幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

夏目漱石と箕面の森

2020年08月16日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月16日(日)27/37℃ 

今日もmy別ブログ「箕面の森の小さなできごと」からの再掲とし森に浸る。

夏目漱石と箕面の森!

 みつけた!  ここだ・・!

  おおよその目星をつけて探し回り、やっと見つけたので思わず叫んでしまいました。  回りにはイチイ、イロハモミジ、ヤマザクラ、アラカシ、スギなどの大木が林立していて天を覆い、空の青さがかすかに見えるぐらいです。  少し先には箕面山・瀧安寺の本道(弁財天)と観音堂が見えますから、その北側山手にあたります。  いつも歩いている山道もすぐ上にあり、何気なく通っていた所なので少し驚きました。

 先日、知人から「読んでいた小説の中に箕面の事が記載されている所があったよ」と聞かされ、私も読んで見ました。

夏目漱石の <彼岸過迄>(新潮文庫) ですが、これは明治45年1月1日から4月29日まで、朝日新聞に連載されたものとのことです。  そこには・・・

「・・・僕は昨日、京都から大阪にきました。 今日は、朝日新聞にいる友人を尋ねたら、その友人が箕面という紅葉の名所へ案内して呉れました。  時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓流があって、 山があって、山の行き当たりに滝があって大変好い所でした。 

友人は僕を休ませる為に社の倶楽部とかいう二階建ての建物へ案内しました。 其の所へ這って入って見ると、幅の広い長い土間が竪に家に間口を貫いていました。 そうしてこれがことごとく敷瓦で敷きつめられている模様が何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。  この家は何でも誰かが始めて別荘にこしらえたのを朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだと聞きましたが、よし別荘にせよ瓦を畳んで出来ているこの広々とした土間は何の為でしょう。  僕はあまり妙だから友人に尋ねてみました。  ところが友人は知らんと云いました。  もっともこれはどうでも構わない事です・・」 と。

  これは小説の一部ですが、その書評によると・・ 「・・主人公に自分自身を重ね合わせた漱石の自己との血みどろの闘いはこれから始まる・・」 とあり、どうやら箕面訪問も漱石自身の事のようですね。

  そんな訳で、今日はその 「朝日倶楽部」 があったと言う場所を知りたくて、箕面駅前の 「箕面市立郷土資料館」を訪ねました。

 係りの方に趣旨をお話すると3人がかりで調べてくださいましたが・・ 分かりませんね?  知りません・・ どこかな?  そのうち・・  聞いてみますから・・ と、電話で何処かへ聞いてくれましたがそれでも分からない?   どの辺だろうか?

  その内、係りのお一人から一枚の資料を出していただきました。  そこには次のような表題が書かれていました。 「大阪府・昭和7年・大阪府史跡、名勝、天然記念物調査報告(2) 箕面山、山内 茶店変遷図」 なるものでした。 今から80年前の調査資料です。そして、その中にやっとその名称を見つけました・・ 「明治34年4月許可・・」と、個人名があり、その後 「朝日新聞社使用地、旧名・秋錦楼、現・朝日倶楽部・・・」 とありました。

 私は喜び勇んでその場所を聞きましたが、それがどこの? ここの? と さっぱり分からず、そこを特定できるような詳細な地図でなく、係りの方も首をひねるばかりです??

 そこで私はそれをコピーしていただき、その資料をもとにその内ゆっくりと自分で探してみようと思い、御礼を言って森へ向かいました。

  今日の予定は、瀧安寺の手前にある紅葉橋から化石谷を登り、望海の森を経、才が原林道へ抜けるつもりで滝道に入りました。  先月と違って森の緑が少し濃くなり、真緑と言うそうですが・・  実に爽やかな風の流れと新緑の薫りを楽しみながら歩が進みます。

 横を流れる箕面渓流にはカワムツが沢山泳いでいます・・ 見ると、それを狙って川面をじっとにらんで置物のように動かないアオサギの姿が見えます。  上空の木々の間を鳥たちがさえずりまわっています。  昆虫館の前には子供たちがいつになく沢山います。  どうやら先生も一緒のようで課外活動のようです。

  私は紅葉橋の袂にあるベンチで一休みをしながら、先程の資料を取り出して眺めていました・・  その時、ふっと何かを感じるものがあり・・ 直感のような・・ あの辺ではないかな・・?  資料には橋本亭、梅屋敷、加古川・・の文字・・

  私は予定を変更して、すぐ前の瀧安寺霊園から細い一本の小道を見つけて上って行きました。  勿論初めての道ですが荒れていて歩きにくい・・ 少しして広い台地に出ましたが、ここではなさそうです?

 更に上に下にあちこち歩き回り・・ 森中を歩き回っていると、やがて見慣れたいつもの山沿い道にでました・・ そして、その下に開けた跡地らしき所が目に入ったのです。

  資料を見ながら周りの環境と位置、それに下方に楓橋がある・・ いつも何気なく見ていたのにここが探していた所とは・・?   早速下りて見ると建物の土台があり、いかにもかつての別荘風です・・  ここだ!

  手入れをされなくなった鬱蒼とした森の中に、かつての面影をほうふつさせるものを感じました。  今は誰一人として分からないような、忘れられたかつての「朝日倶楽部」 明治時代の100年以上前に、この地でかの夏目漱石が一時を過ごした事を思いながら・・ 私は目を閉じてタイムスリップしながら思いを馳せ、しばし森浸りを楽しみました。

  やがてそこから石段を下り、小川にかかる小橋を渡り、更に枯葉で埋まったかつての小道を歩くと滝道にでてきました・・ こちらが入り口で正門だったようです。

 振り返って見上げるとそんなに距離はなく、昔に建物があった頃は、滝道からよく見えたのではないかと思われます。

  道下の楓橋の袂には、森の中の山本珈琲館と旧料亭・加古川が見え、資料とも完全に符合しましたよ。 今日は、箕面の森のなかの小さな発見をして、一人心がウキウキした一日でした。 

「若葉して手のひらほどの山の寺」(夏目漱石) ワガハイはマンゾクである? 

しかし吾輩は疲れたでござる・・トホホ!

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手塚治虫少年と箕面の森

2020年08月15日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月15日(土)27/37℃ 

今日から3日間は 別のmyブログ 「箕面の森の小さなできごと」 より、箕面(みのお)の人模様を再掲し箕面の森に浸ることとする。

手塚治虫少年と箕面の森

 阪急電車・箕面(みのお)駅前から滝道の昆虫館の近くには、捕虫網とカゴを持った子供が多く見られます。  前の箕面渓流の岩場には、裸になった少年二人が網を持って、川トンボを追いかけています。

 それにしても昆虫少年なんてしばらく目にしませんでしたが、最近はブームになってきているのでしょうか?

 私共の子供の頃は、夏休みの宿題・課題にといえば、遊びをかねて当たり前のように山、川、森、畑など野山を駆け巡って、セミや蝶々、トンボ、それにクワガタなどのいろんな昆虫採集や植物採集に精を出したものでしたね。

 この箕面の森には約3500種類の昆虫がいる日本有数の生息地とか・・ その資料、標本展示、観察、飼育、相談などができる昆虫館(大阪府営箕面公園昆虫館)が、この地にあることは何ともありがたい事です。

 付設の放蝶園では年間4000頭の蝶を飼育し放蝶しているとか、常に数10頭の珍しい蝶々が年中園内を飛んでいますよ・・

 私は冬の寒い時期に、ここは常に室温23度位に保たれているので、温かさを求めて? ときどき立ち寄ります・・ 肩や手のひらにとまった蝶々を見ていると、心が和みます。

 今日は、久しぶりに紅葉橋から化石谷を登り、望海展望台から才が原林道・谷山・勝尾寺南山へ向かいます。

 少し、山道が荒れていますが、ここは瀧安寺の南裏山にあたるので、鎮守の森のごとく樹林が保護されてきた為に大木が多く、ヒノキ、ケヤキ、クス、ヤマザクラ、アラカシ、モミジ・・ などで鬱蒼とした森です。  しかし、この暑い日差しの中では太陽が遮られて、ありがたい涼しさを運んでくれます。

  登りきったところで・・ 一台の四輪駆動車が止まっています。  歩きながら何気なく覗いてみると・・ なんだ?  それはまさに昆虫採集車? の様子で、いろんな捕虫網が見え、採集道具なのか? カゴや箱などが見えます・・  かなりのマニアなのか、年季の入った本格的なものです。  どんな人なんだろうか?  この辺で何が採集できるのかな? 

  私がそのマニア? の方を気にしながら、才が原渓谷を覗いた時です・・ 下の遠くのほうで網を振って何かを追いかけているおじさん? を見つけました・・  白い帽子が後ろに飛んだのか?  紐が首にかかり、それが為に白髪がよく目立っています・・  一見 大学の教授タイプの風貌です。  その姿は、まるで好奇心いっぱいの少年のようで、私はクスクスと笑ってしまいました。  やがて樹木の陰に隠れて見えなくなってしまいましたが、何とも羨ましい気持ちになってしまいました。

  話は変りますが・・ 昨日、いつもの古本屋で、また1ドルで見つけた本を読み終えました・・ 手塚治虫著 「昆虫つれづれ草」(小学館文庫) 復刻版ですが、私が子供のころよく読んだ 「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「新宝島」「ブラックジャック」など、漫画の神様と言われた手塚治虫が、まさか医学博士で、しかも昆虫少年だったとは知りませんでした・・  更に、この箕面の森で蝶を追いかけていた・・ とは驚きです。  

 日本がまだ戦争していた時代の話ですがね。  さきほど見かけた大学教授少年? が、蝶を追いかけていたのを見たついでに、ご紹介致しましょう。

  この本は、昭和19年3月、手塚治虫 が大阪府立北野中学(旧制)の3年生の春休みにまとめた随筆集で、発行所 治虫堂 とあり、自筆のガリ版ものです。

 その昆虫、生物に対する観察記録や細密な描写、またその研究や表現画力は仰天する物があります・・  蝶に関する記述だけで200余ページもあり、とても旧制中学生の文章とは思えませんが、それだけにその後のあの「鉄腕アトム」などの、とてつもない発想が生まれてくるのでしょうね。  ここでは、その手塚少年と箕面の森との関わりが書かれたエッセーの部分を転記してみましょう・・・

 「・・・目の前を黒い大きな影が横切った。  ”ハッ” と 網を取り直して身構えると、その黒影は悠々と崖下へ下りて行く。  ”オオムラサキだ!”  私はとっさに思い浮かべると、顔中熱くなった。  興奮したのである。

 オオムラサキ目当てにきた今日の箕面採集、目前にその目的物が悠々と通り過ぎるのに、一体貴様は何をボーッとしていたのだ!

 私は我と我とが胸にしかりつけて、すぐ飛んでいこうとしたが、どういうものか、足がいうことをきかない。  心ばかり焦っても、足が前に進まないのである。  諸君もこんな時があったに違いないが、のぼせあがったせいか、とても苦しいものである。

 その内に蝶はどんどん先へ飛んでいってしまって、ハラハラしているうちに谷川に舞いおりた。 そして付近の岩の上にハタとハネを広げた様子をみると、まさにオオムラサキだ!

 サア捕るんだ、と思ったら足がやっと自由になった。  が、あたりを見回した私は再び愕然となった。  杉の茶屋のあたりから、ぞろぞろと来る子供の一連、中には生意気に、胴乱と捕虫網を携えているではないか。

 私が何かを狙っている事がしれたら、きっと邪魔するか、横取りに向かうだろう、否、そうでなくてもここへ来たが最後、方々を荒らし回って、必ず獲物をにがしてしまうにきまっている。

 そう一人考えた私は驚き、かつ心配したが、やがて気を取り直して谷へそろそろ下りていった。  谷を下りきるまで、オオムラサキは時々 ビクッ ビクッ とハネを動かして私をドキドキさせたが、マア何事もなくして川辺へ下りきれた。

 後ろではもうガヤガヤ子供の笑いや話し声が聞えてくる。  ”早く早く” と心ではあせりながらも、一歩一歩慎重に足を運ばせて岩に進み寄る。  他人が見たらその時の私の格好は、あたかも空き巣ねらいが廊下を忍ぶ時の姿に似ていたと言うに違いない。

 遂に岩のすぐ前に来た。  オオムラサキはハネをいつの間にか閉じてジッとうごかずにいる。  さあしめた、もうおれのもんだとばかり、網をそろそろ持ち上げると突然一陣の風! 私は逃げられると思うとドキッ! として思わず叫び声を上げんとした。

 しかし、神はまだ吾を見捨てなかった。  オオムラサキは平然と、確かに我が目の前にいるのである。  いよいよ決心を固めた私は、とうとう網を、上げて、それから思い切って伏せた。 「カシャッ」 と鳴って、捕れた!  ああ旧来の望みは遂に報われたのだ。

 網の中でオオムラサキはカサカサ暴れている。  後で三角紙に収めて歩き出し私は、一人で邪魔が入りはせぬかと気をもんだのを、笑いたくなった 」 と。

  あのダルマメガネにハンチング帽をかぶったかつての手塚少年が、箕面大滝の上流にある 「杉の茶屋」 あたりで蝶々を追いかけている姿が目に浮かび、私は一人クスクスと笑ってしまいました。  まだ、ドライブウエイができる戦前のことですから、きっと深い谷間の事だったでしょうね。

  「箕面は山岳地帯で多くの昆虫学者を育てた昆虫相が豊かな場所・・」  「箕面ではオオクワガタを子供が虫かごに入れて50円から100円で売って小遣い稼ぎをしている・・」と、「虫聖と言われる偉大な昆虫学者、江崎悌三博士の本 ”誰が箕面で初めて採集したか?” (思索社刊) に、箕面の虫事情が書いてあり、手塚治虫も文中に名が出ている・・」 と解説にありました。

  暑い夏ですが、昆虫館や箕面の森の博物館&図書館(箕面ビジターセンター内)で、セミ合唱隊のコンサートでも聞きながら、こんな調べものをしてみるのも楽しいかもしれませんね。

 でも、宝塚市立手塚治虫記念館には、その少年時代に描いたという昆虫のリアルな絵などが展示されているとかですから、一度見に行ってみたいものです。

  私も森の中で珍しい蝶々に出会うことがあります・・ 写真を見るとオオムラサキにも出会っていそうですが・?  何でも国蝶とか、更にあの手塚少年が箕面の森で追いかけていた貴重な蝶々だと知ると、これからは他の蝶々も含めて見る目も違ってきそうです。

  もっとも、見た端から忘れていくようでは、図鑑にたどり着くまでには、もう何だったか思い出せないかもしれませんがね・・・ トホホ! 

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心斎橋

2020年08月14日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月14日(金)27/36℃ 

心斎橋
 心斎橋の眼鏡店から 新しいメガネができました との連絡に出かけた。
先日 眼科の帰り道、心斎橋の眼鏡店に寄り新しいメガネを注文したのだ。
 
 日常の生活は裸眼で全く支障はないのだが、学生時代から眼鏡をかけてきたので、久しぶりに会う人たちは一様に メガネは? と聞く。  さらに口の悪い友達は 何か人相が悪くなったな! とまで言う。
 
 確かにカバが眼鏡をかけていると多少はその顔が滑稽で優しく見えるのかもしれない?  そこで眼鏡店で紫外線や光線、PCのブルーライト等で自動的に色が変わる調整レンズに、流行のフレームだと言うのでお任せして作ってもらった。
 
成る程・・   調子はバッチリOKだ。 確かに見た目、悪徳商会顔からメガネをかけたケーシー高峰(ちょっと古いかー あまり変化なし?)   カバからメガネザルならまだ可愛いが?
 
 まあー とてもお似合いですよ! と言う女性店員におだてられ、それをかけて久しぶりに心斎橋筋を歩く。
 
 しかし心斎橋がどうもいつもと違う?  人がいない?  つい半年ほど前迄は中国語、韓国語、ポルトガル語、ベトナム語など、ここはどこの国かと思うほどに旅行カバンを下げた外国人の人出で身動きできない位だったのに?
 
 特にドラッグストアが乱立し、いずれも満員で溢れていたが今は閑散としている。 しかも所々に張り紙があり、ドラッグストアの店前に「テナント募集」の張り紙と共にシャッターを下ろしている光景にはびっくり‼️ 
栄枯盛衰? それにしてもコロナ禍の影響で急転直下、天変地異の変化に驚く。 
 
 帰路は気分を転換し、併行する御堂筋の広い銀杏並木の下を歩いた。  ここの秋は特に素晴らしいのだ。 
若い頃歩いたパリのシャンゼリゼ通りに似て気分は最高!! 「枯葉」にはまだ早いが何故かイブ・モンタンを想う。 今夜はウイスキーを手にデートリッヒの歌でも聴きたい気分だ。
 
 これで隣に寄り添い、腕を組んでくれる貴徳な人がいるともっといいんだけどなぁー (美女と野獣か)    トホホ!
 
・メガネなし喜んだのにカバの面
・メガネかけカバも少しは柔らかに
・混雑のドラックストアー夢の跡
・御堂筋イヴモンタンが似合う秋 頑爺
 
猛暑日の南公園・東屋 暑く誰もいない




 
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火事

2020年08月13日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月13日(木)27/38℃ 

火事
 朝のTVニュースで 火事で老人が焼け死んだ との悲しいニュースを見たが、最近は火災により老人が亡くなるニュースをよく目にする。
 
 中学校1年の冬の事だったと思うが、隣家の一人暮らしの若い女性が誤って石油ストーブを倒して出火し、我が家を含む周辺一帯が全焼したことがあった。
 
 すぐ横にあった中学校の校庭から黙々と黒煙が上がる様を眺めていたが、もしかしたら⁉️  と、校庭の金網を乗り越え走った。
 
 その時に目にしたのは、火の海で燃え盛る我が家を見たがもうどうしようもなくただ呆然と眺めていた。  まだ消防車も来ていなかった。
 
 父は仕事へ、母は買い物に出かけ留守だった。 母は買い物からの帰り道、人からその火災を聞いたが、腰が抜けて歩けなかったと後で聞いた?
 
 当時自分には大事に育てていた二羽の十姉妹がいた。 それはやがて卵を産み、数羽のヒナが孵り、毎日下校すると真っ先にその成長を見るのが楽しみだった。  鳥小屋も廃材と金網で自分が作った。
 
 また家の庭に自分の区画をもらい大切に育てていた実のなる木があった。  ビワ、すもも、グミ、桃など、いずれも食べた後の種から育てたもので愛着があった。  しかしそれらが全て一瞬のうちに焼けてしまい灰だけとなった。
 
 父が、近隣がまだ何処も持っていなかった当時珍しい電気洗濯機(手回しの絞り機付き)を母の為にと買ってきたばかりで、それが焼け跡に1つぺしゃんこになって残っていた。  近所の人が1回10円で借りに来ていたのを覚えている。
 
 そういえば上の弟は小学校だったが、3.4歳になる下の弟はどうしたのかなと心配したが、たまたま近くの仲良くしていた家で遊んでいて助かった。
 
  焼け出された家族は一瞬にして全てのものを失った。  なに一つ残らず全焼し文字通り丸裸になった。  遠い親戚の家に身を寄せるため学校も転校し、あっという間にそれまでの生活が一変してしまった。 でも一家5人が無事でよかった。 
 
 火元の女性は心優しい人だったがその後 写真見合いをしてブラジルへ渡ったが間もなく亡くなったと聞いた。 
加害者も被害者も一瞬にしてそれぞれの人生をも燃やし尽くしてしまう火事は怖い! と改めて思うとともに自らを戒めた。
 
あれから63年が経ち、うぶでキュートな中学生?(カバにもそんな時代があったのだ) のオレはいつしか半惚け老人になっていた・・ トホホのホだ!
 
 ・失火から人の人生燃やすなよ
・火災とは一瞬の隙 燃えつくす
・人生は明日も同じと思えない
・災禍にも災い転じ福となす 頑爺
 
南公園からみる夏の雲 暑い日が続く
 
真夏の南公園・散歩道から
 
 
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お墓参り

2020年08月12日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月12日(水)27/37℃ 

お墓参り

 お盆の季節だが今年はコロナ禍の影響もあり、故郷へのお墓参りも自粛した。

 母方は確か禅寺だったと思うが、信州・松本のお寺に大きな立派なお墓があり、祖父母や親族の多くも眠る。

 父方のお墓は同じ松本の丘の上の教会墓地で、同じ十字架が並ぶきれいな墓地にある。 父母や親族が眠り、私の墓碑もあり既に幼児期に事故で亡くした次男が眠る。  今日はあの日航機が御巣鷹山に墜落して35年目だが、その12年前の事。 もう47年も前の事だが忘れたことはなく・・ 今日がその次男の命日!  

 これからの時代、お墓など不要かもと言われるが、お墓があるとそこに生きた証のお骨があり、遺された者の心の安らぎとなり、血の繋がった故人を想うことが出来る標で自分はありがたい。

 両親の実家それぞれが違う宗教だったので子供の頃は戸惑ったこともあるが、それぞれに特徴があり次第に分けて考えられるようになった。  

 最も顕著だったのがお寺さんちの友達がキリスト誕生を祝うクリスマスをしていたり、次いで年が明けたお正月にはクリスチャンホームの友達が今度はみんなで初詣にと神社仏閣に参拝したりしてた事。 親もあえてそれを許容し、日本の文化と宗教の多様性にうまく馴染み共生してきた。

 あの子供の頃のようにみんながそれぞれの社会、文化、人間の多様性を認め合い、自由で寛容な社会であって欲しいもの。

・墓参り違う宗教 形変え

・多様性認め平和な社会あり

・神あれど戦い望む神はない

・召されしも心にいつも幼き児 頑爺

今日の南公園の散歩道から 一輪の花

 

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ポン太

2020年08月11日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月11日(火) 28/35℃

ポン太
 
 昭和30年代頃はまだクーラー等なく、夏は夕暮れになると外に縁台を出し、ウチワの風で涼をとり、大人は将棋を指したり、子供らは楽しみなスイカをかぶりつつ線香花火を楽しんだりした。  
 
 家の中は当然窓は全て開けっ放し、蚊を防ぐ蚊帳を吊り、その中で布団を敷き家族全員が横並びで寝た。  母は子供らが眠りにつくまでウチワをあおいでいた?
 
 そんな中、6歳下と9歳下の弟に創り話を聞かせていた時期があった。 小学校5.6年の頃かと思うが、全くでまかせの即興話しだが題名は 「ポン太とポン吉」
 
 狸の兄弟が人を騙したり悪人を懲らしめたりしながらも明るく元気に毎日を暮らす物語だが、葉っぱを1枚頭に乗せ、ドロン・ドロンとタヌキの太鼓腹を叩くと何にでも変身できるのだ。  今のドラエもんみたいだな。
 
 特に9歳年下の弟は2.3才頃でこれが始まると大笑いでキャッキャと叫んだものだ。 今や66歳のいい年となり、全く覚えていない様子だが懐かしい思い出だ。
 
 ところがここ南千里を自分の終の棲家として引っ越してきたとき、駅前に何と同じ名前の狸PONTAに出会ったのだからビックリした。
 
 今や通るたびにPONTA・ポン太のお腹を触り、自分も同じサイズになってきた出腹にゲンナリしながらも、親しみを込めてポンポンと叩くのだ。
ポンポコリン ポンポコ!!   
さて今日は何に変身しようかな!?
 
・その昔夏にクーラーなかったぞ
・蚊帳の中ウチワあおいでくれた母
・ポンポコリさて何変身しようかな
・夏の夜は創作話しに大笑い 頑爺
 
阪急・南千里駅前にある狸の  PONTA(右下)
 
 
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フレンチ

2020年08月10日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月10日(月)28/35℃

フレンチ
 芦屋の高級フレンチレストランへ、息子が家族と共に連れて行ってくれた。
芦屋は関西でも有数の高級住宅街だが、街もお店もお洒落で楽しい所だ。
 
こじんまりとした店だが、その店の雰囲気もさることながら、シェフの経歴を見れば国内外問わず超一流のホテルや店で修行を積み、各々の店でVIPの舌を唸らせてきたとか。
 
 若い頃、ロータリークラブと言う場違いな高級社交倶楽部に属し、いろんな店にも連れて行ってもらったが、元来堅苦しいことが苦手なバンカラなのでその所作に気を使い、食事をゆっくりと味わうことができなかった思いがある。
 
 頑爺とて美味しい料理はもちろん好きだが、子供の頃から好き嫌いはなく何でも美味しくいただく方だったので、味音痴なのか一つ一つの食材や料理の仕方を説明されても微妙な味加減はよくわからない。 
 
 さてこの高級フレンチ店のフルコースだが、店の配慮かお箸が備えられていた。  更に、形にこだわらずに食べやすい方法で美味しく食べてください・・   とのシェフの一言に安心し、リラックスしワインと共に実に美味なるひとときを楽しんだ。
 
 マナー第一主義と言うような堅苦しい店もあるが、本来料理はリラックスして楽しい会話と共に美味しく味わうもの・・
小さな配慮がバンカラ爺じいには嬉しかった。
 
・フレンチを気楽に味わい美味を増す
・それぞれの客に合わせる配慮かな
・頑固なりバンカラ爺はマイペース
・料理人同じ食材魔法かけ  頑爺
 
南公園の散歩道から



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還暦大学生

2020年08月09日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月9日(日)27/36℃

還暦大学生

 今朝のTVコラムでイタリアで94歳の爺さんが無事大学を卒業したというニュースを見ていて思い出した。
 
 そう言えば会社を引退後、還暦で大学に入り「スポーツ医学」を学んだことがあった。  今までの経歴とは全く縁も関係もないのだが、リタイアしたものの何をしようかと思いながら、何かヒントを探し求めた。
そして全く初めての大学へ願書を出して入れてもらった。 
 
 ところが初日から面食らったのが当然ながら学生たちは息子たちより若く孫に近い。  独り可笑しな爺ジイが教室にいるな? と思ったに違いない。 
しかしまさか学生と思わず、何処かの研究者か教授の聴講かと思ったらしく、みんな礼儀正しくお辞儀をしてくれるので恥ずかしかった。
 
 更に初日の教授も私を見て当初はビックリしたようだが、自分の専門について研究を深めるのだろうと勘違いされたのか?  
・・・#$%&を研究されてるのでしょうが、しばらくは基礎研究ですがご辛抱を・・ と言い訳に来られ、こっちが恐縮し弁解すら忘れ、学生にはそういうことになってしまった。
 
 図書館や学生食堂でも、学内を歩いていても、みんな学生たちは丁寧にお辞儀をしてくれるので 同じ学生だとは誰も思ってもらえず困った。  
自分の年齢を否応なしに見せつけられた感じだった。
 
 それでも還暦学生は何とか授業について行ってたものの、いよいよ専門分野になるとやたら英語が出てきて、現役の学生は簡単でもサッパリわからず困った。  
 
 教授もいよいよ自分の専門を教えられると張り切ってるようだし、自分はそんな知識もないし迷った。  
 当初よりボタンの掛け違いで最後まで躊躇したが、そんな自分の姿勢と態度を反省し、事情を説明し残念ながら途中でやめた。
 
 でも会社経営のストレスとプレッシャーから引退し、久しぶりの学生生活を少しでも味わえたものの、ここはどうやら学ぶにしても齢相応の 「市民老人大学」 辺りが適当なようだな・・ トホホ!!
 
・大学の還暦学生目立ちすぎ
・青春を同じに過ごせるハズもなし
・爺と孫 同じ机で学ぶ夢
・齢応に老人大学似合ってる 頑爺
 
南公園の花壇にて シニアボランティアの方々  暑いのにご苦労様です!
 
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水虫

2020年08月08日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月8日(土)25/35℃

水虫

 学生時代 古い下宿屋にいた頃から、なぜか蚊と水虫にはモテた。  特に水虫は求めないのに勝手に両足に居候し、居心地がいいのか50歳半ば頃までくっついて離れなかった。  一生の付き合いだと言われ諦めていた。

 50歳を超えまだ会社をしていたある時、何を食べたか急に股間と尻回りにブツブツができ赤く膨れ上がって痒くてたまらない・・  急いで新設された近くの皮膚科に駆け込んだ。 

パンツを脱いでください・・ え!  見たら若い女医さんだ。 ああ あのー あのね・・ でも仕方なく下ろして診てもらったが恥ずかしかったわ。 

先生は血液や検査シートなどで診た後、軟膏と飲み薬を処方してくれ、一週間ほどで完治した。 先生凄いわ!

 次に診察室の壁に 「水虫でお困りの方ご相談下さい・・」 との張り紙があったのでこれ幸いと早速診てもらった。 

それまでは市販の軟膏を付けたり、塩水に足を浸してみたりアレコレとしたけど余計に痒くなってた。  

 検査後 「約8ヶ月ほどかかりますが大丈夫 治ります・・」 との事でお任せし、軟膏と飲み薬をもらいながら月2回通い、女医さんとの会話も楽しんだ。

 やがて夏が来て8ヶ月目が来た。 あの学生時代から寄生していた居候が追い出され完治したのだ。 先生は凄い! まじに尊敬した。  

 水虫はあれから今日まで全く姿をみせないから、何処かほかへ居候しているに違いない。 

 しかしあの後で女医さんがオレの頭を見ながら 「ハゲに効く薬もありますよ・・」 と言われた。 しかしなぜか ハゲに・・ に反発してか  ムッとなり?  腹の虫の居所が悪かったのかそのままで終わってしまった。  

 あれから20年 毎朝 ますます光り輝く頭を見ながら、尊敬してたのになぜハゲ薬も頼まなかったのかとしみじみ後悔・・ 夏が来ると思い出す。

・水虫が居候する足痒し

・水虫に女医の薬が殴り込み

・完治してあの水虫よさらばなり

・後悔も先に立たずの禿薬 頑爺

繁る南公園のメタセコイア

南公園で 老人と老犬

 

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覚悟

2020年08月07日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月7日(金)26/36℃

覚悟

 両目の3ヶ月定期検査の為 眼科病院へ行ってきたが、全く問題なしでホッとする。 昨年の今頃は両眼を別々に手術し、各1週間入院していた事を想う。
 
 次々とメガネを変えてみたが、それまでの眼科では何年も通いながら視力回復は加齢もあり不可能と言われ諦めていた。 0.06だった右目が手術後 今日も検眼してもらうと裸眼で1.2なんだから未だに信じられないぐらいだ。 覚悟して手術して本当によかった。
 
何かにつけ加齢だからと医師は片付けるが、血圧も160以上だったのが、今のかかりつけ医の処方により120前後と安定している。
 
 しかし少し暗い話しもある。 膵臓に・・?? と半年前に人間ドックの後で経過観察をと言われ、今月末にMRI検査等してYCHで専門医に診てもらう。
 
 もしも膵臓癌なら受け入れ、治療はせずペインコントロールをしてもらいながら静かに余命を過ごそうと覚悟を決めている。 
そう覚悟を決めたら穏やかなものだが、人間最後はそう上手く自分で決められるものではない?
 
 いつも思うのは、3年前の風呂上りに急に頭が痛くなり風邪かと早く寝ようとしたら、家人が市民病院の夜間外来に連絡を取り車で送ってくれたが、血圧が220 え? CTに入ってすぐに意識不明になり、救急車で国立病院へ搬送され、緊急手術で一命を取り留めた。 急性脳硬膜化血腫であと30分遅れていたら死んでたと言われた。 1ヶ月の入院中に人生観が変わった。 
 
 突然に何があってもあるがままに運命を受け入れる覚悟を持ちつ、日々を大切に悔いのない生き方をしていきたい・・ と。
  
 周りの迷惑も顧みず一人暮らしをお願いしたのも、最後に悔いのない自分らしい生き方で人生を終えたかったからだが、ここまで支えてくれた大切な人たち一人一人に感謝しつつ穏やかな余生を過ごしたい。  
 
・まさか目が裸眼で見える不思議さよ
・人間の命は自分で決められぬ
・我が人生自分らしくと生きる道
・心込め感謝の気持ち捧げつつ 頑爺
 
今日は暦の上ではもう立秋とか 独り居となり早や一年が過ぎた  南公園から見る空も何となく秋の空のように見えるが暑さはこれからが本番だ
 
コメント (2)
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散髪と平和

2020年08月06日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月6日(木)25/35℃

散髪と平和
 
 いつもの散髪屋にいつもの理容師を相手に出かけた。
暑いから丸坊主にするかな!?  理容師は「冗談でしょ!」と言いながら、いつもは勝手にいつもの散髪を始めるが今日は違った。
 
「いつもそう言われるので考えたんです  角刈りにしたらどうですか?  いくら髪が少ないからと言っても最初から丸坊主では周りの皆さんが何事かとビックリするでしょうからね・・」 と新提案だ。
 
あの慎太郎刈りか? 「古いですね」 ほっといてくれ! 「両側を望みの坊主にして上だけ残すのです  新型ですよ」  あのねー あの何とか言う芸人!? 上だけちょっと申し訳程度に髪を乗っけたような芸人がいるけど、あれか? 「まあー そんな感じですかねー 」  オレをチンドン屋にするな!  そんな笑いもんになるより、光り輝く坊主のほうがひょっとして食えなくなったら托鉢もできるしな・・ と笑った。
 
 それより毎回来るたびに少なくなっていく髪なのに割引はないのか?  「それじゃー 坊主にしたら無料になるじゃないですか・・」  ふと横をみるとサザエさんの髪3本の父さん頭の人が頷いて笑ってた。
 
「今度移転するんですよ またご贔屓に・・」 そうなのか・・ 何年ここでやってきたのかな?  「親父がここで始めて40年程ですから  もう古くなったんで新しくと・・」  そうかオレはまだ生まれてなかったかな・・  「え!  親父より年上でしょう?」  バカ! そこは客商売だからそうストレートに言うな・・ しかしそれはおめでとう!  
 
「今日は特別サービスがありまして・・」 なんだ?  すると奥から若い美人のお嬢さんが出てきて髭剃りを始めた・・  嫁さんか?  恋人か?  「へへへ・・」   
優しい美人の手触りを味わいながら? 髭もきれいに剃ってくれた。  
刈る髪もないのにいつもこんな会話を楽しみに散髪屋へ通う。
  
平和な街の平和なひととき・・  
太平洋戦争末期のこと、自分が生まれて半年後に落とされたあの広島原爆・・ 今日はその原爆の日。  静かに犠牲者のご冥福を祈る。
 
 昭和20年の終戦から75年  同じ年に生まれ、生きてきたこの期間に日本国内で少なくとも戦争はなかった。  
バカな話を散髪屋としながら笑いつつ、この当たり前のような平和な社会がいつまでも続くことを切に祈り願うものだ。
 
時を告げる南公園に平和の鐘が鳴る
 
   
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夏マスク

2020年08月05日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月5日(水)25/36℃

夏マスク 

 久しぶりに外出した。 予報は36℃との事だが、アスファルトの照り返しもあり外気温は既に40℃を越えていそうだ。

 何しろ暑がりの寒がり屋なので、夏は汗が止まらない。 新陳代謝がいいんだな! と言われるが善し悪しだ。

 そんな中 外を歩くみなさんはこの炎天下の中でも見事にマスク姿でコロナ禍を防止されてる。  この真夏の光景を昨夏に誰が想像しただろう?

 今頃は東京オリンピックで世界中が沸いていたであろうと予想しても、誰もこの真夏に万人がマスク姿の異様な光景は想像もできず、まさに世界が一変したパラダイムの転換だったが、これから自分たちの生活は、日本は、世界はどうなるのかな?   

なーんて考えながら歩いていたが、余りの暑さと汗だくに木陰でマスクを外し、タオルで顔の汗を拭いて一休みしていた。

 すると前から自転車に乗ったオッサンがやってきて、急に目の前でワザと大きな咳をし、これ見よがしに睨みつけて行った・・ なんだ!?

ケンカ腰のその横暴無礼な態度に何事かと思ったが・・ そうか!  一時マスクを外していたからかと思ったが、周りには誰一人いないのだが・・?

 最近は自称・自主防疫警察? なる者たちがマスクを付けてない人に大声で注意したり、暴言を吐いたりしてトラブルになるケースが多いとTVで見たが、気持ちは分かるものの何ともやりきれない世の中になったものだ。

マスクに穴をあけてストローで水を飲んでる人もいるとか?

 汗が収まったのでまたマスクを付けて歩き始めたが、来夏はこんな光景は見たくないものだ。

 どうも世の中がギクシャクして気持ちが落ち着かないが、これはコロナ禍のせい、暑さのせい、閉塞感のせい、政治家のせい、それとも頑固爺じいの性分のせいかな・・?

・真夏日に万人マスク異世界に

・汗拭いマスク外せば睨まれる

・飲み物はマスク穴あけストローで

・夏マスク来夏は誰も見たくない 頑爺

南公園の散歩道から

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列車旅

2020年08月04日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月4日(火)24/35℃

列車旅
 
 先般 今夏の日本一周「青春ローカル列車の旅」をコロナ禍の拡大と豪雨災害の為に中止としたが、壁一面に貼った旅程を見ると、今日は北海道から青函トンネルを抜け、東北・日本海側を走ることになっていた。
 
 話は別だが7月20日の朝、列車旅の代わりにと「江戸・西国街道歩き旅」の初日として早朝 起点の東寺へ行く為JR京都駅にいた。
 その時1人の同世代の紳士が旅行バックを手に駅員と話しているのを聞いた。
「今日から青春18切符が使えるとの事だが、初めてだがこれで1日中乗れるんだよね。 これから3週間の予定で北海道から九州まで行く予定だが列車内はコロナは大丈夫でしょうね・・」 とか。  
 
 やはり同じようなシニアがいるものだと嬉しくなったが、あの人は今頃どの辺を走っているのやら?
 関係ない人だが何となく豪雨によるダイヤの乱れに、しかも 鈍行列車の不通や遅延に気をもんでいる自分がいた。
 
 さて 来年は行けるかな?  今夏に強く勧めてくれたかかりつけ医師の 「来年はどうなるか分かりませんからね・・」 の言葉がやけに気にかかる。  
 確かにそれまで先ず元気に生きているのが先決なんだがね・・ 
トホホの年なんだなー!
 
南公園の散歩道から  朝からセミの大合唱団が響く
 
さあー 飛べるかな?  気になって見てたら上手く飛んだ  冒険と安全!   パパのサポートお見事
 
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睡眠時間

2020年08月03日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月3日(月)25/34℃

睡眠時間

 なぜか最近夜の眠りが浅くなった。  夜中に1、2回トイレに立つようになったからかもしれないが、それでも以前はベッドに戻るとすぐに眠れたのにな・・!?
 
 昔 友達が「ウチの爺さん婆さんは朝早くから起き出してゆっくり眠れないわ・・」 とボヤいていたのを覚えている。
 また別の友からは「婆ちゃんが眠れないのか 夜中ごそごそしてて泥棒かと思った」とか・・
 「ウチのじいちゃんは夜明け前から起きて朝刊が来るのを待ってるし・・  全く朝早い年寄りには困ったものだ・・」とか、年寄りの早起きを嘆き話題にしていた。
それが今や全くその当人になってしまった・・ まさに トホホだな!
 
 古希を過ぎるまでは8時間たっぷり寝ないと眠たかったが、今や数時間ウトウトしただけで眠れなくても、この暑い中 歩き旅もできるんだから可笑しなもんだなと苦笑い。 年寄りの体は一体どうなっているのかな?  
 
 まあこれも あるがまま ケセラセラ で眠くなれば寝たらいいし、眠くなければ起きてたらいいし、今は誰にも何も言われない自分の精神衛生上は抜群に良い環境だな・・ と幸せ時間に感謝する。 
 
 昨朝 モーニングコーヒーを飲みながらそんなことをボイスメモしていたら、いつしか眠り自分のイビキで目が覚めた。  
起きたら昼、そろそろランチを作る時間だぞ!  それが済んだらまた昼寝ができた・・   
なんと それじゃ寝過ぎだ!
 
・年寄りの早寝早起き嘆いたが
・眠られずそれなら起きていようかな
・一人居の気楽さかげん昼寝かな 
・年取れば朝寝昼寝に夜も寝る 頑爺
 
南公園の散歩道から  
 
パークカフェのオープンテラスはママ友らでいつも賑やか・・ いいね!
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1粒の麦

2020年08月02日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

8月2日(日)25/35℃ 

1粒の麦

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それはそのままです。 しかし もし死ねば豊かな実を結びます」
これは新約聖書のヨハネ福音書12章24節の聖言葉だが、ロシアの作家ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の本の扉にもこの聖句があったように思う。
 
 真の意味は教会の牧師や神父に聴くとしても、歩き旅をしていると時折り家屋の壁面などにそんな説教句を見かけたりする。  
ただ黙々と歩く間にたまにそんな意味を考えたりするが、聖言葉の真意は別としてこの「一粒の麦」は心に残っている。
 
 確かに麦の粒は1粒のままだが、土に撒かれた時、そこから新しい芽が出てやがて穂となり、たくさんの新しい実が生まれる。  そしてそれがまた新しい実りを次々と生み出していく。  人間は誰でも1粒の麦なんだなと思う。
 
 先日 万博記念公園に行ったが、その時「蓮の池」で縄文時代の美しい蓮の花に見とれた。  日本のハス学者が昭和29年に数千年も昔の縄文遺跡から種を見つけ、その蓮の種子を20世紀の土と水で生き返らせた「大賀ハス」と説明書きにあった。
  
 今やその種子は次々と世界中に流布され、縄文時代の1粒の蓮の種が現代人の我々の心を癒してくれる・・  昔 図書館でアメリカのライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」とあったこの記事を見たことがあり印象深い。
 
 考えてみれば1粒の種の役割の大きさに仰天する。 そしてそれは1人の人間とて全く同じことだと実感した。  
この世に誕生したその時からどんな人間でも使命を持って生まれてきたのだと思うようになった。  
 
 もう間もなくこの世での生を終える年代となったが、オレは果たしてどんなミッションを与えられ、その実りの花はどんなものなのかを知りたいものだ!? 
 
なに!?  知らぬが花だと!
それもそうだな・・
 
・一粒の種から生まれる奇跡あり
・実り種 次の実りに死して土
・俺の種 実をつけるかな枯れぬかな
・人間はみな一粒の種である  頑爺
 
南公園から見る夏の入道雲に、やっと梅雨があけたようだ


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