ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

東西投資理論の変遷を考える 4

2024-06-16 12:00:00 | 投資理論
そして、ダーバスだけではなく、リバモアの本にも(彼は<直感>や<>という言い方をしている)、その性格は違うが、同じく<神秘的な、説明のつかない本能>について述べているくだりが出てくるのである。

なお、今回この文章を書くに当たって、ネットで探して、かなりの量のダーバスやリバモアについての文章や書評を読んでみたが、英語で書かれたものを含めて、この点に触れたものは、皆無であった。

まあ、普通に考えれば、彼らの判り易いピボット・ポイントとかボックス理論といった、いわゆる手法に目が行く方のが当然で、投資実践という彼らの人間的営為における、こういった一種の言語化し難い「暗黙知」とでも言うべきものが看過されるのは、致し方ないとも言える。しかし、彼らが明敏にも書いているように、その投資家としての成功には、その人間の生死と共に生成消滅するこうした「実存的暗黙知」というものがかなりの程度関わっているのも確かな事実で、それをこの際、再度考えてみたいというのが、この文章を書いている理由でもある訳である。




<いつだったか、おれがコスモポリタンの店でシュガーを3500株空売りしていた時に、直感的に手仕舞ったほうがよい、と感じたという話をしたけれど、おれはしばしばそうした奇妙な衝動を感じることがある。そういう時には、そのに従うことにしていた。しかし時には、盲目的にに従って自分のポジションを変えるのは愚かなことだと自分に言い聞かせることもあった。・・・・しかし、直感に従わなかった時にはいつも、後悔する羽目になるのだった。>(『欲望と幻想の市場』第6章)

<・・・相場ボードを眺めていた。多くの銘柄は、値上がりしていたのだが、おれはユニオン・パシフィックの値を見たところで、この株を売るべきだと感じたのだった。それ以上は詳しく説明できない。ただ、とにかく売るべきだと感じたのだ。なぜそう思ったのか自ら問いただしてみたけれども、この株を空売りすべき確たる根拠は見つからなかった。・・・とにかくこの株を売りたい。しかし理由は自分でもわからない。>(『同』)

この数日後、サンフランシスコ大地震が起き、リバモアはこの空売りの取引で、それまでで最大の利益を得ることになったということであるが、本人自身の手になる『リバモアの株式投資術』にも同様の記述が出てくる。



<1920年代後半の大強気相場において・・・この期間中、・・・けっしてポジションに関して不安を抱くことはなかった。だがそのうち、マーケットが閉まったあと、そわそわして心を落ち着けられないときが来た。その晩は熟睡もできない。何かが私を覚醒させ、マーケットについて思いを巡らせ始めた。翌朝は新聞を見ることさえ恐ろしかった。何か不吉なことが今にも起こりそうに思われた。・・・翌日、状況は際立って変化した。悲惨なニュースがあったわけではない。一方向へ進む長期にわたる変動の後に起きる、よくある突然のマーケットの転換である。その日、私の動揺は本物になる。急いで大量のポジションを清算する羽目に陥った。前日であれば、天井から2ポイント以内で建玉総てを手仕舞えたはずだ。昨日と今日で何たる違いだろう。・・・正直に言えば、私はこの内なる警告には疑念を持っており、通常は冷静な科学的手法を優先させる。しかし、静かな海を航海しているようなときに感じた大きな不安に注意を払うことによって、かなりの恩恵を得てきたというのも事実である。>(『リバモアの株式投資術』第6章)

ここで私が注目したいのは、リバモアがこの<直感>について、このように述べていることである。

それはマーケットを長年研究し、実践を積んできたことで身につく、特異な能力のひとつである。>(『同』)

<やがて、マーケットが教えてくれるより前に、自ら過ちに気づくことが出来る〔変動〕感覚が磨かれてくるようになる。それは潜在意識からの警告だ。過去のマーケットパフォーマンスから得た知識に基づく、自己の内面からのシグナルである。時に、それはトレードメソッドの発するシグナルに先んずる。>(『同』)

なお、この文章の<変動感覚>という訳語に違和感があったので、〔変動〕とカッコに入れて横棒を引いて置いたが、原文でも、以下のように、単に<This sense>とあるだけである。

<This sense of knowing when you are wrong even before the market tells you becomes, in time, rather highly developed. It is a subconscious tip‐off. It is a signal from within that is based on knowledge of past market performances. Sometimes it is an advance agent of the trading formula.>

どうして、<変動>という言葉を補って訳したのか、文脈から言って唐突で、私にはいささか疑問符が付くのではあるが、それにもかかわらず、これから述べる内容に関しては、論理展開の上で、一種の論点先取になっているのは、あらら、これってセレンディピティっていうやつ?と思わざるを得ないのも事実である。

というのは、これらのリバモアの文章は、私にはどうしても、林輝太郎氏の本に出てくるこの文章を、連想させずには置かないからだ。

<ある時、買った後にとても嫌な気がしたんだ。買うべきでないところで買った。つまり、いけないことをしたという気分の悪さとでもいうか、とにかく二日間もそんな気分の悪さが続いたので損になるが売ってしまった。どうしてこんなことになったのかと考えたが、一週間くらいたって分かった。そして涙が出てきた。俺にも変動感覚が出来てきたことがわかったんだ。変動感覚と売買技術-林の本には相場で儲けるためにはこの二つが必要だと書いてあったが、その変動感覚が少し俺に備わったのではないかと思われた。林は笑うだろう。笑われても良い、俺は少しだけだが上達の道に乗ったんだ。それから2年、相場をはじめて10年で、損した分をほとんど取り返した。>(『勝者へのルール』)

また、前回引いたダーバスの文章も、同様に次の文章を思い起こさせると言ったら、或いは自らの言いたいことに、あまりにも引き付け過ぎた解釈だと言われるであろうか。

<FAIクラブのメンバーで400銘柄の月足を描いている人がいます。2005年の8月初めに7月の月足を描き終わったとき、『今月から騰がるな』と思ったそうです。それこそ、はっきりと上がると感じたので、15銘柄3日に分けて買った結果、見込みどおり12月にかけて暴騰しました。『わかってきたのだ、ありがたい』と、うれしく感じたそうです。>(『同』)


さて、これらを、例外的な事例、特殊な才能を持つ人物の特異な<直感>や<>、或いは<感覚>の問題として片付けてしまうのは簡単だが、もう少し、事実の襞に分け入って考えてみることも大切であろう。つまり、問題なのは、リバモアやダーバスが、どのように<マーケットを長年研究>し、どのような<実践を積んできた>のかということである。





東西投資理論の変遷を考える 3

2024-06-02 12:00:00 | 投資理論
これは投資本に限った話ではないが、古典の評価というものは難しい。

私の場合、数年、時には十年以上の間隔を空けてから蔵書を読み返すのを心がけているが、それは評価がガラリと様変わりする場合が往々にしてあるからである。それは単に読書技術の拙劣さということもあろうが、特に投資という分野においては、量は兎も角として、とりわけ質的な経験値の蓄積がものを言うので、自分の実力レベルの内容までしか読み取ることが出来ないからである。それを、今回ダーバスやリバモア、さらに進んでワイコフ、バルークなどを読んで、今更ながらに思い知らされることになったと言っても良い。

ダーバスについては、今から考えると、林輝太郎氏の次の否定的な文章がどうも先入観になっていたように思われる。

<この本の初版は1981年である。自費出版で、全11話であったが、このたび同友館から改訂版を出すことになって、第3話の「ボックス売買法」を除外した。「ボックス売買法」は、ニコラス・ダーバスが『私は株で200万ドル儲けた』という本で紹介した方法で、この本はベスト・セラーになった。
第3話を除いた理由。ニコラス・ダーバスは、上記の本を1960年に出した。14年後の1974年に『ウォール・ストリート・ギャング』という本を書いたといわれる(筆者所有の『ウォール・ストリート・ギャング』の著者はリチャード・ネイになっている。筆名なのか筆者の聞き違いなのか詳細不明)。そしてさらに十年後の1984年、ロンドンの下町で落ちぶれた彼の姿が目撃されたのを最後に消息不明になったといわれている。要するに、彼は相場において有終の美を飾れなかったのだ。一時的に大成功した投資家は多いが、有終の美を飾ってこそ、本当の成功者である。>(『脱アマ相場師列伝』はしがき)

恐らく林氏は『私は株で200万ドル儲けた』以外は読んではいないと思われるが、現在手に入るダーバスの本は『200万ドル』以外にも幾つかあって、これらの内容からすると、上記の林氏の評価は、正確性を欠いた裏付けのない伝聞に、いささか引っ張られ過ぎたように思われる。

『ウォール・ストリート・ギャング』もざっと目を通したが、一口で言えば、インサイダー達による組織的暗躍活動の暴露本といった内容で、『金融市場はカジノ』(1964)で描かれているダーバスのマーケット制度観とは、関心の持ち方の点で、いささかそぐわないように思われるし、そもそも一介のダンサーであるダーバスに、こうした情報が知り得たとも思えない。また、リチャード・ネイは『The Wall Street Jungle」という同様の暴露本を他にも書いていて、やはり別人と考えるのが自然であろう。

また、<1984年、ロンドンの下町で目撃された>という情報の出所は確認できなかったが、ダーバスがアメリカを拠点に活動していたことから考えると、これも相当に怪しい伝聞だと言わざるを得ない。

そして、ダーバスが、『The Anatomy of Success』(1965)の中で次のように書いていることも挙げなければならない。というか、そもそもこの本自体が、良くあるような功成り遂げた人物が書き下ろした、”成功法則本”なのであるが。

<I myself have worked in many fields and, at the risk of sounding self-laudatory, I can honestly say I have been very successful. At one time, I became world famous as an acrobatic dancer. And during a subsequent period of my life, I made a name for myself, creating a brand-new image, as an author. Later, I went on to explore and become successful in other fields—the fashion industry, theatrical producing, real estate are a few examples. >

<私自身、さまざまな分野で仕事をしてきた。自画自賛に聞こえるかもしれないが、正直なところ、とても成功したと言える。アクロバットダンサーとして世界的に有名になり、その後の人生で、私は作家として新しいイメージを作り上げ、その名を世に知らしめることになった。その後、さらに未知の分野に進出し、私はファッション業界、演劇プロデュース、不動産など、他の分野でも成功を収めたのだ。>

尤も、出版年はどれも皆1984年よりも前で、一番新しい『「株で200万ドル儲けたボックス理論」の原理原則』(『You Can Still Make It In The Market』)の出版が1977年なので、この伝聞を完全に否定する決め手にはならないけれども。

  


しかし、まあ、私にとっては、晩年のダーバスが落ちぶれようが落ちぶれまいが、こうした詮索はどうでもいいように思われる。それほど『私は株で200万ドル儲けた』の中で描かれているのは、傑出した投資家がどのように誕生してゆくのか、その試行錯誤の成長過程が、見事に、生き生きと活写されているからだ。また、この本は投資本というジャンルを超えて、自伝としても傑作の部類に入ると言っても過言ではないとも思う。



といったようなことで、今回読み直して、以前には読み飛ばしていた多くの部分に注目することにもなった訳である。

今回新たに気付いたのは、林輝太郎氏の投資技術理論と本質的に相通ずる記述、いわば同じ中心を巡って同心円を描いていると思われる記述が幾つか見られたことである。例えばこのようなところであるが、この文章をどのように読まれるであろうか。

<投資技術をマスターしたことにも疑問の余地はなかった。電報を通じて取引をしていたことで、ある種の第六感も冴えてきた。これが自分の探している株式だということが「感覚」で分かった。・・・わたしはたいていの場合、好ましい株式を見つけることができた。ある株が8ポイント値上がりしたあと、4ポイント下落しても警戒感を持たなかった。そうなることを予想していた。また、ある株価が堅調になると、それが値上がりするのはいつかを言い当てたこともしばしばあった。これは神秘的な、説明のつかない本能だったが、そんな本能がわたしの体のなかにあることは事実だった。そのおかげで非常に大きな力を得た気になった。>