日々想うこと

毎日の生活の中のちょっとした出来事や感じたことを気ままに書いています。

人生は旅

2009-01-09 | 日記
先ほど紹介したベニシアさん、1970年ごろインドに渡り、アシュラム(瞑想道場)で過ごし、その後に日本にやってきます。当時はカウンターカルチャーの時代で、それまでの世界の価値観が大きく変化していた時代です。

トムさんも、やはりその頃に、自分探しの旅にシルクロードを往き、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、そしてインドを歩くことになります。
多くの若者が、失われかけた何かを取り戻すために旅に出た時代でした。

私の青春時代は、もっとずっと後なのですが、小学校の頃から「なぜ生まれてきて、生きているのか、どうして自分はここにいるのだろう?」という実存的な疑問を持ち続けていていました。
「真理」という言葉は知っているけれど、それが一体何なのか、死ぬまでに、その答えを見つけたいと誓ったのが高校を卒業する頃でした。

小さい頃から、もちろんそのような疑問に答えてくれる人も居らず、身近な人には「そんな馬鹿げたことを考えるな」と諌められ、本の中に答えを探すようになりました。様々な本を読みましたが、哲学書の中によりも、詩のなかに、なにかおぼろげな影を見ていたのが、私の思春期かも知れません。

二十歳頃、私も瞑想を知り、インドで瞑想の師に出会うことになります。
そこで私が触れたものは、生きた「禅」でした。

日本でもいろいろなお寺に行ったりお坊さんにお話を聞いたり、クリスチャンの同級生に毎朝授業が始まる前に聖書のことを教えてもらったりしていましたが、求めている答えを得られずにいたのです。

瞑想に出会った事は衝撃でした。
それは、私に論理的な答えは与えませんでしたが、その体験の中で答えを探す、という確信が生まれました。

以来、様々なことをしていても、生活の根底には瞑想があります。
瞑想とは「気づいていること」、ただ座っているばかりではありません。
朝起きて顔を洗って、ご飯を食べて、仕事をして、人々と会って話して笑って、掃除をしたり、お風呂に入ったり、当たり前の日常生活の中で、より気づきを持つということです。

とはいえ、無意識に愚かな行動をしてしまうことも度々のことですが!(笑)。
ただ、「気づいていること」「自分というものを知るということ」、それが私が何よりも大切にしていることです。

この年齢になってくると、しみじみと「人生は旅である」ということが、実感として沸いてきます。
まだまだ途上にある自分の・・・これまでの人生を想い、出会った人々を想い、そして自分が立っている、この道に、また一歩を踏み出します。






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