『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

日根野六郎左衛門(ひねのろくらうざゑもん)

2019-01-14 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
日根野六郎左衛門(ひねのろくらうざゑもん)

〔現代仮名遣い〕ひねのろくろうざえもん


不詳。

1580年3月信長から、安土城下鳥打の下の地を造成

    したうえで、自分等で江・堀を埋めて敷地

    として下される。


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