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1粒の麦
「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それはそのままです。 しかし もし死ねば豊かな実を結びます」
これは新約聖書のヨハネ福音書12章24節の聖言葉だが、ロシアの作家ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の本の扉にもこの聖句があったように思う。
真の意味は教会の牧師や神父に聴くとしても、歩き旅をしていると時折り家屋の壁面などにそんな説教句を見かけたりする。
ただ黙々と歩く間にたまにそんな意味を考えたりするが、聖言葉の真意は別としてこの「一粒の麦」は心に残っている。
確かに麦の粒は1粒のままだが、土に撒かれた時、そこから新しい芽が出てやがて穂となり、たくさんの新しい実が生まれる。 そしてそれがまた新しい実りを次々と生み出していく。 人間は誰でも1粒の麦なんだなと思う。
先日 万博記念公園に行ったが、その時「蓮の池」で縄文時代の美しい蓮の花に見とれた。 日本のハス学者が昭和29年に数千年も昔の縄文遺跡から種を見つけ、その蓮の種子を20世紀の土と水で生き返らせた「大賀ハス」と説明書きにあった。
今やその種子は次々と世界中に流布され、縄文時代の1粒の蓮の種が現代人の我々の心を癒してくれる・・ 昔 図書館でアメリカのライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」とあったこの記事を見たことがあり印象深い。
考えてみれば1粒の種の役割の大きさに仰天する。 そしてそれは1人の人間とて全く同じことだと実感した。
この世に誕生したその時からどんな人間でも使命を持って生まれてきたのだと思うようになった。
もう間もなくこの世での生を終える年代となったが、オレは果たしてどんなミッションを与えられ、その実りの花はどんなものなのかを知りたいものだ!?
なに!? 知らぬが花だと!
それもそうだな・・
・一粒の種から生まれる奇跡あり
・実り種 次の実りに死して土
・俺の種 実をつけるかな枯れぬかな
・人間はみな一粒の種である 頑爺
南公園から見る夏の入道雲に、やっと梅雨があけたようだ