ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

レイダリオ「Principles For Dealing With The Changing World Order: Why Nations Succeed Or Fail 」その2

2022-05-13 12:00:00 | 着眼大局
世界情勢を眺めているとロシア・ウクライナ紛争は、ゆっくりとであるが、着実にロシアとNATOの全面戦争へとシフトしつつあるようだ。そして、その先に待ち構えているのは、レイダリオや私の予測する如く、第三次世界大戦ということになる訳であるが、果たして今回、それが回避される否かは、残念ながら神のみぞ知ると言う他はないだろう。明らかに言えることは、今回のロシア・ウクライナ紛争は、世界秩序をめぐる新たな「帝国主義の時代」の序章に過ぎないということである。

<大きな見取り図としては、今後の世界は、アメリカと言う世界の政治・経済のへゲモンがいなくなる中で、国家間の激烈な経済競争や軍事戦争が始まることになるだろう。いわゆる「帝国の時代」から「帝国主義の時代」へと移行していくことになろう。アメリカの世界の警察官放棄は軍事覇権の多極化へ、ドル覇権放棄は国際通貨の多極化へ向かう。その論理的に帰結するところは、第三次世界大戦とIMFのSDR(特別引出し権)である通貨バスケット制による金本位制復活というのが当然に考えられるシナリオであろう。>

以前にこのような文章を書いたが、従って私の目には、現在のロシア・ウクライナ紛争は、将来、”自由主義の終焉”を示すエポック・メイキングな出来事として、語り継がれることになるのではないかと思われる。つまり、今後の世界は否応なしに分断され、多極化・ブロック化していくという事である。


今にして思えば、新自由主義者=グローバリスト達が、まことしやかに「国家というものは、これからは消えて無くなっていく」と述べていたのは、実に象徴的な光景であったと思う。これに反し、今後の世界の様相は、反新自由主義=反グローバリズムへと急速に傾斜して行き、国家主義的な色彩を強めて行くとことになろう。私に言わせると、新自由主義者=グローバリスト達は、「資本」をあまりにも過大評価していたということになる訳であるが、彼らの目に見過ごされていたのは、「資本=ネーション=ステート」という三位一体システムの強固さであり、最近あちこちで引用されるようになったマーク・トウェインの言葉(とされている)で言えば「History doesn’t repeat itself, it often rhymes. 歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という歴史の循環的な法則性である。


(『帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺』)

逆に言うと世界史上の出来事は、この「資本=ネーション=ステート」という三位一体システムという見地から考慮する必要があるので、個々に「資本」や「ネーション」や「ステート」だけを見ていては、その本質が見えてこないという事でもあって、現在のロシア・ウクライナ紛争も同様であることは言うまでもないだろう。まあ、それがレイダリオの本を私が高く評価する理由でもあるのだけれど。


日本のマスコミの報道を見ていると、そもそもなぜこの紛争が起こったのか、私には全くチンプンカンプンなのだが、それに加えて、プーチン大統領に対する政治的野望に取りつかれた狂気の独裁者といったイメージ作りや、ロシアは孤立しているとか、プーチンは焦っているとか、例によって事実を報道するジャーナリズムを放棄して、ほとんどプロパガンダ装置と化している始末で、実際の戦況はどちらが優勢なのかもさっぱりわからない。その気になればネットで海外の情報は、直接アクセスして幾らでも取ることが出来る現在、例えば自国内の反戦デモを報道しているロシアのメディアと日本のメディアとでは、一体全体どちらが客観的で冷静な報道をしているのであろうかという疑問を持つのは私だけであろうか。


なお、ブチャの虐殺の続報であるが、フランス国家憲兵隊の調査内容が、スペインの記事になるというのも興味深いので挙げておこう。翻訳は敢えて示さないが、日進月歩のAI翻訳ツールの中にあって、今現在の時点では→DeepLをお勧めするが、コピペでものの十数秒で日本語化されるので、興味のある方は一読あれ。

Fue el ejército ucraniano quien cometió la matanza de Bucha(ブチャの虐殺を行ったのはウクライナ軍。)


さて、ロシア・ウクライナ紛争がなぜ起こったかのかに話を戻すと、解説に当たって”キューバ危機”という格好の事例が出てこないのが、私にはとても不思議に感じられる。つまり、この紛争は言わば”第二のキューバ危機”であって、言い換えればロシア・ウクライナ紛争というのは、キューバ危機と「韻を踏」んでいるのである。

まず押さえておかなければならないのは、ウクライナとロシアの首都モスクワの地理的な距離の近さ(ウクライナとロシアの国境からモスクワまでは約400キロメートルで、我が国でいえば東京・米原間くらいの距離)である。日本のマスコミで言われている緩衝地帯が無くなる云々の説明では、この最重要論点が抜け落ちているために、判ったようでいてよく判らない説明になっているが、要はウクライナにNATOのミサイルが配備されると、モスクワがその射程距離内に入ってしまうという事である。

従って、私に言わせれば、ロシア侵攻のトリガーとなったのは、そもそもゼレンスキー大統領が、NATOに加入して核ミサイルを配備すると言い出したからに他ならない。このゼレンスキー大統領の行動は、プーチン大統領の目には、ロシアの安全保障上決して譲ることのできない一線を越えたものと映ったであろうことは想像に難くない。ちょうど、アメリカにとって、キューバに核ミサイルが配備されるのと同じように。さらに、この一触即発の情勢下にあって、バイデン大統領が一般教書演説で、わざわざウクライナには派兵しないとあえて明言したことも、副次的な要因として挙げられよう。この声明とその後のアメリカのウクライナへの軍事援助を考えると、バイデン政権のやっていることは、いわゆるマッチポンプに他ならないと私は考えるのだが、どう思われるであろうか。

キューバ危機の際には、アメリカとソ連の間で話し合いが行われ、あわやと言うところで核戦争の危機は去ったが、現在、アメリカとソ連の間での話し合いは全く行われていないように見える。このような時にこそ、平和憲法を掲げる日本は、外交上、アメリカ・欧米諸国とロシア間での話し合いの調停役に回るべきだと私なぞは考えるのだが、それどころかむしろ油に火を注ごうとしている岸田政権の行動は狂気の沙汰としか思えない。

ロシアへの経済制裁には、自民党内でも表立って反対の声は上がっていないようでもあるし、表向きの内閣支持率も現在は50%を超えているといった塩梅で、そもそも、政府も国民も、この経済制裁によって、すでに日本はロシアとの戦争状態にあるという認識を持っているのであろうか?と言う疑義を私は禁じ得ないのであるが、判っていたこととはいえ、「空気」醸成による時の勢いとは恐ろしいものである。やれやれ。



以上は「ステーツ」間の外交の話であるが、一筋縄ではいかない複雑なウクライナの「ネーション」の問題は、一般に覇権国家の「周辺国」の「ネーション」の問題がそうであるようにややこしく拗れていて、ロシア=悪、ウクライナ=善といった単純な話ではないのは明らかである。ここでは日付は少し古いが、私の興味を引いたものを幾つか挙げておこう。この問題に限らないが、注意すべきは、なんでも判っているような言い方をする専門家の意見であることは言うまでもない。


オリバー・ストーンの『ウクライナ・オン・ファイヤー ―Ukraine on fire―』【日本語字幕版】 - full movie -


故勝谷誠彦のウクライナレポート『血気酒会』緊急開催


*軍事ジャーナリスト田岡 俊次のコラム

ウクライナ紛争の奇々怪々 


*キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹小手川 大助のコラム

ウクライナ問題について

ウクライナ問題についてその2

ウクライナ問題についてその3

ウクライナ問題についてその4

ウクライナ問題の波紋-経済制裁で一番損をしている日本-


ということで、次回は、経済制裁を絡めて「資本」の問題について、私見を述べることにする。


レイダリオ「Principles For Dealing With The Changing World Order: Why Nations Succeed Or Fail 」その1

2022-04-15 12:00:00 | 着眼大局


レイダリオの新刊をようやく読み終わった。576ページと大部な著作で、これもそのうち翻訳が出るだろうが、普通、日本語にすると大体2倍から3倍の分量になるので、下手をすると三分冊になるのかもしれない。しかし、贔屓の引き倒しで敢えて言うと、この本はmust・readである。

贔屓の引き倒しというのは、現在の世界情勢に関する分析が、読んでいて笑っちゃうくらい私の考えていることと同じだからである。勿論、レイダリオ氏と私ではその立ち位置が異なり、読み筋のベクトルも異なるので、それがまた色々と考えさせられる記述も多く、そういう意味では非常に啓発的な充実した読書体験であった。

現在、世界はロシア・ウクライナ紛争(正確にはロシア・NATO紛争と呼ぶべきだろう)で喧しいが、こうした紛争や戦争というものは、歴史の大きな力によって起こるべくして起こっているので、例えばプーチンさえいなくなればこの紛争が終結するといったおめでたい話ではないだろう。こうした紛争だとか戦争だとかは、言わば海面上の泡沫であって、その下には滔々と流れている大きな海流が存在する。この著作は、現在進行中の、その歴史の大きな流れのうねりについて考察した啓発的な著作として、お勧めするものである。さらに、出来れば、内容を立体的に理解する上で、前に挙げた柄谷行人氏の『帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺』と合わせ読みをすることを強くお勧めする次第である。



内容については、以下の動画が網羅的ではないにしてもわかりやすくまとめている。

【投資の帝王】レイダリオ新刊!投資の歴史と、帝国の栄枯盛衰について


最後にこの動画では、分散投資を推奨しているのは私には疑問であるが、以下、そのあたりの問題意識も混ぜて、直近の幾つかの主要トピックを関連付けて、少し私見を述べてみよう。

まずは、ロシア・ウクライナ紛争であるが、私はマスコミの報道姿勢や政府の行動についてはドン引きで眺めている。そこには諦めの混じった複雑な思いがあるのだが、予想通りだからでもある。日本の国益を考えたら、この紛争には巻き込まれないことが第一だと思うのだが、どうしても”ポチ”としての習性から抜け出すことが出来ないためか、今回もしっぽを振ってアメリカ側に付いて、ロシアに対する制裁組に加わったのは周知の事実である。今回の岸田政権の行動は、私の目には、かって「イラクに大量破壊兵器がある」というアメリカのプロパガンダに、いち早く賛成の手を挙げた小泉政権の行動と、二重写しになって映る。

私が言いたいのは、「ブチャの虐殺」は、「イラクの大量破壊兵器」と同様確認されていないと言うことである。

例えば、この記事の内容は実に真っ当なことを言っていると私には思われるのだが、どう思われるであろうか。


The Bucha Genocide Is Not Confirmed

<ブチャの大虐殺は、現時点では額面通りに受け取ってはいけない。どうしても調査が必要です。アメリカのメディア、あるいは私たちが知っているレガシーメディアは、この主張を確認していない。CBSニュースや他のネットワークは、ウクライナ人の主張を取り上げ、証明された事実であるかのように発表したりテレビ放映したりしているだけである。

この底流にある問題は、欧米をロシアとの全面戦争に誘い込むために、ウクライナが数々の嘘と終わりのないプロパガンダを押し付けてきたことである。実際、米国の一部のメディアは表立って戦争を呼びかけている。

第三次世界大戦や核の対立につながりかねない戦争に突入させようとする人たちを信用できますか?


事実は確認されていない。

ロイターは、関係者の話として、ペンタゴンはウクライナのブチャでの残虐行為を独自に確認することができないと報じた。
米軍は、ロシア軍によるブチャの町の民間人に対する残虐行為に関するウクライナ人の証言を独自に確認できる立場にはないが、その証言に異議を唱える理由もない、と米国防総省高官が月曜日に述べた。

「我々は、あなた方と同じ画像を見ている。この残虐行為に関するウクライナの主張に反論する理由は全くない。明らかに、深く、厄介だ。我々は独自に確認することはできないが、そのような主張に反論する立場にもない」と、この高官は匿名を条件に語った。

この発言は馬鹿げている。彼らは見たものを理解しようとしているのだろうか?

ニューヨーク・タイムズも同様に確認できないと述べている。タイムズ紙は、まだ答えが出ていない疑問があると指摘する専門家の言葉を引用している。ニューヨークタイムズ、AP通信、その他の国際的な報道機関のジャーナリストがブチャや近郊の町に到着し、通りに散乱する私服姿の遺体や、庭に一緒に横たわる少なくとも9体の遺体を撮影しているのも事実だ。いくつかのケースでは、両手が背中で縛られていた。

ウクライナのイリナ・ヴェネディクトヴァ検事総長は、キエフ地方で民間人とみられる410人の遺体を収容したと、日曜日にフェイスブックに投稿した。タイムズ紙はこの数字を独自に確認することができなかった・・・・

誰が彼らを処刑し、縛り付けたのか。それらはウクライナ人なのか?

・・・戦争犯罪事件はハーグの国際刑事裁判所に提訴することができるが、起訴を成功させるのは険しい道のりだと専門家は言う。

国際法の専門家であるデイビッド・シェファー氏は、「法廷で証明するのは難しいだろう」と述べた。「状況は不明だ。誰が処刑したのか。誰が彼らの手を縛ったのか。これは非常に困難で詳細な調査を必要とするだろう」・・・。

・・・ロシア国防省は日曜日、ブチャで自軍が残虐行為を行ったという非難をすべて拒否し、町がロシアの支配下にある間、民間人は「一人も」負傷していないと述べた。この地域の写真やビデオ映像は、「ウクライナ政府によって演出されたもの」だという。

ロシアはこの非難を否定し、人々は自由に歩き回り、去ろうと思えば去れたと述べている。嘘であれば "挑発 "であるとしている。

ジャーナリストのグレン・グリーンウォルドはこうツイートした。ウクライナ当局が投稿した恐ろしいが文脈も証拠もない写真やビデオのために、感情的にアメリカがロシアと戦争することを要求し、第3次世界大戦を始めようと躍起になっているツイッター専門家とは全く対照的に、NYTは懐疑論を展開している。

アントニー・ブリンケン国務長官は、鍋をかき回すためにできることは何でもしている。国防総省が残虐行為を確認できないのに、それが証明されているかのように振る舞っている。これは無謀だ。>


日本の報道も同様で、判で押したように「鬼畜英米ならぬ鬼畜ロシアを罰する」勧善懲悪姿勢丸出しで報道しているが、ジャーナリズムの基本である”裏を取る”作業は、全く行われていないと言ってよいだろう。

例えばこの動画。

「“虐殺”はでっち上げ」駐日ロシア大使単独インタビューで語る【報道特集】


<私たちの仲間とかジャーナリストが、実際に何があったのか現地で住民に聞いているんですよ。遺体も見ましたよ。・・・私の仲間が取材した内容を信じたいと思うから言っているんですよ。>

この記者のロジックでは、単に証言があると言っているだけで、ハーグの国際刑事裁判所での戦争犯罪裁判となれば、証言内容の事実性が争われるであろう。果たして、彼に証言内容を裏付ける証拠の提出が出来るであろうか。出来ないであろう。この後、大使は推定無罪の原則の話を持ち出しているが、この意味が分かっているとも思えない。

誤解されるといけないので、ここで念を押して強調して置きたいが、何も私はロシアに肩入れをしている訳でも、ロシアの主張が全面的に正しいのだと言いたい訳ではない。紛争当事者の一方(ウクライナ)側の主張に、根拠もなく肩入し、そちら側に付く愚に疑問を呈しているだけである。まして、事は国益に直結する話なのだから。

やれやれ、これで日本は、この紛争の当事者となってしまった。その代償がどれほど高く付くのかは、今後思い知らされることになるであろう。

トランプ政権の意味するもの(2)

2019-01-26 12:00:00 | 着眼大局
さて、だいぶ間が空いてしまったが、このへゲモンから脱落しつつあるという状況変化に対するアメリカ自身の自覚を象徴的に示していると思われるのが、ハリウッド映画で描かれるヒーロー像の変化である。以前に、アメリカ映画で描かれるヒーロー像の特徴として、「正義」のために戦っているにも関わらず、周りに理解されず、反感を買い、返って「悪」と見做されてしまうといった点を指摘したことがあるが、そのあり方が例えば幾つかのアメコミ映画—―「ファンタスティック・フォー」「アベンジャーズ」「ジャスティス・リーグ」などに見られるように、現在は単独ヒーローものから戦隊ヒーローものに変ってきているのは、私には非常に興味深い。へゲモンから脱落しつつあるという過渡期にあって、他国との協調を余儀なくされつつあるアメリカの現況を実に象徴的に示しているように思われるのだ。





「YOU CAN'T SAVE THE WORLD ALONE.」

とは、アメリカはもはやこれまでのように「世界の警察官」ではいられなくなったということである。



トランプの主張する「アメリカ・ファースト」の根本的な背景としては、第二次大戦後、アメリカが世界最大の債権国から世界最大の債務国へと転落してしまった端的な事実を挙げれば判り易いだろう。つまり、このアメリカの凋落は、これまでのへゲモンとしてのPax Americana(パックス・アメリカーナ)の正当な帰結であるとも言い得るからだ。


第二次大戦における戦勝国の中で、アメリカは経済的インフラの破壊を免れたほとんど唯一の戦勝国であった。1944年にブレトンウッズ体制としての国際金融体制が確立されるのと期を同じくしてアメリカは、ガリオア・エリアの名のもとに日本に18億ドル(無償13億)、マーシャル・プランの名のもとに欧州に102.5億ドル(無償91億)の経済援助を行った。そして1950年代になると日本も欧州も戦争による荒廃から復興することが出来たので、アメリカは資金援助は打ち切ったが、その後も日本や欧州のさらに経済的発展を促進する為に自由貿易の拡大政策を採ったのである。

この自由貿易拡大政策というのはへゲモンたるアメリカの、対外経済援助政策であったと見る事が出来る。

これはどういうことかいうと、自由貿易政策とは、実質的には世界に向けたアメリカへの対米輸出振興策であった訳である。アメリカは消費大国として、低税率で世界中からの輸入をほぼ無制限に受け入れ、他国が高い輸入関税を課して国内産業を保護する一方、アメリカは低い関税で他国からの輸出を促進した。従って例えば、戦後のアメリカの資金援助と自由貿易なくして、戦後から今日に至る「アジアの奇跡」と呼ばれた日本経済の復興発展はなかったと言っても過言ではない。戦後、発展した名立たる日本の大企業の殆ど総ては、アメリカという巨大なマーケット無しにはあり得なかったのである。

このようにして、アメリカはドルを基軸とした国際金融体制の下で後進国や発展途上国経済を先進国へと押し上げし続けてきた。そのためにアメリカは自由主義陣営の安全をアメリカの負担で保障、「世界の警察官」としての役割を果たしてきた。この「世界の警察官」としての多大な軍事力は、大体、アメリカを除いた世界の軍事力の総計のおよそ二倍に達すると言われているが、その膨大な軍事費をアメリカは負担してきた訳である。

現在日本、欧州、そして中国経済はアメリカの経済援助なしでも自律成長出来る段階にまで達している。そして中国や日本が対米黒字国になったのと反比例して、アメリカは世界最大の貿易赤字国になったのである。だからトランプは、自由貿易と言う名の対外経済援助政策は、もはや続ける必要はないと主張するのである。

結果として見ればアメリカは基軸通貨国として、対米黒字国に米国債(アメリカの借金)を売りつけ、貿易赤字との危いバランスをとってきた。この意味において、ここには一種のドル還流システムが存在すると言わなければならない。アメリカにとって自由の拡大とはアメリカのドル市場の拡大であって、それはすなわちドル需要の拡大である。結局のところ、このようなドル還流システムはドル乱発を可能にし、天文学的に増大し続けるアメリカの借金を他国に肩代わりさせることを意味する。

そしてこのドル還流システムは、ドル基軸通貨制とアメリカの「世界の警察官」たる圧倒的な軍事力あってのものである。従って、このドル基軸通貨制とアメリカの「世界の警察官」たる圧倒的な軍事力がパックス・アメリカーナを支える表裏一体の二大要因であると言うことが出来る。


すでに述べたように、トランプはこうしたパックス・アメリカーナを終わらせるために登場した大統領であるというのが私の基本的な認識である。従ってパックス・アメリカーナの二大要因である「世界の警察官」と「ドル基軸通貨体制」をトランプは終わらせることをその二大使命とする。言い換えれば、この二点を押さえておけば、彼のマキアベリズムに翻弄されることなく、その政策の本質を見誤ることもないとも言える訳である。世界を敵に回してのトランプの高関税政策の意図するところも、これも「脱ドル基軸通貨」という文脈から見なければならない。大きな見取り図としては、今後の世界は、アメリカと言う世界の政治・経済のへゲモンがいなくなる中で、国家間の激烈な経済競争や軍事戦争が始まることになるだろう。いわゆる「帝国の時代」から「帝国主義の時代」へと移行していくことになろう。アメリカの世界の警察官放棄は軍事覇権の多極化へ、ドル覇権放棄は国際通貨の多極化へ向かう。その論理的に帰結するところは、第三次世界大戦とIMFのSDR(特別引出し権)である通貨バスケット制による金本位制復活というのが当然に考えられるシナリオであろう。



さて、つい先日の株式市場の暴落は、米十年国債の利回りが3%を越えた事を発端として起ったが、これがなぜ暴落のトリガーとなったのかという明確な説明は、あまり、というかほとんどなされていないようだ。以前からこの利回り3%というのは危険水域だとみなされてきたが、これは端的に言えば、先のドル還流システムに黄信号が灯ったという事である。利回りが上がるー米国債がさばけなくなったという事実の裏には、これまでの主要な買い手であった中国やサウジアラビアなどが手を引き始め出しているという事情がある。残るは日本であるが、今までの米国債の保有国の第一は中国、第二が日本、第三がサウジアラビアであったが 2年程前から中国はキャピタルフライトが止まらず、中国は外貨準備からドル資産(米国債)を減らしてきた。 サウジアラビアも原油価格が 100ドル台から 50ドル台へと下がったために財政赤字に陥り、建国以来初めて国債を発行するなどして手持ちの米国債を減らしている。従って今や日本が世界第一の米国債の保有国となっている。今回の暴落は、以前に橋本総理が訪米した折に「米国債を売りたい欲求に駆られる」と述べて株式市場が小暴落を起したのと大本では同じ理屈による訳である。そもそも株式市場よりも債券市場の方が圧倒的に規模が大きく、リーマンショックも債券市場に端を発して起ったことは記憶に新しいが、このようにドル還流システム=ドル基軸通貨体制には黄色信号が何度か点滅し出している。私見では、恐らく2020年から2025年位に掛けてリーマンショック級のクライシスが再度起るのではないかと見ている。勿論トランプはこの認識を確実に持っていると思うが、トランプ政権は法人税減税、レパトリ減税、軍事予算増額、インフラ公共投資等々の財政主導型経済政策を採用し出している事実を考えれば、第二期トランプ政権末期以降の2025年以降あたりにずれ込むかもしれない。さらにトランプ政権はアメリカの貿易赤字の60%を占める中国の輸入品に高関税をかけて輸入にブレーキをかけ、国内企業の供給量を増やそうとしている。そうすることで貿易赤字を減らし、国内企業を活性化することが出来る。中国のアメリカからの輸入品に対する報復関税で輸出が減る分国内で生産することになりビジネスも雇用も増大する訳である。法人税減税、レパトリ減税はその為にある。

前に<現在出来上がっている体制を「資本=ネーション=ステート(国家)」とする。この概念は、資本とネーションとステートという異質なものがハイフンで繋がれている訳だが、・・・・勿論、この三つは重ならないので、そこからさまざまな現代的な問題が噴出して来ると言うことが出来る>と書いたが、トランプの保護貿易は、単にアメリカの国際収支の黒字化の為だけではない。このようにアメリカと世界にとって今や弊害となる自由主義・グローバル主義を終わらそうとしているのである。

自由貿易・グローバル化前は賃金が経済成長の牽引車であって、賃金上昇と経済成長はある程度パラレルであったが、自由貿易・グローバル化後は国際競争力を競うために、賃金は単なる経済上のコストになってしまった。その結果、グローバル化で企業は内需と外需の両方で規模を拡大出来たが、賃金は低迷し続けることになり、その一方で、国家経済は潜在的に財政破綻化することになってしまった、いわゆる「先進国病」である。いささか十把一絡げに大雑把な言い方をすれば、先進国の国民の生活水準はピークに達していて、これといった革新的な大きなイノベーション期待もなく経済は構造的に デフレ体質が定着している。この様な中で、設備投資欲の期待が持てないところに金融緩和をしても、株と土地の価格が上がるだけで実体経済そのものには殆ど効果が上がらない。減税で企業に余分な資金を与えても結果は金融緩和と同じで、株と土地の価格が上がるだけで設備投資は増えないでいる。 結果、経済的格差が拡大し、実体経済には一向に効果がないということになる。この点は、アベノミクスなども同様あって、戦後最長の好景気が続いているというのが表向きの政府発表であるが、購買力平価によるGDPの日本の世界順位は下がり続けている。以下に見る様に、現在はインドの次の第四位、一人当たりの購買力平価GDPでは第三十位であるが、米国や欧州と共に今後さらに順位を下げていくことは想像に難くない。日本のジャーナリズムでは米中貿易戦争による中国経済崩壊論が未だに根強いが、これなぞは一種の希望的観測でしかないのであって、今後は中国ロシア、それに勃興するアジアアフリカ中東諸国を加えた所謂BRICSを中心に世界は回っていくと思われる。世界主要国会議もG7からG20、G30へとその重点が移っていくことになろう


世界の購買力平価GDP(USドル)ランキング

世界の一人当たりの購買力平価GDP(USドル)ランキング



次に外交政策を見てみると、トランプ政権の2018年の外交成果としては、主なトピックとして目に付くのは、

●米朝首脳会談実現、

●中東シリアからの米軍撤退

であろう。

これらは「脱世界の警察官」という文脈からみると勿論、繋がっている。今後トランプは世界中の米軍を撤退させ、引き上げていくだろう。その第一弾は中東シリアであった訳だが、アフガンからもこれから撤退していき、中東からも完全に手を引く事になろう。そして、次は欧州、極東という流れになるのは明らかである。米朝首脳会談実現も極東から米軍撤退を撤退させる政策の一環として見ることが出来るので、今後、米朝間で平和条約が締結されれば、在韓米軍の必要性がなくなるのは言うまでもない。恐らく、今年あたりから、在韓米軍撤退という話題が表面化して来るのではないかと思われる。そして、その次は在日米軍撤退という流れになるだろう。

その時、日本はどうするか。

日本国憲法9条は、アメリカの核の傘とセットでこそ成り立ちえたのであって、近い将来この核の傘がなくなるということである。安倍政権が憲法改正を急ぐのも、トランプ政権のこの在日米軍撤退方針を知っているからこそと思われる。というか安部・トランプ関係の蜜月が伝えられて久しいが、そもそもこの点で基本的な見解の一致を見ているがこその蜜月関係であろうと私なぞは考えるのであるが、在日米軍撤退によって憲法改正による日本軍再軍備化へと向うのは避けられないだろう。

そして、中東からの撤退は、「脱ドル基軸通貨」という文脈から見ても、将来、石油の決済通貨としてのドル離れ、いわゆるペトロダラー(現在、OPECの原油の取引通貨はドル独占)からの脱却を意味することになろう。これに対しても勿論アメリカは着々と手を打っているのであって、アメリカのエネルギー政策としてシェールガス革命による石油自給率の向上が挙げられる。アメリカはシェールガス革命で原油生産量が2005年以来急速に伸び、現在では天然ガスではロシアを抜き世界一、原油もサウジアラビアの世界シェア13%(ロシアも13%)に肉薄する11%にまで上がってきている。このシェールガス革命によって、アメリカは石油輸入国から石油輸出国へ転換しつつある訳である。










トランプ政権の意味するもの(1)

2018-07-07 00:00:00 | 着眼大局
アメリカのトランプ政権については、何をしでかすかわからないお騒がせ大統領といったマスコミ評はともかく、そもそも当選を予想した人は圧倒的に小数であった事もあってか、当初より誉褒よりも毀貶が喧しいが、この政権を動かしている内的な「論理」を明確に分析や解説したものは殆ど見られない様である。時代が人物を作り、人物が時代を作るという意味で、トランプ政権というのは現在のアメリカが要請した政権であるという事が出来ようが、この点について、私見を少し書いてみたいと思う。



以前のエントリーの文章が面白かったので、最近柄谷氏がどんなものを書いているのか興味を持ったので幾つか読んでみた。具体的には、『世界史の構造』『哲学の起源』『帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺』『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて 』『憲法の無意識』の五冊だが、576ページ+256ページ+264ページ+228ページ+208ページということで、いやはや全部で1532ページもの小難しい文章を読む羽目に至った。やれやれ。内容についてはなかなかと興味深く読んだが、重複が多く、氏の考えも著述に伴って深まっているようなので、私には最も新しい『帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺』が一番纏まっていて際立っているように思われた。内容は多岐に渡り、色々と疑問を呈したい部分も多いので、ここでは主にこの本の内容について私の関心が惹かれた部分について少しく見てみたいと思う。



それは、現在の国際情勢の歴史的パースぺクティブに関する部分である。

この歴史的パースぺクティブそのものについては大いに同感であるが、対処法については柄谷氏とは意見を異にするので、以下、若干駆け足で手前勝手な引用、要約をする。

柄谷氏は現在出来上がっている体制を「資本=ネーション=ステート(国家)」とする。この概念は、資本とネーションとステートという異質なものがハイフンで繋がれている訳だが、この見立ては、私には誠に的を得ているように思われる。勿論、この三つは重ならないので、そこからさまざまな現代的な問題が噴出して来ると言うことが出来る。思想的には、この三つが我々の頭の中に内面化されたものとして、それぞれ様々な「経済思想」、「ネーション思想」、「国家思想」などの主義やイデオロギーが考えられるが、大雑把に言えば我々個々人の世の中に対する考え=世界観の違いというものは、この三つの「思想」の微妙な濃淡の違いによる組み合わせのヴァリエーションの違いに過ぎないと言っても言い過ぎではないだろう。従って、政治においてはこの三つの勢力の鬩ぎ合いの結果が、その時々の各国政府の政策的な性格を決めることになると言っても良いだろう。

<(フランシス・)フクヤマが「歴史の終焉」と言ったのは、このような資本=ネーション=ステートのトリアードが最終的なもので、それ以上、根本的な変化はないということを意味します。実際いろんな変化が起っているように見えますが、それは、資本=ネーション=ステートというシステムの中での変化である。その場合、さまざまなヴァリエーションがありえます。資本が強いと新自由主義的になり、ネーション=ステートが強いと国家資本主義的となる。しかし、いずれも、資本=ネーション=ステートというシステムを越えるものではない。したがって、それは「歴史の終焉」を越えるものどころか、まさにそのことを証明するものである。>

そして氏は、マルクスの史的唯物論における「生産様式」論の限界から、それに代るものとして「交換様式」という概念を導入し、資本とネーションとステートそれぞれとその関係を再定義し直して「世界史の構造」を読み直していく。何ともスケールの大きい壮大な試みであるが、面倒なのでここではその細部に立ち入ることはしない。ただ、面白いのは「帝国」と「帝国主義」を分けていることで、つまり、旧世界「帝国」(ロシア、清朝、ムガール、オスマン)がその亜周辺たる世界=経済から生じた西洋列強の「帝国主義」によって解体されたと見るのである。


<世界=経済では、帝国はありえない。帝国の様にふるまうと帝国主義になるだけです。>

その上で氏は世界=経済における他国を圧する強国としてヘゲモニー国家(へゲモン)という概念を持ち出してくる。

<世界=経済では、中心がたえず移動するといいましたが、同様に、ヘゲモニー国家も移動します。つまり、ヘゲモニー国家はたえず交代するのです。そして、それが世界=経済に固有の問題を齎します。・・・ヘゲモニー国家が存在するとき、それは自由主義的な政策をとる。それに対して、他の国は保護主義的になりますが、問題は生じない。ヘゲモニー国家は圧倒的に優越しているからです。それが「自由主義的」な段階です。次に、ヘゲモニー国家が衰退し、多数のの国がつぎのヘゲモニー国家の座をめぐって争う状態がある。ウォーラーステインはこれを「帝国主義的」な段階だと考えた。>

従って、ここにおいて歴史は、ヘゲモニー国家の存在、不在、存在、不在=「自由主義的」、「帝国主義的」、「自由主義的」、「帝国主義的」な段階という「循環」或は「反復」として現れることになる。

以下の表によれば、現在世界は1990年以降の「帝国主義的」な段階にあって、過去の60年という周期性から言えば、この「帝国主義的」な段階は2050年?まで続くということになるようだ。



<現在がかっての帝国主義時代と類似することに関して、つぎのヘゲモニーをめぐる争いということだけではない、類似点がもう一つあります。それは、1870年代に旧世界帝国(ロシア、清朝、ムガール、オスマン)が、西洋列強の帝国主義によって追い詰められながらもまだ強固に存在していたように、1990年代に、それらが新たな広域国家として復活して来たということです。・・・1930年代には完全に無力な状態に置かれていた、中国、インド、その他が経済的な強国としてあらわれています。かってオスマン帝国、イラン帝国であったところも、いわばイスラム圏として復活してきたといえます。また、ヨーロッパもヨーロッパ共同体という「帝国」として再登場したことを忘れてはなりません。>

<このように、歴史的段階としての新自由主義あるいは新帝国主義は、かっての歴史・地理的な場で生起します。・・・東アジアにおいて、そのことは明瞭です。たとえば、現在そこで起っているのは、かって日清戦争の時期にあったことの反復なのです。日清戦争は、東アジア、すなわち日本、中国、朝鮮だけのものではなかった。そこにロシアが関与していることはいうまでもないが、何よりも米国がそこに関与していたことに注意すべきです。・・・このような東アジアの地政学的状況は、むしろ現在蘇っています。>

<先ずここで、問題は、没落しつつあるアメリカに代わって、新たなヘゲモニー国家となるのはどこか、です。それがヨーロッパや日本ではないことは確実です。人口から見ても、中国ないしインドということになります。>

<産業資本主義の成長は、つぎの三つの条件を前提としています。第一に、産業的体制の外に、「自然」が無尽蔵にあるという前提です。第二に、資本制経済の外に、「人間的自然」が無尽蔵にあるという前提です。第三に、技術革新が無限に進むという前提です。しかし、この三つの条件は、1990年以降、急速に失われています。・・・資本の弱体化は、国家の弱体化であるから・・・国家は、何としてでも資本的蓄積の存続をはかるだろう。今後に、世界市場における資本の競争は、死にものぐるいのものになります。それは、たんに南北間の対立でなく、資本主義諸国の間の対立となる。そして、それが戦争に帰結することは確実です。・・・現在の帝国主義的段階も、やはり戦争を通じて終わる蓋然性が高いからです。>


現在は第三次世界大戦前夜であるというこの認識は、私には残念ながら受け入れざるを得ない正鵠を突いたパースぺクティブであると思われてならない。

つまり、現在の「帝国主義的」な国際情勢において、アメリカにおいてトランプ大統領が登場してきたという事は、アメリカの政策の根本的な転換点を象徴的に示しているように私には思われるということである。この意味では、オバマ政権はトランプ大統領の登場を準備した政権であったと言わなければならないだろう。ヘゲモニー国家から没落しつつあるアメリカがオバマ大統領を経てトランプ大統領を選んだという事は、アメリカの政策が大きく舵を切った事を如実に示す、象徴的な出来事ではないかと思われるのだ。