ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

レイダリオ「Principles For Dealing With The Changing World Order: Why Nations Succeed Or Fail 」その2

2022-05-13 12:00:00 | 着眼大局
世界情勢を眺めているとロシア・ウクライナ紛争は、ゆっくりとであるが、着実にロシアとNATOの全面戦争へとシフトしつつあるようだ。そして、その先に待ち構えているのは、レイダリオや私の予測する如く、第三次世界大戦ということになる訳であるが、果たして今回、それが回避される否かは、残念ながら神のみぞ知ると言う他はないだろう。明らかに言えることは、今回のロシア・ウクライナ紛争は、世界秩序をめぐる新たな「帝国主義の時代」の序章に過ぎないということである。

<大きな見取り図としては、今後の世界は、アメリカと言う世界の政治・経済のへゲモンがいなくなる中で、国家間の激烈な経済競争や軍事戦争が始まることになるだろう。いわゆる「帝国の時代」から「帝国主義の時代」へと移行していくことになろう。アメリカの世界の警察官放棄は軍事覇権の多極化へ、ドル覇権放棄は国際通貨の多極化へ向かう。その論理的に帰結するところは、第三次世界大戦とIMFのSDR(特別引出し権)である通貨バスケット制による金本位制復活というのが当然に考えられるシナリオであろう。>

以前にこのような文章を書いたが、従って私の目には、現在のロシア・ウクライナ紛争は、将来、”自由主義の終焉”を示すエポック・メイキングな出来事として、語り継がれることになるのではないかと思われる。つまり、今後の世界は否応なしに分断され、多極化・ブロック化していくという事である。


今にして思えば、新自由主義者=グローバリスト達が、まことしやかに「国家というものは、これからは消えて無くなっていく」と述べていたのは、実に象徴的な光景であったと思う。これに反し、今後の世界の様相は、反新自由主義=反グローバリズムへと急速に傾斜して行き、国家主義的な色彩を強めて行くとことになろう。私に言わせると、新自由主義者=グローバリスト達は、「資本」をあまりにも過大評価していたということになる訳であるが、彼らの目に見過ごされていたのは、「資本=ネーション=ステート」という三位一体システムの強固さであり、最近あちこちで引用されるようになったマーク・トウェインの言葉(とされている)で言えば「History doesn’t repeat itself, it often rhymes. 歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という歴史の循環的な法則性である。


(『帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺』)

逆に言うと世界史上の出来事は、この「資本=ネーション=ステート」という三位一体システムという見地から考慮する必要があるので、個々に「資本」や「ネーション」や「ステート」だけを見ていては、その本質が見えてこないという事でもあって、現在のロシア・ウクライナ紛争も同様であることは言うまでもないだろう。まあ、それがレイダリオの本を私が高く評価する理由でもあるのだけれど。


日本のマスコミの報道を見ていると、そもそもなぜこの紛争が起こったのか、私には全くチンプンカンプンなのだが、それに加えて、プーチン大統領に対する政治的野望に取りつかれた狂気の独裁者といったイメージ作りや、ロシアは孤立しているとか、プーチンは焦っているとか、例によって事実を報道するジャーナリズムを放棄して、ほとんどプロパガンダ装置と化している始末で、実際の戦況はどちらが優勢なのかもさっぱりわからない。その気になればネットで海外の情報は、直接アクセスして幾らでも取ることが出来る現在、例えば自国内の反戦デモを報道しているロシアのメディアと日本のメディアとでは、一体全体どちらが客観的で冷静な報道をしているのであろうかという疑問を持つのは私だけであろうか。


なお、ブチャの虐殺の続報であるが、フランス国家憲兵隊の調査内容が、スペインの記事になるというのも興味深いので挙げておこう。翻訳は敢えて示さないが、日進月歩のAI翻訳ツールの中にあって、今現在の時点では→DeepLをお勧めするが、コピペでものの十数秒で日本語化されるので、興味のある方は一読あれ。

Fue el ejército ucraniano quien cometió la matanza de Bucha(ブチャの虐殺を行ったのはウクライナ軍。)


さて、ロシア・ウクライナ紛争がなぜ起こったかのかに話を戻すと、解説に当たって”キューバ危機”という格好の事例が出てこないのが、私にはとても不思議に感じられる。つまり、この紛争は言わば”第二のキューバ危機”であって、言い換えればロシア・ウクライナ紛争というのは、キューバ危機と「韻を踏」んでいるのである。

まず押さえておかなければならないのは、ウクライナとロシアの首都モスクワの地理的な距離の近さ(ウクライナとロシアの国境からモスクワまでは約400キロメートルで、我が国でいえば東京・米原間くらいの距離)である。日本のマスコミで言われている緩衝地帯が無くなる云々の説明では、この最重要論点が抜け落ちているために、判ったようでいてよく判らない説明になっているが、要はウクライナにNATOのミサイルが配備されると、モスクワがその射程距離内に入ってしまうという事である。

従って、私に言わせれば、ロシア侵攻のトリガーとなったのは、そもそもゼレンスキー大統領が、NATOに加入して核ミサイルを配備すると言い出したからに他ならない。このゼレンスキー大統領の行動は、プーチン大統領の目には、ロシアの安全保障上決して譲ることのできない一線を越えたものと映ったであろうことは想像に難くない。ちょうど、アメリカにとって、キューバに核ミサイルが配備されるのと同じように。さらに、この一触即発の情勢下にあって、バイデン大統領が一般教書演説で、わざわざウクライナには派兵しないとあえて明言したことも、副次的な要因として挙げられよう。この声明とその後のアメリカのウクライナへの軍事援助を考えると、バイデン政権のやっていることは、いわゆるマッチポンプに他ならないと私は考えるのだが、どう思われるであろうか。

キューバ危機の際には、アメリカとソ連の間で話し合いが行われ、あわやと言うところで核戦争の危機は去ったが、現在、アメリカとソ連の間での話し合いは全く行われていないように見える。このような時にこそ、平和憲法を掲げる日本は、外交上、アメリカ・欧米諸国とロシア間での話し合いの調停役に回るべきだと私なぞは考えるのだが、それどころかむしろ油に火を注ごうとしている岸田政権の行動は狂気の沙汰としか思えない。

ロシアへの経済制裁には、自民党内でも表立って反対の声は上がっていないようでもあるし、表向きの内閣支持率も現在は50%を超えているといった塩梅で、そもそも、政府も国民も、この経済制裁によって、すでに日本はロシアとの戦争状態にあるという認識を持っているのであろうか?と言う疑義を私は禁じ得ないのであるが、判っていたこととはいえ、「空気」醸成による時の勢いとは恐ろしいものである。やれやれ。



以上は「ステーツ」間の外交の話であるが、一筋縄ではいかない複雑なウクライナの「ネーション」の問題は、一般に覇権国家の「周辺国」の「ネーション」の問題がそうであるようにややこしく拗れていて、ロシア=悪、ウクライナ=善といった単純な話ではないのは明らかである。ここでは日付は少し古いが、私の興味を引いたものを幾つか挙げておこう。この問題に限らないが、注意すべきは、なんでも判っているような言い方をする専門家の意見であることは言うまでもない。


オリバー・ストーンの『ウクライナ・オン・ファイヤー ―Ukraine on fire―』【日本語字幕版】 - full movie -


故勝谷誠彦のウクライナレポート『血気酒会』緊急開催


*軍事ジャーナリスト田岡 俊次のコラム

ウクライナ紛争の奇々怪々 


*キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹小手川 大助のコラム

ウクライナ問題について

ウクライナ問題についてその2

ウクライナ問題についてその3

ウクライナ問題についてその4

ウクライナ問題の波紋-経済制裁で一番損をしている日本-


ということで、次回は、経済制裁を絡めて「資本」の問題について、私見を述べることにする。


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