朝日新聞の謝罪に違和感を感じる。
昨日(9月11日)、朝日新聞側が「吉田調書」、池上さんコラムの問題、「吉田証言」等に謝罪?を形式上行った。
朝日新聞を購読する人は、リベラルな人が多いとされているが、リベラルな人ってどういう人だろうか?
リベラル・・個人の自由、個性を重んずるさま、自由主義的、自由主義者とある。
朝日新聞は、この考えの人達に新聞を提供してきたのか?
朝日新聞社の社長の記者会見でも発言していた。「事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきだったと痛感している。吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、その訂正が遅きに失したことについて、読者の皆様にお詫び申し上げる」と発言」
読者の皆さま?
この発言を聞くと、吉田証言がどれ程日本や日本人(世界に在住する日本人含む)に悪影響の深刻さを与えてきたか考えていない発言である。
読者のみなさんに謝罪する前に、日本と日本人にだろうと思うが?
この言葉は、謝罪の格好をとることによって、朝日新聞の購読離れに対しての発言?
ここでも自分達の保身のために記者会見?
この姿勢で、公平な検証が出来る?
証拠を突き付けられなければ、自分達が行ってきた罪(朝日新聞一連の誤った記事を記載した事は、犯罪に匹敵すると思うので、罪と書いた。)を認めない姿勢は、犯罪を犯しておきながら私はやっていないと言う犯罪者と似ている。
しかし、朝日新聞が行ってきた事は、普通犯罪者と聞けば範囲が限定されるが、朝日新聞の行ってきた事は一般に犯罪者と言われる部類より、影響が広範囲である。
冷静に考えると、一般に犯罪と言われてる罪より重罪だろう。
記者会見を見た限り、事の重大さを認識していないと思う。
上記に挙げた3点はどれも重大な問題であるが、悪影響を与えたという点では、一番重大なのが慰安婦問題だろう。
この姿勢で、検証が朝日新聞寄りの検証にならなければと思うのである。(朝日寄りの検証をした場合、日本国民は見過ごさないと思うので、茶番的な発表はしないように!)
それと、リベラルを主張する人は、自由とは社会の規則を守ってこそ、自由だと肝に銘じるべきだろう。自由とは自分を律する事が出来て初めて自由と言えるのである。個人であれ団体であれ共通する事である。