其蜩庵井蛙坊

井戸の底より見たり聞いたり喋ったり

時により

2014-08-22 13:47:44 | 身辺雑記
大凡一〇年ほど前に門司のめかり山荘のあたりで八大竜王を初めて見ました。当時はさほどの関心はなかったのですが、金塊和歌集の中に、『建暦元年七月、洪水天に漫り、土民愁嘆せむことを思ひて、ひとり本尊に向ひたてまつり、いささか祈念を致して曰く
時により 過ぐれば民の 嘆きなり 八大竜王 雨やめたまへ』
の源 実朝の和歌があることを知って、八大竜王が水神として雨乞いの祈りの本尊で有ることを知りました。実朝は政治家としては重きを置かれない存在でしたが、心根は次の歌にも表れています。
乳房吸ふ まだいとけなき 嬰児と ともに泣きぬる 年の暮れかな
「佛尊の事典 学研」によると多くは小高い山の頂上に祈雨の本尊として祀られいることが多いそうです。実際に見分したわけではありませんが糸島市内の地図に八大竜王の記入を見たことがあります。探せば瑞穂国の各地にお祀りしてあった場所が多くあるでしょうが、何しろ信仰薄き者は不勉強です。
昨夜半から早暁にかけての雷雨には、時によりと祈念せずにはいられませんでした。雷の豪音響は長時間に亘りました。