ブルース・スプリングスティーンは
創刊間もない頃の 音楽雑誌ジャムで
特集されていました。
当時のマネージャーだかプロデューサーは
ジョン・ランデス
マネージメントで揉めて
裁判にもなったような気がする。
欧米ではよくあるよね。
まあ 日本でも事務所を移籍する時
干されるってあるけど。
ネブラスカとかリバーはよく聴いていました。
それ以降は聴かないなあ。
リバーには特別な思い入れがあります。
1985年10月のとある土曜日
NHKだったのか民放だったのかは忘れました。
TVでライブを放送していた。
大ヒットしたボーン・イン・ザ・USA
からもカバー・ミーも演奏してたけど
郷愁を誘うハーモニカから始まる
ザ・リバー
川はもう干上がっていると知ってはいるが
思い出が俺をそこに連れていく。
果たせなかった過去の夢
来なかった あったはずの未来
別の系譜が始まったあの日
逢わない方が幸せさ。