ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

「創元」第一輯

2021-10-29 17:00:00 | 小林秀雄



<といって、小林秀雄の書いた『モーツァルト』の中にモーツァルトがいたか? というとこれは疑問だ。彼はあの中で、ゲーテだとか、スタンダールだとか、アンリ・ゲオンだとか(これははっきり名前をあげて書いてないけれど、小林さんには、どうも、そういう癖があった)を、自由に思うがままに、天才的に巧妙に、引用したり、利用したりしながら--もちろんモーツァルトにもふれながら--いろいろとおもしろい話をきかせてくれた。あれは読んで、とてもおもしろい読みもの。それこそ、読んでいて、わくわくさせるものさえあった。>

<「走る悲しみ」というのは、なるほど、小林秀雄がアンリ・ゲオンの本からとって来て、一言のことわりもなしに使った言葉だ。>


 前々からこの吉田秀和氏の文章が気になっていたこともあり、「モオツアルト」の初出の文章を確かめるべく「創元」第一輯をネットで購入。というのは、言うまでもなく現在読める小林の「モオツアルト」にはアンリ・ゲオンの名前が著作名と共に明記されているからだ。

真ん中は同時に注文した百花文庫版「モオツアルト」。三日で届く。包装を解き、しばし手に取り本の体裁を検める。洒脱な装丁・造本である。発売当時、<定価百円という戦後の業界一般の苦慮に対し、「不謹慎」な編輯の行き方と結びついて、反感を混えた高踏的>(河上徹太郎)という評があったのも、さもありなんと思われる。中を覗いてみると、相当に凝った造りで、活字の大きさや組み方などもゆったりとした紙面である。挿絵等にも十分な注意が払われていて、これは現在に置いて見ても相当に贅沢な「編輯の行き方」であると言えそうである。表紙の絵は梅原龍三郎のカットで、装幀者は青山二郎。つまり、この第一輯は「梅原龍三郎特集」で、見返しと巻頭にも梅原龍三郎の原色版の絵画六葉と単色の素描が四葉掲載されている。本文は144ページ。本文中にもカットが四十葉挿入されていて、本文の黒に対しカットは薄赤茶色の二色刷り。とびらには「小林秀雄、青山二郎、石原龍一 編輯」と三人の名前が併記されてはいるが、奥付には「編輯者 小林秀雄」とだけある。



目次は次の通り。

梅原龍三郎……青山二郎
短歌百余章……吉野秀雄
モオツアルト……小林秀雄
詩(四篇)  ……中原中也
土地(小説)……島木健作

 早速「モオツアルト」の該当の部分を見てみると、やはりと言うべきか、はっきりとゲオンの名前が著作名と共に挙げられている。



 詳細に比べてみた訳ではないが、ざっと読んだ限りどうやら現行の「モオツアルト」の文章と異同は無いようだ。まあ、吉田秀和氏の記憶違いか、さもなくば読み落としであろうか。吉田氏ともあろう方が「啓示」を受けたとまで言う割にはいささかお粗末ではあるが、<吉田さんには、どうも、そういう癖があった>と言うことが出来るのかもしれない。この点をどう見るかについてはここで吉田秀和論をするつもりはないので、単なる指摘だけに留めておく。

ここで、吉田氏の小林の「モオツアルト」について、時間をおいて書かれた三つの文章を以下に引用したいと思う。氏の評価の変遷が伺われて興味深いが、先に引いたゲオンについての一節は、二つ目と三つ目の文章にある。


<小林秀雄の『モオツアルト』が『創元』という雑誌に発表され、それを読んだときのショックは一生忘れられないだろう。
 昭和二十年の夏、太平洋戦争が日本の完敗に終わると間もなく、私はそれまでのつとめをやめた。食べるあてがあったわけではない。ただ、戦争が深刻化するにつれて毎日つのってきた想い、何時死んでも後悔しないような生活を送りたいという熱望、それに自分を全部投げ入れることにしたのである。>
<私は、家に坐って毎日々々、音楽のことを、音楽と音楽家のことを書きはじめた。もちろん、書いたものを売るあてがあってのことではない。ただ、やたらと書いていたのである。そうして書くにつれて、音楽について書くとはどういうことか、だんだんわからなくなっていった。難問がつぎつぎに出てくるのだった。>
<そういう時に、私は、小林秀雄の『モオツアルト』を読んだのである。それは、一方では自分のできることすべてをその中に投げ入れる方法の啓示であり、一方では、どうやって、すべてを書きつくさないで、たくさんのものを与えるかという問題への答えであった。書いてあるものは、ほかに書き直しようがないほど明瞭であるが、読むものはそこに書いてあるもの以上のことを聴く。つまり、音楽をきくのと同じようにして読む。>
<私は興奮し、何度も何度も、途中でやめたり、くり返し読んだりする。その間に、音楽が鳴る。それもモーツァルトのとは限らない。ベートーベンとも限らない。
 その少しあとで、私は有名な音楽学者に会った。たまたま、この『モオツアルト』が話題にのぼり、その人の口から、「文章がうまいというのは得なもんだね」という言葉をきいた時、カッと逆上して、もう少しで食ってかかりそうになった。それをしなかったおかげで、私は、長いこと、いろいろな人びとを軽蔑する病気にかかった。
ともかく、この『モオツアルト』は、私には啓示だった。>
<『モオツアルト』でそういう経験をしたものは、音楽文筆業者の中で、一つの世代を形成しているにちがいない。>(吉田秀和「演奏家で満足です」)

* * *

<これまでも書いたことだが、小林秀雄のあの評論(?)は、私が音楽についてものを書くようになった一つの大きなきっかけ--啓示といってもいいような--になったものである。あれを読んで、「ああ、そうか。こういうことが可能なのだ」と目を開かされた点がある。

 といって、小林秀雄の書いた『モーツァルト』の中にモーツァルトがいたか? というとこれは疑問だ。彼はあの中で、ゲーテだとか、スタンダールだとか、アンリ・ゲオンだとか(これははっきり名前をあげて書いてないけれど、小林さんには、どうも、そういう癖があった)を、自由に思うがままに、天才的に巧妙に、引用したり、利用したりしながら--もちろんモーツァルトにもふれながら--いろいろとおもしろい話をきかせてくれた。あれは読んで、とてもおもしろい読みもの。それこそ、読んでいて、わくわくさせるものさえあった。

 あれは、私の心を自由にしてくれた。何から自由に? モーツァルトを軸にして、自分のことと、自分の心の翼を自由に拡げ、気持ちよく飛びまわるのを許すのに、加勢してくれた。
 と、ここまでは、私は、その後の長い年月の間に、わかってきていた。あの論文(?)を読まなくなって、長い年月がたつが。

 でも、さっきふれたように、最近、ある席で、全く別々に、二度まで、小林秀雄のことをきかれているうち、もう一つ、このことで私が言うべきことに気がついた。

 小林秀雄はあの中で「一つのモーツァルト」、「彼のモーツァルト」を書いたのだ。そうして、それは、いろんな人からの引用だとか何だとかがあるにせよ、小林のもの、ほとんど小林の創ったといってもいいほど「小林的な」モーツァルトとなったのである。いや、彼は「自分のモーツァルトを創るのに成功した」のである。

 そうして、多くの人々に、あれを読んで、そこにモーツァルトを感じ取った--「モーツァルトがここにいる」と思わせるのに成功した。ここにモーツァルトが立っていると信じたくらい。

 小林のあの論文(?)は天才的な独創性に富んだものだと思う。そうして、その天才的独創性は実に日本語の力、日本語の天才と結びついたものだ。こんなことはいうまでもないように思われるかもしれないが、そうではない。その証拠に、あの論文はほかのどこの国の人たちよりも日本語のわかる人たちの共感を呼び覚ますものになっている。つまり、ほかの言語に直して読んだら、--他の言語に訳したものでしか読めない人が読んだら--私たち日本語で読むものほど、--わからないし、感じないと思う。もう一歩踏みこんでいえば、あれは、他国語に翻訳されたら、ほとんどわからないのではないか。>

* * *

<昔、小林秀雄が『モーツァルト』を書いたとき、それを読んだ多くの日本人は強い衝撃を受けた。もちろん、あそこには、音楽学的検証にかかったら、批判に耐えられないようなところが少なくなかった。それより何より、論述の仕方が、小林流の飛躍の多い、人によってはコケオドカシと呼びたくなるようなものだと、非難する声は、当時からあった。

 でも--

 あれは、日本人のモーツァルトのきき方に一つの新しい強烈な一条の光を投げる力を持っていた。

「走る悲しみ」というのは、なるほど、小林秀雄がアンリ・ゲオンの本からとって来て、一言のことわりもなしに使った言葉だ。おまけにゲオンはあれをフルート四重奏曲の一つの楽章について使ったのに、彼はこの一言でもってモーツァルトのト短調弦楽五重奏や交響曲の二曲の中を貫き走ってゆくものを言い当てた。そうして、この一言は、その後多くの日本人のモーツァルトをきく耳を呪縛するのに成功した。

 それまでの「日本人のモーツァルト」は、せいぜいブルーノ・ワルターの、あのおじいさんが優しく愛情をもって孫を抱き上げるような扱い方が規範だった。そうでなければ、モーツァルトはただ「優雅で明澄で流麗玉の如き」音楽のお手本のようなものだった。彼のピアノ・ソナタは真珠の玉のような音で綴られていた。

 そこに「走る悲しみ」である。

 私も衝撃を受けた。論理より爆弾。

 そんなことがいつまでも続くはずはない。

 だが、そのあと、私たちは何を持ったか。そう、海老沢敏さんが『アマデウス』のモーツァルトを正面から真面目に受けとめつつ、何とか日本人の「モーツァルト像」をまともで学問的検証の軌道にのせられるようにするための真剣な努力をした。

 ただ、それで日本人の間にどういうモーツァルトをきく耳が育ったかは別問題だ。

 あ、それから井上太郎さんがいる。この人は愛情あふれる、繊細な心と耳を持ったモーツァルティアンで、レクイエムについてのモノグラフィーをものした。

 石井宏? そう、私の知る限り、彼はモーツァルトの交響曲を、ベートーヴェンやブラームスの交響曲をきく耳で受けとることへの警戒の鐘をくりかえし鳴らしていた。

 それから、さきに触れた岡田暁生。彼のモーツァルトを論じる鋭意の文章が日本人のモーツァルトのきき方にどんな変革をもたらすかは、私のこれからの楽しみの一つである。>(「之を楽しむ者に如かず」)



 さて私としては今回、小林の「モオツアルト」を十数年ぶりに、この「創元」で通読した訳だが、今だ色あせぬ「名演奏」である。今回読んで特に改めて強く感じたのは、古典派から浪漫派へという大きな流れの俯瞰が、この評論全編を貫く骨子をなしているという事実で、それは冒頭のゲーテとベートーヴェンの逸話によってモオツァルトを浪漫派から厳格に引き離している点に端的に表れている。この逸話の小林の意図はこれまで一般には殆ど理解されていないように思われるが、それは単に<ゲーテだとか、スタンダールだとか、アンリ・ゲオンだとかを、自由に思うがままに、天才的に巧妙に、引用したり、利用したりしながら--もちろんモーツァルトにもふれながら--いろいろとおもしろい話をきかせてくれた>というような事ではなく、この評論にはもっと厳格な論理が存在しているということである。ここには「爆弾」だけではなく筋金入りの「論理」が存在し、それが文章全体を貫いているのである。このことはは少し後の<べエトオヴェンという沃野に、ゲエテが、浪漫派音楽達のどの様な花園を予感したか想像に難くない。尤も、浪漫主義を嫌った古典主義者ゲエテという周知の命題を、僕は、ここで応用する気にはなれぬ。この応用問題は、うまく解かれた例がない>という一節や、<彼の死に続く、浪漫主義の時代は音楽家の意識の最重要部は、音で出来上がっているという、少なくとも当人にとっては自明な事柄が見る見る曖昧になって行く時代とも定義出来る様に思う。音の世界に言葉が侵入して来た結果である>という一節、または<浪漫派以後の音楽が僕等に提供して来た誇張された昂奮や緊張、過度な複雑、無用な装飾は、僕等の曖昧で空虚な精神に、どれほど好都合な隠所を用意してくれたかを考えると・・・>という一節に明確に伺えるのであって、こういった記述はこのほかにもこの文章の至る所に見つかるだろうが、このように浪漫主義を堕落荒廃と捉えることで、言い換えれば近代の”毒”を指摘することで、この文章で小林は自らの立場―反近代という立場を表明しているという言い方も出来る訳である。

 そして私がこれを「名演奏」というのは、<彼はその上でこの文章も亦モオツァルトのポリフォニーのように鳴らして見たかったのだ。そこで彼は体験的回想だの、文献的渉猟でこの天才の逸話だの、音楽史の論述だの、古典精神と浪漫精神の対立だのいう幾多のテーマを併置し、転回し、転調し、展開して、そのハーモニーを愉しんでいるかに見える。この工夫が彼の一番の狙いであり、もしそれに成功したとすれば、ここにモオツァルトの音楽、その人物、小林の文章という三位一体を現出する筈なのである。この企図にこの文章の独創性があるのだ>(河上徹太郎)という意味合においてであって、従って、良く批判されるようなそれらの構成部品たるそれぞれのテーマの瑕疵、例えば単にモーツアルトを器楽作者に限定し矮小化しているとか、引用されている“オットー・ヤーン”によってモーツアルトのものであると保証されたと記されている手紙が、現在はモーツアルト自身のものではないと考証されているとか等々、は大した問題ではない。

 このような意味で、つまり文章の内容がまたその文体においても見事に達成され高度に具現化されている作品としては、私は他にドゥルーズ=ガタリの「MillePlateaux」「千のプラトー」くらいしか思いつかないのだが、この小林の「モオツアルト」も、それほど稀有な高みにある個性的な「名演奏」であり、恐らく今後も”聴き”継がれるであろう独創的な「名演奏」の一つであり続けるであろうと私には思われる。

そして、そこに聞こえて来るモーツァルトは、<おじいさんが優しく愛情をもって孫を抱き上げるような>モーツァルトでもなく、増してや<優雅で明澄で流麗玉の如き>モーツァルトでもない。むしろ、そういった予定調和的なモーツァルトとは対極にある軋轢型のダイナミックなモーツァルトであって、そういった意味では近来の古楽系の演奏―レオンハルトやア―ノンクール、ブリュッヘン等以降の一連の演奏を先取りしたもののように私には聞こえるのであるが、どう思われるであろうか。

そして、古楽と言えば、私には、どうも日本においてはこの運動の企画意図というものをないがしろにして、単にその演奏の新規さや斬新さだけが注目されているようにしか思われないのであるが、これは伝統の上に胡坐を掻き硬直化形骸化したクラシック音楽界に起こった起死回生の運動、ー激しい批評精神の導入による一種のルネッサンス運動とでも捉えることが出来るだろう。従って、残念ながら小林も河上もこの運動の勃興を知らずに他界したのであるが、知るところであれば必ずや大きな興味を示したであろうことは想像に難くない。この古楽という運動は、古事記解読というテキスト・クリティークの極むるところ、不可避的必然的に独創的な創造性が要求されるに至った宣長の古学と本質的なアナロジーがあるからだ、そう言って良いように私には思われる。



Mozart: Symphony No.40 in G minor, K.550 - 4. Finale (Allegro assai)



モーツァルト弦楽五重奏曲第4番第1楽章 クイケン四重奏団+寺神戸亮 (1st viola)






Doctor Yourself! 分子栄養学によるメディカル・インディペンデンスー健康自主管理の勧め

2021-10-01 10:00:00 | 分子栄養学
現在の新コロナウィルス騒動は、日本の医療制度のソフト・ハード両面における、いい意味でも悪い意味でも特異性を顕在化したと言って良いように思う。この点に関しては、プライマリケア医・医療経済ジャーナリストである森田洋之氏の次の文章が、私には整った論考だと思われるが、どう思われるだろうか。

コロナ第6波に向けていま日本人が行動すべき3つのこと(前編)
コロナ第6波に向けていま日本人が行動すべき3つのこと(後編)

森田氏は、数字によって語らしめるという方法をとっているが、その暗に意味するところをはっきりと述べれば、外国はいざ知らずこと日本においてはパンデミックでないにもかかわらず、パンデミック対策を取り続けている点に、現在のコロナ禍の混乱の大本の原因があると言って良いだろう。こうした政府、分科会・厚労省高級官僚の社会的な視野を欠いた誤った施策に対しては、国民がはっきりとNO!を突き付けないと、<何度感染の波が来ても、そのたびごとに専門家から感染対策の徹底が叫ばれ、「緊急事態宣言」が繰り返される>という悪循環からは、抜け出せないのだという提言には全くもって同感である。

政府内でどういった話し合いがなされているか、情報がほとんど出てこないので何とも言えないが、昨年の暮れには2類指定を外すという議論もあったようだし、以下の麻生大臣の発言からも伺えるように、少数派であっても政府内にも真っ当な意見を持つ一定の勢力があるとも思われるので、この点は新政権が現在の対コロナ施策を継続するのかどうか、まああまり期待できないだろうが、注目したいところである。

麻生大臣「医者の話はコロコロ変わってよく分からない」[新型コロナ]



この麻生大臣の発言の如く、「八割おじさん」こと西浦教授の”曲がり屋”っぷりが象徴的に示すように、私にはどうも感染学というのはおよそ科学以前に学問の体すらなしていないように思われる。それは、未だに感染経路すら確定できていないことに端的に表われているが、現在は空気感染までもが言い出されている始末で、結局そこには本質論が欠けているので、感染者数(実際にはPCR検査陽性者数)という大前提そのものが本当に正しいのかという視点が全く欠けている。私の常識的判断は、この点に関しては全く麻生氏に同意見である。やれやれ。


といったようなことで、そういったマクロ面での効果的な施策へのシフトがすぐには期待できないとなると、喫緊のことでもあるし、今後はミクロ面での対コロナ施策、即ち自己防衛策が、ますます重要になってくるものと思われる。そこで、現状言われているような、三密をさける、マスク着用、手洗いといった旧来の感染防止対策に加えて、行動に移すべき具体的なプランBの提示が本エントリーの趣旨である。

そのプランBとは、(ファイナンシャル・インディペンデンスになぞらえて言えば)メディカル・インディペンデンス、すなわち、分子生物学に基づいた栄養学=分子栄養学による健康自主管理という方法である。

今回の新型コロナワクチンは、遺伝子組み換えタンパク質によって組成されたmRNAワクチンやDNAワクチンで、分子生物学的知見に基づいた新しい「ワクチン」であるが、何もそのような効果も副反応も明確になってはいない治験中の新薬に手を出さずとも、実績のある分子生物学に基づいた栄養療法によって自己の免疫力を高めることで、新型コロナ(と言われているものは、実際は、複数の感染症と疾病が一緒くたにされているのが実情ではないかと私は推測しているが)等の感染症には十二分に対処できると私は考えるからである。つまり、俯瞰して見れば、人類という種が400万年の進化の過程で身に着け発展させてきた免疫機構というものは、それ自体が既に完成形であって、恐怖心からそこに浅知恵で介入して事態をかえって拗らせているのが、現在のコロナ騒動ではないか、そう考えているで次第である。

さて、1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによってDNAが二重らせん構造であることが解明され、これによって生物学は全く新しい段階に入り、これまでの生物学は、この発見によって再照射を受け、新しいパラダイムに入ることとなった。いわゆる分子生物学の誕生である。栄養学についても同様で、この分子生物学的知見によって新たに分子栄養学というパラダイムに入ったと言ってよいが、現在医療において主流を占めるのは、古い栄養学的知見であり、残念ながら現在の日本の医療もこの古典的栄養学に基づいて行われていると言わなければならない。その基本的なスタンスは、現在の先進国においては栄養は十二分に摂取されているという前提の下に治療が行われているので、治療は基本的に対処療法という形を取る。ために多くの慢性疾患ー高血圧、糖尿病、アレルギーや統合失調症等々は、薬によって症状を抑える寛解という段階に止まり、病気が根治することは稀である。結果、ふと周りを見渡せば多種多量の薬を常用している中高老年だらけというのが、現在の日本の有様であることは言うまでもないであろう。或いは、この文章を読んでいるあなたも、その一人かも知れない。森田洋之氏のこの文章に倣って言えば、この現在の情況は、まさしく薬物・抗生物質漬けの<家畜>ということになろう。

人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?/コロナパニックについて考える

これに対し、分子栄養学では「汎栄養不足」とか「質的栄養失調」とか言い方は様々だが、分子生物学的見地から見れば、先進国であってもほとんどの人間が必要な栄養素が足りていないのが通常の状態であることから、この「栄養失調」が様々な病気を引き起こしているという見立てになる。従って、この栄養状態が改善されれば、ほとんどの病気は自然治癒力によって快方に向かうことになるので、先に挙げた高血圧、糖尿病、アレルギーや統合失調症だけでなく、現在不治の病とされている白血病やがんでさえもが完治するという見地に立つ。そう言ったら、或いは首をかしげる人や眉に唾を付ける人も多いのではと思うが、この点は、この分子栄養学に対する執拗な反論や攻撃がなされているのも確かな事実で、それがいまだ主流になりえていない理由でもあるが、ここには大人の事情というものが存在する。

それは、古典栄養学的見地に立つ権威と彼らと結びついたメガ・ファーマが医学会に絶大な影響力を持っているからである。例えば、アメリカの医師や研究者は、数年ごとに大学から製薬会社へ、製薬会社から政府機関へ転職するケースが非常に多く、一例を挙げれば前FDA(米食品医薬品局)長官は、現在はファイザー社の重役であるといった塩梅である。また。ほとんどの大学の研究は、メガ・ファーマの資金援助を受けており、その影響下にあるのが実情であ。というと、「なんだ、陰謀論か」と言われそうだが、まあ、世の中はこの程度には陰謀論的であるということである。或いは、利権構造的であると言い換えても良い。この点は、次の藤川氏も著者の中でページを割いてかなり踏み込んだ記述をしているが、ために現在の医療は査読論文=エビデンス至上主義による臨床の過小評価・無視という根本的且つ重大な問題を抱えている。これなぞは、新コロナに対するイベルメクチンを巡る評価などその典型であろう。

いや、少し話がそれたが、そこでまず紹介したいのが藤川徳美氏の著作である。


     
 



概要は以下の動画が判り易いと思うが、興味深いのは、氏は心療内科の開業医、いわゆる精神科の町医者であるということである。つまり、実際に多くの患者を診てきた臨床実践の中で、通常の症状を抑えるだけの寛解という治療法に疑問を抱き、色々と試行錯誤する内に三石理論やオーソモレキュアーといった分子栄養学に基づいた栄養療法にたどり着いたとの事である。まず、分子栄養学ありきではなく、有効な治療法を求める内にたどり着いたのが、分子栄養学療法だった訳である。従って、氏の理論は分子栄養学療法の最前線に立つ最新の理論であると言ってよい。動画でも述べているが、その内容は三石理論の高たんぱく・メガビタミンとミネラル・抗酸化物質の接取を基本に、糖質制限と鉄分接取、さらにオーソモレキュアー知見によるナイアシン(ビタミンB3)接取を加えてアップデートしたものとなっている。繰り返すが、重要なのはこれが多くの実際の臨床例によって裏付けられた、実践的な栄養療法であるということで、再現性に疑問の残るこれまでの経験主義的な栄養療法とは異なり、高度な分子生物学・生化学的な知見をもとに実践の中で有効性が試され、確立されてきた治療法であるということである。内容も、開業医らしい明快な実践的・具体的な「処方」を記載しているので、この”藤川方式”から始める事をお勧めする次第である。


「メガビタミン健康法」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】


「医師や薬に頼らない! すべての不調は自分で治せる」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】


【健康TV】藤川徳美先生に単独インタビューVol.1~知らない事だらけ!医者や薬に頼らない健康法を医学博士に聞く


【健康TV】藤川徳美先生#2 プロテインや鉄の摂り方 リウマチなど女性特有の病気の対処法 がんが進行する前に知っておきたいこと


【健康TV】藤川徳美先生#3 うつやパニック障害は栄養療法で薬が要らなくなる


【健康TV】藤川徳美先生#4 ADHD注意欠如・多動症が改善する!頭が良くなる!集中力を高める!パフォーマンスが上がる栄養療法


【健康TV】藤川徳美先生#5 糖質制限の始め方 (男女別, 持病の有無, 朝昼晩ごはんの摂り方) と著書の読み方~まずは「うつ消しごはん」「薬に頼らずうつを治す方法」から


【前半】「うつ消しごはん」著者 藤川徳美先生と管理栄養士 布目の対談【ビーレジェンド鍵谷TV】


【後半】「うつ消しごはん」著者 藤川徳美先生と管理栄養士 布目の対談【ビーレジェンドチャンネル】



ここで個人的な話を少しすると、40歳半ばを少し過ぎた辺りから、体力低下、慢性疲労、倦怠感、肥満等色々な体の不調が一気に顕在化してきた。血圧とコレステロール値も上昇し、花粉症にはなるわ血尿も出るわで、医者には、とりあえずは食事や生活習慣を見直しダイエットをすることを勧められたが、ダイエットには成功したものの症状はあまり改善せず、血圧とコレステロールの薬を処方されることとなった。その結果、これらの薬が手放せなくなり、その状態に疑問を持ったのが、分子栄養学に出会うに至るそもそもの切っ掛けである。その時に、多分二百冊は超えていると思うが、ダイエット本や健康法に関する本を片っ端から読んで行くうちに出会ったのが、三石巌氏の著作だった訳である。

内容は分子生物学に基づいた難解且つ非常に理詰めの内容で、よく理解できないところも多々あったが、私の目には他の本とは一線を画する内容に映った。従って、その主張である高たんぱく・メガビタミンを一度試してみようと、ホエイプロテインとマルチビタミンを恒常的に毎日摂取してみたところ、三か月くらいで体感的に良い感触を得たのが分子栄養療法の実践の始まりである。そして半年後には医者も少し驚いていたが、二年間の不調が嘘のように改善され、血圧もコレステロール値も正常値に戻ってしまったのである。慢性疲労、倦怠感もかなり改善され、この時点で、三石氏の主張の正しさに私は確信を持つに至った。そこで、三石氏の分子栄養学に関する著書の総てを買い込み、熟読し、氏の著作で知ったライナス・ポーリングや彼に繋がるオーソモレキュアー関連の本も加えて読破、その後は、摂取量やビタミンやミネラル、スカベンジャー(抗酸化物質)の種類も段々と増やし、現在ではプロテインと共に16種類ほどのサプリメントを恒常的に取っているが、至って健康な毎日を過ごしている。

その効果はなかなか目覚ましいもので、風邪は全く引かなくなり、いわゆる病気とは全く無縁の生活を20年近く送っている。それだけではなく、色々な不調や痛みを感じることもほとんどなくなり、例えば、頭痛や時々あった原因不明の胸の痛み(心不全の兆候?)も全くなくなり、花粉症もいつの間にか収まってしまった。また、気象病と言われている春先、秋口などの季節の変わり目に体調を崩すことや、天気の悪い日に古傷が疼くといったことも段々となくなり、現在ではこういったことは皆無である。

そして、藤川氏の著作に出会い、糖質制限ー糖質絶ちをするに及んで、また一段レベルが上がったように思う。唯一の不調であった長年に渡る歯槽膿漏が一か月ほどで治ってしまったのにはいささか驚いたが、歯医者に糖質制限の話をしたところ不審な顔をしていたので、どうやら歯槽膿漏の原因としての知見は持ち合わせていないようだ。それから、これまでにも顔や腕のシミが徐々に薄くなっては来ていたのだが、糖質制限後はその速度が一段と上がったように感じられる。三石理論では、糖質制限というのは特に強調されていなかったので、藤川氏によってその欠が補われたと言って良いだろう。巷では、糖質制限が言われ出して久しいが、藤川氏も警鐘を鳴らしているように、たんぱく質や脂質等を取らない糖質制限一本足打法では失敗に終わり、返って健康を害する可能性が高いのではないかということもここで申し添えておく。

それはともかく、独力でほとんど分子栄養学を完成された三石氏の偉業は揺るぎないもので、現在その業績に対して不釣り合いなほどの知名度しかないが、今後はその分子栄養療法の臨床実践上の実績によって知名度が上がっていくものと思われる。なお、氏は鉛公害の被害者というハンデを抱えながら、自らの分子栄養学を実践し、生前は百歳まで生きると言っていたが、残念ながら95歳で亡くなられた。そして、その直前の二週間前まで毎年恒例のスキーを楽しんでおられたことは、有名な話である。現在でも、氏の分子栄養学に関する著作は基礎文献となっている(現在あまたある栄養療法本や記事のネタ本になっている)ので、メディカル・リテラシーを深めるという意味でも、ここでお勧めしておく次第である。実践に当たっては、その基本的な概念や考え方を知っておくに越したことはないので、藤川氏の著作に続いて読むことをお勧めする。


       


最後に、参考までに藤川氏の新コロナ対策を紹介する。

まずは予防編:一日量。

・断糖して、ウィルスの「エサ」を断つ
・プロテイン:規定量20gx2回
・ビタミンC:腸耐性用量6~30g
・セレン:一か月目は400mcg、その後200mcg
・NAC(アセチルシステイン):1000~2000㎎
・その他、ビタミンA、ビタミンD、ビタミンE、亜鉛、マグネシウムなど

次に感染初期:一日量。

・プロテイン量を予防時の倍に増量
・ビタミンA:10万IU
・ビタミンC:30分ごと5g、お腹がゆるくなれば半分のペースに落とす
・NAC(アセチルシステイン):4000~6000㎎
・可能ならば、B+C+グルタチオン点滴:B(B1、B3、B6は100㎎)+C(30g)+グルタチオン(1800㎎)