物理学者イリヤ・ブリゴジンが声高に主張してきた自己組織化システムも、非線形のダイナミクスに支配されていた。
実際、ぐつぐつと煮えるスープの中の自己組織化の動きは、たとえばシマウマの縞やチョウの羽の班のような他の非線形的パターンの形成と類似したダイナミクスに支配されていることが明らかになった。
だがもっと驚くべきは、カオスとして知られる非線形的現象だった。
人間の日常世界においてなら、〈ここ〉の小さな出来事が〈あそこ〉にとてつもない影響を及ぼしうることを知ったからといって、だれも驚いたりはしない。ごく些細なことから、予想外なことが起こる。
風が吹いたら桶屋がもうかる、といった図式だ。
しかし物理学者たちがそれぞれの分野の非線形システムに真剣に注意を向けるようになると、彼らは、それがとても深淵な原理であることを認識しはじめた。
たとえば、風の流れや湿度を支配している方程式はしごく単純に思えたが、やがて研究者たちは、テキサスでチョウが羽をばたつかせると、1週間後、ハイチ上空のハリケーンのコースが変化し得ることを知った。あるいは、チョウが1ミリ左方で羽を1度ばたつかせていたら、ハリケーンのコースがまったくちがったものになっていたかもしれないことを知った。
例はいくつもあったが、意味はいつも同じだった。
すべてが結びついている。それも、しばしば信じられないほどの敏感さで。
小さい攪乱は小さいままであるとはかぎらない。条件がととのっていれば、ほんのわずかの不確定性が、システムの未来がまったく予測できないほどに----一言でいえば、カオスに----成長してしまうのだ。
逆に、ひじょうに単純なシステムが、驚くほど豊かな挙動のパターンを生み出し得ることに研究者たちは気づきはじめた。
必要なのはほんのわずかの非線形性だった。
たとえば、弛んだ蛇口からポタン、ポタンと落ちる水滴。
漏れ方がゆっくりしているかぎり、それはメトロノームのように、気が狂うほど規則的だ。が、しばらくそんままにしたあと、わずかに漏れを増やしてやると、ポタン、ポタン、ポタンと、大小かわるがわるに滴が落ちる。またしばらくそのままにして、さらに漏れを増やすと、滴は4個連続で落ちるよになる。それから8個、16個などとなり、最終的に、滴の落ち方ひじょうに複雑になり、でたらめになる。
ふたたびカオスである。
次第に複雑さを増していくこれと同じパターンは、黄色猩々蝿キイロショウジョウバエの個体数変動、液体の乱流など、多数の分野で見られる。
物理学者たちが狼狽したのはもっともなことだった。たしかに彼らは、量子力学とかブラックホールといったものに奇妙なことがつきまとっていることを知っていた。
だがニュートンの時代から300年間、物理学者たちは日常世界を、既知の法則に従う、基本的には整然とした予測可能なところ、と捉えていた。
彼ら物理学者たちは、3世紀の間、いわば井の中の蛙のように、周囲のものを無視しながら暮らしてきたのだった。
「線形的近似にさよならした瞬間、その先航海するのはとてつもなく広い海だ」と、コーワンはいう。
たまたまロス・アラモスは非線形の研究にはうってつけといえる環境だった。
ロス・アラモス研究所は1950年代から計算機畑のリーダー的存在だったし、設立当初から非線形問題に取り組んでいたからだと、コーワンはいう。
高エネルギー粒子物理学、流体力学、核融合エネルギー研究、熱核衝撃波など、なんでもやっていた。
そして70年代のはじめまでには、こうした非線形問題の大多数が同一の数学的構造を有しているという意味で、それらが本質的に同一の問題であることが明らかになった。
だから、そうした問題を一緒に研究すればまちがいなく能率が上がるだろう、ということになった。
その結果、ロス・アラモスの理論グループの熱心な支援もあって、理論部門内に非線形科学のための精力的なプログラムが設置され、最終的には、完全独立運営の非線形システム・センターが設立された。
しかし生物学もコンピュータ・シミュレーションも非線形の科学もそれぞれバラバラに興味をもたれていたから、まだようやく緒についたにすぎない。と、コーワンは思っていた。
それは本能的感覚からだった。
彼はここに根源的統合があるはずだと感じた。
究極的には物理学と化学だけではなく、生物学、情報処理、経済学、政治科学、そして人間世界の諸事すべてを包含するよな統合である。
彼が頭に描いたのは、ほとんど中世的ともいえる学識の概念だった。もしこの統合が本物なら、それは生物科学と物質科学をほとんど分け隔てない----科学、歴史、哲学を分け隔てない----知の手法になるだろうと、彼は思った。
昔は「知の織物には継ぎ目がなかった」と、コーワンはいう。そしてもしかすると、ふたたびそんなふうになれるかもしれなかった。
実際、ぐつぐつと煮えるスープの中の自己組織化の動きは、たとえばシマウマの縞やチョウの羽の班のような他の非線形的パターンの形成と類似したダイナミクスに支配されていることが明らかになった。
だがもっと驚くべきは、カオスとして知られる非線形的現象だった。
人間の日常世界においてなら、〈ここ〉の小さな出来事が〈あそこ〉にとてつもない影響を及ぼしうることを知ったからといって、だれも驚いたりはしない。ごく些細なことから、予想外なことが起こる。
風が吹いたら桶屋がもうかる、といった図式だ。
しかし物理学者たちがそれぞれの分野の非線形システムに真剣に注意を向けるようになると、彼らは、それがとても深淵な原理であることを認識しはじめた。
たとえば、風の流れや湿度を支配している方程式はしごく単純に思えたが、やがて研究者たちは、テキサスでチョウが羽をばたつかせると、1週間後、ハイチ上空のハリケーンのコースが変化し得ることを知った。あるいは、チョウが1ミリ左方で羽を1度ばたつかせていたら、ハリケーンのコースがまったくちがったものになっていたかもしれないことを知った。
例はいくつもあったが、意味はいつも同じだった。
すべてが結びついている。それも、しばしば信じられないほどの敏感さで。
小さい攪乱は小さいままであるとはかぎらない。条件がととのっていれば、ほんのわずかの不確定性が、システムの未来がまったく予測できないほどに----一言でいえば、カオスに----成長してしまうのだ。
逆に、ひじょうに単純なシステムが、驚くほど豊かな挙動のパターンを生み出し得ることに研究者たちは気づきはじめた。
必要なのはほんのわずかの非線形性だった。
たとえば、弛んだ蛇口からポタン、ポタンと落ちる水滴。
漏れ方がゆっくりしているかぎり、それはメトロノームのように、気が狂うほど規則的だ。が、しばらくそんままにしたあと、わずかに漏れを増やしてやると、ポタン、ポタン、ポタンと、大小かわるがわるに滴が落ちる。またしばらくそのままにして、さらに漏れを増やすと、滴は4個連続で落ちるよになる。それから8個、16個などとなり、最終的に、滴の落ち方ひじょうに複雑になり、でたらめになる。
ふたたびカオスである。
次第に複雑さを増していくこれと同じパターンは、黄色猩々蝿キイロショウジョウバエの個体数変動、液体の乱流など、多数の分野で見られる。
物理学者たちが狼狽したのはもっともなことだった。たしかに彼らは、量子力学とかブラックホールといったものに奇妙なことがつきまとっていることを知っていた。
だがニュートンの時代から300年間、物理学者たちは日常世界を、既知の法則に従う、基本的には整然とした予測可能なところ、と捉えていた。
彼ら物理学者たちは、3世紀の間、いわば井の中の蛙のように、周囲のものを無視しながら暮らしてきたのだった。
「線形的近似にさよならした瞬間、その先航海するのはとてつもなく広い海だ」と、コーワンはいう。
たまたまロス・アラモスは非線形の研究にはうってつけといえる環境だった。
ロス・アラモス研究所は1950年代から計算機畑のリーダー的存在だったし、設立当初から非線形問題に取り組んでいたからだと、コーワンはいう。
高エネルギー粒子物理学、流体力学、核融合エネルギー研究、熱核衝撃波など、なんでもやっていた。
そして70年代のはじめまでには、こうした非線形問題の大多数が同一の数学的構造を有しているという意味で、それらが本質的に同一の問題であることが明らかになった。
だから、そうした問題を一緒に研究すればまちがいなく能率が上がるだろう、ということになった。
その結果、ロス・アラモスの理論グループの熱心な支援もあって、理論部門内に非線形科学のための精力的なプログラムが設置され、最終的には、完全独立運営の非線形システム・センターが設立された。
しかし生物学もコンピュータ・シミュレーションも非線形の科学もそれぞれバラバラに興味をもたれていたから、まだようやく緒についたにすぎない。と、コーワンは思っていた。
それは本能的感覚からだった。

究極的には物理学と化学だけではなく、生物学、情報処理、経済学、政治科学、そして人間世界の諸事すべてを包含するよな統合である。
彼が頭に描いたのは、ほとんど中世的ともいえる学識の概念だった。もしこの統合が本物なら、それは生物科学と物質科学をほとんど分け隔てない----科学、歴史、哲学を分け隔てない----知の手法になるだろうと、彼は思った。
昔は「知の織物には継ぎ目がなかった」と、コーワンはいう。そしてもしかすると、ふたたびそんなふうになれるかもしれなかった。