ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

宇多田ヒカルー六年後の補足、或は天才について

2018-01-30 00:00:02 | 宇多田ヒカル
六年が経った。

 2012年の春先に書いた文章を再アップしたが、これは彼女が「人間活動」中に書いたもので、自分としては、すでに賞味期限切れという認識でいた。しかし友人から手渡された五冊、『1998年の宇多田ヒカル』『宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌』『宇多田ヒカルの言葉』と二冊のROCKIN'ON JAPANの二つのロングインタビューを読んでみて、少し考えを改めた。彼女に対する基本的な認識は現在でも変ってはいない事でもあるし、思い入れのある文章でもあるので、少しく手を入れて再アップすることにした次第である。

 思えばその登場以来、日本のミュージック・シーンで彼女程天才の名を欲しいままにしたミュージシャンはいないだろう。この点で異論を唱える人はまず見当たらないと思われる。だが、その高評価や熱狂とは裏腹に、この類稀なるミュージシャンの天才性に切り込んだ文章は未だに書かれてはいないのではないかというのが、友人の見立てである。私はこの見立てが当たっているのかどうか、語る資格も関心もないが、この五冊を読んだ感触から想像する限り、強ち間違いでもなさそうだという感想を持った。

 現在においては、天才という言葉は乱発乱用され、それに加えて意図的に誤用悪用さえされている始末で、投機市場と同じくバブルの末期的様相を呈していると私には思われるが(なんせ現在では天才とは自称するものでさえあるらしい)、この言葉はある特定の才能に関する究極のマッチョ的極限概念として、あっけらかんと至極単純な意味合でしか使われていないようだ。私は彼女が天才であることにも異存はないし、それどころか現在の日本においてはその名に値する真に天才らしい天才は、彼女くらいしかいないのではないかとさえ考えているが、現在広く流通しているぶくぶくと野放図に肥大した空虚な概念とは異なり、私はこの天才という言葉をもう少し濃い陰影を持った奥行きのある、いささか複雑な概念だと捉えている。

 芸術というものが人類の歴史上に登場した時期は定かではないが、その発展を鑑みれば、そもそも芸術とは人類の生存ためのコミュニケーション技術の一つとして発展してきたと言うことが出来る。そのメイン・チャンネルは勿論言語であろうが、それを補完するものとして言語では言い表せない、いわば言語に絶する精妙な精神的なコンテンツをコミュニケートするために芸術は発展してきたと考えることが出来る。勿論、その一形式である言語芸術についてもこの間の事情は全く変わらない。一流の詩や小説等は、いわば通常の自然言語生活言語の使用法を逆手に取って、言語に絶するコンテンツを超絶的に表現している訳である。だが、この芸術の出現と共に、散発的にではあるが、ある種異形の人類が出現することにもなったのである。この補完的なコミュニケーション技術に驚異的に長けて特化した人々である。これが最も安直な芸術的天才の定義であるが、これ等芸術的天才等は、そのためにある大いなる代償を払わざるを得ない宿命を背負うことになった。これは実に不思議なことだが、補完チャンネルに特化したがために、逆にメイン・チャンネルたる言語表現においては、一種の欠語症患者或は失語症患者たらざるを得ないこととなったのである。極く希な例外は別として。音楽を例にとれば、音楽的天才にとっては、音楽がその精神の最も深い所ににまで食い込んでいるために、音楽自体が根本的な思考原理にまでなっていると言って良い。例えばモーツァルトが「自分は音楽でしか自分の考えを現すことは出来ない」と手紙に書いている如く。最もこの手紙の真偽については議論がある様だけれども。言い換えれば、天才音楽家というのは、その精神の深奥部は音楽で出来ているのであって、音楽でしかその精神を十二分に現すことが出来ないという事である。ここに人間的実存の不可解で巧妙な一形式がある。

 従って宇多田ヒカルの際立った一つの特徴として、音楽活動或は芸術表現における高度な自由自在さと人間活動或は生活言語表現における拙劣不器用さという、対極的とも言える性質の奇妙な同居が挙げられる訳である。


「ぼくはくま」(振付&演出:WARNER)


 この歌は、彼女自身を歌ったものであるが、なぜ「くま」なのかという点は置いておいて、注目すべきは「歩けないけど踊れるよ しゃべれないけど歌えるよ」という歌詞である。私には、これが彼女の天才たる所以の核心を衝いた表現だと思われるのだ。

「歩けないけど踊れるよ」というフレーズを初めて聞いたとき、舞台で踊っている時よりも、通りで歩いている時の方が苦しそうだったというニジンスキーの逸話を私は思い出したが、「しゃべれないけど歌えるよ」というのは彼女の実感であろう。あえて説明するまでもないと思うが、この歌詞は彼女は歌うという行為には自在を得ているのに対して、じゃべるという行為には自在を得ていないという真実を語っている。つまり、自分や自分のしている事を語るに当たっては先に述べたように、舌足らずの一種の欠語症患者或は失語症患者たらざるを得ないのであって、天才の名を欲しいままにした宇多田ヒカルとてこの事情に変りはなく、彼女自身このことを強く自覚していることをこの歌詞は示している、そう私には思われるのである。 

 勿論、この「歌えるよ」というのはミュージシャンとしての行為全般を象徴する比喩であって、作詩という行為もこの中に含まれる事は言うまでもない。彼女の歌詞については『宇多田ヒカルの言葉』という本の出版が如実に表しているように「意味深い」とか「味わい深い」という定評があるが、この本は私の目には前二著『点―ten―』『線―sen―』と全く対照的ななものとして映る。この本の歌詞から天才宇多田ヒカルに至る道は開けてはいても、前二著からは、天才宇多田ヒカルに至る道は開けてはいないとまでは断言はできないにしても、その道のりは非常な困難を伴う迷い道であると言って良い。即ち、取り扱いには注意を要するという事である。勿論、ROCKIN'ON JAPANの二つのロングインタビューも同様であることは言うまでもない。なお、この『宇多田ヒカルの言葉』という本の歌詞表記はいささか問題無しとはしない。例えば『ULTRA BLUE』のブックレットでは、「BLUE」には一部の歌詞に下線が引かれているし、「MakingLove」では「私たちの仲は 変 わ ら な い」というように間隔を取った表記になっているが、これらの表記法が変えられ、下線も間隔もなくなっている。ために前者の強調による暗黙のメーッセージ性や後者のアイロニーといった意味合いが消し飛んでいる。勿論、これらは今回この本に収録するに当たっての彼女の意図的な改変と考えることも出来ようが、私はそうは考えない。それはともかく、彼女は文学少女であったようで、将来物書きになる希望を持っており、その時のためにペン・ネームもすでに用意してあるとどこかで書いていたが、二冊の『点―ten―』『線―sen―』という本を造ることで、どうやらこれを断念したようである。この二冊を作る過程に置いて「しゃべれないけど歌えるよ」という自らの資質を痛感させられることになったと私は密かに想像しているのであるが、さてどう思われるであろうか。

 さらに、彼女についてはもう一つの特徴も挙げて置かなければならない。実は、これは先の特徴とパラレル、というか相補的でもあるのだが、英語の天才ーgeniusという言葉は、ラテン語で「守護霊」や「守護神」を意味するゲニウス(genius)が語源であって、日本語とは異なりこの言葉には、「守護霊」や「守護神」に取りつかれた人間といった意味合い、ニュアンスがある。これはどういうことかというと、人間としての天才の人生の主導権を握っているのはこの「守護霊」の方であって、取りつかれた人間の方にはないということである。つまり、天才を背負された人間には殆ど自由はないと言って良い。例えば天才音楽家とは、一生をその「守護霊」たる天才性に翻弄され引きずり回され、音楽に携わるよう宿命付けられた一種の奴隷に他ならない。普通には、努力しなければ天才にはなれないという風に考えられているが、むしろ事実は全く逆であって、常人が容易と見る所に敢えて困難を見い出すその天才性が、その人生に過酷な努力を強要するのである。天才とはある種呪われた存在であると言わなければならない。これを彼女に当て嵌めて言えば、取り付いている宇多田ヒカルという「守護霊」が宇多田光という人間を振り廻し引きずり回しているのであって、彼女自身がどう思っているにせよ、「人間活動」もこの「守護霊」が強いたものと言わなければならない。これは例えば「人間活動」後の彼女に、母親を亡くし結婚して子供を生んだ経験から俗耳に入り易い人間的成熟を見い出すといったような、いわばありきたりな私小説的世俗的人間理解の方程式とは全く対極にある天才理解の方程式であって、この宇多田光と宇多田ヒカルの二重人格的主従関係性を最も端的に、象徴的に表しているのが「Devil Inside 」という彼女の文章であることは前に書いて置いた通りである。


 人間は拒絶し嫌悪するものには苦しまない。本当の苦しみは愛する者からやってくる。今にして思えば、「人間活動」直前のSINGLE COLLECTION VOL.2の為に新たに作られた楽曲から「Fantôme」の内容は予告されていた。この事実が端的に示しているように、彼女の音楽活動の創造の源泉は母親藤圭子であったと言ってよい。私はこれを古めかしい宿命という言葉で呼びたいのだが、音楽活動とは当初からこの母親藤圭子という宿命に対する強いられた戦いの記録であった。「音楽やってるの、親のためだったんだよね。猫とか犬とかが芸をするような感じでさあ」と。そして、この圧倒的な宿命に対する自己救済のための悪戦苦闘が、無類の芸術を造り、独特の形式でポップ・ミュージックをさらなる高みに高めたのである。だが、「分かり合えるのも、生きていればこそ」という歌詞が「嵐の女神」にはあるが、母親の逝去によって、計らずもこの戦いは全くの不戦勝に終わったようである。しかし、この不戦勝は敗北よりも大きな空虚を彼女にもたらしたのではなかったか。それがどれ程のものであったのか、母親の逝去以降の曲が明確に示していることは私が今更言うまでもないことだろう。それらの楽曲はこの大きな空虚に捉えられ、その美しい透明なBLUEの球体の中に琥珀の中の虫のように閉じ込められている彼女の姿を物語っているように私には思われる。直近の曲から窺えるのは、この球体は時と共にその美しい色合いを益々濃くしその透明度を増して、よりはっきりと中にいる彼女の姿を露わにしつつあるようだ。例えば「Forevermore」にせよ「あなた」にせよ、歌詞の表面的な字面を辿れば熱烈なラブソングと言えようが、私にはいよいよ深まってゆく母親に対する切実で絶望的な思いを歌った曲としか思えないのであるが、どう思われるであろうか。言い換えれば、時と共に益々増していく悲しみの中で、彼女の切実な思いはむしろ絶望的なるが故に殆ど絶対的な希求性にまで昇華されつつある様に思われるのだ。私がここで絶対的なというのは、彼女にとってこの希求性が、殆ど生きてゆく理由そのものとなっている事実を指して言うのであるが、誤解を招く言い方をするなら、この希求性に私は、嵐のような一方的な宿命に囚われ極限の苦悩に苦しみ抜いた人間だけが持つ孤高と狂気を見る。孤独というのにはあまりに凄絶な孤高と錯乱というのにはあまりに静謐な狂気を見る、そう言ったら果して理解して頂けるであろうか。だが、私の不味い演繹はこれくらいにして置こう。

 現在、彼女はプロデュサー業へも軸足の重点を移しつつあるようだ。彼女自身この事をどう考えているのか知らないが、これもまたさらなる獲物を求める「守護霊」の渇望によるものと見るべきであろう。新たなステージへ一歩を踏み出したと言って良いが、恐らく彼女自身、次の言葉以外には、これを明瞭に語る言葉を持ち合わせてはいまいと思われる。


「自分で育てたもの、はぐくんだものを、
自分でそうあってほしいと思ってなった世界を、
自分で壊すっていうのが、
ホント・・・・なんでだろうって・・・・。
そういうことの繰り返しのような気がしたのね、
人生が。」


やはり、この天才にとって変化し続けるのは、その基本的な生得の資質であるようである。

宇多田ヒカル(続)

2018-01-30 00:00:01 | 宇多田ヒカル


 音楽家宇多田ヒカルの際立った特徴として、アルバムごとに毎回実験的なアプローチを取ることが挙げられよう。デビュー以来、ここまで作品が変わり続けているミュージシャンも珍しい。これは彼女の高潔なプロ意識にもよるのだろうが、ここにはもっと本質的な人間的な資質に根差したものがあるように私には思われる。私は次に挙げる自分を語った二つのインタビューの文章が、この資質の基底部とでもいうべきものを鮮やかに表していると思うのだが、どう思われるであろうか。

「たまに意味なく泣けてくるんだよ。なんのこっちゃって感じ。そういうときは泣きやむ秘訣があってね。まあ、泣くのも脳にいいらしいんだけどね。だから最近は我慢しないんだけど、それでもどうしてもマズイと思ったときは、鏡を見るの。自分を。そうすると笑いだしちゃってしょうがない(笑)。すごい顔してんじゃん、泣いてる人間って。」

「最近衝撃的だったことでいうと、私、波が激しくて、すっごくテンション高い時期とか、もうほんとに起き上がれないないぐらい落ち込んでる時期とか、ま、軽くうつだよね。結構ひどい。もう、シャワーも浴びれないぐらい。出かけられない時期もあったりして・・・・で、何か「私もう死んでるみたい」とか思って、「どうしようヤバいな」ってときに、ちょっと調子よくなってきたから散歩に出て、電車の真上にある歩道橋のところを天気のいい日の夕方に一人で歩いていたの。で、「ああ、このスポットいいなー」とか思ってずっとそこに立ってたら、スプレーペイントの落書きで「お前は生きてるのか?死んでるのか?」って書いてあったの。で、何か「うわっ!」とか思って、「今の私にすごいグサッとくるんだけど、これ」とか思って、どうせバカな男の、若い男の子がガッて書いたんだろうなって思ったんだけど。で、「あ、そうだ、生きてるんだから。うん、仕事して、遊んで、ちゃんと、うん、やってかなきゃ」って思ったのね。うん、何か「ここに来てよかった」と思って。で、よく見てたら、「生きてるのか?」の送りがなが間違って、「生てるのか?」になってたのね。「き」がぬけてるの、「う、ダッセー!コイツ」とか思って、逆にそれでテンション上がって。「バカだコイツ、バカだ!」って思って。「こいつバカだ、私もバカだ」とか思って、それが何かやる気になって、すごくいい体験だった。」

「on・offが激しいとは言われる」という言葉も「語録」にはあるが、彼女はどうやら心にある種の病みを抱えている人間のうちの一人のようである。

 いささか余談になるが、ここで課題をちゃんとこなしたという証に眼に止まったいくつかの点を挙げておくことにする。いずれもバラエティー番組での事であるが、一つは確か『新堂本兄弟』という番組だったと記憶しているが、ハンバーグ嫌いを表明している発言である。その理由として、「もともと一つの肉をわざわざひいたのに、またあえてくっつけるのがなんか理不尽だ」と、怒るようにして述べていたのが非常に印象に残っている。とんねるずの『食わず嫌い王』では「子供の食べ物が嫌いだ」とか言っていたようだが、私には本当の理由はこちらの方だと思われる。つまり、嫌いなのはハンバーグそのものというよりも、それが象徴している「理不尽さ」、「もともと一つのものを、わざわざ別にしてまたあえてくっつける」という「理不尽さ」にあると思われるのだ。ここで直ぐに思い浮かぶのは、彼女の幼少期の家庭環境である。ここに結婚離婚を繰返す両親に人生を翻弄された子供のトラウマを見るのは、下衆の勘繰りというものであろうか。(なお、彼女によれば両親の結婚離婚回数は何と六セット!との事である。)

 もう一つはこれも確かダウンタウンの番組だったと思うが、差し入れの好物の寿司の風呂敷の包みを開けられないでツッコミまくられていた事である。これは、彼女自身ブログにも書いている。

「えーところで「苦手」というものは誰しも持っていますね。私の苦手その一は、ものを開けることです。パッケージを開けるとか、手紙の封を切るとか、プレゼントを開けるとか。そんなことが非常にへたくそです。物理的に下手で、プラスチックのパッケージなんかとは長時間格闘したあげくに品も私もぼろぼろになって終了・・・って感じなんだけど、精神的にも新しいものを箱や包装から取り出すということに抵抗があって、新しいゲーム機とかキーボードとか買ってもしばらく開けられなくてそのまま放置。かわいいお皿をいっぱい買った時も、一ヶ月袋のまんまにしてて友達に信じられないと言われたこともありまーす。」

 これは、もう「苦手」とか「不器用」とかいったレベルの話ではないだろう。彼女自身「精神的にも抵抗があって」と書いているが、私はここに「抑圧 Verdrangung」の一症例を見る。明らかに彼女の中には、ものを開ける事を「拒否している」もう一人の自分がいる。勿論、彼女が「抑圧」しているものが何であるのかは、安易にどうのこうの言える筋のものではあるまい。
 そして、その最たるものは「くまちゃん」であろう。これも、単なるぬいぐるみ好きの少女趣味やオタク趣味などといったものとは全く次元を異にしたものであろう。彼女は「くまちゃんとしゃべってます」と述べているが、これを比喩と取るのは間違いだろう。私はそこにある種の凄みさえ感ずる。恐らく、このことは先の二つとも彼女の識域下の深い所で繋がっているのではと思われるが、一体、この彼女のドッペルゲンガーの正体は何なんだろうか。彼女は「実物のクマではなく、クマと言う概念」とも言っているが、この「くまちゃん」のかわいい無表情な顔の下には一体全体何が潜んでいるのだろうか。そこには眩いばかりの明るい光源があるのだろうか。それとも不気味な深淵が黒々と口を開けているのだろうか。恐らくそこには・・・、いや、止めておこう。何処からか声が聞こえてくる、覗いてはならぬ、見てはならぬ、知ってはならぬ、と。

 さて、回り道で更に道草を食っているような按配になってしまったが、あえて道草を食った私の下心は賢明な方には推察していただけると思うので、最初の二つの文章に戻ろう。彼女は「確かに、私の歌詞の中には、底知れぬ絶望を歌ったものもある。でも、希望を書いた歌詞はもっともっとある」と述べているが、絶望を歌う事が出来るのは絶望と戦って勝った人間だけである。絶望に負け絶望に溺れていては、そもそも絶望を歌うことすら出来まい。絶望を歌うこと、そこには絶望という敗者を見据える勝者の冷徹な健全な目があるのだ。客観的な健康な目があるのだ。一般に創造行為というものにはそういった一見病的でいて実は健康な、一見簡明でいて実は複雑な逆説的な事情というものがあるのだ。ここでもう一度先の二つの文章を読み返して貰いたいが、この二つの文章に光っているのもそういった勝者の冷徹で健全な客観的で健康な目だ。そこに見据えられている彼女の資質の基底部とは何か。それは、ほとんど本能的なと言って良い精神の素早い復元力である。

 彼女の中では「on・offが激しい」という精神の在り様に対して、「on」か「off」かの感知センサーが常に作動していると言っても良い。「落ち込んでる」、「軽くうつ」といった「off」の兆候にセンサーが異常を感知し警告音が鳴り出すと切っ掛けを探して彼女は動き出す。この場合、切っ掛けは切っ掛けに過ぎないので何とでも取り替えが効く。それはある時は「鏡に映る自分の泣き顔」であったり、ある時は「歩道橋のスプレーペイントの落書きの送りがなの間違い」であったりする。別の時には、それは空に浮かぶくまの形をした一片の雲かも知れないし、読み止しの古本のページの上をのたのたと歩む紙魚の一軌道曲線かも知れない。或はスタジオで食べたみかんのへたの淡くほろ苦いフレイバーであるかも知れない。そしてこの「切っ掛け」に対しても同様に感知センサーがあり、このセンサーが感知すると同時に彼女の精神は身を翻す。身を翻せばもうすでに「落ち込んでる」「軽くうつ」の状態からは脱出してしまっている、瞬時に「off」から「on」に切り替わってしまっているのだ。この本能的なとでも形容すべき精神の変り身の速さは見事という他はない。ほとんど速度に達している。ここに、まるで子供がじっとしていたかと思うと次の瞬間、いきなり身を翻して駆け出していくといったような、一種生命力の迸りを私は感ずる。つまりこの彼女の資質の基底部の特徴とは、言ってみれば負から正へのこの本能的な復元力の弾性係数とその復元運動における加速度係数の二つの数値の高さにあるのだ。
 例えば、彼女の次の文章にも私は同じこの資質の基底部というものをはっきりと感じる。

「「諦め」という屍を苗床に、「願い」と「祈り」という雑草が、どんどん私の心を覆い尽くしていった。絶望が深くなればなるほど、この雑草もたくましさを増すようで、摘んでも摘んでもまた生えてくる、やっかいなものだった。
でも「願うこと」「祈ること」は、「求めること」と決定的に違う。それは「希望」と「期待」の違い。(前者は、してもいいことなんだ・・・っつうかどうしようもなくね?)と気付いた。それに、願いと祈りをなくしたら私になにが残るだろう。人ではいられないだろう。
ならば雑草よ、好き放題に生えるがいいっ!」

 そして、この本能的な復元力はさらに自らを復元し、その微分係数へと純化され結晶化される。すなわち復元運動は不断の復元運動へと永続化し、ここにおいて彼女の資質は変化そのものと化す。先に「資質の基底部」というような生硬な舌っ足らずの言葉を使ったのは、言うなれば彼女の資質はこのように二段構えに構造化されていると考えるからだ。そして、この彼女の資質がその作品制作過程において、停滞という負を嫌い遺憾なくその能力を発揮することで、変化し続ける音楽家宇多田ヒカルが誕生したと考えるのは私には極めて自然な考えに思われる。それを彼女の過去の作品に丹念に辿っても良いが、ここでは御用とお急ぎのある方のために割愛する。この小論の能くするところではないし、そう難しい仕事ではないからだ。
 代わりにここで、この自らの資質を「ホラホラ、これが僕の骨だ」と差し出した彼女自身の言葉を挙げておこう。

「自分で育てたもの、はぐくんだものを、
自分でそうあってほしいと思ってなった世界を、
自分で壊すっていうのが、
ホント・・・・なんでだろうって・・・・。
そういうことの繰り返しのような気がしたのね、
人生が。」

だがこの不断の変化というものは、当然の事ながらまたある種の危機を孕んだものでもあった。




 先にも触れたように、私はアルバム「HEART STATION」に音楽家宇多田ヒカルの危機を見た。あらゆる分野における早熟な才能―ここで彼女の好きなモーツァルトや中原中也を例として挙げても良い―に共通な夭折の危機を見た。いや、「見た」というよりも「聞いた」と言ったほうがより正確かも知れない。そこに有り余る才能が空転し唸りを立てている轟音を・・・・、いやいや、この音はそんな生易しいものではない、むしろ自らの有り余る才能が音楽家宇多田ヒカル自身をバリバリと食らい尽くす、不気味な恐ろしい音を聞いたと言ったほうがよい。

 アルバム「HEART STATION」のオフィシャルインタビューのサマリーを読むと、そういった危機感などと言うものは微塵も感じられない。だが、前に述べたように私は一音楽遭遇者の特権を最大限に利用するのみだ。私のこのアルバムに対する印象に忠実に従って、その内容を再構成するのみである。彼女自身でさえ「嘘ついたりしてると思う」と言っているではないか。何度も言うが、本来最も芸術家自身を雄弁に語るものは、その作品に他ならないからだ。
 彼女のアルバムを最初の「First Love」から順を追って注意深く耳を澄まして聴いてきたものには、その音楽が「ULTRA BLUE」において空前の高みに達し、ここである頂点を打ったという感じを受ける。そこには豊饒という言葉が自然と連想されるほどに、充実しきった音楽的才能の多様な方向性への開花が易々と達成されている。不思議な事にこういった評はあまり見られないようだが、このアルバムには一つの恋愛の初めから終わりまでの精神の振幅の総て―予感、高揚、齟齬、懐疑、修復、悲嘆、皮肉、諦念、回顧ーが、見事に活写されている。タイトルの「ULTRA BLUE」の意味については、『点ーtenー』の中では才気走った訳のわからない説明がなされているが、アルバムの内容に即して素直に考えれば、この恋愛が終わった時点での精神状態を象徴的に表したものと取るのが自然だろう。それをここで野暮を承知であえて翻訳すれば、「無茶苦茶憂鬱」とでもなろうか。このアルバムはピクチャー・ディスク仕様になっているが、表の例によって彼女の大写しのパケ写のスリーブを開けると、目を瞑って血の気の失せた殆ど死人の様な彼女が出てくるという仕掛けになっている。服の色も表の赤からブルー、それもむしろ青白い色合いへと変わっていることは、アルバム・タイトルと合わせて私には非常に象徴的なパッケージ・デザインだと思われるのだが、どう思われるであろうか。そもそも彼女の歌詞における「ブルー」や「青」という言葉は、重要なキー・タームであって、「BLUE」という曲では「私の一番似合うのはこの色」と言っているように、いわば彼女の人生という楽曲の基本的調性として、「ブルー」はあると言って良い。これをこの曲では、「そんな年頃ね」とか「道化師のあはれ」とか「ブルーになってみただけ」とか、強がったり、突き放したり様々に表現しているが、つまりは「根暗なマイ・ハート」(「Making love」)というのが彼女の自己に対する基本認識であるようだ。例えばいささか先回りした言い方になるが、この自己申告による根暗女宇多田ヒカルという人間を考えるに当たっては、非常に重要な意味を持つ楽曲ー「嵐の女神」における「こんなに青い空は見たことがない」という歌詞は、この意味で取ってこその「青い空」であろう。つまり、これもまた野暮を承知であえて註釈するとすれば、「嵐の女神」たる母親を想う時、「見たことがない」程「憂鬱」になるという事である。
 それは兎も角、「ULTRA BLUE」というアルバムにおいては、皮肉にも現実における恋愛の崩壊という悲劇故に返って才能は研ぎ澄まされ、ために高度な芸術作品への昇華が達成されることとなったのである。誤解を招く言い方をすれば、私にとってその魅力の本質を成すものは、鬩ぎ合う多様な軋轢を纏め上げる力技そのものである。この意味で、「ULTRA BLUE」に刻印されているものは、彼女の天稟の個性の深刻な強度と筋金入りのしなやかな多様性であって、それらを纏め上げる力技の充実度においてこのアルバムは真に代表作と呼ぶのに相応しいと思われるのだ。
 それに対し、この「HEART STATION」というアルバムは、一体に、私には何かしら散漫なとっ散らかった印象が感じられる。名曲ぞろいだがよくあるベスト盤のように。これまでの彼女のアルバムにおいて増してきた、多様性を纏め上げる統一性が感じられないように思うのだ。熟達した手腕によって纏め上げられてはいるが、結局のところ手慣れた手腕によってあり合せで間に合わせた無難な手堅さが、返って一種散漫な印象を与えているとでもいった風に感じられるのだ。個々の楽曲は、恐るべき高度な完成度にあるにも拘らず。

 これはどんなミュージシャンにも言えることだが、自らの音楽スタイルにおいて、これ以上には登れない高みというものが存在する。一旦、この高みに登りつめると別の音楽スタイルを模索し新たな高みを目指すか、或は自らの作品の同種のコピー作品を量産するようになる。総てのミュージシャンは、単にこの両極端の軸の間のどこかに座標を持つのに過ぎない、という言い方をしてもそれほど間違った言い方にはならないだろう。私はこの「HEART STATION」に後者の危機を見た。それは彼女の資質があれほど嫌った負の停滞、マンネリズムという危機に他ならない。
 この点に関して「HEART STATION」のオフィシャル・インタビューのサマリーの中で、彼女は楽曲「Prisoner Of Love」について非常に興味深い発言をしている。

「最初のデモの段階ではそういう気持ちは全然なかったの。リズムと普通にピアノが入ってて、こういう曲調って私の十八番みたいな・・・・、最初の頃によくやってたみたいな感じだからしばらく避けていたというか。こういうのはやりきった感があって、前にもやった感じだからやらないっていつも思って、そういう曲調とかコード展開とかやらなかったんだけど、今回はテーマとしてすごく素直にやるみたいなテーマがあったから、そういうふうに不自然な避け方をしないで、これが好きなんだからこうなんです!という感じで作っちゃえばいいんじゃないの?と思って、今までの別の作品とかを意識しないで作った。いわゆるお家芸を封印していたみたいなのがあったから、それもなんか面倒くさいな、と思って。うん、だから「素直になったなあ」と思って。」

 このアルバムのテーマとして「すごく素直にやる」というテーマがあったらしいが、それは彼女が同時に言っているように「減らしていくしか進み方が生きていくにはそれしかない」という事だったかも知れない。或は変化に変化を重ねて螺旋的に元に戻ったという事だったかも知れない。だが私には、そこに枯渇というものが透けて見える。やれる事はやり尽くしてしまった結果、封印していた「お家芸」を持ち出さねばならなくなってしまった、窮地に追い込まれた音楽家が見えるのだ。楽曲「ぼくはくま」についても、これが転機になって「素直な曲作りができていったから、これはアルバムに入れないとつじつまが合わない」と述べているが、こういった童謡というスタイルもその内容も、私の目には自らの内を散々漁り尽くした後の窮余の一策と映る。「もう、くまちゃんのことをカミングアウトした時点で、すごい解き放たれたの」と彼女は述べているが、これはカミングアウトするものがもうくまちゃんの事くらいしか残されてはいなかったと私は読み替える訳である。

 はっきり言えば、私は「音楽家宇多田ヒカル」はアルバム「HEART STATION」で総ての持てる財産を使い果たしたのではないかと思う。これは言い換えれば「音楽家宇多田ヒカル」にとっては枯渇という「死」を意味する。彼女ははこのアルバムを作ることで、その事を思い知らされたのではないのだろうか。私は想像するのだが、このアルバムの製作によって、彼女にはかってない危機が訪れたのではないだろうか。恐らく彼女はこれまでにない凄まじい塗炭の苦しみを味わうところにまで追い込まれたのではないだろうか。ああ、何と言う事であろうか。その才能は進化することを止めず有り余る力を持て余しているのにも拘らず、もう彼女には歌うものが何もなくなってしまったのだ!私には、内に漲る才能のエネルギーのはけ口のない自家中毒の苦しみにのた打ち回る彼女の姿が眼に浮かぶ、異常感知センサーの警告音が鳴り続けている中で・・・。
 気力体力が最高潮に達した状態でリングに上がったボクサーの前には、対戦者ブルーは現れなかった。いや、相手はそんな名前ではなかったし、そもそも対戦者すら存在しなかった。ふと周りを見回すと、立っているのはリングの上などではなかった。何もないだだっ広い荒涼とした荒野の中に、彼女はたった一人立ち尽くしていた。どす黒い雲がむくむくと湧き上がり、ついで雷鳴が聞こえ、嵐の到来を告げていた。彼女は「宇多田ヒカル」であろうか。いやいや、そんな名前であるはずは無い、リングネームなぞ意味を持たぬ。本名でさえも、もはや意味をなさぬ。それは「宇多田光」という名前でさえも偶然な、人生の危機という極限状態における一人の人間の姿である。それは僕らみんなの人生の危機におけるぎりぎりの姿に他ならない。

 私の眼に入ったところでは、この後彼女を襲った危機の嵐について語られた彼女の文章が二つある。一つは『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』発売時の幾つかあるオフィシャル・インタビューの内の一つ、その中にある次の一節である。

「10周年のときは、内輪の友だちだけ呼んで誕生日祝いをやった……、みたいな感じだったかな。節目ってさ、迎えたときがメインじゃなくて、節目のあとに何が来るかなんだよね。あとで何か変化が来る、みたいな? でも、何が来るかはわからない。だってまあ、ただやってれば10周年までは迎えることができるんだろうけど、そのあとどうするかだからね。普通は記念コンサートとかいっぱいシングル出したりとかするんだろうけど……、そういうテンションではなかったっていうか。それどころではなかった……かな。なんだろ、すごい普通に、女性としてというか、いち人間として、けっこうキツいタイミングだったから、このまま行ったらヤバい、いままでのやり方じゃダメだ、ちょっと立て直さないとって、初めて危機感を感じてたの。でも、“疲れちゃった”っていうのは、適切な表現ではないかもしれない。逆にいいエネルギーは出てたのね。ただ、そのエネルギーを何に向けたいかっていう問題で……。なんかこう、いろんなことをリセットしたかったんだと思う。」

 そして前後するが、もう一つは「HEART STATION」発売約八ヵ月後のブログの「Devil Inside 」という投稿である。先のインタビューの内容と考え合わせると、私には彼女の測鉛は自らの精神の一番深いところにまでは達していなかったと思われる。どうやら思い知ったのは左手の「宇多田ヒカル」だけであったと思われるからだ。

「やべーことに気付いた。
私が描いた絵はね、老婆が入れ歯の入ったグラスを持ってるじゃん。左手で、右手を掴んでる。
「お口直し」で手前に飾ってある写真立ては、ジュエリー屋さんで一目惚れして買ったものなんだけど、店に飾ってあった時のまんまにしてあるのね、モナリザの小さな写真、なんか似合ってるなと思って。
モナリザは逆に、右手を左手の上にそっと置いてる。
最近のメッセで、私が寝ている間に右手で左手を、アザになるほど強く掴んでるっぽい、っていう話してるじゃない?(私本当に握力すごいの)
老婆とモナリザと私。つながってもうた。
老婆の絵を家に飾り出したのも最近。モナリザが入ってる写真立てを買ったのも最近。私が右手で左手を掴んでる画像をメッセに載せたのが一番最近。
はあ~・・・なるほど・・・って感じちゃった・・・。
「判明」のメッセを書いた時ね、大岡昇平の『野火』っていう小説のことを思い出したの。13くらいん時に授業で読まされた時からすごく好きだけど、一番印象に残ってたのは、主人公の田村が、左手を右手で掴んで死んだ仲間の肉を食べようとする自分を必死に抑制する、っていう場面だったの。(たしか・・・)
大岡昇平はキリスト教のモチーフをよく使うけど、左手が悪魔や苦しみの象徴で、右手が救いや神を象徴する、っていうのは、聖書にもコーランにも共通する考えなの。(他の宗教もあるかも)
科学的にも、左脳(右手)は理性、右脳(左手)は感情とか、っていうふうに言われてるでしょ。昔の人たちは直感的に、そんなこともう分かってたんだよね。
ちょっと難しい話になっちゃったけど、要するに、私が無意識の時に右手で左手を強く掴んでるのは、もしかしたら、私の中の悪魔を、私の中の神が、押さえ込もうと格闘してる現れなのかな、って思わされたわけっす。
悪魔は悪いやつじゃないと思うんだけどね(笑)
っつかむしろ私が理性的に閉じ込めてる、心の奥底からの訴えを、聞いてあげないといけない時なんだろうね。
ちょー納得。
なんか安心した(笑) 」

そして、この左手の「宇多田ヒカル」の危機に際し、もう片方の右手の「宇多田光」が驚くべき行動に打って出た。



さて、回り道も終わり、私の文章も最後の難所へ、最終コーナーへと差し掛かったようだ。

「音楽やってるの、親のためだったんだよね。猫とか犬とかが芸をするような感じでさあ」と彼女は語ったことがあるが、本当は音楽活動は自らの自発的内発的な意志によるものではなかった。この意味で「音楽家宇多田ヒカル」と「実生活者宇多田光」との間の拮抗、軋轢という矛盾はそのキャリアの当初から存在したと言うことが出来る。勿論、その後の音楽活動キャリアの中で、自らの音楽家としてのアイデンティティーは明確に獲得され、この矛盾は雲散霧消したかに見えた。

「15歳でデビューして、有名になって、自分が望んでいないものがポンと入ってきちゃって。周りからは『幸運』みたいな言い方をされるけど――私からするとこんな十字架みたいな役目なんかいらない――そう思っていた部分があって、普通に大学に行って、会社に入ってとか、ね。今は自分の環境とか仕事とか立場とか全部に対して和解したけど。」

 言い換えれば、この戦いにおいて「実生活者宇多田光」は敗走に継ぐ敗走を重ね、もはや大勢は決したかに見えたと言っても良い。だが、ここに「音楽家宇多田ヒカル」最大の危機、夭折という危機がやって来た。もはや「音楽家宇多田ヒカル」は死に瀕している、為す術はない。私には、ここに至って彼女の資質の基底にあるあの強力な復元力が「音楽家宇多田ヒカル」に対する「実生活者宇多田光」の反乱という形を取って現れたと思われる。すなわち、ここにおいて突然、厳かに宣言された「音楽家宇多田ヒカル」の「無期限休業」と、それとセットになった「実生活者宇多田光」の「人間活動」とは、両者の逆転劇を明白に物語るものと私の目には映る。つまり「人間活動宣言」とは一言で言えば「音楽家宇多田ヒカル」の危機に際して「実生活者宇多田光」が翻した反旗に他ならない。「人間活動宣言」に署名欄があるとすれば、そこにはきっと「宇多田光」という名前が書き込まれている筈である。実際、「無期限休業」と「人間活動宣言」が告知されたブログ・エントリーは「宇多田光」名義でなされた事は、あえてここで指摘するまでもあるまい。
 そして、この事は皮肉にも、いや幸いにも「音楽家宇多田ヒカル」に対しては延命処置を施す事になった。歌うに足るコンテンツという一時のカンフル剤を与える事になったからだ。『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』に収められた新曲五曲はその結実に他ならない。それは瀕死の「音楽家宇多田ヒカル」にとっては、自らの危機とそれに対する「実生活者宇多田光」の反乱を歌う事しか残されてはいなかったと言い換えても良い。この五曲とは、この意味で、この意味においてのみ「音楽家宇多田ヒカル」の白鳥の歌であると言うことが出来よう。つまり、これらの白鳥の歌に通底するルート音は「二兎を追う者、一兎をも得ず」(「Show Me Love (Not A Dream)」)である。

 この五曲を初めて聴いた時、これまでの彼女の曲とは何かしら全く違った異様な一連の曲が突然目の前に出現したという感覚を覚えた。そのある種のショックを伴った驚きを今でもありありと覚えているが、これまでの曲が言わば非常にソフィスティケイトされ洗練された高品質の作品であったのに対し、この五曲は乱暴なと言えるほどになりふり構わず赤裸々に自分を語ろうとしているという印象を受けた。あたかも卵にひびが入り殻が割れ、その殻の間から本当の宇多田ヒカルが今正に姿を現そうとしている、とでもいったような強い印象を受け、ああ、彼女はここまで追い詰められたのかという感慨を私は持った。何を大袈裟なと言われるだろうか。
 そして後日、オフィシャル・インタビューの中で次の彼女の言葉に出くわし、総てが判ったような気がした。

「新曲は入れたかったの。曲も作りたかったし、言いたいことがあったんだよね。言いたいことがあるって初めてなんだよ。今までは取材とかで『皆さんに向けてメッセージを』なんて言われても、『申し訳ないけど、曲から汲み取ってくれれば良い』って感じで、自分でも実はそんなに分かってなかったのね。でも、今回はすごく大事なことについて考えた。言いたいことが自分の中にちゃんとあったの」
「この4曲って、全部同じことを言ってるのね。自分との和解であったり、過去との和解であったり、“愛するってどういうこと?”とか“愛って何だろう?”とか、そういう自分とちゃんと向かうこととか、恐怖と向き合うとか、そういうテーマが一貫してある。ホントに言いたいことっていうのを4曲をとおして貫いたっていうのって初めてだし、いちばんストーリー性があるの」

彼女はアーティストとしての思想性の問題に直面していたのである。

 これはどのような創造行為にも言えるのだが、問題の解決を志向しない創造行為というものはそもそも有り得ないと言える。原則論としてアーティストにとって何らかの問題の解決でないような作品というものは存在しない。そしてこの創造行為を通して結果として出来上がった作品に刻印されるものは作者のオリジナリティーであり、それはまた作者の思想とは何ら別のものを指す訳ではない。「音楽家宇多田ヒカル」は、ここでアーティストとしてこの根源的なオリジナリティーというものの問題、思想性の問題に突き当たっていた訳である。それは「宇多田光」という人間がそもそもなぜ「宇多田ヒカル」であるのかという問題、言い換えればこの世に生を受けて一体全体なぜ自分は音楽などというものををやってきたのかという根源的な意味を問う問題でもある。極論すれば、そこに彼女の喜びや悲しみや苦しみの総てがあったにせよ、今まではこの問いを不問にし棚上げにしたまま彼女は音楽活動を続けてきたのであって、ここまで十年以上の長きに亘って能く持ち堪えてきたのは、偏に彼女の教養、その音楽的教養と文学的教養とによるものと言っていいだろう。言い換えれば、彼女は学習した他人の”語法”、他人の”言葉”でもって表現していたのであって、これはデビューした年齢が十五歳であったことを考えれば如何に天才的な才能であったとしても無理からぬところではあるのだが、この意味において彼女は優等生、それも非常に優秀な飛びっきりの優等生であったと言う事が出来る。これはどういうことかというと、これまでの彼女の作品はアーティストとしての問題の解決であったというよりも、それとは別種の問題の解決のための一手段であったということを意味する。つまり、「音楽やってるの、親のためだったんだよね」という事である。この点で、彼女もまた現在の高度資本主義音楽業界システムの帰結たるアーティストの低年齢化傾向の犠牲者の一人であると言ってもいいだろう。
 だが、ここに至って彼女はもはや単なる優等生では居られなくなったようだ。芸術活動が、才能が、表現行為が彼女をそこまで追い詰めたと言っても良い。「自分で育てたもの、はぐくんだものを、自分でそうあってほしいと思ってなった世界を、自分で壊」さざるを得なくなった。つくづく芸術家というものは、才能を持つと言う事は、表現行為というものは因果なものであると思う。彼女はここに至って優等生の仮面をかなぐり捨て「ホントに言いたいこと」を自らの”語法”、自らの”言葉”でもって表現せざるを得ない所にまで追い込まれた訳である。そして彼女は4曲と言っているが、これらの曲に表現されている「ホントに言いたいこと」とは、彼女の言葉で言えば「全部同じこと」であって、それは「自分との和解」であり「過去との和解」であり「愛するってどういうこと?」であり「愛って何だろう?」であり「自分とちゃんと向かうこと」であり「恐怖と向き合うこと」であるという事とのことである。しかし、これらが「全部同じこと」であるというのは、この4曲を聴いた後にこれらの言葉を並べられても全く何がなんだか解からないという感想を持つのが普通だろう。例によって「歌えるけどしゃべれないよ」、いや「しゃべれないけど歌えるよ」ということで、ここでもまた私にはこの「ホントに言いたいこと」が彼女のファンにちゃんと伝わっているのかといわれると大いなる疑問符が付く。やはり、それにはそれなりの確固とした手順なり方法論を持って「宇多田光」という人間の心の中に深く潜り込むこちら側の作業が必要だと私には思われるのだ。先に少しばかり道草を食った所以である。この中で取分け私が注目するのは「恐怖と向き合う」という言葉であるが、しかし、そうは言っても、ここで私はあまり立ち入った分析を滔々とこれ見よがしに述べる気にはなれないので結論を簡単に述べれば、私にはそれは彼女自身と同じく時代を象徴する歌手でもあった母親藤圭子との確執問題だと思われる。言い換えればそれは彼女のずっと抱え込んでいる問題であり、有体に言うならウルトラ・マザコンの問題である。ここで急いで注を付して置かなければならないが、ここで言うマザコン=マザー・コンプレックスのコンプレックスとは、単なる劣等感という意味ではなく、シネマコンプレックスの場合と同様、本来の「複合」という意味である。この4曲の中で、歌詞に英語が全く出てこない唯一の曲「嵐の女神」の中の「お母さんに会いたい」という歌詞は、彼女の本心からの本音、というか心の叫びに他ならない、そう私には思われるという事である。


 さて先に「人間活動宣言」を考えるに当たり、ネットで「宇多田ヒカル」「人間活動宣言」「Goodbye Happiness」などをググッてみたと書いたが、検索ワードの中に「Goodbye Happiness」を入れたのには理由がある。それは「Goodbye Happiness」という曲は、彼女自身による「人間活動宣言」の「解説」だと私は認識しているからだ。つまり「人間活動宣言」を了解するに当たってはこの曲は絶対に外すことが出来ないという事であって、その事は『SINGLE COLLECTION VOL.2』の新曲五曲におけるリード曲というこの曲の位置づけが暗に物語っている所でもある。しかしそうは言っても、このように本人自身による「解説」がすでにあるのだから「解説のさらにそのまた解説」というのもなんともあほらしい気がするので、ここは誰かの分析なり指摘を引いて簡単に済まそうと思っていた訳だが、これもすでに書いたようにどうやらそうは問屋が卸さないようだ。というか不案内の私ごときが言うのもなんだが、現在の音楽ジャーナリズムには問屋さえ存在しないのではあるまいか。
 そこでは、この曲は専ら「切ない」とか「郷愁あふれる」とかはたまた「ダークな世界観」だとか評されており、さらに一部のファンにとっては「号泣ソング」でさえあるらしい。次に見るように、この曲のPV公開前後のツイッター上での彼女の「つぶやき」が証するように、製作者の意図とはまるで違って受け取られているところをみると、やはり「悪戯な文学化の毒」は充分に廻ったと診断せざるを得ないようである。

「んなことより私が初監督したGoodbye HappinessのPV!解禁されたのら!!ドキドキっす・・・ど、どうかみんな笑ってくれますように・・・」

「Goodbye HappinessのPV、観てくれてありがとう!!泣いたっていう人がけっこう多くてびっくり。な、泣かせるつもりじゃなかったんだよ?!まあでも私にとっても過去の自分を振り返る感じのPVだけど・・・みんなも思い出色々あるだろうから・・・感慨深いよね。」

 結局のところ、事ここに至っても宇多田ヒカルという芸術家の存在様式としての「孤独」は、やはり癒されることは無かったと言わざるを得ない、そう、ロダンの如く。

 というような次第で、ここで余計なお世話かも知れないが「Goodbye Happiness」という「解説のさらにそのまた解説」をあえてすることにする。また、彼女の「解説」はご丁寧にも「図解」入りである。であるからこの「図解」すなわちPVを共に考察した方がより判り易いことは言うまでもないだろう。


宇多田ヒカル - Goodbye Happiness




 PVで映っているのは、「音楽家宇多田ヒカル」の部屋である。また、この部屋は「音楽家宇多田ヒカル」の世界そのものでもあり、その世界が限られた狭い空間であることをも示唆している。ここで彼女自身による「人間活動宣言」についての発言に触れなければならない。「人間活動宣言」については、クリス・ペプラー氏を相手にNHKの特番や彼がパーソナリティーを勤めるラジオ番組で彼女は語っているが、彼女には明確なイメージがあるのだろうが、これもまた何時もの例に漏れずどうも判ったようでいて良く判らない説明だと思うのは私だけではないだろう。

「50歳ぐらいとか40いくつとかになって、なんにもできないオバさんとかになりたくなかった。」
「普通に自分で全部光熱費とか考えたりとか、月何万でちゃんと生活して、ちゃんと帳簿つけてとかやりくりしてとか、誰でも当たり前にやってることを今まで一回もしてないから、自分がいくら使ってんのかよくわかってなかったりとか、家賃いくらだっけとか、ちょっとこれって15、6とかだったらカワイイけど、まあどんどんイタイ大人になっていくっていう、カッコ悪いなぁって。」
「なんかゼロの状態で人と接するというか特別扱いされない…、私なんかカフェでウエイトレスやったらほんと使えない奴で怒られると思うんだけど。」
「だからフランス語を勉強するとか、まあそういう…、人と接することがしたい。」

 だが、これらの言葉は何のことはない、発言者の「宇多田ヒカル」という固有名を取っ払ってしまえば、これから引き籠もりを止めて世の中へ踏み出していこうとしている人間の語る言葉そのものである。従って、「人間活動宣言」とは、裏を返せば「脱引き籠もり宣言」に他ならないと言えよう。ということは、彼女は「引き籠もり」をしていたという事なのであろうか。一体、何処に?勿論、「音楽家宇多田ヒカル」の部屋=「音楽家宇多田ヒカル」の世界に、である。別の言い方をすれば、「宇多田光」という人間は「音楽家宇多田ヒカル」の中に引き籠もっていたのである。
 そして、PVに戻ると、この「引き籠もり」部屋の中で彼女が一人で踊り、様々なセルフ・パロディーが披露される。一部ではこのPVでセルフ・パロディーとして何が隠されているかが話題になっているようだが、むしろここで問うべきは「何か」ではなく「何故か」であろう。つまり、このセルフ・パロディーという表現行為そのものの意味、セルフ・パロディーが何故ここで必要とされるのかと問うことである。そして、この問いに対する答えは、「音楽家宇多田ヒカル」の過去という「引き籠もり」生活の再現であろう。すなわち、孤独(Loneliness)ではあったが、無垢(Innocence)で幸せ(Happiness)だった「音楽家宇多田ヒカル」の一生が、ここで再現され回想されているのである。
 「甘いお菓子 消えた後にはさびしそうな男の子」というフレーズは、歌うことが無くなってしまった「音楽家宇多田ヒカル」に他ならない。「雲ひとつない Summer day」「無意識の楽園」とは「音楽家宇多田ヒカル」の一生の心象風景のイメージであることは言うまでもないであろう。言うなれば、彼女はこの曲で「音楽家宇多田ヒカル」の一生を母親とは違い「十五、十六、・・・二十七と私の人生、明るかった」と歌っている訳である。明るく軽快な音楽自体もそうだが、ここにはスポニチの誤解の如き負のイメージなぞ微塵もない。余計なコメントをここで差し挟めば、私には彼女はあのような形の反論をするよりも、自分のこの作品をただ差し出すだけで良かったと思われる、この作品を今一度良ーく味わってみて頂きたい、と。「夢の終わりに 待ったは無し」「何も知らずに はしゃいでた あの頃へはもう戻れないね」とは「音楽家宇多田ヒカル」の世界の終焉を意味し、「人は一人になった時に 愛の意味に気づくんだ」というフレーズは、この歌がこれから居なくなってしまう「音楽家宇多田ヒカル」に対する「実生活者宇多田光」のラブソングであることを意味している。つまり、これは彼女の常套的表現手法でもあるのだが、この歌は表層的には恋愛関係を歌ってはいるが、恋愛関係の形式を借用することで実際は「実生活者宇多田光」と「音楽家宇多田ヒカル」の関係を歌っている訳である、「daring daring 誰かに乗り換えたりしません Only you」と。「ありのままで 生きていけたらいいよね 大事な時 もうひとりの私が邪魔をするの」というフレーズがどういう事情を指しているのかは、ここまで私の文章を読んでこられた方には今更説明する必要はないであろう。
 そして、最後に彼女はこの「音楽家宇多田ヒカル」の世界そのものである部屋に別れを告げ(Goodbye Loneliness、Goodbye Innocence、Goodbye Happiness)「引き籠もり」を止めて、外へ出て行くことでこのPVは終わる。外には、何が待っているのであろうか。外には広い世界が拡がり「実生活者宇多田光」の「人間活動」たる「WILD LIFE」が待っているのであろう、明るい希望とともに。ここで見逃してはならないのは、この時の彼女のセルフ・パロディー・コスチュームである。これは「traveling」のものだが、暫くは「旅行」に出かけるという意思表示が込められているのは明らかであろう。そして、もう一つこのPVで見落としてはならないのは監督のクレディットである。これは絶対に「宇多田ヒカル」ではなく「宇多田光」でなければならない。理由は既にお判りであろう。
 ちなみにこのPV制作には監督交代という楽屋話があるが、これはPV制作工程上重大かつ深刻なアクシデントである筈である。実際にどのような事があったのかは判らないが、こういったピンチをチャンスに変えてしまう彼女の才能には実際驚くべきものがある。作詞作曲編曲打ち込みだけでは飽き足らず映像表現にまで手を出した、という言い方さえ出来るように思う。「制作表現上の考え方の違い」なぞ、監督交代のための口実に過ぎないのではと思わせる程である。ここにおいて、芸術家としての全人的表現形式を獲得した観がある、とさえ私は言いたい様に思う。

さて、以上が「人間活動宣言」に対する私の理解の総てである。

 しかし、ここまで彼女の足跡を辿ってきた今、私には予感がしてならぬ。ドアの向こうには、果たして彼女が望むような世界が本当に開けているのであろうか。ドアの向こうには、果たして彼女が望むようなものが本当にあるのであろうか。本当の問題は、彼女が考えている場所とは少しばかり異なった位相のもとにおいて存在しているのではないのだろうか。

だが、心配症が予言者の仮面を被ったような言葉を連ねても何になろう。

「音楽家宇多田ヒカル」は既に旅立った。

彼女が一体どんな姿に生まれ変わって帰って来るのか、今はファンと共に刮目して待つ他はない。







宇多田ヒカル

2018-01-30 00:00:00 | 宇多田ヒカル

ものぐさアーカイブから。 

*この文章は2012年初頭、つまり彼女が「人間活動」中に書いたものであるが、再アップに当たって少し手を入れたことを申し添えて置く。



 今度の震災で、友人をその家族諸共失った。底無しの辛さを噛み締める日々だが、この文章はその友人の亡くなった娘さんとの約束によるものである。二人の魂の安らからんことを願う。



勿論、彼女の名前は知っていたし、彼女の曲も知ってはいた。だが今度はいささか勝手が違った。

 ある日の午後、車を運転していて赤信号になり交差点で車を止めた。道路は長い下り坂に差し掛り、前面には空が一面に広がっていた。土砂降りの雨は上がり、虹が出ていた。そんな時だ、ラジオから音楽が聞こえてきたのは。いや、それは聞こえてきたと言うよりも、脳漿に電極を差し込まれ、その電極を通してロードされた音楽が頭の中で直接鳴っているような奇妙な感覚の中にいた。それはまるで自らの精神が音楽、いや音そのものと化したような一種言いがたい不可思議な満ち足りた感覚だった。クラクションで我に返り急いで車を発車させると、ラジオのパーソナリティーが曲は宇多田ヒカルの「eternally」だと告げていた。すぐに路肩に車を止めたが、暫くの間は心が怪しくざわめき立つのを自分でもどうしようも出来ないでいた。あれは一体何だったのだろうか。用事を急いで済ませるとレンタルCD店へ行き、この曲を探した。直ぐに「Distance」というアルバムに入っているのを見つけ、足早に試聴機の所へ行き、もどかしい思いでディスクを入れヘッドフォンを着けた。だが、あの感覚は二度と戻ってはこなかった。その後何度もこの曲を聴いているが、もう私にはあの不可思議な経験の反響を抜きにしてはこの曲を聞く事が出来ないでいる。

Utada Hikaru - Eternally!



 後になって考えてみるとこの曲はリズム設定が絶妙で、ロック・バラードとしてはまさに王道的な作品である、最もそんな説があるのかどうか知らないが。これも後のことだが、マーティ・フリードマンがこの曲をカバーしているのを知って、ああやはりなと勝手に納得した。してみると自分はこの曲をロック・バラードとして聞いていたのだろうか、というような現在もそんな取り止めもない妙な事しか考えられないでいる。しかし、ロック・バラードを聞いても、いや他のどんな音楽を聞いても、彼女の他の曲でさえも、今までにこんな経験をした事はなかった。人は様々な形で音楽との出会いをする。私のようなありふれた中年を過ぎたロック・オヤジにとって、そもそも宇多田ヒカルというミュージシャンは守備範囲ではないし、増してや好みのミュージシャンなぞではない。だが、この経験は決定的だ。どうやら私にとって、宇多田ヒカルというミュージシャンは一曲だけのアーティストであるらしい。ちょうど彼女にとってのスプリングスティーンがそうであるように。
 ここで、彼女がブログで書いている彼女の「一曲だけのアーティスト」についての美しい文章を引いておこうか。これは、芸術家間の影響という曖昧だが確固たる一種の精神的遺伝について、極めて明瞭に述べられている透明度の高い水晶の結晶のごとき名文だと思うが、どう思われるであろうか。

「今考えると、10才で「Streets Of Philadelphia」に感動って(笑)し、渋っ!!!(笑)
いや知ってる人は分かると思うけど、ほんとに渋い歌なのよ!大人っぽい歌というか、地味というか(笑)歌詞も暗いというかなんというか(笑)(ちなみに大ヒットしてたけどね!映画も歌も)この歌に、私はすごーーーーく影響されたと思う。メジャーとマイナーが絶妙に混ざり合う泣けるほど美しいコード展開。聖母のように優しくゆったりとしたシンセパッド。ベースライン(というかルート音)の動き方。絶望的で、でもなんかすごく救われるような、傷だらけなのに生まれたてみたいな世界観。一言で言うと、慈悲深い。私にとってそれは音楽の絶対要素。久しぶりに聴いても、少しも色褪せずに音が響いてくるし、歌詞が刺さってくる。実は、ブルーススプリングスティーンの歌でちゃんと聴いたことあるのは、この一曲だけなんです!(笑)この一曲知ってればもうあとはいいや(笑)と思っちゃって。というわけで好きなアーティストとかには入れてないんだけど。大好きなのでした。」

Bruce Springsteen - Streets of Philadelphia


 ここにはある早熟な才能の人生における決定的な事件が語られている。早くも十歳にして、ある一つの曲によっていきなり自らの天稟に遭遇してしまったという、言わば音楽家宇多田ヒカルの誕生という事件が語られているのだ。ここで疑問が浮かぶ、では、私が彼女の曲によって遭遇したものは、一体何であろうか、と。

 そして大分経ってから友人の家で彼と音楽の話をしている時に、ふと思い立って先の奇妙な経験の事を話した。その時偶々そばにいてこの会話を小耳に挟んだ彼の娘さんが、いきなり会話に割り込んできた。何でも宇多田ヒカルの大ファンだそうで、一番のお気に入りのアーティストだという。ちょうどアルバム「HEART STATION」が出た頃で、「彼女は今、アーティストとして難しい所に差し掛かってるんじゃあないのかな。才能を持つと言う事は、因果なものだ」というような事をむにゃむにゃと述べた覚えがあるが、いぶかしがる彼女に納得の行くような説明は出来なかった。そのため、その場で彼女に判るようにちゃんとした文章にすることを無理矢理約束させられてしまった。というのは、彼女はエヴァンゲリオンの大ファンでもあって、以前私が書いたエヴァンゲリオンについての小難しい文章を読み、非常に高く買ってくれていたという過去の経緯があったからだ。最も、内容についての質問攻めと幾つかの反論とを引き換えにではあったけれども。そして、数日経ってから彼女が大きめのダンボール箱を抱えてやって来た。中身は、彼女が集めた宇多田ヒカルの記事のスクラップ・ブックやらインタビューの載った雑誌やら出演した番組を録画したDVDやらの資料だという。膨大な量である。やれやれ、この歳になって宿題を、しかもこんなへヴィーな宿題を出される羽目に陥るとはとブツクサ文句を言ってみたが後の祭りであった。

 こういった懐かしい思い出も、今は苦痛を伴わないでは文章にすることは出来ないのだが、以上のような次第で遅きに失したが、ここに彼女との約束の宿題を提出するものである。



 宇多田ヒカルといえば、現在は「人間活動宣言」をしてアーティスト活動無期限休業中である。この「人間活動宣言」は本来無期限休業に当たってファンに対して行われたもののようだが、そのスター性もあってマスコミがいっせいに報道することとなり、この「馬の尻にたかる蠅」の誤解に対する、第三者的にはたかがスポニチごときにと思わせる、本人の反論というオマケまでついた。この事からもこの「人間活動宣言」には、マスコミ報道にはそぐわない、そういったステレオ・タイプな理解の枠組には収まりきらない非常にデリケートなものを含んでいると思われるが、私には、ではこの「人間活動宣言」というメッセージがファンにちゃんと届いているのかといわれると、大いなる疑問符がつく。しかし、彼女のファンには、突然のアーティスト活動無期限休業という事実自体は暖かく迎えられているようである。ここにアーティスト宇多田ヒカルの不幸と幸福を見るのは私だけであろうか。この文章を書きながら「宣言」から休業までの一連の経緯を今一度辿り直し、私はふとリルケがロダンについて語った言葉を思い出した。

「ロダンは名声を得る前、孤独だった。だがやがて訪れた名声は、彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名のまわりに集まるすべての誤解の総体にすぎないのだから。」

 だが、これとても彼女に関してはさらに輪をかけた誤解を招く言葉なのかも知れない。「孤独」という言葉は「絶望」だとか「哀しさ」だとかと同様、宇多田ヒカルを語るに当たっての常套語と化してしまっているからだ。リルケがここで言っているのは逆説的な言い方になるが、芸術家というものはむしろ「誤解」や「孤独」を自ら発明していく存在であるという事である。何も芸術家が創造するものは、作品だけに限られる訳ではない。

 さて、言うまでも無く過去において活動休止に当ってこのような「人間活動宣言」などという奇妙な宣言をしたミュージシャンはいない。従って、これも言うまでもないことだが、そこにはミュージシャン宇多田ヒカルの固有の問題というものが存在している筈である。巷に溢れている音楽雑誌というのは全く手に取らないので、音楽評論家がこの格好の批評材料をどう料理しているのか全く知識を持たないが、すでに多分誰かが分析しているのであろうし、またそうではないにしても何らかの指摘ぐらいはしているだろうと思い、ネットで「宇多田ヒカル」「人間活動宣言」「Goodbye Happiness」などをググッてみたが、そういったものは拍子抜けするくらいにまるでヒットしない。やれやれ。これはどんな仕事でもそうだが、叩き台というものがないのでは、取っ掛かりというものが無いのでいささかやり辛い。ま、仕方が無いので、この「人間活動宣言」について手ぶらで一から考えて行くことにする。

しかし、そのためには少し回り道をしなければならない。



 ここに一冊の浩瀚な「点ーten—」という彼女の本がある。そこいらの幾多のタレント本がレミングの群れの如く裸足で逃げ出していく、活字のぎっしり詰まった五百頁もある骨太な一冊である。キャリア十周記念出版ということで、十という数字に掛けたタイトルのようだが、いうなれば「音楽家宇多田ヒカル」の楽屋裏が覗ける本である。この本を読みながら私は色々と考え込んでしまった。そして現在の日本の音楽配給胴元とその配偶者たる音楽ジャーナリズムというものが、暗黙にであるにせよ、ここまで馴れ合い、一種不実なやくざな関係にあるのかという一種の感慨を持った。まあ、私の感慨なぞ何ものでもないが、この本の大部分はオフィシャル・インタビューのサマリーが占めている。どうやらこのオフィシャル・インタビューというのが、アルバムのプロモーション活動に組入れられ、その重要な一環を成しているらしい。現在の日本のポップ・ミュージック・シーンというものに全く疎い私は、その事をこの本で改めて知って半ば驚き半ば呆れてしまったが、しかも何と彼女には専属のオフィシャル・ライターというものまでが存在しているというのだから、開いた口が更に大きく開いてフリーズしたのも無理はない。オフィシャル・インタビューというものの存在、更にはオフィシャル・ライターというものの存在は、インタビュー内容に対するある種の検閲を意味する。勿論、この検閲にはあらゆる検閲がそうであるように正当な理由が存在するのだろう。だが、これは二重に本末転倒というものである。本来、芸術家自身を最も雄弁に語るものは、その作品に他ならないからだ。一体全体、楽屋話にオフィシャルを冠し検閲することに何の意味があるのか。現在の高度資本主義音楽業界システムというものは、音楽作品だけでなくさらに音楽作品について語った作者の検閲された饒舌をも作者に対して要求するということらしい。声高にエコが叫ばれる現在、何故このような二度手間を作者に対して要求するのかというと、この音楽作品が商品であるがためだ。差別化というやつである。オフィシャルによってノン・オフィシャルを差別化し、その差別化した宣伝によってさらに作品自体を差別化し、もって商品価値を高める訳である。だが音楽作品というものは、(これは音楽に限らないが)本来そのように商品化されにくい性質を持った危うい脆弱な生産物である。こういった宣伝方法システムは、その脆弱性を顕にし作品を損うことはあっても、決して強化することにはならないだろう。音楽を悪戯に文学化することは、補強ではなく文学の毒による汚染、侵食に他ならない。
 そんなような事をあれこれと考えながら、この「点―ten―」という浩瀚な本を丸々一日掛けて読み終わってやれやれと本を閉じ、ふと帯に印刷されている彼女の言葉が眼に留まった。そして思わず噴き出してしまい腹を抱えて笑ってしまった。何という鮮やかなちゃぶ台返し!

「自分がインタビューで何を言ったかなんて全然覚えてない。その場その場で正反対のこと言ったり、かっこつけたり、テンション高すぎたり、嘘ついたりしてると思う。でもいつでも本気。」

 これは彼女らしい例によって開けっぴろげの無邪気な感想だろうが、私の目には現在の音楽業界システムに対する痛烈な批評と映った。迂闊にも見逃していたが、この言葉は本の冒頭にも記されているので、いきなり冒頭で彼女はこの本のインタビューの中には本当の自分はいない!と宣言している訳である。これを痛快と言わずして、何と言おうか。この言葉の暗に意味する所を翻訳すれば、この膨大なインタビューの中に浮かび上がってくるのは、インタビュアーの要求に一生懸命に何とか答えようとする勘のいい多感で利発な女の子の姿である。その名前がたまたま「宇多田ヒカル」という名前であったのに過ぎない。そしてこの女の子はインタビュアーとインタビュイーという関係性の中で、相手の暗黙の要求にさえまでも誠実に答えようと「本気」で仕事を遂行した。だが、その成果が「その場その場で正反対のこと言ったり、かっこつけたり、テンション高すぎたり、嘘ついたりしてる」のであったとしても彼女に何の罪があろう、とでもいったところであろうか。
 しかし、そうそう腹を抱えてばかりもいられない。彼女がひっくり返したちゃぶ台は元に戻さなければならない。だが、ちゃぶ台に載っていた湯飲みや茶碗や皿や箸は必ずしも元の位置に戻す必要はない。この本の中には、検閲官が見逃した言葉がその発言者を裏切って我知らず彼女自身を表した言葉というものがあるはずである。すなわち、それらの言葉の位置をずらし、文脈を読み替えることによって検閲によって歪められる以前の本当の宇多田ヒカル像というものが浮かび上がってくるはずだ。

少なくともここに、図らずも宇多田ヒカルの音楽に遭遇してしまった一音楽愛好家の特権がある筈である、それと裏腹に在る陥穽と共にではあるにしても。



小林秀雄 その古典との出会い―堀辰雄と林房雄を通して― 石川則夫

2018-01-01 00:00:00 | 小林秀雄
「好*信*楽」2017年12月号に石川則夫氏が寄稿した文章を興味深く読んた。


小林秀雄 その古典との出会い――堀辰雄と林房雄を通して――石川則夫


 編集後記で「この西洋から日本の古典へという舵を、小林秀雄にきらせた動因は奈辺にあったか、・・・・・石川氏の今度の論考によって、ずいぶん広く、また遠く、見通しがきくようになった」と池田雅延氏が述べているように、私と同じように色々と勉強になった方も多いのではないだろうか。石川氏の労を多としたいと思う。

 だが、果して「堀辰雄と林房雄が小林秀雄に人生の舵を大きく切らせた」とまで言ってしまって良いのであろうか。これは小林秀雄という文学者理解の根幹に関わる重要な論点であると考えるので、ここであえて疑問を呈させて頂きたいと思うのである。




<「紫文要領」の中に、「準拠の事」という章がある。文学作品の成り立つ、歴史的、或は社会的根拠です。今日の言葉で言うなら、文学が生まれて来る歴史的、社会的条件を明らかにする事、これは何も今日始った事ではない。昔から、文学研究者は気にかけていた事だ。それを、宣長は、そのような問題は詰らぬ、私には、格別興味のある事ではないとはっきり言った。どういう言葉で言ったかというと、「およそ準拠という事は、ただ作者の心中にある事にて」—。いろいろの事物をモデルにして、画家は絵を描き、小説家は小説を書く。その時、彼等が傾ける努力、それは、彼等の心中にあるではないか。物語の根拠というものは、ただ紫式部の心の中だけでほんとうの意味を持つ。物語の根拠を生かすも殺すも式部の心次第なので、その心次第だけに大事がある、と宣長は、はっきり言う。このような思い切った意見を述べた人は、誰もいなかった。>

 これは昭和五十三年の「感想」の中にある小林の文章であるが、『本居宣長』刊行の翌年に書かれたという事を考えると、何気なく読み飛ばしてしまうこの一節も、その意味するところはなかなかと深いと言わざるを得ない。この念を押すように挟み込んで置いた一節の、小林の「心次第」を私は想うのである。

 この「準拠の事」については『本居宣長』本文では、このようにも書かれている。

<彼は、在来の準拠の沙汰に精通していたし、「河海抄」を「源氏」研究の「至宝」とまで言っているのだし、勿論、頭からこれを否定する考えはなかったが、ただこの説を、「緊要の事にはあらず」と覚ったものがいなかった事は、どうしても言いたかったのである。註釈者たちが物語の準拠として求めた王朝の故事や儒仏の典籍は、物語作者にすれば、物語に利用されてしまった素材に過ぎない。ところが、彼等は、これらを物語を構成する要素と見做し、これらで「源氏」を再構成出来ると信じた。宣長が、彼の「源氏」論で、極力警戒したのは、研究の緊要ならざる補助手段の、そのような越権なのである。>(「十六」)

 この「準拠の事」は、いわば「思想と実生活」に関する高度な応用問題と言って良いだろうが、現在においても「素材」によって「再構成出来る」と考える一元論的思考方法の通念は根深い為であろう、『本居宣長』の他のところでも繰返し小林は論じている。

<歴史の資料は、宣長の思想が立っていた教養の複雑な地盤にについて、はっきり語るし、これに準じて、宣長の思想を分析することは、宣長の思想の様々な特色を説明するが、彼の様な創造的な思想家には、このやり方は、あまり効果はあるまい。私が、彼の日記を読んで、彼の裡に深く隠れている或るものを想像するのも、この彼の自己が、彼の思想的作品の独自な魅力をなしていることを、私があらかじめ直知しているからである。この言い難い魅力を、何とか解きほぐしてみたいという私の希いは、宣長に与えられた環境という原因から、宣長の思想という結果を明らめようとする、歴史家に用いられる有力な方法とは、全く逆な向きに働く。これは致し方の無い事だ。両者が、歴史に正しく質問しようとする私達の努力の裡で、何処かで、どういう具合にか、出会う事を信ずる他はない。>(「四」)

 では、この「準拠の事」は当の小林自身については、どう考えるべきであろうか。つまり、ここにももう一つの「思想と実生活」に関する高度な応用問題があると私は考えるのである。

 その答えは、やはり「ただ小林の心中にある事にて」—。つまり、「西洋から日本の古典へという舵を、切らせた動因」は、小林の「心の中にだけに大事がある」、彼の「心次第」であると言わなければならないだろう。この日本への舵を、小林に切らせた「心次第」の紆余曲折については『座右の秀雄』に書いたので繰返さないが、ここには小林自身の自己批評による「頭の中の波乱万丈」があったと私は考えている。この自己批評における深い反省こそが、小林に「西洋から日本の古典へという舵を切らせた」動因の骨髄を成すものである、そう考えるのである。この点で、石川氏の引いている小林の発言の中で私が注目するのは、「いろいろの例を挙げる場合に、どうしても日本人の言葉のほうが僕には能く解る。能く解るし、僕は、その方がね、何というのかな、云い易くなって来たのだね段々……。」という発言である。中でも取り分け注目するのは「どうしても」という言葉である。

 石川氏は「4つの文脈」を挙げておられるが、例えば戦争の小林に対する影響を過大視する山城むつみ氏の<ここで「原作」とは単にドストエフスキー作品の本文ではない。それは敗戦とともに露頭した現実である。・・・テクストさえもない、と言ってもいい>というような極論は論外としても、これ等の文脈は確かにそういう事も指摘できるのであろうが、小林に倣って言えば、これらは「小林の思想的転回の様々な特色を説明するが、彼の様な創造的な批評家には、このやり方は、あまり効果はあるまい」と思われる。それらは所詮は「準拠」に過ぎず、これをもって動因とするのは「緊要ならざる補助手段の越権」であると言えよう。

 詰まるところ、「堀辰雄と林房雄が小林秀雄に人生の舵を大きく切らせた」と言うのは当らない。それは「準拠」の過大評価であって、むしろ小林自身の創造的な批評性がそのような堀辰雄と林房雄を見出したと言うべきである。