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みなまた!①

2010-09-14 07:10:14 | colloidナノ
ドウジェンヌは記す。倫理的な理由からではありませんと!


 マックスプランクをその表象とするドイツ教養市民は独自の集団として自己意識化された鋳型からの、ハイゼンベルグであろう。

 いわゆるコペンハーゲン精神とは、不確定性と相補性との相克をのりこえる道標でもある。

 あの時の問いかけ「原子核エネルギーの実用化に携わることは、物理学者として道徳的に正しいことだと思うか?」

 その部分に関しての後日談こそが、ボーアからの出されなかった手紙として知られる。

科学者とは何か 
朝永振一郎「ぼくの平和論は、科学者としてはおかしなものだ。ぼくはボーアのような未来社会への洞察力もなかったし、これからもないであろうし、これといった確たる信念も勇気も持ち合わせていない。」


 じっと耳を傾けていると、ニールス・ボーアの言葉が聴こえてこないだろうか。
“人間は人生の大きなドラマの中で観客であると同時に役者であって・・・生活も音楽も科学も絶えることもなく、さらに前進するに違いない”

みなまた!

2010-09-13 08:06:45 | colloidナノ
ドウジェンヌは技術官僚または専門家による政府と言うものには反対だと言います。

 サムライ化学者 高峰譲吉の生涯「Sakura Sakura」
近代バイオテクノロジーの父「高峰譲吉」とその妻「キャロライン」は、1884年(明治17年)ニューオリンズで恋に落ちる。
譲吉30歳、キャロライン18歳,それはまさしく運命の出逢いだった。そして二人は結婚。

これは記録に残された日本人とアメリカ人の結婚としては最初のものであった。

学生時代の高峰博士は、工業雑誌を出版するために、実験室で作った化粧品を売り歩いたのは実用実利を重んじた、実業家としての原点と言えましょう。

その映画では取り上げられる事もなかったようですが・・・

 理研史への本格的な没入が始まりました「科学者たちの自由な楽園」宮田新平
 見開きの写真は三枚。高峰譲吉、池田菊苗それから大河内正敏である。

大正三年は六月二十三日築地の精養軒にて「国民科学研究所設立について」の演説が、渋沢栄一の共感をえて「化学研究所」として発足する事になったのです。が!



このような事もまた、映画を見るときの楽しみです。

死の谷④

2010-09-10 06:49:36 | colloidナノ
 官主導とも言うべき産学連携が始動した。
果たして“死の谷”克服なるのか?



 漱石の見たテムズ河を脳裏におきながら読む「リービッヒとイギリス農業政策:ふん尿の利用と衛生政策」小川真理子

 リービッヒ冷却器は誰でもが思い出すことが出来るけれども、ウェーラーとの異性な関係で結ばれ、それが生涯の盟友関係をきずいた事とか文筆活動の重要さなどはさほど知られていない。


 お雇い外国人 オスカルケルネルによって「植物無機栄養説」や化学研究教育法などの、リービッヒの業績が伝えられた。
 
 ギーセンのリービッヒ博物館には、ロンドン市長から贈られた感謝状がある。
それに関して1865年2月27日付け、ウェーラー宛の手紙が残されている。
 “ロンドンの組合が羊皮紙に書いた感謝状を僕にくれることを票決したそうだ、大変名誉なことらしい”

 彼は「化学通信」等の啓蒙活動でも知られているが、他方ではリービッヒ肉エキス会社などをも設立するベンチャー精神も併せ持っていたのだ。


 雇用ではない!仕事でもない!
障害に挫けず!自らを頼む! entrepreneurその精神である。

 


死の谷③

2010-09-09 07:08:26 | colloidナノ
多様なしんかがく

 化学者、光学や凝縮物質を専門とする物理学者さらには電子情報工学の技師それに理論家の卵といった専門家がグループを形成した。

 雰囲気から醸しだされるもの、それが居酒屋のテーブル。
新しい考え、新しい装置、新しい観測、新しい手法などへと遅れずついていけるのでしょうか。

 “いつもまけてばかりだ、諦めよう”と匙を投げてしまうこともあるでしょう。
最良の特効薬はあのチームワークづくりです。

 超伝導体での事例では、数多くの学位論文に分割するのではなく、六人全員が協力して一つのテーマに取り組んだのです。


かいぎてきしんかがく

死の谷②

2010-09-08 07:00:16 | colloidナノ
池田菊苗の誕生日1864年9月8日。明日は重陽の節句です、

 
 魔術とはアラビアの魔法に伝わる伝承を基礎とするもので、錬金術や占星術などからの知識にて豊穣になっているとされます。

 
 あのニュートンの関心は変わり、錬金術の方向へとさまよいだしてからの十年。
その年月をまったく無駄に費やしてしまったとされています。

 その彼が、世界の終末を予言した直筆文書がエルサレム・ヘブライ大学図書館に収蔵されています。

 ノーベル賞受賞のときにマスコミから、かなり馬鹿げたコメントをされるはめになってしまった背景には、わたしが接着剤に関心があるといった為でした。
 面白いことに私をニュートンにたとえている記事もありました。

座右の銘
「学而不思則罔、思而不学則殆」
まなびておもはざればすなはちくらく、おもひてまなばざればすなはちあやふし

死の谷①

2010-09-07 09:13:23 | colloidナノ
時々刻々と刻まれゆくもの!

 いつ立ちどまるか、そしていつ方向転換するか

 それは文化的に憔悴しているように見えるのです。
私の同僚の何人かをあえて怒らせることになるかもしれませんが、“もうこのへんでやめよう”と叫びたくなってしまいます。

 核物理学の様な非常に重厚な科学の方向を転換させることは、容易なことではありません。

 1960年代の中ごろ、私は超伝導などの物理を去って液晶の物理へ移りました。
それから高分子なかんずくその濡れの現象に魅せられたのです。

 ここでも中性子が大変優れた道具である事がわかりました。
物質中の軽い原子、Hなどの運動の様子を知る手段になりえたのです。


 転換には役に立つ理論上の道具のみならず実験的な方法も必要条件です。


こくこくとその時は迫りくる。

死の谷

2010-09-06 07:13:51 | colloidナノ
自己が直覚を有する人間になることである。

 
 ある研究を始めるかどうか?
それは勝つか負けるかわからない勝負を始めるようなものです。

 この種の決定にも、文化的な教養、個人的な選択、そして人生の気まぐれといったものが微妙に入り混じった別の十字路を通り過ぎていることになります。

 松本紘学長「学問は真理をめぐる人間関係である」との記事を紹介しつつ「加藤与五郎・武井武のフェライト発見に見る科学発展の“錯綜”」の筆を運ぶ。

 その初稿は「科学発展の“全知”と“全史”」を念頭に、“錯綜”と“非整然”とによってアリのようなコツコツと科学的事実を積み重ねていく、われわれ人間のaiをといているのであろう。

 理論と言うのは最善の推量であるとはリチャード・ファイマン。
偶然とは数多くある因子の一つに、すぎない。

 創造につながるカンは、三つある。
「観」「勘」そして「感」がそれ、つまり三位一体の空論。

「一番星はどんな星」

狭間なる自由 ④

2010-09-03 06:39:57 | colloidナノ
研究室が変質する事への危機感は日本でも深刻化してくるであろう。
 
ラルフ・ネーダーの言葉を借りれば「開かれた自由な研究を重苦し官僚制度下に置くような」空気とでも言えようか。

「人の苦悩を最小に」と語ったライナス・ポーリングの足跡を尋ねてみると“あきら・むらた”ファイルにであった。
「安全な物質によるウィルスの不活性化」との概念が、彼の発想の転換を変え、研究哲学を変えたのだ。

 大学の研究者には、「先端科学技術の持つ可能性と危険性をわかりやすく市民に説明し、啓蒙すること、政府の政策決定に対して客観的な知識を提供する」という重要な社会貢献があるにもかかわらず、「売れるもの、人々が欲しがるものが市場に出ることに協力したことこそが社会貢献である」という論理に徹してしまう傾向に対する懸念である。
 これについては、Sheldon Krimskyによる"Science in the Private Interest"(The Rowman&Littlefield Publishers. Inc 2003)という衝撃的な著書がある。(邦訳 シェルドン・クリムスキー、宮田由紀夫訳『産学連携と科学の堕落』海鳴社・2006年)
 「産学連携」の再考甲南大学ビジネス・イノベーション研究所兼任研究員(甲南大学経営学部教授)マノジュL.シュレスタ





ドウジェンヌ直伝のグン・チェンピン
 彼女は、「ダブルネットワークゲル」。つまり筋肉の如きもので社会還元をねがっている。

狭間なす自由③

2010-09-02 06:33:32 | colloidナノ
何故くっついているのだろう?
 

 接着における進歩は見事というほかありません。
しかし接着の科学を学生に教えることは非常に苛立たしいものです。

 私たちのような“やわらかい物質”を対象にしている物理学者が接着の問題に取り組むことは、はたして賢明な選択をしたことになるのでしょうか?

 私たちは、いろいろな支流を遡ってナイル川の源流にたどり着こうとしているのです。
つまり様々な科学分野からの発言を許すような集合系がのぞまれます。

 接着分野そのものはすっかり古いものとなっているのですが、濡れの現象の領域にはきわめて魅力的な問題が残されています。

 そこで問わずにはいられない身の回りの問題。
われわれ生物の細胞間の接触問題であろうと思われます。



如何にくっついているのだろう?

狭間なる自由②

2010-09-01 07:05:03 | colloidナノ
「困っている人や弱っている人を助ける。そうゆう勇気と実行力のある大人に、みなさんなってください。」絵本作家・工学博士の加古里子さんからの伝言



 科学には批評という仕事は存在しません。
芸術家の場合、自分の仕事の価値について確信がもてないまま一生を過ごすとということがよくあります。

 科学者がこのように比較的平静でいられるのは、日々の活動をグループを組んで行なえるようになって来た点に負うところが大きいのです。


 19世紀を代表するヤング、ファラデー、レイリー、アンペールのような科学者たちでさえ、その時代にあっては、彼らの全生涯を通じて孤独な研究者として過ぎた事を思えば、まさに大きな変化といえるでしょう。



悲しみと運命に耐え抜いた眼、トーマス・グレアム。
彼もまたその一人でした。