ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

暴落はトレンド、トレンドはフレンド 5

2020-04-25 18:00:00 | トレンド・フォロー
duke氏が本書の最後の方で書いているこの文章は、特にどうという事もない常套的な文意で、何気なく読み飛ばしてしまいがちな文章だが、実に象徴的な一文であるように私の目には映る。


<自分のルールを全うする上で重要なのは、「何事も起こり得る。確実なことは何もない」ということを心に受け入れ、確率で考えられるようにすることです。自分の投資法の優位性を「確率的思考」で実行し、売買回数が多くなれば、大数の法則で、最終的には儲かる、勝てると信じることが重要です。>


私が注目するのは最後に<信じることが重要>と書いていることで、これを読んで「ふむふむ、やはりそうなのね」という感を禁じ得なかったからである。やっぱり氏もまたブルース・リー信者であったか、と思ったのである。ここに、ある種の考え方の典型をみたと言っても良い。

あるいは、些細な言葉尻を捕まえて、針小棒大にものを言っているのではないかと取られるかも知れないが、それはここに至るまでの記述の中に、こういった考え方をほのめかす文章がそこかしこに見られたからで、私にはduke氏がついうっかりと<信じる>という言葉を書いてしまったとは、全く思えないのである。例えば、duke氏はさまざまな投資手法を試した手法ジプシー期を経て、ふりーパパ氏の投資手法に出合い、<大きく飛躍>した時のことをこう書いている。


<とはいえ、最初は試行錯誤の繰り返し、疑心暗鬼の連続でした。>

<実際に自分が新高値で買った株式の株価が、さらに上昇していくのを見て、この手法はイケると直感しました。まさにウロコが落ちた瞬間です>


つまり、もうお分かりの方には言うまでもないことだろうが、私が疑問を呈したいのは、「確率」だとか「有意性」(or「優位性」)という言葉は、昨今の投資家なら誰でも普通に使う言葉だが、投資システム(あえて手法とは言わない)の「確率的有意性(or優位性)」というものは、果して「信じる」といった性格のものなのかどうか、果して「直感」で判断する性格のものかどうか、という事である。

これは言い換えると、「確率的有意性(or「優位性」)」の裏付けを何に求めるのかという事であって、勿論、信心や直感に基いて「信じる者こそ救われん」とか「考えるな。感じろ!」と考えるのは勝手だが、相場に置いて「救われる」かどうかは、全く別の話である。私はブルース・リー信者ではないので(というのは勿論冗談だが、いや我ながらくどいね)、理性的合理的根拠による裏付けがなければ、勿論、信用しない。というか、採用しないだけである。

つまり、なにが言いたいのかと言うと、結局ここには、検証という考えが全くもって欠けているという事が言いたいのである。言い換えると、リスク・マネージメントの一環としての検証という事である。これもまた株式投資においては、確率的思考や確率的有意性という言葉の氾濫とは裏腹に、言及されることがほとんどなく、全く軽んじられている重要項目の一つであるが、ネットでの私の狭い見聞範囲でも、株式投資で検証をまともにやっている人を全くと言って良い程見たことがない。

極端な事を言えば、そこにあるのは検証を経ていない借り物の手法や単なる思い付きによる手法の雑多な混淆の群れであって、これではそれらを信じるか信じないかの丁半ばくちになってしまうことになるのも仕方がないと思われる。私がシステムと言うのもこの検証作業を必須の前提とした意味合いで言うのであって、結局、そこには信頼に足る明確なシステムもなければ、それに基づいたルールもないのが実情ではないかと思うのである。この意味において、duke氏が<疑心暗鬼>と書いているのは誠に象徴的であると私の目には映る。或は的確にと言うべきかもしれないが。

であるから、この観点から見ると、duke氏の次のような、いきなりステーキならぬいきなり実弾投入主義的アドバイスは、リスク・マネージメントという意味でも、私には全く受け入れがたいギャンブル・アドバイスとしか思えない。しかも、これは手法ジプシー期を含めてのアドバイスであるから、何をか言わんやである。

<こうした私の失敗から、株式投資の初心者の方にアドバイスするとしたら、とにかく小さい金額で始める事をお勧めします。・・・・投資する金額は小さくてもいいので、退場させられることなく続けていけば、経験値という素晴らしいお宝が得られます。>

私には、この本を読み終わって、duke氏はよくこれで退場しなかったなとしか思えないのであるが、まあ、これはフルタイムの「普通の正社員」という、現在の日本においてはかなり恵まれた給与や付加給付あってのものであろう。つまり、これは「普通の正社員」でも出来る投資法ではなくて、「普通の正社員」しかできない投資法だという事である。一般論として投資家としての退場の成否を分ける最大の要因は、つまり最後に物を言うのは、何と言っても資金量だからである。

ともあれ、私もここでアドバイスをするとすれば、自分のやっていることの確率的有意性について、ある程度の確信や自信がなければ、たとえ利益が出ていようと、即刻実弾投入は止めて、検証作業へと移るべきである。これは実に至極当たり前のことだと思うが、投資以外の実務と同じように、検証→デモトレード→本番トレードという工程を踏むべきである。


というようなことで、NO検証、NO相場LIFE!を強調するために、いささか回りくどい話になってしまったが、ここからは検証へとディペンドして書いていこうと思う。

さて、検証が重要と言っても、検証の目的は検証結果の成否を得る事だけが目的ではない。検証には色々な意味合いがあるが、その最大の効用は、何と言っても、システムに対する疑心暗鬼が無くなるということである。マインド・マネージメントという観点から言っても、このようなダーク・サイド側のマイナス要素は事前に撲滅して置く必要があるのは言うまでもないだろう。この安心感と言おうか、自信と言おうか、猜疑心による動揺の払拭による心の平静さと言うものはちょっと言葉にできないもので、或は検証をやったことのない人にはわからないものなのかも知れない。

さらに、特筆大書きして強調して置きたいのは、検証作業においては、得られたデータを活用・分析することによって、ある程度システムをリファインしていくことができるということである。

この意味では、duke氏が「売買したら日記を付ける」という文章を書いて、ポイントとして挙げていることは、私は高く評価するものである。

<簡単なメモ書きでも、書き続けている内に、必ずいろいろな気付きが得られます。不思議な事に、自分自身の考えや気持ちの整理もできます。心にかかっていたモヤモヤが晴れていくのを実感できるはずです。この効果は計り知れません。・・・・
特に、損をした経験からは、多くの事が学べるはずです。
なぜ損をしたのか。
損切りはルール通りにできたのか。
こうした過ちの原因をメモし、振り返ってみるのです。
そして、そこで得た気付きを、次の売買に生かしててください。
ものごとはこれの繰り返しです。実際にやってみて、反省し、改善点を探す。さらにやってみて、反省し、改善点を探す。それを繰り返していくうちに、徐々に実力が付いてきます。
売買記録をエクセルで管理し、すべての取引を数値化するのもお勧めです。自分の取引記録のデータ集をつくるのです。買い値、売り値、株数、投資額、保有期間、損益率などを記録します。数字は嘘をつきませんから、感覚よりも正しい姿をあなたに教えてくれます。>


ただし、当然のことながらduke氏と私とでは、記録の重要性やその活用法につてのスタンスが異なるので、この文章では大きな不満が残るのも事実である。これでは、よくあるPDCAサイクルのお気軽な総花的一般論的解説の見本みたいな文章でしかない、そう言ったら、あまりにも辛辣に過ぎる感想だろうか。

以下、私なりの観点から記録データの活用法について、もう少し具体的に述べてみたい。

まず、取引記録から勝率と損益比率を計算する。記録を全く取ってない人でも、証券会社にそれらのデータがあるので、この二つの数字は容易に出せるはずである。この二つの数字だけで端的にシステムの特性を知ることができるので、あとはとりあえずは必要ない。つまり、確率的有意性の当否は、具体的にはこの二つの数値ー勝率と損益比率によって明確に知ることができるという事である。言い換えると、私にとって、確率有意性の同義語は検証であり、検証の同義語は勝率と損益比率の数値であると言っても過言ではない。それ程この二つの数字は取り分け重要だということである。計算の基になる期間は、人によって取引量が異なるので一概に言えないが、サンプル数としては大数の法則から言えば1000は欲しい所である。

そして、この出て来た勝率と損益比率という数値によって、自分の実際に行ってきた投資(システム)の現状をまず把握し、そこからこの二つの数値をどう改善できるかを考えていくという手順を踏む。

まず第一に取り組むべきは、平均損失額を減らすことで、大体普通は損失額が大きすぎるのが足を引っ張っているので、最初に損切ルールを見直すという事である。また、損切ルールを変えると損益比率だけではなく、それに伴って勝率も変わってくるので、いろいろとルールを変えてみて、利益が最大になるように最適な組み合わせの数値を探って行く訳である。この時に、何パーセント下がったら損切りするというような自己中心的なと言う意味での主観的なルールを採用している人は、前に述べたように相場に基いたという意味での客観的な基準(例えばATRの何倍とか、いろいろな平均移動線とかにタッチした時点とか、PIVOTとか等々)も検証してみるべきである。

普通はこれだけの作業でも数字は劇的に改善される場合が多いが、これが終わったら次には平均利益額を増やすことの検証で、これも同様に利食いルールを見直すことで、最適解を探って行くのは、損失の場合と同じである。また、この時には、先の客観的な基準に加えてブレイク・イーブンだとかトレーリング・ストップも検証すると良いだろう。主に、前者は勝率の、後者は損益比率の改善に寄与するはずである。

そして、最後に見直すのはエントリー・ルールで、特に損失で終ったトレードは、そもそもエントリー自体が問題である場合が多いので、エントリー・ルール自体の見直しもそうだが、それだけでなく、エントリーに何らかのフィルターを掛け、エントリーを厳選することも検討すべきである。

そして、このエントリー・フィルターとして最も重要なのは相場認識の技術であるが、これはかいつまんで説明することが出来ない性質のもので、前にも少し述べたがより高次の大局観が重要であるということである。至極単純化して言えば、例えばマクロの局面がダウントレンドなのにも関わらず、ミクロの局面のアップトレンドで買いで入るから、損切が頻発することになるといったことである。ファンダメンタルだけをエントリー基準にしている人は、往々にしてこういったバリュー・トラップの袋小路に嵌り易いので、特にそうである。ここでは、日本の相場格言ー「着眼大局、着手小局」を紹介するに止める。


とまあ、以上の三つの段階を踏むことによって、バルサラの破産確率表と照らし合わせて、破産確率がゼロとなるような勝率と損益比率の数値に持っていくのが理想であるが、以上の概略説明からも容易に想像されるように、検証には膨大な作業が必要とされることは覚悟しておかなければならい。期間も、まあ最低でも半年はかかるものと考えるべきで、それでも結果が保証されている訳ではないので、検証の結果として、リファインしたにもかかわらず結局使えないシステムだったという事も十二分にあり得る。まあ、これは投資に限らず検証と言うものに付物の<経験値という素晴らしいお宝>であるから仕方がないとも言える訳だが。


ということで、以上でもって、私の考える検証作業というものについての基本的なアウトラインを述べてきた訳だが、これを読んで、果して実際に検証をやってみようという人がどれだけいるだろうか、という疑義を私は拭い去る事が出来ないのも事実である。

恐らく、実際にやってみる人は殆どいないのではと想像するが、結局のところ、「投資」と言うのは、出来合いの「手法」に一か八か懸けてみるか、(金銭的に余裕のある人は実弾で)試行錯誤しながら、自分でオーダーメイドのシステムを作り上げていくかの二択しかないというのが厳然たる真実であって、検証がその分水嶺になるという事実は動かせない。要は、この眞實にどう向き合うかということである。

前に、「淡々と実行できなければ」と書いたことやシステムという言葉から、或はインデックス投資を連想した人がいるかも知れない。私に言わせればインデックス投資というのは、投資システムとして見れば、一方においては範とするべきものであって、普通はその成果に満足できないから、パッシブではなくアグレッシブ投資を行っている訳であるが、今回の暴落で、アベノミクスで積み上げて来た利益の多くをを一挙に吐き出すことになった人も多いだろう。過去の例からいづれ回復してゆくと考えて、ホールドに徹するのも一案であるが、今一度再考してみることも必要であろう。つまり、インデックス投資の成績(大体、年率5~7%)を今後も確実に陵駕出来る自信がないと考えるのであれば、これまでやってきた「投資」に懸けてみる(という「投機」)よりは、インデックス投資の方が、はるかに賢明な選択肢である事は言うまでもないということである。


さて、以上でもって理論編の”まくら”を終えたいと思うが、結果的にduke氏に批判的な文章になってしまったので、duke氏の苗字が東郷ではないのを祈るのみである(狙撃されたくはないので。ズキューン!あっ。)。ただ、私としては目に見えぬ伏字を復元しようと努めただけの事であって、そのために日本の株式投資では普通語られることのない、原理原則に関する項目や考え方(太字で示して置いた)を取り上げることになってしまった訳である。ここまで読んでこられた奇特な方には、或は聞きなれぬ事ばかりで頭の芯がいささか疲れたかもしれない。しかし、知っている人にはごくごく基本的・初歩的な事柄ばかりなので、ご苦労さんでしたと言いたいところだが、肝心要の演目はこれからである。

ということで、次回は今回の暴落での実践編へと移りたいと思う。


暴落はトレンド、トレンドはフレンド 4

2020-04-11 09:00:00 | トレンド・フォロー
検証について述べると書いたが、肝心のタートル・システムのポジション・サイズ・マネージメントについて述べておくのを失念していたので、補足しておくことにする。


<タートルの資金管理には、ふたつのアプローチ法がある。ひとつは、持ち高(ポジション)を複数の小さな単位に分散する方法だ。そうすることで負けトレードになっても、損失の発生はポジションの一部に限定される。リッチとビルは、分散したこの小さな単位をユニットと呼んだ。
二つ目は、それぞれの市場に適したポジション・サイズを算出することで、タートルはこれに、リッチとビルが考案した革新的な手法を用いた。この手法は、金額ベースでの日々の市場の上下動を基準にしている。リッチとビルは各商品の値動きが金額ベースではほぼ同額になるようにそれぞれの契約枚数を決定した。ふたりはこの変動尺度をNと名付けたが、今ではATR(アベレージ・トゥルー・レンジ)・・・と呼ぶほうが一般的だ.。
・・・・
取引単位(ポジション・サイズ)を変動性で調整をするという概念は、さまざまな書物で扱われている・・・だが、1983年当時は、この概念はきわめて革新的だった。あのころのトレーダーの多くは、さまさざまな市場のポジション・サイズを、大まかで主観的な尺度かブローカーの証拠金率をもとに決めており、これらは変動性とは大まかに関係しているにとどまっていた。>

<リッチとビルは、ある程度長いトレーディング経験のある人なら誰でも承知していることに間違いなく気付いていた。それは、多くの市場は高度に相互関係がある事、そして、大きなトレンドの終わりが来て、ツキから見放された時、すべてが一斉に自分に不利に動いているように見える事だ。そして、トレンド崩壊の乱高下期には、ふだんは相互関係がないと思われた市場までもが連動してくる。・・・・そのようなリスクへの対抗策として、リッチとビルは私たちの取引にいくつかの制限を課していた、まず、ひとつの市場について、最高4ユニットまで。二つ目に、市場間に高い相互関係がある場合はグループごとに最高6ユニットまで。3つ目に、任意の方向に最高10ユニットまで(買い持ちに10、または売り持ちに10という具合に)とした。相互関連のない市場でのポジションであれば、この数字は12まで上げる事が出来た。>
(『タートル流投資の魔術』)


一読しただけではよく意味が解らないかも知れないが、ここでは非常に重要な考えが示されている。それは一言で言えば、リスク・マネージメントであるが、これはマネー・マネージメント(資金管理)とか、ベット・サイジング(投入資金額の決定)とかポジション・サイジング(ポジションサイズの決定)だとか様々に言われているが、投資においては最も重要な項目の一つである。

一つ目は、市場の相関性或は非相関性に関するリスク・マネージメントで、タートルズの場合は多くの異なった市場に投資をするのでこういったルールになる訳だが、これは日本で株式投資をやっている人には殆ど意識さえされていないリスク・マネージメントで、この考え方から敷衍して言えば株式投資専門であっても他の市場、為替や債券、金利や資源などの動向には常に注意を払って置く必要があるということである。

例えば今回の暴落は一般にコロナショックが原因と考えられている様だが、実際のトリガーとなったのは明らかに原油価格の暴落であって、その波及効果ー相関性についての認識があれば、リアルタイムで異常を察知することが出来、事前に何らかの対処が出来たはずである。

この点で、普通はファンダメンタル派といわれる多くの投資家が、個々の企業のファンダメンタルには細心の注意を払っているのに対して、経済一般のファンダメンタルには殆ど注意を払っていないのは、私には非常に危く見える。これはテクニカルでも同様だが、ミクロの分析だけでマクロの視点や分析がないと、こういった今回のようなマクロの急変によって、一気に十把一絡げで刈り取られてしまうことになる訳である。

ここで、では、なぜ原油価格が暴落すると株式市場が暴落することになるのか?この点についての説明はあまり見られないようなので簡単に私見を述べておくと、背景にはアメリカ対ロシア・サウジの新旧石油輸出国間の軋轢がある。近年、アメリカはシェールガス革命によって世界最大の石油輸出国に成り上がった訳だが、これを快く思わないロシア・サウジがアメリカ潰しのために減産に反対するだけではなく、さらには増産に向うという体力勝負へ打って出たというのは、ニュースでも報道されている通りである。だが、なぜ原油価格が暴落すると株式市場の暴落に繋がるのか。

結論を先に述べれば、それはリーマンショック時と同じようにアメリカの債券市場のシステミック・リスクに繋がるからである。アメリカのシェールガス革命を担った企業群は、多くの社債やCPを発行しているが、いろいろな複雑な仕組債に組み込まれてもいる。従って、これらがサブプライムローンと同じような位置にあって、原油の急落によってこれらが火種になる蓋然性が非常に高いということである。つまり、ロシア・サウジ対アメリカという構図は、国営企業対民間企業という構図でもある訳で、これが前者が体力勝負に出た理由でもある。まあ、大体、以上のような大雑把な説明だけで必要にして十分だと思うが、FRBが例を見ないような緊急利下げに踏み切ったのも、この認識によるものだと私は捉えている。こういった恒常的に存在するアメリカの債券市場のシステミック・リスクという観点から、アメリカの10年物国債金利は常にモニターして置く必用があると常々考えているので。前にも3%を越えたら要注意と書いたことがあるが、少し上がりかけたが今回は落ち着いたので一先ずは回避できたようである。しかし、コロナショックが追い打ちを掛けることも十二分に考えられるので、目が離せない。ちなみに、VIX指数を注目しているファンダメンタル投資家も多い様だが、あんなものはファンダメンタルでも何でもなく、遅行指標にしかならないので私には大いに疑問である。

そして、二つ目はボラティリティー、言い換えると変動リスクに基いてポジションサイズを決定するというリスク・マネージメントである。<1983年当時は、この概念はきわめて革新的だった>と書かれているが、現在においても十二分に革新的である。

<あのころのトレーダーの多くは、さまさざまな市場のポジション・サイズを、大まかで主観的な尺度かブローカーの証拠金率をもとに決めており、これらは変動性とは大まかに関係しているにとどまっていた>と書かれているが、これは現在でも同様であって、資金の何パーセントを割り振るといったduke氏と同じような方法を取っている人がほとんどだと思うが、タートル・システムはそういった考え方とは一線を画している。

これは具体的な例を挙げた方が判り易いだろう。

A-1000円の株とBー2000円の株があって、これらを買うとする。この時にduke方式ではAの購入数量はBの2倍になる訳だが、タートル・システムでは逆に高い価格であるBの購入数量が2倍になることもあり得る。実際にはATRという指標(これは端的にボラティリティーを示す指標である)を使って、これに基いて購入数量を決めるので、その時点でのBのボラティリティーがAの半分なら2倍の購入数量になる訳である。当然、ストップの損切り幅もATRに基いて入れる(タートル・ルールではATRの2倍)ので、損切りになった場合の両者の損失額=リスクは同じになるという訳である。結果、こういう方式を取ることによって、タートル・システムにおいては、株であれ先物であれ為替であれ、どのような投資対象であっても、ポジションのリスクを同じ数値にすることによって、一元的なリスク管理ができることになる訳である。

私はこの本のこの部分を読んだ時、大げさでなく目からうろこが落ちたような感覚を持ったのを、今でもありありと覚えている。「世の中には凄く頭の切れる人がいるものだ」と。この時、初めてリスクマネージメントとは何かを理解したと言っても過言ではないように思う。

これは言い換えると、投資においてはリスクというものは、当たり前のことだが、相場によって決定されるので、結局相場という御主人様には徹底して従順でなければならないという事である。従って自己中心的な考えではリスクマネージメントなど覚束ないという事であって、相場と言うのは個々の市場参加者の資金量だとか買値だとかには関係なく動いていく。この観点から見れば、資金量からポジションサイズを決めるとか、10%下がったら損切りするとか、2倍になったら売るとかいったルールが、いかに自己チューなものであるかは言うまでもないだろう。結局、そういった諸々の投資に関するルールは相場(における何らかの根拠)に基づいて決められなければならないというのが、リスクマネージメントの根幹にある考えであるという事が、腹に入って理解できたという事である。そして、これはまた勝率や損益比率の数字に直結する話でもあって、相場認識の重要性へと繋がってゆく話でもあるので、多分この文章は一度読んだだけでは良く判らないと思うので、この点はよくよく考えを巡らせて頂きたいと思う次第である。

なお、こうした考え方によるポジションサイズ・マネージメントは、ファンドの運用においては、リスク・パリティーと言ってリーマンショック以降標準的な方法とされるに至っているようだ。このことからもタートル・システムというものが、如何に先進的・革新的であったかが判ろうというものである。





暴落はトレンド、トレンドはフレンド 3

2020-04-04 12:00:00 | トレンド・フォロー
次は、リスク・マネージメントによるポジション・マネージメントについての部分。

duke氏は1銘柄への投資上限額を総資金の5分の1とし、さらにその1銘柄へのエントリーも5回に分けるという「5分割ルール」を述べているが、その理由づけの説明は私には論理的に全く受け入れがたい文章であって、これは非常に重要なことなので、いささか揚げ足取り的な文章になるが、私見を述べてみたい。


<5分割ルールとは、一銘柄あたりの投資上限額の5分の一を、最初のエントリーで投入することです。総資金が500万円で、一銘柄当たりの投資上限額が100万円だとすると、エントリーはその5分の一ですから、20万円を投入するのです。>

<この手法を取ると、一回目のエントリーでとるリスクは総資金の4%(=20万円÷500万円)です。そして、私の場合、10%の損失が生じたところを、絶対に譲れない損切ラインにしているので、最悪損切に追い込まれたとしても、2万円の損失額で済みます。2万円は総資金の0.4%です。>

<5分割ルールには明確な根拠があります。例えば、次のようなルールのゲームに参加したとしましょう。これはラルフ・ビンズが行った実験を参考にしたものです。

・おみくじの箱に当たりが6本、はずれが4本入っている。
・当たりが出れば掛け金は2倍、はずれが出たら掛け金は没収。
・元手は1万円で、100回おみくじを引ける。
・1回ごとの掛け金は、ゲーム参加者が毎回自由に決めることができる。

そして、100回引いた後の手持ちの金額が最も多かった参加者が勝者です。
・・・・・・・・
このゲームで、損失を被ったり破産したりせず、生き残るためにはどういうお金の掛け方がいいのでしょうか。それが、「最新の手持ち資金残高の20%を掛ける」という5分割ルールを用いる事なのです。私も実際に検証してみました。結論としては、・・・・かなり優位性の高い手法なのです。

・買っている時にはポジションサイズを増やし、負けている時には減らす。
・買いは5分割で試し玉から。

このルールを何度も復唱してください。そうすれば破産することなく、株式投資を続ける事が出来ます。続けることさえ出来れば、少しずつ経験値が上がり、勝てる投資家になれるはずです。>


ここでラルフ・ビンズの名前を持ち出して来ているということは、いわゆるケリーの公式(ケリー基準)を「根拠」として「五分割ルール」を決めたという事のようである。実際にはラルフ・ビンズはケリーの公式(ケリー基準)を基に改良して考案した最適リスク計算法 オプティマルf の唱道者であるが、原理的には同じなので、これらの違いについてはここでは触れない。

なお、duke氏はこの20%という数字を「損失を被ったり破産したりせず、生き残るため」と表現しているが、正確にいうとそれだけではなく、その中で最も資金効率が良い掛け方の割合を示す数字である。「損失を被ったり破産したりせず、生き残るため」というだけなら、5%や10%といった20%以下の掛け率でも何ら問題はない。

それはともかく、この20%と言う実験結果数値は総てのケースに当てはまる普遍的なものではなく、ややこしいので数式は引かないが、このケリーの公式(ケリー基準)はパラメーターとして勝率損益比率を含んでいるので、この2つのパラメーターの数値が異なれば、当然結果も異なって来る。つまり、この20%という数字は、このおみくじの個別解ー勝率60%、損益比率が1対2という組み合せの時の最適解ーであって、duke氏の言うようにこれを株式投資一般に通ずる一般解とするのは、問題である。勿論、duke氏自身の場合もパラメーターの数字は異なってくるので当て嵌まらない。正確な数値は判らないが、他のところの記述からすると、duke氏の場合は勝率30%損益比率1対5~10といった数値になるようであるが。

そして、さらに議論の混乱に拍車を駆けているのはリスクの捉え方で、<一回目のエントリーでとるリスクは総資金の4%(=20万円÷500万円)>と書いている一方で、直ぐその後に<私の場合、10%の損失が生じたところを、絶対に譲れない損切ラインにしているので、最悪損切に追い込まれたとしても、2万円の損失額で済みます。2万円は総資金の0.4%です>と書いているので、20万円まるまるをリスクにさらしている訳ではない。従って、実際は<一回目のエントリーでとるリスクは総資金の0.4%>である。逆に言うと、duke氏は20%のリスクを取るのであれば、10倍のロットにしなければならないことになる訳である。

といったようなことで、結果として「五分割ルール」のリスクテイク自体は穏当なもので、損切ラインをなぜ10%に設定したのかの説明もないので、どうも私にはこれは結論先にありきの文章のように思われてならない。引き合いに出されたラルフ・ビンズもいい迷惑であるが、私がここでそれを指摘するのは、非常に重要であるにもかかわらず勝率と損益比率と掛け率の相関に関する原理原則が、日本の株式投資においては殆ど語られることがないからである。

話をおみくじに戻すと、このおみくじの場合のように勝率60%、損益比率が1対2になるような非常に優秀な投資システムというのは実際にはまずお目に係れない。一般に、損益比率が1対2であれば勝率は50%を切るのが普通であって、逆に勝率が60%であれば損益比率は1対0.8といった数字になるのが通例である。普通は勝率ばかりが重視されているが、実際には勝率40%でも損益比率1対2ならトータルで利益になり、勝率70%でも損益比率が3対1ならトータルはマイナスになる。

また、ケリーの公式(ケリー基準)に基いて掛け率を設定すると、資金の増減が激しく通常はメンタルが堪えられないのが普通である。このおみくじの場合で言うと、勝率60%であれば5連敗は普通に起こり得るので、20%の掛け率だと5連敗で1万円は3276円、3分の1以下になってしまうので、それでも続けられる人は稀であろう。そのため半分ケリーだとかの一種の妥協案が色々と発明されているが、このようなことから通常はバルサラの破産確率に基いたアレキザンダー・エルダーの主張する2パーセント・ルールが適正とされている。実際はduke氏の「五分割ルール」のリスクテイクは説明とは違って2%になるので穏当なものと書いた所以である。

それはともかく、ここで問題となるのが、実際には自分の投資システムの勝率や損益比率の正確な数字が判らないという事である。先のおみくじの例で言うと、5連敗して1万円が3276円になっても、勝率60%、損益比率が1対2という数値にゆくゆくは収斂していくという絶対の確信があれば、20%ずつ掛け続けていくことはそう難しいことではない。しかし、私の場合相場に限らず人生において絶対の確信など持ち得たことがない。まあ、この絶対というのも乱用されている言葉の一つであって、ここで阿川弘之氏の名言(迷言?)を引いて置くのも良いかも知れない。

<世の中には絶対という事は絶対にない。だから、絶対という言葉は絶対に、いいか、絶対に使ってはならない。>

そのため、これを検証によって確めるということになる訳であるが、検証という言葉もこれまた乱用されている言葉で、ネットでは(例えば実際はアフィリエイトサイトである無数の検証サイトなどが好例だが)1回或は数回試しただけで検証と謳っている例がほとんどで何とも呆れる他はない始末だが、確率論から言えば検証数は100回や200回でも足りないので、大数の法則では1万回の試行で80%の確率で誤差±20%の結果、4万回の試行で90%の確率で±10%の結果に収斂するとされている。

ということで、小難しい話がいささか長くなったので、今回はここまでとするが、この検証もその重要性にもかかわらず株式投資では殆ど指摘されることがない事項であって、duke氏もその例外ではないようだ。次にはこの点について述べることにする。