうなっていたかもしれない。バリ活だったかもしれない。

そう思えば、本当に人の運命とはわからない。たまたま「敵を愛せよ」と教えられた私が愛すればいい。わたしもことによると反対に祈られる立場だったかもしれない。どんな立場にある人も、助け合うことができればいい。

加害団体幹部のために祈れるか。彼らもそろそろ自らの行動がおかしいと思うようになっているかもしれない。しかし引き返せない。中には教団から給料をもらって生活している人もいる。家族の運命のかかっている。相当覚悟がいる。また造反者は見せしめにあうかもしれない。

彼らの目が覚めるように、そして、勇気をもって悪から離れるように祈ってもいい。また、責任ある人は告発、暴露の勇気も持つかもしれない。

加害に利用されている人の中で、社会で生きづらい人もいるだろう。たとえば在日の人々が関わっているのかどうか、私自身の被害からは何とも言えないが、もしそうだとするなら、加害に利用されることで、この社会での存在意義を得ているのかもしれない。

こういう人々がよき生活環境を得、住みやすい社会となるよう祈らねばならない。

このように考えてくると、敵のためにも祈れる時がある。つらいときは無理だ。腹が立っているときも無理だ。しかし祈れる時もある。

被害者たちが加害者のために祈る、これは困難なことだ。しかし困難であるがゆえに功徳も大きく、神の前に大いなる力となる。神はその功徳に応じて、大いなる力を発揮なさるだろう。

敵のための祈りは、この犯罪解決のための大きな力になると私は信じている。

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