自分で限界を作れば、限界がある。
先日、インターネットのニュースで、老老介護に打つ手なし!と言う事が乗っていた。
果たしてそうだろうか?
誰がそう決めたのだろう?他の事でもはじめから限界を作って、事に当たる風潮があるように思う。それではいい案が浮かばないし、良い結果も得られないだろう。
日本の人口形式に悲観的観測が伝えられるが、日本がどの国よりも経験すると言う事で、あとから他の国が追いかけてくる図式になるのである。日本が経験した事は、他の国々があとから経験すると言う事である。常識的な事が分かっているのか?
以前書いたが、一昔前の日本は現在のように人口が多くなかった。現在のように生活も豊かではなかったのである。その事を経験してる人達が、日本の将来を悲観するような発言をする事は言語道断としか言わざるを得ないだろう。
先の事が心配されるのであれば、その心配を克服するにはどうしたらいいのか考える事が人間である。
社会的にそう考えるのであれば、人間が本来持っている潜在能力を、生かしきれていないことになる。
全てに共通する事であるが、真剣になっていないのではないか?と感じる。
人の上に立つ人達は、我を出し過ぎだろうと思う。人の上に立つのであれば、自分より他の人達がどうしたら幸せになるだろうかと、考える事が普通である。その普通の事を考えようとしない。常識的な事が出来ない状態だろう。机上の上では良い事を言っても、心の自分はいい事と裏腹に、奥底の心のレベルが追いついていないから、疑問に感じると思う。
冷静さも必要である。常識的な判断を直視し大局を見れば、何をなせばいいのかその時の状況に応じて案が浮かぶと思うのである。我があっては心の奥底の良心を阻害する。
この心は、政治にも外交にも防衛にも通ずる。人間一人の力は知れてる。しかし、一人でもその人一人では足らない部分は、誰に協力させればいいのか自然と分かる。我を克服すれば。