◇ STAP細胞は事実、存在した!
2015年11月27日の英国科学雑誌「ネイチャー」姉妹版のオープンアクセスジャーナル「ネイチャー・サイエンティフック・リポーツ」に小保方晴子氏が発見した「スタップ細胞」が、アメリカの研究者グループによって、現実証明されたとある。
米テキサス大学医学部ヒューストン校のキンガ・ヴォイニッツ博士らが、負傷したマウスの骨格筋から幹細胞になる新規の細胞集団を発見したものだという事である。
題名は「損傷誘導性の筋肉由来幹様細胞」で英文の頭文字「injury induced muscle‐derived stem cell‐like cells」からiMuSCsと名付けられ、それを証明したものはヴォイニッツ論文と呼ばれているらしい。
キンガ博士は、この論文の主旨をこうまとめているとされる。
「我々は最近、損傷を受けたマウスの骨格筋のなかに、新しい幹細胞の集団を発見しました。このiMuSCsは、分化した筋原生細胞が部分的に初期化されたものであり、多様性によく似た状態を示しました。」とあるそうです。
専門的な用語が使われ、一般人(自分を含む)には分かりずらいだろうが、要はSTP細胞現象が確認されたと言う事だそうである。
(専門的に知りたい方は、上記に書いた「ネイチャー」の姉妹版である、オープンアクセスジャーナル「ネイチャー・サイエンティフック・リポーツ」を呼んで下さい。)
小保方さんの研究は、正しかった事が証明されたのである。
STAP現象とされる細胞の初期化は実在したと言う事である。
当時は、小保方さんのデータの不備で大分叩かれたが、事実の所を検証しないで、批判合戦を行ったのが事実だろう。
特に、東大の名誉教授の解剖学者の養老孟子氏は持論の「ばかの壁」持論で次のように批判している。(あえて名前を書いたのは、世間に名の知られてる人が公に批判したのだから、この人が発言した言葉の撤回と謝罪を小保方氏に行うべきと考えるから、あえて名前を書きました。)
その言葉は、「いわば哲学的に言うなら、生物は元来歴史的存在であり、『記憶の消去』は出来ない。記憶を完全に消去したら細胞自体が消える。言いたい事は分かるが、これは実験家の夢である。初期化はまさに工学の発想であり、生物学ではない」
この様に養老さんは、はっきり断言している。しかし、キンガ博士の論文で養老さんのこの発言の持論が覆された結果となった。
確かに養老さんの持論である「壁」を作るべきではないが、この件に関しては養老さんが「壁」を作っているのと同じだろうね。
この部分に関しては、公に発言したのだから世間にSTAP細胞を認め(養老さん自身が論文をよく読んでから)、自分の持論が違っていた場合は、小保方さんに謝罪する事が人間だろうね。(この事に関して、養老さんは名誉や肩書は考えない事である。)
誰か、養老さんにこのブログを見せてあげてください。
※ 自分の書いたブログが違っていたら、ブログ上で訂正文を書きます。
当時は、STAP細胞は存在しないと集中砲火を浴びたが、結果が早く出て良かったのだろう。STAP細胞が存在すると。
さてさて、マスコミの対応を世間は冷静に見ていて下さい。どう処理するのでしょうか?
発表された日時が2015年11月27日だが、3月22日までマスコミに載らない。どうなっているのだろうかね?
正しい事が発見されたのだから、違っていたとするならが訂正をしなければ。
この件をうやむやにするには、マスコミの責任は重大だろう!
あれだけ騒いだのだから。
◇ 知識
ある人が話す体験や知識は、人物、認知度によって影響度が異なる。
それは、どう言う事かと言うと、同じ意味の事(同じ言葉)を話しても人物によって受け取り方、信用度が異なり冷静に考えると同レベルと言う事が多いのではないかと思う。(殆んどの人はこの事を意識せずに講演会や座談会を聞き入れるケースが多いと思う。)
自分では分かっている(潜在意識では)のだけれど、改めて聞くとその言葉や表現が、新鮮に聞こえる事が多いのではと思う。・・自分の潜在意識と合致するので、満足感がそうさせるのではと考える。
この表現は、潜在意識と密接に結びつくと思うが、改めて聞いた言葉や表現が過去に聞いた言葉や現象に似ている事にきずかされる事があるのではと思う。こういう経験はありませんか?
この言葉の表現を使える人が、話し上手と言われ他人に影響力を与えやすい。
この影響力を使い、人々を導く人が心の正しい人であればいいのだが、逆の場合は悪い影響が出る。
特に、悪い連中(悪い人含む)はこの言葉の効果を熟知しており、自分らの影響力に利用する。
一つの例を書けば、今日(3月24日)のネットを見ていたら、高校卒業式当日、校門前でビラを配っていたとする記事が載っていました。その記事と言うのは、国旗、国歌の否定文だそうです。
この事に少し触れたいと思います。
全体を考える事から書きます。日本人は日本に住んでいます。(外国人も日本に住んでいる人がいるが、その人達は別として。)
日本人は、日本から何らかの補助なり援助を受けています。(勿論、日本人として税金を納めその税金で運営されていますが。)この事を意識して暮らしてる人は少ないでしょうが。税金を納めていると言う意識はするでしょうが、逆に補助や援助を受けていると考えの人は少ないでしょう。・・実際はいろんな方面で補助や援助を受けているのですけどね。考えれば。
そこで、その事に対して「感謝」「ありがたい」と言う事が浮かぶでしょうか。
当然だと思っていませんか?・・そんな事は考えてない人が多いと思います。
しかし、考えてみて下さい。医療費一つを考えても税金が多く使われています。全額、当人払いでは生活できないでしょう。金額が多過ぎて。これなども税金が使われています。お分かりだと思いますが。
分かるような事をあえて書きましたが、この事などに感謝した人はいたでしょうか?・・当然と考えている人や、意識しない人が殆んどでしょう。
意識してもしなくても、それを補助している機関が国です。日本です。
国旗、国歌は日本の元です。
日本人が現実住んでいる所です。自分らの住んでる日本を好きにならないで、どうして個人が幸せになれると思います?
自分第一主義の人は自分が好きでしょう?自分を育ててくれた親や環境があります。その人や環境がなければ、自分(自分第一主義の人)は存在しないでしょう。・・全ては関連しているのです。
親がいなければ、自分(自分第一主義の人)はこの世に存在しません。
家庭を大切にしようとしなければ、その家庭は幸せにはなれません。意識をいい方向に持って行こうとしないからです。
個人を考えれば、綺麗な服装をしようと思っても、その気持ちがなければ、綺麗な服装を着れないのです。・・そうしようとする『気持ち』です。この「気持ち』は全てに於いて重要な役割を果たします。
その個人を支えてくれているのが、家族であり日本の環境です。個人が自由な事が出来るのも、日本の体制がそうさせてくれているのです。
家族に感謝し、それに答えようとしなければ、家庭内はギクシャクするでしょう。
国旗、国歌を否定する人は、昔の戦争例を出しますが現在の日本で、日本から戦争を仕掛けることになるでしょうかね?(自衛のための戦力はありますが、他国への武力は憲法で唱えていません。・・これからもこの事は維持されるでしょう。
※ 日本が戦争に突入した原因は、其々の原因があるので詳しくは書きませんが。
しかし、どういう訳か国旗、国歌の事を持ち出すと戦争に結び付ける連中がいるのです。高校卒業式当日のビラもそうでしょう。
それを、無理やり押付ける行為を、平然とやるトンチンカンな連中も現実存在します。ビラ配りなど。
一例を挙げて、卒業式当日のおかしなビラ配りの例を挙げましたが、いい方向、正しい方向に向かおうと思わなければ、日本は良くなりません。
自分が好き、家族が好き、会社が好き、国が好き、でなければ其々が良い方向に向かわないでしょう。全ては関連しているのです。・・分かりますか?
自分らの大本である、国の存在・国歌の存在・国旗の存在、等を否定する行為は、自分を否定する事と同じです。
校門前で否定文を配っていたのは、学校の先生でしょうが、今まで生徒に何を教えてきたのでしょうかね?これらの先生は基本的な国の在り方が分からないのでしょう。
国が戦争に向かう気配があれば、現実では止める事が可能です。(自衛の為であれば別です。争いは好まないでしょうが、日本が攻められた場合、見過ごせば日本がなくなります。人間の細胞だって悪い菌が体内に侵入しようとすれば、迎え撃つ細胞がありますからね。それは自然です。)
少し書きましたが、自分らの住んでる国を好きにならないで、自分らの環境がよくなる事はありません。
個人からの拡大が国です。関連してます。
その拡大が地球です。(ここまで大きく考える事はしなくても良いのですが。)結局は、地球の平和につながるのですがね。
大学が国旗、国歌を否定した所がありましたが、国家の基本が分からない連中が運営しているのでしょう。それらの連中は人を指導する器ではないのです。
知識と言う事で書きましたが、STAP細胞の件でも否定する人達は、自分らの知り得た知識内で結論づけているのです。
実際、STAP細胞が存在した事実が、証明されたのですから。
国旗、国歌を否定する連中はその人達の主義、主張が根本的におかしいのです。国や国歌・国旗を認める事が=戦争と結び付けたいだけの、幼稚な人達なのです。
人間は、正しい努力や正しい行為をしている人には、道にそれが生じた場合は、正しい道に戻そうとする考えが湧くのです。
正しい行為や正しい言葉を実践してきた人には、潜在意識がそうさせるのです。
皆さん、「知識」と言うのは、其々が知り得た範囲内の事の知識です。外見や地位や肩書は関係ありません。
正しい事は誰が考えても正しいのです。時代が移ろうと変わりません。
どうか、正しい「知識」を養ってください。自分の運命の為に。