ものぐさ屁理屈研究室

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私はそれを知ってはいない。

トランプ政権の意味するもの(1)

2018-07-07 00:00:00 | 着眼大局
アメリカのトランプ政権については、何をしでかすかわからないお騒がせ大統領といったマスコミ評はともかく、そもそも当選を予想した人は圧倒的に小数であった事もあってか、当初より誉褒よりも毀貶が喧しいが、この政権を動かしている内的な「論理」を明確に分析や解説したものは殆ど見られない様である。時代が人物を作り、人物が時代を作るという意味で、トランプ政権というのは現在のアメリカが要請した政権であるという事が出来ようが、この点について、私見を少し書いてみたいと思う。



以前のエントリーの文章が面白かったので、最近柄谷氏がどんなものを書いているのか興味を持ったので幾つか読んでみた。具体的には、『世界史の構造』『哲学の起源』『帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺』『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて 』『憲法の無意識』の五冊だが、576ページ+256ページ+264ページ+228ページ+208ページということで、いやはや全部で1532ページもの小難しい文章を読む羽目に至った。やれやれ。内容についてはなかなかと興味深く読んだが、重複が多く、氏の考えも著述に伴って深まっているようなので、私には最も新しい『帝国の構造: 中心・周辺・亜周辺』が一番纏まっていて際立っているように思われた。内容は多岐に渡り、色々と疑問を呈したい部分も多いので、ここでは主にこの本の内容について私の関心が惹かれた部分について少しく見てみたいと思う。



それは、現在の国際情勢の歴史的パースぺクティブに関する部分である。

この歴史的パースぺクティブそのものについては大いに同感であるが、対処法については柄谷氏とは意見を異にするので、以下、若干駆け足で手前勝手な引用、要約をする。

柄谷氏は現在出来上がっている体制を「資本=ネーション=ステート(国家)」とする。この概念は、資本とネーションとステートという異質なものがハイフンで繋がれている訳だが、この見立ては、私には誠に的を得ているように思われる。勿論、この三つは重ならないので、そこからさまざまな現代的な問題が噴出して来ると言うことが出来る。思想的には、この三つが我々の頭の中に内面化されたものとして、それぞれ様々な「経済思想」、「ネーション思想」、「国家思想」などの主義やイデオロギーが考えられるが、大雑把に言えば我々個々人の世の中に対する考え=世界観の違いというものは、この三つの「思想」の微妙な濃淡の違いによる組み合わせのヴァリエーションの違いに過ぎないと言っても言い過ぎではないだろう。従って、政治においてはこの三つの勢力の鬩ぎ合いの結果が、その時々の各国政府の政策的な性格を決めることになると言っても良いだろう。

<(フランシス・)フクヤマが「歴史の終焉」と言ったのは、このような資本=ネーション=ステートのトリアードが最終的なもので、それ以上、根本的な変化はないということを意味します。実際いろんな変化が起っているように見えますが、それは、資本=ネーション=ステートというシステムの中での変化である。その場合、さまざまなヴァリエーションがありえます。資本が強いと新自由主義的になり、ネーション=ステートが強いと国家資本主義的となる。しかし、いずれも、資本=ネーション=ステートというシステムを越えるものではない。したがって、それは「歴史の終焉」を越えるものどころか、まさにそのことを証明するものである。>

そして氏は、マルクスの史的唯物論における「生産様式」論の限界から、それに代るものとして「交換様式」という概念を導入し、資本とネーションとステートそれぞれとその関係を再定義し直して「世界史の構造」を読み直していく。何ともスケールの大きい壮大な試みであるが、面倒なのでここではその細部に立ち入ることはしない。ただ、面白いのは「帝国」と「帝国主義」を分けていることで、つまり、旧世界「帝国」(ロシア、清朝、ムガール、オスマン)がその亜周辺たる世界=経済から生じた西洋列強の「帝国主義」によって解体されたと見るのである。


<世界=経済では、帝国はありえない。帝国の様にふるまうと帝国主義になるだけです。>

その上で氏は世界=経済における他国を圧する強国としてヘゲモニー国家(へゲモン)という概念を持ち出してくる。

<世界=経済では、中心がたえず移動するといいましたが、同様に、ヘゲモニー国家も移動します。つまり、ヘゲモニー国家はたえず交代するのです。そして、それが世界=経済に固有の問題を齎します。・・・ヘゲモニー国家が存在するとき、それは自由主義的な政策をとる。それに対して、他の国は保護主義的になりますが、問題は生じない。ヘゲモニー国家は圧倒的に優越しているからです。それが「自由主義的」な段階です。次に、ヘゲモニー国家が衰退し、多数のの国がつぎのヘゲモニー国家の座をめぐって争う状態がある。ウォーラーステインはこれを「帝国主義的」な段階だと考えた。>

従って、ここにおいて歴史は、ヘゲモニー国家の存在、不在、存在、不在=「自由主義的」、「帝国主義的」、「自由主義的」、「帝国主義的」な段階という「循環」或は「反復」として現れることになる。

以下の表によれば、現在世界は1990年以降の「帝国主義的」な段階にあって、過去の60年という周期性から言えば、この「帝国主義的」な段階は2050年?まで続くということになるようだ。



<現在がかっての帝国主義時代と類似することに関して、つぎのヘゲモニーをめぐる争いということだけではない、類似点がもう一つあります。それは、1870年代に旧世界帝国(ロシア、清朝、ムガール、オスマン)が、西洋列強の帝国主義によって追い詰められながらもまだ強固に存在していたように、1990年代に、それらが新たな広域国家として復活して来たということです。・・・1930年代には完全に無力な状態に置かれていた、中国、インド、その他が経済的な強国としてあらわれています。かってオスマン帝国、イラン帝国であったところも、いわばイスラム圏として復活してきたといえます。また、ヨーロッパもヨーロッパ共同体という「帝国」として再登場したことを忘れてはなりません。>

<このように、歴史的段階としての新自由主義あるいは新帝国主義は、かっての歴史・地理的な場で生起します。・・・東アジアにおいて、そのことは明瞭です。たとえば、現在そこで起っているのは、かって日清戦争の時期にあったことの反復なのです。日清戦争は、東アジア、すなわち日本、中国、朝鮮だけのものではなかった。そこにロシアが関与していることはいうまでもないが、何よりも米国がそこに関与していたことに注意すべきです。・・・このような東アジアの地政学的状況は、むしろ現在蘇っています。>

<先ずここで、問題は、没落しつつあるアメリカに代わって、新たなヘゲモニー国家となるのはどこか、です。それがヨーロッパや日本ではないことは確実です。人口から見ても、中国ないしインドということになります。>

<産業資本主義の成長は、つぎの三つの条件を前提としています。第一に、産業的体制の外に、「自然」が無尽蔵にあるという前提です。第二に、資本制経済の外に、「人間的自然」が無尽蔵にあるという前提です。第三に、技術革新が無限に進むという前提です。しかし、この三つの条件は、1990年以降、急速に失われています。・・・資本の弱体化は、国家の弱体化であるから・・・国家は、何としてでも資本的蓄積の存続をはかるだろう。今後に、世界市場における資本の競争は、死にものぐるいのものになります。それは、たんに南北間の対立でなく、資本主義諸国の間の対立となる。そして、それが戦争に帰結することは確実です。・・・現在の帝国主義的段階も、やはり戦争を通じて終わる蓋然性が高いからです。>


現在は第三次世界大戦前夜であるというこの認識は、私には残念ながら受け入れざるを得ない正鵠を突いたパースぺクティブであると思われてならない。

つまり、現在の「帝国主義的」な国際情勢において、アメリカにおいてトランプ大統領が登場してきたという事は、アメリカの政策の根本的な転換点を象徴的に示しているように私には思われるということである。この意味では、オバマ政権はトランプ大統領の登場を準備した政権であったと言わなければならないだろう。ヘゲモニー国家から没落しつつあるアメリカがオバマ大統領を経てトランプ大統領を選んだという事は、アメリカの政策が大きく舵を切った事を如実に示す、象徴的な出来事ではないかと思われるのだ。