川柳風 老楽生きがい日記!       

千里南公園を散歩しつつ人生の黄昏時を自分らしくあるがままに生きる老楽幸 喜寿に感謝と幸せな生き甲斐日記 頑爺<肇&K>

東海道歩き旅・完歩!

2020年06月12日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

6月12日(金)23/26℃ 

東海道歩き旅・完歩!

 久しぶりの歩き旅にやはり足がガクガク・・   歳を感じるものの、帰宅後 熱い風呂に入りゆっくりと体をケアした。

 その後 途中で買った美味しい刺身に寿司などと旨いビール・ワインで一人 東海道57次歩き旅の完歩を乾杯した。  

 夜中に土砂降りの雨音にビックリして起きたが、どうやら梅雨に入り天気予報通りいつもの入梅と違いすぐ大雨になったようで、改めて歩き旅を終えてよかったと安堵する。

 75才にもなって!  と みんなにハラハラ心配させながらも、温かい支援に支えられ完歩でき本当にありがたく、嬉しく 改めて感謝の涙でいっぱいだ。

 今日この歩き旅の距離等を集計してみた。  大阪・箕面(みのお)の地を出発起点とし、東海道57次の大阪・高麗橋から大坂城、京街道を北へ進み 東海道53次の西の起点・京都三条大橋の弥次・喜多像の前から鈴鹿峠、最大の難所・箱根峠を超えて江戸・日本橋から江戸城へ  さらに千葉・浦安を終着とした。

その期間、距離、歩数はスマホアプリとapplewatchデータから、次の通り

期  間・38日間  

歩行距離・916.2km(1日平均24.3km)

全 歩数・124.1万歩 (1日平均3.2万歩)

*<大坂城から江戸城への歩き旅> 

*<旧東海道57次の完歩>     

*<曽孫訪ねて100万歩>  

この掲げた歩き旅の三大目標が達成できた

 旧東海道・水口宿の街道筋に2匹のカッパが迎える酒場? があった。  中を覗くと若かりし頃の若尾文子のポスターがあり、つい懐かしくて 生ビール大ジョッキで1杯!  それに冷酒一本! と叫んでみたが応答なし・・  トホホ!

人生の思い出に残る記念すべき歩き旅だった。



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東海道歩き旅(8)水口宿ー土山宿

2020年06月11日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

6月10日(水) 21/29℃ 

東海道歩き旅(8)水口宿ー土山宿

 朝は曇天だが、今日の降水確率は80%との事で、コロナ禍で80日間の越境外出自粛生活で鈍った体調でどこまで歩けるか我ながら疑問だ。

 東海道の歩き旅で悪天候のためバスに乗った鈴鹿峠山麓の「田村神社」までバスで行く。 そこから49番宿の土山宿、50番宿の水口宿へ向かう。  

前回 大雨の中一苦労した「蟹が坂」麓から田村川を経て田村神社境内に入る 






 田村神社は812年の創建と伝えられる古い神社で、本殿は1739年に焼失し再建されたものですでに築後281年になるという

 道の駅・あいの土山から東海道・土山宿場へ入る   連子格子の町屋風の家が残る   旅籠跡から一里塚へ







 
雨は降ったりやんだりと目まぐるしく変わるお天気だが快調に歩く

やがて東海道伝馬館に着き一休み   古い街道筋は落ち着いて歩ける










 
土山宿本陣は 幕府直轄地として代官が務めていた陣屋跡
滝樹神社 一里塚跡から野洲川沿いの旧東海道を水口宿へと向かう



 
茶畑が広がる
 
当時の街道筋の跡が記されている家屋が多く見られる







 
旧東海道筋をその昔を偲びつつ進む  お天気が回復してきた  水口宿へ入る




 

1月22日に歩いた水口宿に着く








心配したお天気も徐々に回復し、今日は27kmほど歩いた 
 
 土山宿と水口宿は短いものの、旧東海道にこだわって歩き遠回りもしたので距離が伸びた。
これで今回の東海道歩き旅で悪天候により乗った残バス区間を歩き通せた。
 コロナ禍による越境外出自粛にて80日間も家に籠っていたので、久しぶりの歩き旅に足、膝、腰がガクガク・・  トホホ!
しかしこれで東海道57次が心置きなく完歩でき  万歳!  と一人叫ぶ
 
 
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東海道歩き旅(38)125万歩の旅を終える

2020年03月22日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)
3月22日(日) 10/23℃   晴曇

東海道歩き旅(38)125万歩の旅を終える

 昨日は37日目にしてとうとう西の基点、京都三條大橋から東海道五十三次の東の基点で日本国道路元標のある江戸日本橋に到着。 その後皇居に入り旧江戸城に立ち、大阪城から街道沿いのお城巡り旅も終えた。
 
 今日は昨日歩いた日本橋から千葉へ歩き、念願の二人の曾孫と会い旅を終える予定だ。
 
日本橋から隅田川の永代橋を渡る  ベイエリアの高層ビル群が林立し、反対側には東京スカイツリーが見える
 
 
道沿いには史跡もあり、今度お札になるという渋沢栄一の自宅跡も見る
 
 
 
道沿いにある富岡八幡宮を訪れ、あの憧れの伊能忠敬が1800年この地から全国の測量に出発したと言う記念碑の前にたたずむ  深川宿は開店前だった
 
 
 
 
 
今日は予想外に強い風で特に荒川、江戸川では橋を渡る度にしっかり結んだ帽子が飛ばされ、体が持っていかれそうになった
 
 
やっと千葉・浦安に入る
 
 
 
  75歳になった日に大阪・箕面(みのお)からその第一歩を踏み出し、延べ38日を経て千葉に着いた。 全てに感無量の感激の涙だった。 支えてくれた一人一人にただ感謝とありがとうの言葉しかない。
 
 後どのくらい生きられる人生かわからないけど、老楽に生き甲斐を与えてもらい、あるがままに自分らしく生きたいとの老春の夢を実らせて貰った幸せに、改めて感謝感謝の有難い涙の日々だった。
 
この38日間のトータルは約916km、124万歩のドン亀一人歩き旅だった。
 
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東海道歩き旅(37) 品川宿から日本橋へ

2020年03月21日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月21日(土)  9/20℃   

東海道歩き旅(37)  
品川宿から日本橋へ
 
 昨日は43km程歩いたので今朝は無理だろうと思ったら、最終日だからしっかり歩くぞ! とばかりに足が催促する。
 
 品川宿から先ず赤穂浪士の墓のある泉岳寺へ参拝する  初めて訪れたが、その壮絶な史実を知るたびに墓碑の重さを知る
 
 
 
 
 
 
次いで高輪大木戸跡をみる
 
東海道とは関係がないが、通り道にある三田の慶應義塾大学のキャンパスに入る  学力は及ばないが憧れの大学だった  しばしキャンパス内を散策する
 
 
あの映画で見た昭和の 3丁目の夕日? だったか以来の東京タワーを身近に見ながら徳川家の菩提寺、増上寺に入る  桜が咲き始めとても絵になる 
 
 
 
 
今回の旅で初めてだが、増上寺近くのカフェテラスでのコーヒータイムとする  春の日差しを浴び桜が咲き始め、青い大空の下で美味しいコーヒーを楽しむ
 
 
銀座八丁目から入り、二丁目にある銀座発祥の地を訪ねる  
ちょうど12時となり歩行者天国が始まった  
 
 
日本橋魚市場発祥の地の碑を見る
 
その向かい三越の前にある「日本国道路元票」のプレートに到着  
 とうとう東海道五十三次の基点に着いた  よくここまで歩いたな〜  感激と感動だ
 
 
 
 
 
 両足膝股関節腰肩頭目その他ここまで歩いて来れた自分の体ひとつひとつに感謝する  そして私を支えてくれた一人一人を思いつつ感謝の涙で溢れた
 
 しばし日本橋の橋のたもとで浸る時間を経て、皇居の旧江戸城へ向かう  途中いくつかの史跡をみる  これは渋沢栄一の銅像
 
高層ビルの林立する谷間に将門首塚の碑を見る
 
 
皇居入り口で荷物検査を経て許可を得、皇居内の旧江戸城に向かう  大阪城から街道沿いのお城を巡りとうとう江戸城に着いた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今日は2つの夢が叶った。 東海道57次から53次歩き旅の完結。 大阪城から街道のお城を巡りつつ江戸城への旅の完結。 感謝感謝感謝とありがとうの1日だった。
 
今日は 20.3km、26430歩 だった
 
 
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東海道歩き旅(36) 戸塚宿から保土ヶ谷宿、神奈川宿、川崎宿、品川宿へ

2020年03月20日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月20日(金)  10/20℃   晴曇

東海道歩き旅(36) 
戸塚宿から保土ヶ谷宿、神奈川宿、川崎宿、品川宿へ
 
 昨日はよく歩いたが、今日はまず昨日歩き終えた東戸塚からスタートし、保土ヶ谷宿を目指す。
 
江戸から4宿場目の保土ヶ谷宿に入る  この宿場は程谷、新町、帷子(かたびら)の3宿場を1597年に一宿としたもの。
 東戸塚から難所と言われた「権太坂」を上る やがて標識が見えた
昔の相模の国と武蔵の国との境界のようだ
 
 
 
保土ヶ谷宿へ入る
 
 
 
 
 
保土ヶ谷宿場跡の保存がよく見られる
 
 
 
 
商店街のシャッターに広重の絵が
 
 
保土ヶ谷宿の歴史の道は続く
 
 
 
商店街は賑やかだ
 
 
浅間神社内にて
 
帷子を経ていよいよ神奈川宿へ向かう 横浜の文字が嬉しい
 
神奈川宿に入る  この宿場は新町から台町までかなり長いが、海を臨む景勝に近隣宿場の倍以上の人出を抱えたという  1858年に開港した横浜港の遺跡も多い
 
 
案内に沿って神奈川宿の史跡を見て歩く  高札場にて
 
 
 
 
 
近くの小学校では卒業式の後の歓談が見られるが・・
 
 
 
明治維新のきっかけとなった「生麦事件」の現場を訪ねる
 
 
神奈川宿の歴史散策を続ける
 
 
 
横浜は道路の表示もお洒落だ
鶴見川を渡る
 
この町にはまだこんな公衆浴場が残り懐かしい・・
 
 
 
 
川崎宿へ向かう  ここは1623年に品川宿と神奈川宿の伝馬負担を軽減するために開設されたとか  川崎大師への分かれ道にも当たり、多くの参拝詣人で宿場も発展したとか
 
 
 
 
川崎宿の史跡を巡る
 
 
 
川崎宿場も歴史を大切にしている様子が伺える
 
 
 
 
 
 
旨そうな酒が見られるが先を急ぐ・・
 
 
随所に歴史標識をみる
 
 
 
六郷橋を渡り、昔の渡しば跡をみる
 
 
 
 
大田区に入り品川宿を目指す  鈴ヶ森の刑場遺跡をみるが、その昔の光景を思うと目をそむけたくなる思いだった 
 
 
 
 
夕暮れとなった旧東海道を品川宿へ向かう  
品川宿は江戸から出る所街道のうちでも最も重要視されたようだ  東海道一番目の宿場で1601年に指定された  南・北品川宿場と享保期にできた北品川とで構成され活気のある宿場であったという
 
 
 
 
すっかり日が暮れてしまい街道沿いの史跡を探しきれなかった
 
 
 
今日は朝からよく歩き、歩数も自分の新記録となった もっと時間をかけてゆっくりと歩きたかったな~  でも満足いっぱいだ
 
 
 
 
 
 
 
 
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東海道歩き旅(35) 平塚宿から藤沢宿、戸塚宿へ

2020年03月19日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月19日(木)  7/21℃  晴

東海道歩き旅(35)
平塚宿から藤沢宿、戸塚宿へ
 
 昨日の箱根旧街道、何キロにもわたる石畳を下り、もう両足とも昨夜からガクガクで今朝からも悲鳴をあげている。 珍しく両足の太ももはパンパンになっている。
 休ませてくれー と言わんばかりに足を引きずる...   家にいる時なら同調するのだが、今は江戸まで歩かねばならんのだから頑張れと言うしかない。 両足をしっかり揉みながらがんばれがんばれと声をかける。
しかしいつもの靴に足が入らないが、何とか無理矢理押し込んで1歩1歩とゆっくり歩き始める。
 
平塚宿を歩く 江戸日本橋から15番目の馬入りの一里塚へ
大正の架橋記念碑から 馬入橋を渡る
 
史跡 旧相模川橋脚碑
 
 
国道の激しく車が行き交う路肩に咲くスミレの花 しばし見とれる
鳥井戸橋の左富士之碑
その向かい前に見る鶴峯神社
やがて茅ケ崎一里塚前から松並木道を進む 
 
 
牡丹餅茶屋跡から
東海道沿いには歴史を感じる
 
必死に祈る人が・・ 女性の願い事なら何でも叶えるとか?
 
 
藤沢宿へ入る。  藤沢は鎌倉時代から遊行寺の門前町として栄え、藤沢宿場の成立で更に大きな発展を遂げたという。  門前町としては江の島が約一里と近くにあり、弁財天参拝や大山参りの分かれ道でもあったので参詣時期にはより賑わったようだ
 
白旗神社に入る  義経首洗いの井戸などどうも生々しいのは苦手だが、歴史遺産をみる
 
 
 
藤沢宿の史跡が随所に見られる
 
 
 
藤沢宿の歴史を学ぶ
 
 
 
境川の遊行橋を渡り遊行寺へ  ちなみに武蔵の国と相模の国との境目なので境川という  なお遊行寺は正式名を「藤沢山無量光院清浄光寺」といい、宗祖一遍上人は踊り念仏で往来安楽の境地へ至れると説き全国を遊行したので「遊行寺」と俗称されているという
 
遊行坂をふーふー生き弾ませながら上る 
 
 
 
やがて戸塚宿場へ入る  江戸から丁度10里にあり、保土ヶ谷宿と藤沢宿間が長いことから作られたとか  戸塚宿は大山道、鎌倉往還との分岐点でもあり、大山参拝客や鎌倉古寺を訪れる人々に人気があったようだ
諏訪神社を経て進む  
 
陽光桜という名前とか
 
原宿一里塚跡前の坂道を上る
松並木から藤沢の長いパイパスを経て丘の上にでる  昔はこの辺から富士山が眺められたというが見えない
 あの「仮名手本忠臣蔵」の有名な場面で、戸塚山中のお軽勘平道行きの場面がこの辺りという由縁からか? お軽勘平道行きの碑が建つ
 
 
 
随所に史跡などを見ながら大坂道を下る
 
 
戸塚の地名の起源となった神社、富塚八幡をみる
 
門前に芭蕉の句碑が立つ
八坂神社をみる
戸塚宿の史跡を巡りながら歩く
 
 
 
ヨコハマザクラという名前とか  初めて見たが、各地で桜が咲き始めた
 
戸塚宿はヨコハマなんだと、改めて知る
戸塚一里塚跡
 
 
今日はまだ歩き足らないのか?  足は東戸塚へ向かう
 
 
今日もよく歩いたが、昨日の今日なのに両足が予想外に元気なのにびっくりだ。  体の方が逆に付いていくのに必死だったが、宿に着き熱い風呂につかり足膝腰肩に声掛けをしながら揉んだりして労う。 
 
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東海道歩き旅(32) 箱根宿から箱根湯本へ

2020年03月18日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月18日(水) 6/18℃ 

東海道歩き旅(32)
箱根宿から箱根湯本へ
 
 今日 箱根の車道は雪が溶けて歩道も歩けそうな情報。 でも旧東海道の石畳は行ってみないと分からない?
 早朝のバスを調べたら小田原を8時に出て箱根関所跡へ向かうバスがあり、再度先日雪で歩いて下れなかった箱根宿へ向かうことにする。
 
 一昨日箱根の宿の主人は、4月中旬ごろ雪が溶けて良い季節にまた来て下さいとの事だったが、せっかちでこだわりの性分からバスに乗った区間はぜひとも戻って歩かなければ東海道の歩き旅にならないと拘る。
箱根のバス道と旧東海道の道とは別々だが、箱根関所跡に8時50分に到着。
 
芦ノ湖から凛としたきれいな富士が望めるのはラッキーだ!
 ところが箱根の山は思った以上に寒く冷たい これでは旧東海道の石畳の上など滑って危なくてとても歩いて下る事は難しいかな??
 
 様子を見るためしばらく箱根宿周辺の名所旧跡を訪ねる。 先日突然の大雪で遭難寸前状態? で辿り着いた箱根宿と様変わりでビックリ!  
 
 
 
 
 
 
 
江戸の杉並木を通り芦ノ湖・元箱根へ向かう
 
 
 
芦ノ湖は見事に晴れて富士山も見える
 
 
 
 
 
ここまで来て、ここは爺の山歩きの勘で下れそうだと判断し、元箱根前から旧東海道に入る  いよいよ箱根旧街道の下りだ
 
 
 
 
元禄年間に医師として来日したドイツ人シリルモンタギューバーニーが「日本誌」で箱根の美しさを紹介し、自然保護の精神を訴えかけたと言うがその記念碑をみる
 
 
 やがて江戸時代から続く街道の石畳、旧東海道の中でもこの箱根にはその名残り豊かだ  しかし現代人の我々にはこの道は最悪だ  平な石は少なくほとんどが玉石のため、雨や雪でなくても苔むした石に足を滑らせ何度転びかけたかわからない    以前山の中で苔石に足を滑らせ頭の額を破り、救急病院で何針か縫った事があるので余計に慎重で、足元ばかり見て一歩一歩と慎重に足をかけて下るので疲れることこの上もない
 
 
 
残雪は思ったより大したことはなく、下山するまで大丈夫のようだ
 
 
 
 
 
 それにしてもこの何キロにも及ぶ街道を石畳として埋めるには数百万個もの大きな石が必要なので当時の作業は大変だったと思うが、当時は国と国との争いが激しく大軍の進軍を阻止するために意図して凹凸に作られたとも言われるが、旅人は相当苦労したと実感する
 
 江戸時代から続く甘酒茶屋に着く  今はもうこの一軒しかないとか  名物の甘酒と田楽をいただくが、その藁葺きの家屋が当時のままのような雰囲気で趣があった  外人さんが一人、正座して庭を眺めていた
 
 
 
 
 一息ついた後再び旧東海道の石畳を慎重に下り畑宿に向かう  
 
 追込み坂、猿滑坂といった旧坂をくだるが、足が思うように上がらなく、滑るし転ぶし緊張するし景色どころではない
 
 
 
 
小田原の街が見えてきたが・・
 
 
雲助への誤解があったが納得
 
玉石の急坂が続き、足は神経も使うしもう棒状態だ
 
 
 
 やっと畑宿に着く 畑宿は小田原と箱根の間にある間宿だが、江戸後期に土産物として寄木細工が始められその中心となった
 
 
 
畑宿では一休みしただけで先に進む
 
 街道を進むと鎖雲寺 飯沼勝五郎 初花の墓とある  芝居でも有名な箱根での仇討ちだそうだが見たことがないのでわからない
 
 
  やがて山の中には不釣り合いなような金ピカピカのお寺があったが素通りし、猿橋を経て箱根湯本の街へと下った
 
箱根湯本に着いた  やったー!!  
やっと念願の箱根峠を登り降りできた。  14日の雨と雪で登りは遭難するかのように散々だったけど無事下山でき、これは人にはわからない自分だけの満足感だ。
東海道五十三次1番の難所、箱根峠を自分の足で登り下りできたのだから...
 
咲き始めた桜の花が労ってくれてるようだった。
 
今日は17.5km、24366歩だった。 短いようだが、今日の石畳の箱根下り坂は足膝腰肩の疲労は昨日30km近く歩いたよりも3倍以上の疲れが残った。 
 でもこの達成感は人にはわからない自分の喜びと嬉しさで、熱い湯船の中で両足膝腰肩と体全身をゆっくりと感謝しつつ労わった。
1人で乾杯するビールが旨い‼️
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東海道歩き旅(34)小田原宿から大磯宿、平塚宿へ

2020年03月17日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月17日(火)  0/12℃ 

東海道歩き旅(34)
小田原宿から大磯宿、平塚宿へ
 
 (昨夜は今日再び箱根宿へバスで登り、先日雪で下ることができなかった区間を歩く予定でいたが、今朝現地は0℃で氷が張り、旧東海道の山道もまだ雪が残り、しかも凍っているのでかなり危険とのことで断念した)
今日は小田原宿から出発し江戸日本橋から8番目の宿場大磯、7番目の宿場平塚を目指す
 
 東海道を歩き小田原宿の江戸口見附跡、一里塚跡をみる
 
 
 
 
 
 
 
新田義貞公首塚がなかなか見つからなくて住宅街を何度もウロウロしてやっと見つけた
 1338年義貞は越前藤島で戦死、その家臣・宇都宮泰藤は主君の首を抱いて上州新田へ向かう途中に病気になり、この地に首を埋めて自分も病死する  家臣の墓も何基か見られるが、なんとも悲しい史実で少し苦しかったので、すぐ横の小田原海岸に出て相模湾の空気で胸いっぱいにした 
 
 
 
いつも各地の首塚を見るたびに当時を想像しいつも気分が悪くなる  小田原の海岸に出て深呼吸する  海釣りをする人をしばし眺める
 
 
酒匂川を渡る 江戸時代には渡し場があったとか
 
 
 
 
歩いていると古い建物だが医院の看板が上がってる  見ていると一人の老人が もうすぐ解体するそうですわ・・ と話してくれた
 
海が横にあるので干物を売る店をよく見かけるが、この埃と排気ガスのすごい車道沿いで干す魚を買おうとは思わない・・
 
 
海岸に出て一休み・・ 当時の旅人もきっと海に癒されたことだろう
 
 
押切坂一里塚から二宮に入り大磯に向かう  いろんな史跡をみる
太田道灌や源実朝の歌碑などをみる
 
 
 
 
 
 
 
 
大磯の町に入る
 
路上に江戸から十七里の文字が
 
吉田茂旧邸のある城山公園に着く 
 せっかくなので覗いてみるがこの施設もコロナの影響で旧邸の中には入れないが、広大な庭園はオープンになっていたのでしばし体を休めながら散策する
 
 
 
 
 
 
吉田茂の銅像の先には相模湾と大磯の海岸が春の日差しを浴びてキラキラと輝いている  大磯は明治以後日本で最初の海水浴場ができ別荘地としても栄え、当時の面影が今も各所に残る  大磯ロングビーチは美しい
(お昼前だがちょうど歩いている時に買った蒸し芋を取り出し、吉田茂の銅像の前にあるベンチでそれをゆっくりと食べながら、戦後日本の復興に尽くし、その舵取りをした歴史を回顧したが、当時子供ながらにその堂々たる姿勢に安心したものだ  誰もいない広大な庭園の銅像の前で、芋を食べながら吉田茂像と向かい合うのもこれも面白いものだと自笑する)
 
 居心地がよくて長居をしてしまったが、また歩き出し江戸時代の本陣跡をめぐりながら、ふと目にした島崎藤村が住んだ晩年の家と墓、また新島穣の終焉の地などを巡る  お天気もよく快適だ・・ が、クシャミ鼻水の花粉も最盛期だ
 
 
 
 
島崎藤村が住んだ晩年の家と墓を訪ねる  かつて生家の信州・馬籠も訪ねたことがありその小説とともに親しみがある
 
 
 
また同志社の創設者・新島穣の終焉の地なども巡る
 
 
ここが湘南発祥之地とか
 
鴫立庵(しぎたつあん)に寄るが、ここもコロナの影響で中へは入れなかった
 
 
大磯は日本で最初の海水浴場だったとか
東海道上には今もいろんな史跡が残る
 
 
 
 
 
大磯宿から平塚宿へ向かう  
 
 
 
平塚宿に入る 
平塚宿は1601年にできた宿場だ  ここも東海道沿いに次々といろいろな史跡や本陣跡を見て回る
 
 
 
 
旧東海道沿いには江戸時代のいろいろな史跡が残されていて面白い
 1つ1つの説明は書物に任せるとして、それらの歴史を肌で感じながらゆっくりと楽しみながら歩いた
 
 
平塚宿の大きな石碑を見ながら夕暮れとなり、今日の歩き旅を終えた
 
今日の歩きは 29.3km、38457歩だった
朝からよく歩いたが、あちこち見過ぎて歩いた割には距離が出ないな~ と思いながらも疲れてバタンキューだった。
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東海道歩き旅(33)箱根湯元から小田原宿へ

2020年03月16日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月16日(月)  3/11℃   

東海道歩き旅(33)
箱根湯本から小田原宿へ
 
 一昨日、突然の大雪の箱根路を登って来てやっとの思いで宿に着いたが、下りはとても危険との宿の主人のアドバイスで一旦歩き旅を断念した
 
昨日は雪はやんだものの、歩いての箱根下山は絶対危険との事で運行再開のバスで箱根湯本へ下り休養日とした
 
 
 今朝の情報ではまだ箱根宿からここ箱根湯元まで旧東海道を歩いて下るのは危ないとの事なので、今日はここ箱根湯元から先に小田原宿へ向け歩き旅を始める
(いづれ雪が解けて歩けるようになればバスに乗った間は当然歩くのだが・・)
 
 
 箱根湯本村の旧東海道沿いにある金湯山早雲寺からスタートする  ここは言うまでもなく北条早雲の菩提寺でこのお寺に眠るが、豊臣秀吉が小田原攻めの時に本陣が置かれたとか  朝早いのに犬の散歩をする人やウォーキングをする人たち何人かと挨拶を交わした  白山神社の下水から湯気が立っているので何事かと思ったがここは箱根なんだと納得
 
 
早川に架かる三枚橋を渡り箱根登山鉄道沿いに山を下る
 
箱根山はまだ雪が見える
 
三叉路の角にさりげなく当時官軍と幕府軍が戦った古戦場の碑がぽつんと立つ
 
箱根登山鉄道沿いを進む
 
風祭の町とその周辺は小田原蒲鉾の店が並ぶ 
 
 一休みしようと箱根登山鉄道の小さなガードをくぐり上に出ると小さな神社があった  そこへ登山電車が走ってきてなんとも撮り鉄になった気分で絵になる光景をビデオで撮った
 
 
早川沿いで一休みする  雪解けの水が冷たい
 
 
 
やがて小田原市内に入る  鳥居の上を登山電車が通る
 
 
 
 
トンネルを抜けるとそこは小田原城跡だった・・ その周辺の史跡を歩く  
小田原城跡が美しいのでその保全保護に感心した 
 
 
 
 
 
 
 小田原は統治軍事的に地理的にも江戸防衛の重要な拠点だった  小田原城下町は栄えたようだが、豊臣秀吉の小田原攻撃によって小田原城は半日で落城したとか  しばし城跡に佇む
 
 
 
 
 
 
 
 
小田原と言えば蒲鉾だが、町中にかまぼこの看板をみる
 
 
小田原宿場の史跡をみつつ町を散策
 
 
 
 
 
 
 相模湾の小田原海岸に出てみた  なんと気持ちの良い光景が広がることか  江戸時代の旅人もきっとこの海に心癒されたことだろう
 
 
 
今日はゆっくりノンビリ歩きで 17km、22971歩 だった
 
小田原駅前では70数歳の老人が行方不明だと、捜索協力の街頭マイクが大きく流れている。 間違われないようにせねば・・?  
 駅前の散髪屋が安いのでつい入ってみた。 何と老人割引で散髪、洗髪、髭剃りにカタモミ付きで1500円也  大阪にあったら毎週でも行きたい位!?
 
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東海道歩き旅 箱根宿にて

2020年03月15日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月15日(日) 3/11℃ 晴曇

東海道歩き旅 箱根宿にて
 
 昨日の突然の大雪に「大雪警報」が後から出て、週末の箱根路は何かと大変だった。
 
  自分も旧東海道 箱根路の登りの途中で周りは山道で人一人いないし、もちろん家も店も何もない所で避難する所もなく、一度は大木の下や藪漕ぎするような所に身をかがめてみたものの、それまでの大雨でずぶ濡れの身体になっていたので、じっとしているだけで体がしんしんと冷え一瞬遭難するのかとさえ頭をかすめた。 吹雪はやがてボタ雪となり見る見るうちに積もっていった。
 
 大袈裟のようだが、一歩一歩前に進むしか生きる道はない... ナビは目的地まであと6km、約1万歩と言うが... 雪道の登りにドン亀が後3時間以上の歩きはキツイ...
ウォーキングシューズの中は雨水から今度は積もった雪の中を歩くことになり冷たく、凍傷になるのではないかとさえ思った...
 
 今朝の箱根宿は一面真っ白の雪景色だ。 昨日はよく無事に宿に着いたものだと振り返る。
 今日は箱根宿の関所跡から旧東海道の名所旧跡を訪ねながら杉並木を経て小田原宿へ向かう予定だが、各所で雪のため通行止めになっているとの事なので歩いてみないと状況がわからない?  しかもウォーキングシューズで山を下れるのかどうかも疑問だ。
 
 
 宿の主人からは今日歩いて山を下るなんてとんでもないこと...  無謀だ! と怒られてしまった。 皆さん山の下りは楽ちんだと思われがちだが、実は登りよりも下りの方が怖いんですよ と何度も注意されたので、今日は歩き旅を止め、一旦箱根湯本へバスで下る事にした。
 
 まさか3月中旬になって大雪で歩き旅が中断されるとは思いもよらなかったが、ここは地元の人の忠告に従うことにした。
 
 一旦箱根湯本に下り、湯本から明日は小田原宿へ歩いて向かうことにした。 
 そして小田原から箱根の情報を得て、もし雪が溶け歩いて旧東海道を歩けそうなら、再び箱根の関所跡へ戻り、そこから旧東海道を箱根湯本まで歩くつもりだ。
 
 余談だが東京にいる学友からは、東京は新型コロナウィルスの影響で大混乱しているから、今は東京へは来ないほうがいいとのメールが入った。 1人で歩き旅をしていると全くそのような情報もなくまた影響もないのであまりよく知らないのだが、たまに旅の宿でテレビを見るたびに世界はこのパンデミックで大変なのだと実感する。
 
  明日の天候を見て明日朝に1日の行動を判断することにしよう。
 
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東海道歩き旅(31)三島宿から箱根宿へ

2020年03月14日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)
3月14日(土)6/11℃ 雨&雪
 
東海道歩き旅(31)
三島宿から箱根宿へ
 
 いよいよ旧東海道最大の難所、箱根の峠越えが始まる。 小田原と三島の間はいわゆる箱根8里で30数キロほどあり、その険しい登り下りから参勤交代で江戸へ向かう西国大名からの要請により、1618年小田原と三島からそれぞれ数10件ずつ宿を移転させて宿場を形成したのが箱根宿だとのこと。
 
 今日の予報は雨との事なので、夜明けとともに早く歩きだす   でも三島宿三嶋大社はもう朝の散歩の人たちがいる  
 
 
旧東海道を箱根へ進む
 
 
早速 旧街道の愛宕坂をフーフーと生き弾ませ上る
 
寒いのに汗を拭きつつ坂を上る
 
 
箱根旧街道に入る頃、ポツリポツリと雨が降り出した・・
箱根路の松並木がきれいだ
 
 
一里塚の前で本降りとなり雨カッパを着る
坂を上り箱根路を上る
 
休み休み山を上るが野草が癒してくれる
 
石畳の旧東海道、雨の山道に入る
 
やがてまた国道と合流する
 
箱根旧街道のますころげ坂を上る
 
 
 
 
 
 錦田の1里塚からこわめし坂を上る ここの坂道があまりに急なため、背負っていたお米が汗と熱でおこわになったことから名前がついたとか、確かにきつい急な坂だが途中から通行止めだ  台風や土砂崩れ等災害の影響で箱根の東海道だけでも4カ所ほど通行止めで歩けなかった
 
 
 
 
 笹原の一里塚から柴切地蔵を経て、まさに山の中の山中城跡へ  この辺からまた雨が急に激しくなってきた
 
人一人見かけない山道を歌を歌って歩く
山の中の山中城跡に着く
 
 
 
 
 
 
 雲助徳利の墓へ  終生酒を愛した雲助の頭らしく盃と徳利の墓石が面白い  石畳を歩くがものすごい雨と風で何度も滑って転びかけた 雨対策の服装でリュックを背負い山を登ってきたものの、また今日もずぶ濡れになってしまった
 
 
 
 
 
 兜石を経て接待茶屋へ  雨が急にみぞれとなり雪に変わった  瞬く間に山は一気に真っ白となり、冷たい雪混じりの風が吹く とても寒い! 冷たい! 足も手も感覚がなくなってきたが、雪道で思うように歩けない  接待茶屋への道も雪が積もりどれがどの道かわからず諦めた
 
 
 
 
 甲石坂の石畳道から茨ケ平へ  もう雪が一気に深くなり道がわからなくなって国道へ戻る
 
 
 箱根の脚気地蔵から箱根峠へ  国道を除雪車が何台も上下行き交いその度に頭から除雪の雪を浴びる  雨で濡れた体に雪が追い討ちする
 
 
 しかし山の中で1歩1歩前へ進まなければ遭難する  でもウォーキングシューズは雨水と雪で濡れ、凍傷になるかと思うぐらいうまく歩けず、深く積もった雪道を歩いて進むのは難しい  山の変化や自然の怖さは今まで何度も体験してきているがこれはきつい...
 
 
 
藪漕ぎ状態の薮下で休憩するも体は余計に冷え、人一人居ない山の中で本当にここで人生も終わりかと思うほどきつい  箱根峠までまだ6kmもある  1万歩か!?
 
 
  じっとしてたら遭難する・・ 必死に一歩一歩と歩いた  
何とか箱根峠までたどり着くと一軒のラーメン屋があった  早速飛び込むが店に誰もいない  でもストーブがあり暖かい  奥から店主が出てきて雪なので閉店しようかと思っていたところだとか  早速ラーメンを注文しながら濡れた体をストーブで温める  3月にこんな雪が降るのは箱根でも珍しいとのこと  でも本当に命拾いした
 
 
  箱根関所跡へあと数キロ  少し元気になってまた雪の中を歩くが途端にまた寒く冷たい でも一歩一歩前に進むしかない  聞けばバスも運休し、通行止めもあるとの事で車も少ない
 
 
道に迷う  どっちへ行けばいいのか?
 
 
 
箱根関所跡から杉並木を経て元箱根へやっとの思いで着いた  
芦ノ湖も雪で全く何も見えない
 
 
 
  予想以上にきつい箱根の山登りを何とか乗り越えて箱根の宿に着いた。 
自分の一つの小さな夢が叶った。
距離は23.7km、31335歩だったが、人はこの間の登りを300階建てビルの屋上へ上るのと同じだと言うが、私にとってこの雨と雪と風の急坂の箱根路はこの歩き旅のハイライトになるぐらいにきつかった。 
 
余りにもきつい雨雪風の箱根登りだった。 重いリュックサックを下ろし、ボトボトになった靴を脱いだ時は心底ほっとした。 体は冷たくなり風邪を引きそうなので熱い風呂に入り温め、美味い鍋と旨い酒で体を癒した。
 
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東海道歩き旅(30)沼津宿から三島宿へ

2020年03月12日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)
3月12日(木)6/16℃  晴

東海道歩き旅(30)

沼津宿から三島宿へ

 今朝も快晴のお天気だ。
今日は沼津宿から旧東海道11番宿場の三島宿を目指す。 三島宿は三島大社の門前町として古くから発展していたが、慶長6年正式な宿場として制定されると、箱根を越えてきた旅人や、これから越えていく旅人の一息つくところでもあり、富士山からの湧水が市内至る所で見られ、その水と景観の街として発展してきた。
 
 沼津宿を出ると日本橋から数えて丁度30番目の玉砥石の一里塚  砥石の記念碑がある  次いで「日本3大仇討ちの1つ 鍵屋の辻の仇討ち 平作地蔵の由来」などを書かれた黒瀬橋のたもとから、狩野川沿いを歩く
 
 
 
 
足の疲れを季節の花々が癒してくれる
 
 
 「源の頼朝、義経の対面石」が残る八幡神社から三島宿に入り、国道沿いにぽつんと立つ世古本陣跡、樋口本陣跡の石碑を経て三嶋大社へ向かう
 
 
 
 
三嶋暦師の館を訪ねる
 
 
 
三嶋大社は古くより三島の地に鎮座し、特に源頼朝の祈願が成功して以来、東国武士の崇敬を集めてきた 広重の三島宿の絵は、この三嶋大社の鳥居が描かれている
 
 
 
 
その後 水辺の文学碑通りを経て白龍観音堂、楽寿園から三島の街を歩いた
 
 
 
 
 
明治4年に最初に設置された郵便差出箱一号丸型ポストだと
 
 今日は体調管理もあり、早めに宿に入りコインランドリーで洗濯を終えた後、いつもの旨い酒も止めて早めにベットに入る。
今日は 16.3km、21780歩 だった。
 
明日は休養日とする予定。
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東海道歩き旅(29)吉原宿から原宿、沼津宿へ

2020年03月11日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月11日(水)10−21°C 晴

東海道歩き旅(29
吉原宿から原宿、沼津宿へ
 
 今日は昨日とは真逆の快晴の朝。  昨日嵐の中を歩いた東田子の浦からスタートする。  先ずは昨日雨と霧でまったく見えなかった田子の浦の海へ向かう。
 
 この美しさなんだろう・・ もう感激で息がつまった・・ 紺碧の太平洋・・ 打ち上げる白波・・ 続く松並木・・ 誰もいない海岸で一人なぜか感動の涙を流す・・
 
 
 しばらくして振り返り松並木を見ると、その先に真っ青な空に冠雪の富士の山が見えるではないか・・ 再び感激と感動で涙がこぼれおちる・・ 何というこの言葉では表せない感謝と喜びと幸せにしばし呆然と富士を仰いだ
 
 
 富士山に見とれていると、刻々と姿を変える  雲がかかり見えなくなったり、また少し見えたり・・ まるで生きているみたいだ
 
 
 
 万葉の歌人・山部赤人の歌「田子の浦うち出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」に詠まれた田子の浦、その何キロも続く松並木を左方に見ながら、右に広がる太平洋の白波を見、春風に吹かれながら真っ青な空のもと海岸沿いを歩いた
 
 
 やがて江戸の旅人も巡ったであろう旧跡を巡りながら旧東海道13番宿場の原宿へ向かう
 原宿は宿場としては小さな規模で慶長6年に宿場として成立した  ここは「浮島ヶ原」と呼ばれる沼沢地帯で大雨が降れば一体の一帯の田畑は水浸しになってしまったようだ  しかい広重の絵にもあるように富士山を眺めて一休みする旅人が多かったようだ
 
 
 
 
 「元吉原宿」の毘沙門天  1616年、1680年に起きた地震や津波によって当時の宿場の殆どが崩壊し天和2年に移転し、その近くにある毘沙門天で知られる妙法寺だ  
次いで古い高嶋酒造の造り酒屋を経て有名な白隠誕生地碑を訪ね、松陰寺を見る
 
白隠禅師誕生地碑
 
 
 
 
 
 その後町を離れて再び田子の浦の浜辺に出て12番宿場の沼津宿へ向かう  
昔から千本松原の景観で知られた沼津は、水野出羽守五万石の城下町として栄えた  富士の山は刻々移り変わり、朝見た後からは雲がかかり振り帰る度に松林越しに垣間見える富士の様相が違い、それはそれで趣きがあった  延々と続く松林・・ しかし今日は東北大震災から9年目の日だ  あの津波に流された陸前高田の松林を想像するに以前はこんな様子だったのかと悲しい回顧をする
 
 沼津宿に着き当時の東海道名所図にある浅間神社を経て川郭の旧道を歩く 狩野川を横手にその由来をみる  本陣跡などは簡素な石碑が一つが町中に立つのみ
 
 
 
 
 
 
 
 
今日はここまでとし日没までまだ2時間ほどあるが今日の宿へ向かう。  
風邪は引いてないが少しなぜか疲れた・・ 歩いた距離は 20・3km   27231歩 だった。
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東海道歩き旅(28)蒲原宿から吉原宿へ

2020年03月10日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

3月10日(火)8/12℃ 

東海道歩き旅(28
蒲原宿から吉原宿へ
 
 昨日の快晴から一転、今朝は朝から小雨模様の天気だ。 荒れ模様の予報にしっかり雨対策をして出発する。 
旧東海道の昨日歩いた蒲原宿から出発し、旧東海道14番宿場の吉原宿へ向かう。
 
歌川広重の「蒲原夜之雪」は有名だが、その蒲原宿場の碑前から今日はスタートする
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここより富士川の宿坂を上る  結構な急坂道だ
何度か道端の草花に癒される
 
 
 急な坂道を上り、かいた汗をぬぐいながら高速道路の陸橋からふっと前方をみると なんと! 冠雪した富士の山が目の前に現れた  突然のことにビックリし感動!!
 
 
 
坂を下ると富士の町に入るが、この町の人々は日常の風景なのだ
 
 
 
 
富士市内に入る  間宿の岩淵一里塚跡で一休み
 
 
 
富士川へ向かう
 
 
 
歩き旅には時折の花々が心を癒してくれる
 
富士川に着く  富士市内に入り、富士川を渡る頃から雨が激しくなり、やがて強い風とともに傘が全く役に立たず雨対策用の上下カッパも音を立てて激しく打ちつける横殴りの雨にタジタジの始末  
何よりこの橋上からの富士山は最高だと聞いていたが、まったく見えない  暫く欄干上で雲の流れをみていたが、一瞬冠雪の山頂が少し垣間見えるぐらいで残念だった
 
 
期待していた富士山は見えない・・ 雨では難しい
 
富士川を渡り、水神社で一休み
 
 
 
間もなく本降りの雨になり、東海道と併行する国道を歩く
 
 
 
東海道一里塚碑にて
 
雨の中 鶴芝の碑を探してやっと辿り着いが、民家の庭先にあり余りの貧弱さに雨の疲れもありガックリ!
 
気を取り直して前に進むがまたあの青年に会った  少し前あの高架で富士山を見て感動していた時と水神社で、また今目の前を歩いている青年と会った  同じルートだろうか?
(それから数日間 時折り前後して東海道の史跡などで出会い、東海道を歩いているのだと、次出会ったら話をしてみようと思ったがそれ以来出会わなかった)
 
季節は春だな・・ 土手のつくしんぼに見とれる
 
吉原宿に入り富士市内の東海道史跡を歩く  
 この宿場は1680年8月の大津波で壊滅的な被害を受け、内陸に移転し2年後に宿場として成立したとか  今は製紙工場が林立する町として富士市の中心街として賑わうが、ここも特別の宿場表示があるわけでなく、雨のせいで探せなかっただけかもしれない  しかし宿場によってその地域の行政や住民の意識度や保護の仕方に差があるものだと思った   
 
 
 
1180年の源平の戦いで有名な平家越えの碑をみる
 
名勝・左富士を探してやっと着いたが、工場前でこれも少しガッカリ!
でも少し離れたところに神社や記念碑などがあった
 
 
 
 
元吉原宿跡を歩く
 
 
道路沿いの看板に北斎や広重の絵が大きく描かれている
 
 
富士市は製紙工場が多いのか、煙突から黙々と煙が上がり気になる
 
 
旧東海道と併行する国道は大型車が多く、通るたびに雨水を被るのが辛い  
 途中前が見えないぐらいの土砂ぶり雨に国道の大型トラック何台かから風圧と跳ね水を頭から浴びて少し危ない! と感じ、脇道へ入りどこかでひと休みしようと思ったがコンビニもないし・・  
 
 
 
立園寺に着き境内の望嶽碑をみる
 
 
 
 なにか閉塞感から地図をみる・・ するとあの田子の浦が近くだ  早速寄り道する  お天気がよければきっと富士山と共に絶景だっただろうな・・ と溜め息をつく  しかしその延々と続くような立派な松並木に感動し、また堤防に上がってみるとすぐ目の前は太平洋の白波が立っている・・ すぐ先から雨と霧で先は見えないが、きっと素晴らしい光景なんだろうな・・ と想像する
 
 
 
 
再び国道沿いを史跡を見ながら東田子の浦へ向かう
 
 
吉原宿を後にして原宿へ向かうが、益々雨は激しくなりもう上から下までずぶ濡れ状態だが・・
 
 
 
夕暮れとなり、今日はここまでとした。  明日はお天気が回復して欲しいものだ。  今日は歩き旅には雨風冷たさと最悪条件だったが、こんな日もあるさ! と自分なりに自由に歩ける嬉しさと、楽しく過ごせた一日に感謝しつつまた歌った。
 
今日の歩数はApple watchから 25・8km  35517歩 だった
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東海道歩き旅(27)興津宿から由比宿、蒲原宿へ

2020年03月09日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)
3月9日(月)8/22℃  晴
 
東海道歩き旅(27)
興津宿から由比宿、蒲原宿へ
 
  昨日の大雨から今日は一転朝から抜けるような青空だ。 昨日の暴風雨で行けなかった清水港へ先づでかけた。 
 
 港で振り替えるとなんと予想外に冠雪の富士山が遠望できた
 
 青空に真っ白な冠雪の富士山を仰ぎみるともう感激だ!  
よくここまで歩いてきたものだとの感動もあるが、美しい富士山はいつも写真やビデオで見る限りだが、この目で美しい富士山を見るのは初めてだからだ
 
清水港を歩く  随所に清水の次郎長親分の面影をみるようだ
 
 
 
 興津(おきつ)宿から由比宿へ向けスタートする  由比宿は「由井、油伊、湯居」など書かれていたのが、由比に表記が統一されたと  桜海老などの漁業が盛んで、町では「桜海老の町」との表記が目立つ  また薩埵峠(さったとうげ)から見る富士山の絶景は観光の町のシンボルだとの解説に期待膨らむ
 
旧東海道と併走する国道1号線沿いを交互に歩きながら駿河湾と太平洋を望む
 
 ふっと広重の風景を思い出し海岸へ下りてみた  すると何という絶景!  これは広重でなくても描いてみたくなるまさに絶景に感激しながら空筆で写生してみる  しばらくそこから動けずただ黙って海をみ、また富士山をと交互に眺めながら春風に酔いしれながら至福のひと時を過ごした。  カモメや海鳥が楽しそうに舞い戯れている・・ いいな〜
 
 
 
角度を変えて東を見ると・・ なんとあの広重の富士山が見えた
 
 冠雪の富士の山と駿河湾の波の音を聴きながら、どのぐらい幸せな一時を過ごしたことだろう・・・
  
 ふっと思い出したようにやっと腰をあげまた旧東海道に戻り歩き始める  
旧東海道・薩埵(さった)峠を登る  昨日の大雨のお返しのように今日は雲一つない快晴のお天気で春風も気持ちいい~
 
東海道・往還坂を上る
 
 
 
 
 
 
さった峠に着く
 
 
 山道から徐々に視界が広がり眼下に駿河湾が見えたところで前方を見ると何と!  あの冠雪を抱いた富士山の勇姿が目の前に飛び込んできた  凄い!  美しい・・ うっとりとして見惚れてしまった  なんという美しさ・・
 
 
 
 周辺にはさすが静岡! 沢山の柑橘類の木にオレンジ色のみかん類がたわわに実り、横は紺碧の海、そして真っ白い雪を抱いた富士の山と、この絶景はこの旅で最高のお土産だ 
 
 
 
 
 
 
再び長い時間を富士を見ながら過ごした  やっと由比の街へ下る   
 
 
旧東海道の面影が残る由良宿の町は建物には昔の商屋の名残も見え、いい雰囲気の宿場町だ 
 
 
 
旧東海道を思わせる街道が続く
 
この町はどこからでも、いつも富士山が望めそうだ
 
 
 
 
周辺の神社仏閣はみんな山麓にあるようだ
 
 
 
 由比宿に入り、由比本陣跡へ  由比城主・由比助四郎光教が桶狭間の合戦で、主君今川義元に殉じて討死してから、江戸時代その子権蔵光広が帰農してこの屋敷に住し、代々岩辺郷衛門を襲名し本陣職・問屋職をつとめ、近郷きっての名家として大名的な存在であったとか  今は広重美術館として賑わっている様だが、今日月曜日は定休日で休館で残念だった  近隣の施設や店も休業でガッカリだった 
 
 
由比の港を見る  由比は桜エビの町との表示があちこちに見られる
 
 
 
 
由比川を渡る
 
 
 
 
 
 
御七里役所の址があった  紀州徳川家の七里飛脚の役所だったところだ
 
 
 
「由比正雪」は学校で昔習ったがその大逆事件「慶安事件」の首謀者として自刃しているが、その由比正雪の名の酒蔵があり小売りもしていたので旨い地酒を送ってもらった 
 
 
 
 
由比宿を経て蒲原宿へ向かう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今日は昨日の真逆で22℃と暑く、汗を流しつつの歩き旅だった  旧東海道とその歴史を辿りつつ、なんと言ってもあの富士の光景は忘れられない・・  明日はまた一転、春の嵐で雨風が強いので警戒を! との予報  目まぐるしく天候も変わりつつ徐々に春が近づいてくる様だ
 
今日の距離は浸り歩きだったので21・02km、27841歩だった
 明日は蒲原宿から吉原宿へ向かう予定だ。  今日は富士の山をいろんな角度から存分に見たのでいい夢も見れそうだ。
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