幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

長崎街道 歩き終える

2021年10月20日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月16日 (土)  21/30℃ 
長崎街道 歩き終える

連日の異常な夏日に汗だくになって歩いた15日間が終わった🥵💦

歩き旅の最後に長崎平和公園を訪ねた。
あの悲惨な原爆投下地を訪れ、改めて平和の尊さを肌で感じる。
一瞬にして亡くなられた多くの方々のご冥福を祈り、今もなお後遺症に苦しむ人々にその癒やしを祈った。

改めて戦争のない平和な世界を心から祈り、一つ一つの表示やモニュメントを見るたびに涙があふれた。
(その日は自分が生まれた7ヶ月後のこと)


次の世代を担う多くの小学生が熱心に説明を受けていた


涙をこらえながら水をかけた

原爆投下地点では思わず空を見上げた



今のこの平和な日本が、先人の多くの人々の犠牲の上に成り立っていることを改めて肝に銘じた
最後に手を合わせ、ここで長崎街道の歩き旅を終える
 16 oct  2021

<長崎街道歩き旅 データ>
(九州小倉・常盤橋から長崎・出島まで)
期間 10月1日~10月15日 の15日間
歩き距離 326.42㎞ (@21.76㎞/日
歩き歩数 445.763歩 (@29.713歩/日
平均気温 31.8℃


「東海道57次歩き旅」は 
(大阪箕面から東京日本橋を経て千葉浦安まで)
期間 ’20 1月~3月の延べ 38日間 
歩き距離  916.2㎞ (@24.3㎞/日)
歩き歩数 124.1万歩(@3.2万歩/日)
          
「山陽・西国街道歩き旅」は
(京都羅城門から九州大里まで)
期間 ’21 1月~3月の延べ 38日間 
歩き距離 936.0㎞(@24.6㎞/日)
歩き歩数 131万歩(@3.4万歩/日)

*いずれも平均気温  9.5℃  
 (やはり寒い方が歩きやすい)

振り返れば去年の1月から初めての歴史街道歩き旅をスタートしたので、その集計をしてみた
(長崎出島から江戸日本橋まで通して)
歩き期間 区切り延べ 91日間
歩き距離 2178.62km   (@23.94km/日)
歩き歩数 2.996.763歩  (@32.931歩/日)


コメント (11)
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江戸・長崎街道歩き旅(15日目)完歩

2021年10月17日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
1015日(金) 
 22/31℃(長崎市宿町網場道)
(15日目)長崎街道
  網場道ー日見宿ー長崎出島 (到着)

<行程>
<網場道ー日見宿ー長崎・出島> 
 網場道ー腹切坂ー継場跡ー日見宿㉔ー歯痛観音ー梨の木茶屋跡ー亡塚ー日見峠ー馬頭観音ー文政道・シン峠ー本河内高部貯水池ー追分石ー青銅の塔ー蛍茶屋跡ー一の瀬橋ー古橋ーシーボルト通りー威福寺ー諏訪神社ー高木作右衛門屋敷跡ー長崎奉行所立山役所跡ー英語伝習所ー長崎会所跡ー末続平蔵宅跡ー桜町老屋敷跡ー唐通事会所跡ー医学伝習所跡ー高島秋帆宅跡ー本木昌造宅跡ー長崎奉行西役所跡ー海軍伝習所跡ーイエズス会本部跡ー出島オランダ商館跡ー出島ー長崎街道・起点地到着

さあいよいよ長崎街道歩き旅も最終日となった 感慨深い
予想外の暑さのため、予定した日数より2日間も多く15日間を要したが、大きな問題もなく最後まで無事に到着したいもの

15日目の出発地は、昨日歩き終えた網場道(あばみち)からで、人によれば日見峠越えは長崎街道随一の難所と言いプレッシャーがかかる

ところが昨夕ここまでとしたその場所へ戻るバス便が難しく、ホテルのフロントやバス停の人に、また来たバス4台の運転手に次々と聞いてやっとたどりついた👌😆

さあ長崎街道歩き旅も最後の出発日だ 
腹切坂から朝日に輝く橘湾を遠望しつつスタートした









「日見継ぎ場跡」は旅人の休み処だが、当時は歩く町人や武士らから重宝されたであろう 
この辺から上り坂となる











日見峠へ向かう上り坂が結構きつい


ナビは近道を教えるが、これも足にくる



この道の左右に民家が連なるが、車も入れず年寄りには厳しい坂道だ


これはスマホナビのルートを示すが、クネクネと坂を上る



これが本来の街道だが、参勤交代の大名行列もシーボルトもこのような所を通ったのかと思うと感慨深い



眼下に芒塚(すすきつか)トンネルを見る





昔の旅人が見たらビックリするような高速道路







この辺りに茶店でもほしい所だが・・・
汗だくに一休み



馬頭観音かな



日見峠に着いた 確かにきついが、冷水峠のような山の中でのワイルド感がなく舗装道が現代的で味気ない
峠表示の右が旧道、左が新道とか








余りに険しい峠越えの為、地域の有力者らが協力して山を切り開き新道を作り通行料をとったとか それが広い新道のようで右の道が旧道



当時の道はどんなであっただろうか? 









ここは茶店があった所 健脚人も一休みしたいような所だ 長崎から江戸へ向かう旅人はここが最初の茶店であったようだ






これらの石垣は当時からのものか、それとも後のものか分からない?



舗装路や電信柱が現代道を語る

日影がなく 30℃越えの街道は暑く 汗が流れる











当時は土道だから雨天の時は歩き辛かったに違いない

 
峠を越えて里に下るとダム湖が見える




長崎市街へ下ってくると、その山肌に沢山の家が建つ この坂道を上り下りする人達は毎日大変だと実感









これは墓地 お墓も山の上まで沢山連なり、老人のお墓参りなどを想像して大変さを思う




やっと峠を越えて里に下る 路面電車が懐かしい

江戸時代 その当時を知るシーボルトの功績を探る


ここはシーボルトの宅跡 しばし休憩しつつその面影を探る 江戸時代にこの長崎から江戸まで歩きながらの見聞録は当時の日本を知る上でも面白い




シーボルトの銅像から見た反対側の景色


シーボルト邸跡(国指定史跡)に立ち寄った後、その隣りに建つシーボルト記念館を見学し、更に江戸時代の姿を知る
シーボルトはドイツの医学者 文政6年(1623年)に出島和蘭商館医として来日 塾を開き多くの門弟に西洋医学や学問を教え、一方では門弟の協力を得ながら日本各地の調査研究をし、その成果をヨーロッパへしている



長崎の街に入り、街道と関わる名所旧跡を訪ねる





これは当時の長崎奉行所を再現したものとか TVの遠山の金さんを想う






さあいよいよ長崎・出島に到着だ 
門番に入門を検められ、当時の出島の様子を忠実に再現したという町並みを見学する タイムスリップするようで旅人の自分がやっと辿り着いた長崎を実感する













出島の旧神学校とか

「史跡 出島和蘭商館跡」を長崎街道の到着地とし、あの小倉・常盤橋を起点地とする東西の起点地を結び歩いてきたので旅の完歩と確認した
出島和蘭商館跡を見る

それぞれの歴史を語るには長い文言が必要だが、徳川幕府 鎖国時代に唯一海外との交易を図り新しい学術や文化が伝えられた場所だ
 また出島和蘭商館長は毎年、長崎街道、山陽・西国街道、東海道を経て江戸幕府に参上し多くの貢ぎ物をしていたが、その各街道を自分が歩き終えたので余計に感慨無量だ それにしても昔の人は健脚で驚く

長崎街道終着の地碑をみて確認、とうとう長崎街道を完歩できた



完歩に浸りながら夕暮れの長崎の街を散策 江戸町商店街へ











出島の港に出てみた


ハワイのサンセットクルーズを思い出す









大浦天主堂は18時までだが、17時半で入場券売り場が閉まるとか 残念!




グラバー邸も同じで中に入れなかった 残念!








偶然だが、今日の宿は長崎市庁舎第3別館という古い建物の前に建つホテルだが、その地名が江戸町とあり最後の締め括りとして印象に残った




ホテルで一日の汗を流し、着替えをして完歩できた自分の足腰体に乾杯をしようと、出島の海岸沿いに出かけてみた  
暑かった日中と比べ随分と涼しくなった夕べの散策を楽しみ、海辺のオープンレストランで今回初めてのデイナーを楽しんだ






あれだけ食欲がなかったのに、完歩できたと思うと存分に食べ飲みながらこの暑さに閉口した15日間の歩き旅を振り返った 
当時の旅人はこの半分ぐらいの日程で長崎から小倉まで歩いたというから凄いことだ



暮れ行く港町の雰囲気を楽しみ、ほろ酔い気分でホテルに戻り、支えてくれた皆さんに感謝と共に完歩の報告をし、達成感に浸りながら夢路についた 
ありがとうございました 皆さんに感謝です🙏





(15日目)20.14㎞、27.675歩
   累計(352・24㎞、48・08万歩)

この15日間の累計距離 
 352・24㎞   48・08万歩 
1日平均
 @23・48㎞ @3・21万歩

この間の気温 平均 31.8℃

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江戸・長崎街道歩き旅(14日目)

2021年10月15日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月14日 (木) 
 24/32℃(長崎県諫早市多良見)
(14日目)長崎街道
 市布ー矢上宿ー網場道
(予定)
<市布ー矢上宿ー網場道> 
 市布ー長正寺橋ー領境石ー役行者神社ー清藤橋ー八郎川ー腹切坂の墓標ー教宗寺ー矢上神社ー大楠ー役屋敷ー番所跡ー矢上宿㉓ー濱大王ー領境石ー腹切坂ー網場道


いよいよ長崎街道歩き旅も終着に近づいてきた
昨日ドタバタしたけれど、こんな時ほど気持ちを奮い立たせて前向きに前進のみと鏡の自分と対峙し笑う😆

食欲不振だが、歩く為 ホテルの朝食を無理してでも食べ満腹に👌 
食べようと決めたらしっかりといつも以上に食べれるではないか😂

あまり眠れていないし、熱中症気味だし、薬ケースを紛失して1週間になるが大丈夫か? と体に聞くが、勿論OK👌だと力強い返事😂
(本当はそれではいけないのだろうが、人様にご迷惑をかけないように最善を尽くすのみだ)


ありゃー マリリン・モンローさん お久しぶりですね 
昔は映画をよく見ましたよ 今はこの田舎町で中古車の宣伝ですか?
懐かしくまたハリウッドの映画を見たいものです 元気をいただきながら出発🤣

昨日歩き終えた市布駅へ向かうが、これもローカル時間で喜々津駅から先の普通列車は60分後と聞き、歩くことにした 
(結局歩くより待っていた方が早かったようだが構わない)

選挙が近いようてすね 日頃会う事が無いような人、しかも政党党首と会いました



いよいよ長崎県に入った



長崎街道と同じ道 九州自然歩道を行く



江戸時代の旅人をも癒したという藤棚























江戸・長崎街道を行く





田舎村の街道沿いに椰子の木とは😆










江戸時代に幕府によりこの街道の道幅が定められていたので、道幅を見ると街道か否かがわかる!?


峠の茶店 開店前だった





開業間近の九州新幹線西ルートが見える

これは長崎街道を横切る高速道路 この村も変わりそうだが恩恵はあるのかな?







小鳥の診療所 ニーズがあるのだな



矢上宿に着く 矢上神社を中心に宿場が広がるが、昔の面影はない












腹切峠(はらきり)の網場道に着いたが、ここから長崎街道難所の一つ、日見峠道へ入る 時間は14時半だが行くか明日にするか迷う







どんな難所かわからないが、もしもの時に道に迷い暗くなればとても野宿などできない 
躊躇したが明日朝1番で峠越えをすることにして、今日はここまでとした

今日はちょうどバス停が近くにあり30分ほど待てばバス終点の長崎まで行けそうだ  昨日は懲りたのでこれにして予約ホテルに入れた



(14日目)21.26㎞、29.303歩
     累計(306.28㎞、418.088歩)

明日はいよいよ最終日だ
難所の峠越えを前に体調を整えねばと、熱い風呂で体を癒し、早々にベットに入った😴💤


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江戸・長崎街道歩き旅(13日目)

2021年10月14日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月13日 (水) 
 24/32℃(長崎県大村市)
(13日目)長崎街道
 大村ー永昌宿ー諫早ー市布

<予定>
<大村-永昌宿ー諫早ー市布> 
 大村ー長崎街道ー長与俊達墓ー観音像ー野田神社ー狼煙場跡ー番所跡ー日置峠ー白鳥橋ー大神宮ー渡辺伝弥九墓ー駕籠立場跡ー鈴田峠ー国境石(弁慶の足形石)ー番所跡ー大村街道ー破籠井ー岩茶屋跡ー追分石跡ー永昌問屋場跡ー永昌宿㉒ー伊藤鼎之介墓・道祖元ー東大川・佐代姫橋ーお馬ノ水ー茶屋橋ー旧茶屋跡ー赤松坂ー久山茶屋跡ー大乗軽典六十六部塔ー一里塚ー郡境石ー峠の茶屋跡ー駕籠立場跡ー椎の木坂ー井桶尾茶屋跡ー領境石ー藤棚茶屋跡ー市布s

今日は昨日歩き終えた長崎県大村から出発だ
旧円融寺庭園(国指定名勝)、大村護国神社を経て近くの武家屋敷「旧楠本正隆屋敷」を見て後、旧道から鈴田峠に入るが山道の上りに汗だく

鈴田峠が大村藩と佐賀藩諫早領との藩境で大石があるはずだが道が見つからず断念 残念なり
大石(支石墓、別名弁慶の足形石)
峠を下り、途中大渡野番所跡があるという

今日は空がきれいだ 相変わらず夏日で暑いが 秋空だ


大村の図書館、歴史資料館はすごい






9時からの開館で入れず先を急ぐ










長崎街道の坂道を上れば大きな病院があるが、この坂道だけでもう上から下まで汗まみれだ💦 今日も暑い🥵








活水女子大学 (後でナビを叱る)


近くでドクターヘリを初めて見る




街道を上り山道に入るとまた迷う?





土地の人に道を尋ねるが、もう昔の道でないのではとか? 




今日のランチ 無人販売所でみかんを買う
100円で8個あり満腹😆 最近食欲がなかったので口に入りやすかった👌
















峠道から見る雲が今日は目を引く
夏の雲 秋の雲 雲は動きがあって自由に形を変化させ 見ていても飽きることがない








結局 山道の入口がわからず、仕方なく国道を遠回りすることにして里に下る










諫早の町に入り岩茶屋跡を経て、永昌宿跡に着くが探し回った 
宿場の表示物は1つもなく、その地域により宿場の保存管理PRに大差を感じる








これは秋の鱗雲かな




こんな刈り入れの風景が好きだ






鱗雲が夏雲に追いやられているようだ?

今日は雲の動きが面白い 




マンホールの蓋デザインが市町村によって異なるのは面白い










この単線はJR大村線、無人駅が多くワンマン電車だ






きれいな蝶々か? 蛾のようだな?




今日は空ばかり見て歩いている😆

下を見ればその土地のマンホール蓋が気になる



坂の上の大学、学生たちが汗を流しながら上ってくる ご苦労さん 暑いねー



やっと今日の目的地の1つを探し当てた






長崎街道永昌宿はこの石碑一本だけだったが、探すのに半日を要した😭




















今日はここまでとして最も近いと言うJR長崎本線の市布駅へ向かう
駅は無人駅 この時間帯は1時間に1本で、出た後だったので待つ

近くに泊るホテルはなく、やむなく大村駅前に予約 (この後、ホテルに入るまで3時間以上もかかるとは夢にも思わなかった😭)

今日は秋の空と夏の空のせめぎ合いのようで、秋の雲と夏の雲もお互いに張り合っている感じだったな🤣

長崎街道を歩き始めて13日目、すべて30℃以上の夏日だが、来週からは一気に涼しくなるとの予報に がちょん と来る😵





(13日目)  27.02㎞、36.772歩
     累計(285.02㎞、388.785歩)

<今日のドジ>
(沢山あり記録用として記す😭)

① 今日の予定を地図で確認しGoogle マップに入力してスタート だが登ってから日置峠は通行止め  もう朝から汗だくだ
② 次の鈴田峠は入口を間違えたのか?
地元の人に聞いてみたが、昔はあったよーだがとの曖昧な返事? やむなく危ないので国道を使う(事前調査不足)

③  長崎街道に沿い、丘の上の国立長崎医療センターを経て活水女子大学の中に入った 
(これはGoogleナビの指示だ)
たがそこはロープが張られ女子寮の庭となっている😵
おいおい いくら爺とは言えまだ男だぞ
この格好で写真を撮りながら女子寮庭の中に入ればすぐに御用となり、盗撮か痴漢容疑か? やめてくれ😭
ナビを消して勘で遠回りして出たところが、確かに女子寮のうらの道だ ナビは近道のつもりで案内しただろうが、人間社会のルールを教えねばならぬなぁ😩

④  1日の予定を歩き終えJR長崎本線の市布駅にやっと着いた 疲れた ここも小さな無人駅で自分一人、案の定 次の電車は待つ事一時間😭  もちろん周辺に泊まるところはなく、また大村駅前に出ることにして予約した 

やっと電車が来て乗り、諫早駅で大村線に乗り換えねばならない だが何を勘違いしたのか思い込みなのか? もうそろそろ乗り換えの駅かなと思ったら、もう3つも過ぎていた ありゃー 

すぐ降りた駅が小江駅、その駅がまた小さな無人駅で自販機1つない 戻る電車時間を見てまたびっくり 1時間以上後 まさか? だがよく見たら朝9時の次は昼過ぎの2時まで5時間もなくそれでなくて良かったと変に安堵?

暗くなる駅のホームに座る所もなく一人、一時間待ってやっときたかと思ったら特急が通過していった まさか? だが不安になった頃にやっと遅れて暗闇から普通電車がやってきた トトロのネコバスを思い出した😵‍💫

ホッ! だが乗り換えの諫早駅に人が多い? なんでも事故があったとかで大幅に遅れているとか また待つ 笑うしかない

予約したホテル時間を変更変更してもらいやっとベットに入ったらバタンキュー😴💤  スマホも充電器もiPhoneウォッチも全て赤ランプでオーバー 

⑤  夜中に起きた 明日着る服がない 持ってきた服全てが汗まみれの汗だくでとってもだめ🤬 仕方なくホテルのコインランドリーへもっていく ドラム式で仕上がりは約130分後、仕方なくベッドへ ウトウトして引き取りに行くと、大量だったのか半乾き、仕方なくもう60分回す
そろそろ夜明けだな😵‍💫

不器用さと段取りの悪さは天下一品、よく怒られたものだが治らんな😭
毎日こんなドジばかり😩
まあいいか ケセラセラ♪♪   歌うしかないかな🤣

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江戸・長崎街道歩き旅(12日目)

2021年10月13日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月12日 (火) 
 24/32℃(長崎県東彼杵郡千綿)
(12日目)長崎街道
 千綿ー松原宿ー大村宿

<行 程>
<千綿-松原宿ー大村宿> 
 千綿-大村湾ー旧道ー芝取石ー駕籠立場跡ー江の串橋ー江串三郎入道塚ー千部塔ーR34ー餅の浜踏切ー鹿の嶋弁財天ー旧松屋旅館(江戸小休憩地)ー松原宿⑳ー八幡神社ー郡川ー庄屋屋敷跡ー牟田家ー福重橋ー長崎 兵衛の墓ー極楽寺跡ー聖宝寺跡ー首塚ー胴塚ー八坂神社ー千葉卜枕屋敷跡ー獄門所跡ー斬罪所跡ー放虎原殉教地ー追分石ー妻子別れの岩跡ー鈴田牢舎跡ー正法寺ー観音寺跡ー水主町口石垣跡ー脇本陣ー高札場跡ー本陣跡ー大村宿㉑水主町口ー本町アーケードー軒灯籠「長崎街道大村宿」ー八幡神社

今日は曇り空 だが予想以上に気温が高く蒸し暑い💦
昨日歩き終えた無人駅のJR大村線・千綿(ちわた)駅から今日のスタートだ
絶好のロケーション   だが今日は曇天 お天気も良かった昨日にもっと撮っておけばよかったかな😆





可愛い無人駅、駅前にコンビニ1つない


大村湾が穏やかだ











稲刈りが終わり、この地域は昔ながらに天日干ししている光景が秋らしい

長崎街道を上る















峠からみる大村湾








再び下り、JR大村線踏切から海辺へ














松原から旧道を歩くと旧松屋旅館が見えて来る 江戸時代に休憩所として利用
松原宿は規模の小さな宿場で本陣や脇本陣がなく、諸大名が通行するときの小休憩所地だったようだ














松原宿の宿場に入る








































郡川を渡り国道を経て皇天宮、原口一里塚跡を過ぎると首塚跡がある

更に胴塚跡、獄門所跡、また斬罪所跡、妻子別れの岩跡、鈴田牢舎跡といった凄惨なキリシタン殉教史跡が続く 
天文18年(1549年)日本にキリスト教が伝わり、領主・大村純忠が日本初のキリシタン大名となり領内の布教を強く支援したことから領民のほとんどがキリスト教に改宗した 

しかし、豊臣秀吉、続く徳川幕府もキリスト教の禁教政策により改宗を厳しく迫られたが、隠れキリシタンとなり信仰を続けた人々406人が打ち首獄門となったという悲惨な歴史跡をみる


















大上川を渡り宿場の出入り口を示す「大村宿水主町口」の標識を経て脇本陣跡、本陣跡の標識を見るが、商店街の片隅に表示板だけで宿場時代の面影は無い




大村宿の宿場に入る

































(12日目)  21.08km 28.508歩
     累計(258.0km 352.013歩)

今日のドジ的気分😵‍💫
考えてみたらこの12日間、休みなしで毎日20キロ以上を歩いていたが、歩く事は問題ないが、この連日30℃以上の真夏日を歩くのは想定外🥵💦

ぎっくり腰からほぼ回復し、足腰肩も当初ストライキを起こしていたが徐々に立ち直り今は快調😃

問題は暑さによる水分補給過多で徐々に体調がおかしくなり、冷たいビールは飲めても珍しく食欲不振😩
時に頭痛とふらつきで熱中症か?
そうなれば大変と休み、よって今日は15時で歩き終えホテルで休養

まあこんな日もあるさ😆
それに今日は大村のキリシタン弾圧の凄惨な現場表示板を読み、その当時の現場に立ち、気分が落ち込み、さらに疲労を加速させたようだ😭 
人間はなんと惨いことをするのか・・・  これを書き出すとキリがないからもう寝よう😴💤

今日のランチは97円の露天みかん12個、食欲がない割によく食べたなぁ





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江戸・長崎街道歩き旅(11日目)

2021年10月12日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月11日(月)  
24/32℃ (佐賀県嬉野市嬉野温泉町)
 (11日目) 長崎街道
<嬉野宿ー彼杵宿>
嬉野温泉街ー東構口跡ー豊玉神社跡ー丹生大明神ー平野渡し場跡ー俵坂関所跡ー領界石ー東彼杵ー俵坂峠ー愛宕神社ー彼杵神社ー彼杵宿ー大村湾ー千綿

(しかし今日も沢山写真を撮ったものだ😵‍💫
整理下手なので、できるだけブログに収録)

シーボルトの湯は公衆浴場なのですぐに誰でも入れるが、朝は静かだ


無料の足湯場 まだ誰もいない



嬉野宿と温泉街を抜けて長崎街道に入る





轟の亀公園 面白い名前だ





秋の風景を楽しむ 
といっても気温は30℃越えだ💦







谷間の集落が大水害に遭い、多くの被害者を出したと言う碑が建つ





その谷川を渡る江戸時代の渡し場跡



全く人一人見かけなく、野に咲く花に きれいだねぇ すごいなぁ とか話しかけて1人で喋って楽しむ 人が見たら徘徊老人だと思うだろうなぁ🤣








いくつか峠を越える







江戸時代の関所跡に着く
周囲の地形を確認して納得





また野の花とお喋りしつつ峠を登り降りする















いよいよ佐賀県から長崎県へ入る


地滑りか? よく見れば長崎新幹線のトンネル工事のようだが、もうすぐ開通か?








今日街道で初めて人と会う こんにちは😃




遠くでピーシャラピーシャラ御神楽が聞こえてきた 秋祭りかな


嬉野産茶畑が広がる




重の城址は谷間の向こうの山にあるらしい




どんなに人間様が暑くても、野の花は季節が来たらしっかりと美しい花を咲かせる

国道と長崎街道が並行する

峠を越えてふっと視界が広がり、遠くに大村湾を望む 海だ😵




収穫後の畑が広がる



大村に入るとキリシタン弾圧の史跡が随所に見られ心が痛む

彼杵神社に着く 彼杵宿本陣跡だ



大村湾に着く 久しぶりに見る海だ




松ポックリが沢山!



歩き旅の疲れが一気に吹っ飛ぶ きれいだ


いつまでも眺めていたい




鯨肉倉庫なんて? その昔を想う








JR大村線が大村海岸沿いを走る
その横を長崎街道と国道が並行する
撮り鉄には絶好のロケーションが続く
しばらく待っていたが暑くて降参🥵






迂回路を上り下りし街道を歩く

















今日はここまでとする 千綿(ちわた)駅舎
近くに宿やホテルがないので大村駅前にて予約



 
(11日目)   21.7km. 29.572歩
   累計(236.92km. 323.505歩)

汗だくでたくさん沢山歩いたつもりだが、峠の上り下りと、草花と遊んでいて時間をとったのか? あまり距離が伸びないなぁ

今日のドジ😭 薬箱をどこかに落としたか、ゴミと一緒に捨てたか? いくら探しても見つからない 何度も一休みをしながらリュックの中を触っていたので、どこかに落としたかな⁉️ 
トホホ😫

血圧、コレステロール、腰痛、咳止め、膝関節漢方薬、目薬・・・数えたらいろいろあるなぁ😂
いざとなれば「幸齢者保険証」もあるし、何とかなるさ 今日は道も間違えドジばかり   まあこれも年相応に生きていると言うことだなー 
ケセラセラ♪♪♪

半ボケとストレスには特効薬🍺があるし🤣

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江戸・長崎街道歩き旅(10日目)

2021年10月11日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月10日(日)
 22/33℃(佐賀県武雄市)
(10日目)長崎街道
 武雄温泉ー塚崎宿ー嬉野宿

<行 程>
<武雄温泉―塚崎宿ー嬉野宿> 
 武雄温泉口ー塚崎宿⑰ー本陣跡・脇本陣跡ー代官所跡ー高札場跡―牛鼻山善念寺ー下馬地蔵ー五輪塔ー薬師堂ー石橋ー渕の尾峠ー渕の尾水源地ー老松社ー中修寺橋ー末広橋ー東川登公民館ー越川橋跡ー貴船神社ー藤津郡塩田町ー小田志追分石ー嬉野追分ー明元寺山門(上使屋の門・本陣)ー嬉野宿東溝口跡―継場跡ー本陣跡ー嬉野宿⑱

人は毎日厳しい暑さの中 汗まみれで重荷を負うように歩き、何故に苦行か修業のような事をしているのかと言うが、
だが瞬時に思う事は、自分は究極の贅沢旅をしているのだと言うこと😆

夢に見た籠の鳥から大空に飛び立ったのだ・・・ 実感として伝えにくいが、自分の意思で思いのまま自由に采配ができ、自分らしい最高の生き方をしているのだから、
こんなありがたい感謝と幸せの日々は無いよ😂🤣

今日は武雄温泉口から山間部を抜けて嬉野温泉口へ向かう 温泉好きな人にはいいコースだろうなぁ🤣

(写真をたまに誉めて貰うがiPhoneスマホでパチパチ撮るだけ。
便利だが説明文をつけたくも歩きながらは難しく、宿に着いては疲れ眠たく、やはり後でゆっくり追記とする🙏😭)

武雄温泉郷 塚崎宿からスタート


















これは小学校の門


















この草花なに?




市や町が変わるとマンホールの蓋が変わるので面白い いろんなデザインがある






今日も33℃ 西へ歩くので太陽がまとも🥵




またハプニング なんと充電器のバッテリーがゼロ😵 いつもの空中給油ならぬ歩行給油ができず、スマホが残り電源2%  緊急電話用に残しておかねば 又山道で迷子だー😭 
昨夜充電した思い込み😭




既に道を間違えとんでもないところを歩いているようだ⁉️ 周りに人もいない
たまたま見た地域のバスはなんと朝8時5分の次は15時5分の7時間空きとは😵






徘徊老人が行く⁉️🥵🤣




何とか遠回りしながらも頼りない感で嬉野市に入る インターチェンジの駐車場でやっと管理の人に会え、親切丁寧に教えてもらい、室内で嬉野名物のおいしいお茶をいただき、嬉野の宿に着くことができた😂





















(10日目) 24.77km.  33.850歩
   (215.22km.  293.933歩)

昨夜バッテリーの充電をしたつもりが忘れていて、いつもの思い込みと勘違いで危うく山ノ中で徘徊しそうになったが、人との交わりと温かい人情に救われ涙した😭

スマホや地図がなくても何とか人との交わりさえあれば、目的地まで旅が続けられそうだと変な自信がついた👌🤣

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江戸・長崎街道歩き旅(9日目)

2021年10月10日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月9日 (土) 
 17/31℃(佐賀県杵島郡江北町)
(9日目)長崎街道
 小田ー北方ー塚崎宿ー武雄

<行 程>
<肥前山口ー小田宿ー北方宿ー武雄> 
 肥前山口ー田園地帯ー小田宿⑮ー追分石跡ー伝馬屋敷跡ー馬頭観音堂ー大ケヤキー旧道ー横辺田代代官所跡ー造酒屋ー恵比須峠ー福母地蔵ー焼米橋ー追分ー六地蔵ー稲主神社ー土蔵重要文化財・土井家ー北方八幡神社ー問屋場跡ー追分石ー北方宿⑯ー大崎八幡社ー高橋ー天満宮・大神宮跡ー享保橋ー田園地帯ー閻魔大王石像ー阿弥陀仏六地蔵ー丘超えー武雄市ー僧庵橋ー夜泣き地蔵・八並の石塔ー武雄温泉口

少し前からスマホの機嫌が悪い
なぜ? 何とかなだめながら使ってきたが、今朝ダウン😵 慌てた😵‍💫

考えたら今の時代毎日スマホに動かされてる感じで、何とも映画じゃないがロボットに左右されてると感じる事がある😫
と言って今更歩き旅を足の向くまま超アナログで歩き始めても、どこへ行くやら糸の切れた風船か凧か😂

だが直前まで昔の旅人になったつもりで何の現代ツールを持たずに歩こうかと思ったが、多分徘徊老人と間違えられすぐに家に送り返されるだろうなぁーと、考え直して息子に連絡した

多分写真の撮りすぎで容量オーバーだから全て消せとのこと
そんな馬鹿な?😭
Googleフォトは消しても写真は残っているからとか⁉️  わけのわからないことでやりとり🤬

だが息子の言う通りにあれこれいじっていたら何とか動き出した😂
(仕事中なのに半ボケ親父に何時間も付き合わせてスマンな🙏)

と言うことで今日は昼前からだが
長崎街道ナビで再スタートだ 
予定地まで到着するかな⁉️




















肥前山口から田園地帯を通り小田宿⑮へ向かう 
小田集落には宿場だった面影はない 

だが馬頭観音堂に樹齢1200年という楠木があり、シーボルトが参府した時の紀行文にこの木のことが書いてあるという

小田横辺田代官所跡を過ぎ、土壁造りの旧家をみる

北方を過ぎ、旧道から稲主神社の先に、土蔵造り風のお屋敷前に
「旧長崎街道 北方宿本陣」⑯表示板があり、説明版があった 

北方宿をあとにして高橋川に沿い歩き享保橋を渡る
田園地帯を歩き小高い丘を越え武雄市に入る

僧庵橋を渡り、旧道を進む 
地蔵堂の横に「八並の塔」があり、虎御前が曽我五郎、十郎の冥福を祈るために建てた石塔婆で室町時代以前のものとか 

諏訪神社を過ぎ、鍵形道路の標石に着くと、長崎街道の各宿場風景の陶板が道の所々に埋め込まれていた 

札ノ辻を曲がり武雄温泉の本陣跡 塚崎宿⑯に着く
  
塚崎宿本陣はこの武雄温泉の楼門を入った湯屋と隣接してあったとか 湯つぼは身分別、階級別に区分されていたようだ 

御前湯は前もって馬の尾で作った細かいふるいでこした湯をたたえた藩主・領主専用の最高級の湯つぼがあったとか

武雄温泉の開湯は約1200年前と古く、武雄温泉新館と楼門は国重要文化財になっている 

この周辺は宿場時代の面影がそれなりに残っている

今日はここまでとして 名湯の温泉に入る と言いたいが、ゆっくりする間もなく疲れ果てバタンキューでベッドだった トホホ!


























































今日は半分は曇り空で歩きやすかった
だが風がなく蒸し暑く余計に汗が出て衣服は汗まみれ 宿にコインランドリーがあってよかったが、乾燥までの1時間が長い



(9日目)22.43km 30.710歩
    (190.45㎞.260.083歩)

武雄の街に入り、偶然本物の蒸気汽関車が置かれた公園に出た しかも自由に出入りができ、子供たちのおもちゃになっている廃車だった。

だが 幼い子供の頃、安曇野の国鉄篠ノ井線と大糸線に蒸気機関車が走っていてその勇姿に憧れ、機関士になる夢を見たものだ。 
車体の歴史を見ると昭和19年製造とある 
20年1月生まれの自分とは同世代だ
幼児の時に見て驚いた車輪の大きさが目の前にあり懐かしかった
機関車の運転席にも自由に入れ、その内部を初めて見て触ってみた
また夢にでてきそうだ🤣















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江戸・長崎街道歩き旅(8日目)

2021年10月09日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月8日(金)
 16/31℃(佐賀県佐賀市)
(8日目)長崎街道
 佐賀ー牛津宿ー肥前山口

<佐賀ー牛津宿ー肥前山口>
 佐賀城址ー善左衛門橋―伊勢神社ー反射炉跡ー八戸地蔵ー高橋ー別れの松ー刑場跡ー喜瀬川(橋)ー追分石(堤家の門内)ー香椎神社ー祇園社ー牛津・千手観音ー正満寺ー高札場跡ー問屋場跡―上使屋跡ー牛津宿⑭ー乙宮神社ー牛津-六間橋ー砥川・牛津大橋(牛津川)ー最勝寺ー砥川小前ー永福寺ー八幡宮ーカンカン石ー石碑石仏(階段上)ー肥前山口

 昨夜は突然の電話にもかかわらず数十年ぶりに学生時代の友人と会え奥さまに温かい歓待を受け、感謝と感激でその後ホテルに送ってもらっても興奮して余り眠れなかった😂

気持ちの良い朝を迎え、佐賀の街を歩き、佐嘉神社から昨夕歩き終えた佐賀城址から今日のスタートだ
(しばし写真の羅列となるが、帰阪後説明文を加筆する事にする)

























































無人店で100円みかんが売っていたので買い、今日のランチはみかん8個😆








































(8日目) 25.87km.35.065歩
   累計(193.89km.264.440歩)

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江戸・長崎街道歩き旅(7日目)

2021年10月08日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)

10月7日 (木)
 23/31℃(佐賀県三養郡中原)
(7日目)長崎街道
 中原ー神埼宿ー境原宿ー佐賀宿

<行 程>
<中原ー神埼宿ー境原宿ー佐賀宿> 
 中原宿ー三養郡上峰ー久留米分岐ー祇園社ー本戦橋ー田手・追分石ー大神宮ーひのはしら一里塚ー櫛田神社ー御茶屋跡ー神埼宿⑪ー浄光寺ー真光寺ー神埼橋ー城原川沿いー新宿ー矢代橋ー六地蔵ー御小休処(御成処)ー境原宿⑫ー原の町えびすー道路元標ー問屋場跡ー佐賀神埼郡境石ー一里塚橋ー溝口橋ー思案橋ー追分石ー高寺(龍造寺)ー龍造寺八幡宮―佐嘉神社―佐賀城ー佐賀宿⑬ー佐賀s

今日は中原宿(なかばる)から出発だ。
時間がないので🥵 
しばし歩いた順番に写真を掲載するのみとし、帰阪後また詳しく楽しみながら書くとして記録として掲載。




































































































































(7日目) 27.35km.37.376歩
  (168.02km. 229373歩)

* 佐賀城址で夕陽を眺めていた
佐賀に着いた 佐賀と言えば彼だ
そうだ電話をしてみよう
コロナ禍でもあり、素通りするつもりでいたが、だが声だけでも聞いてみたい・・・

懐かしい声だ 説明する間もなく、今どこにいるんだ・・・と

何と! 30分後には奥さまと二人して車で駆けつけてくれた まさか⁉️
びっくりする間もなく、ご自宅まで連れて行ってもらい突然にも関わらずまさかの大歓待を受けた

汗まみれ、埃だらけの歩き終えた服を着替える間もなく、旨い酒に奥さまの美味しい手料理をご馳走になり、もう感激と感謝でありがたく涙でいっぱいになった 
まさか突然の電話なのに・・・

学生時代からもう数十年ぶりだ
この感激と感動、嬉しさ、幸せ
またゆっくりと書いてみたい
心からありがとう😂

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江戸・長崎街道歩き旅(6日目)

2021年10月07日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月6日(水) 
 17/32℃(福岡県飯塚市)
(6日目)長崎街道
 原田ー田代宿ー轟木宿ー中原宿

<行 程>
<原田宿ー田代宿ー轟木宿ー中原宿> 
 原田宿⑦ー番所跡ー南構口跡ー(養鶏場)-JR鹿児島本線沿いー国境堰ー佐賀県に入るー三国境石ーけやき台ー猿田彦ー陣屋跡ー上町ー基山ー高島橋ー庚申尊天ー高見橋ー田代宿追分石ー代官所通用門ー田代・八坂神社ー代官所跡ー田代宿⑧ー問屋場跡ー高札場跡ー桜町追分石ー水影神社ー古野・八坂神社ー鳥栖(とす)ー姿見の池ー轟木宿番所跡ー御茶屋跡ー轟木宿⑨ー日子神社ー高札場跡ー問屋場跡ー朝日山城跡ー鳥栖一本松ー六地蔵ー五反三歩池ー太刀洗峠ー中原宿⑩ー祇園社ー泉屋跡(田尻宅)ー松坂屋跡ー大坂屋跡ー旅籠・岡崎屋ー造酒屋跡ー祇園神社ー東寒水ー中原s

今日は旧原田(はるだ)宿からスタートする。
新しく整備され、昔の宿場の雰囲気はない。 (駅前の伊能忠敬像か)










国道へでて歩道に国境石「従是東筑前国」「従是西肥前国」とあるが、ここは福岡県と佐賀県の県境だ 
いよいよ佐賀県に入る




















やがて田代宿の追分石を経て八坂神社の田代宿に着く
田代宿高札場と問屋場の標柱を見て久留米道へ分かれる追分石(薩摩街道の起点地 ここから鹿児島へ向かう道)をみる







おみくじの自販機とは


























長崎街道から日子神社の轟木(とどろき)宿案内板をみて轟木宿に入る
この轟木宿と田代宿とは3㎞ほどしか離れていないが、これは対馬藩(田代宿)と肥前鍋島藩(轟木宿)の境界になっている国境の宿場町として番所が設けられ各々検問が行われていたという




















市街地から安良川を渡り、のどかな旧道を歩く 国道から五反三歩池を過ぎて旧道に入る












やがて「長崎街道・中原宿」の石柱があり中原(なかばる)宿に入る


















祇園社を過ぎ、中原駅岡崎屋御宿の表示を残す家があったが、小さな集落のようだ
今日も暑い一日だったが、無事に歩けて感謝だ。




(6日目)26.82㎞ 36.435歩
       (140.67㎞、191.997歩)

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江戸・長崎街道歩き旅(5日目)

2021年10月06日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
全文消去されたため修復中 ?
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江戸・長崎街道歩き旅(4日目)

2021年10月05日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月4日(月) 
16/32℃(福岡県飯塚市天道)
(4日目)長崎街道
 天道ー内野宿
<行 程>
<天道-内野宿> 
 天道ー寿命ー老松神社ー上穂波―馬出橋ー山間部ー愛宕神社―横山峠ー旧内野宿北構口跡ー旅籠・若松屋ー郡屋ー人馬継所跡など立札ー土蔵の旅籠・肥前屋ー御茶屋跡ー内野宿⑤ー脇本陣・小倉屋ー脇本陣・長崎屋ー旅籠・大黒屋ー酒造り・伊藤家ー西構口ー内野s


今朝は16℃と気持ちの良い涼しさだったが、日中は32℃とその気温差は16℃もあり、体調管理が難しい季節だ。

昨夜 風呂に入ると右足が痛く、よく見ると血豆に靴擦れと関節痛と肩もと・・・つまり足と体のストライキだ😭🤬

ストライキには賃上げが必要と今朝は出発を1時間遅らせ、少しゆっくりめに歩きだした。 ボーナスは少し長めの休憩だ👌😆

天道の町からJR筑豊本線と並走するような長崎街道を進む 




























































内野宿の北溝口跡に着く
内野宿は往時の風景を彷彿させるような落地着いた宿場だが、特別の建物等は何もない




















旅籠・若松屋、集会所・郡屋、人馬継所跡の屋号立札が続く 










今日は体調悪く、足腰の痛みもあり12時前、筑前内野駅にやっとたどり着き半日だがここまでとした。

ところが電車は前は10時40分、次は14時40分と4時間の空き😵😵‍💫 
びっくりなローカル列車だが動けないので待つしかない😭🥵💦

駅といっても無人駅でベンチが1つあるだけの駅舎 駅前に自販機1つもなく参ったなぁ
まぁここは ケセラセラ♪♪♪  歌うしかなさそうだ🤣





近くに宿がなく、電車が来てやっとの思いで予約した鳥栖のホテルに入った🥵💦 
こんな日もあるさ😵 バタンキュー😵‍💫



(4日目)15.05㎞、20.890歩
        (91.13㎞、124.940歩)

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江戸・長崎街道歩き旅(3日目)

2021年10月04日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月3日(日)  
19/30℃(福岡県直方市)
(3日目)長崎街道
 直方ー飯塚宿ー天道へ

<行 程>
<直方-飯塚宿ー天道> 
 直方s-栄永の鳥居―多賀神社ー直方城址ー貴船神社ー岩鼻ー庚申塔ー勝野ー南良津唐戸ー観音堂ー小竹ー地蔵堂ー石柱・長崎街道小休憩所跡(龍徳屋酒店)ー地蔵堂―一里塚跡ー道標・郡境石ー目尾ー鯰田渡ー三軒家ー本町エビス跡ー幸袋ー土蔵造り家屋ー旧伊藤伝右衛門邸ー許斐神社ー建花寺川・二瀬橋ー竹園寺ーー旧街道ーオランダ屋敷ー跡ー納祖八幡宮ー北構口ー問屋場跡ー中茶屋跡―太養宮院ー御茶屋跡(飯塚宿④)ー恵比須石跡ー白水橋跡ー大神宮跡ー飯塚宿南構口跡ー古道ー天道宮ー常楽寺ー天道s

今朝は昨日歩き終えた直方からスタート
直方の有名力士像


遠賀川の日の出大橋から 
3羽のサギが狩りをしている




橋脇のモニュメントが面白い



宝永の鳥居から多賀神社、直方城址へ 周辺には神社仏閣が多い


















第二尾崎踏切から旧道に入り、貴船神社、岩鼻、庚申塔、勝野を経て南良津唐戸へ
長崎街道は狭くなり両脇は野草覆う


















旧道の南良津唐戸水門からR200にでる しばらく長崎街道は国道脇を並行する 横は大きな遠賀川だ




















観音堂、小竹の町の地蔵堂からまた旧道に入り、石柱・長崎街道小休所跡 地蔵堂ー一里塚跡ー郡境石の道標をみる  太陽ギラギラ暑い🥵
目尾から鯰田渡、三軒家、幸袋、本町エビス跡を経て許斐神社へ








































許斐神社の鳥居前から建花寺川の二瀬橋を渡り旧道に入る














この千鳥屋が全国の元祖の店だとか


竹園寺からオランダ屋敷跡、納祖八幡宮、北構口跡、問屋場跡、中茶屋跡ー太養院ー御茶屋跡(飯塚宿④)白水橋跡―大神宮跡から南構口へと飯塚宿が続く




















古道を進み、楽市から天道宮へ








今日も30℃を超え、日中は正にカンカンん照りの真夏日だ。
こんな時にわざわざ炎天下を歩かなくてもいいものだが、水分をとりながらゆっくりと歩き旅を楽しむ🥵🤣

足に違和感があり、無理せず予定をここまでとし早めに宿をとる。

(3日目)27.23㎞ 37.228歩
        (76.08㎞、104.050歩)

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江戸・長崎街道歩き旅(2日目)

2021年10月03日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月2日(土)
22/29℃(北九州市八幡黒崎)
(2日目)長崎街道
 黒崎宿ー木屋瀬宿へ

<行 程>
<黒崎ー木屋瀬宿ー直方>
 黒崎ー黒崎城址ー黒崎の宿場各所ー曲里の松並木ー幸神ー一里塚跡ー古街道の道標ーR200ー引野から旧街道ー涼天満宮ーやから様ー小嶺台2丁目旧道へー立場茶屋銀杏屋ー石坂の急坂階段下るー香徳寺ー馬場山から旧道ー大日如来茶屋ー茶屋の原一里塚跡ー追分道標ー木屋瀬東溝口跡-本陣・脇本陣跡ー木屋瀬宿③―ー郡屋跡ー問屋場跡(野口家)ーみちの郷土資料館ー木屋瀬宿記念館ーふれあい宿ー舟庄屋跡(梅本家)ー旧高崎家ー村庄屋跡(松尾家)ー町家の遺構(旧安田家)ー須賀神社ー木屋瀬宿西構口跡ー追分道標ー遠賀川沿いー感田・阿高宮ー日の出大橋ー古町商店街ー円徳寺ー直方s


今朝は先ず黒崎宿の要、黒崎城址を訪ねるが、山城なので山登りがきつい。 朝から汗だくでやっと到着。












昨日探しきれなかった黒崎宿各所を再度歩く事からスタートする。












黒崎宿から乱橋、曲松の並木道へ
















幸神、一里塚跡、古街道の道標を経て国道を進む

涼天満宮で一休み ここ境内にあった大松の下で旅人が休息したので涼み松と呼ばれいつしか涼天満宮と呼ばれるようになったとか 中の原のやから様を経て旧街道を進む














小嶺台から再び旧道に入ると立場茶屋銀杏屋がある 
ここは黒崎宿と次の木屋瀬宿との間の立場茶屋として参勤交代の諸大名や長崎奉行、巡見使などが休憩したという 















石坂の急坂階段を下る 腰を庇いながらドン亀歩きだ

香徳寺から大日如来、茶屋の原の一里塚跡を過ぎると木屋瀬(こやのせ)の街に入る 木屋瀬宿東構口跡を過ぎる

















永源寺には木屋瀬宿本陣の門が残されているという 
本陣・脇本陣跡(木屋瀬宿③)に着く
村役人の集会所「郡屋跡」「問屋場跡(野口家)」「みちの郷土資料館」「木屋瀬宿記念館」「船庄屋跡(梅本家)」「旧高崎家」「村庄屋(松尾家)」「町家の遺構(旧安田家)」と昔の面影を見る








木屋瀬宿には船庄屋、宿庄屋、村庄屋の3庄屋が置かれ、船庄屋は年貢米を輸送する舟の管理を、村庄屋は村や全体を統括したという




















江戸時代末期の旧高崎家など文化財として公開されていて、木屋瀬宿は江戸宿場町の雰囲気が残る

この横の遠賀川の中島橋を渡ると唐津街道だ




木屋瀬宿西構口跡を経て遠賀川沿いを延々と歩き感田の街へ入る
阿高宮をみて日の出橋を渡り直方市へ入る
古町商店街、円徳寺を経て直方駅前に着き、今日はここまでとする












とにかく真夏の暑さだ 逆戻りで汗だく💦💦🥵
でもシャワーを浴び冷たいビールを飲んで全て忘れた😵😵‍💫 
顔は真っ赤なお猿さん顔負けだ🤣

毎日が感謝と幸せでいっぱい❣️

(2日目) 27.1㎞ 37012歩 
(累計 48.85㎞、 66822歩)

・足に聞くまだ歩けるか一人旅

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