『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

浅井政澄(あさゐまさずみ)

2015-04-24 20:28:18 | 信長公記の蔵:人物篇
浅井政澄(あさゐまさずみ)

〔現代かなづかい〕あさいまさずみ


 ※信長公に滅ぼされた“浅井”長政と

  信長のために軍働きをした“浅井”正澄。

  いとこ同士でも運命はそれぞれです。


新八。尾張苅安賀城に居住。浅井久政の弟の

子で、長政といとこ同士。

1568年7~10月義昭入洛の為の戦いの時箕作山

    攻略。

1570年9~12月叡山の浅井・朝倉攻めの時、

    下坂本の香取屋敷を守備。

1571年5月長島攻めに参戦。

1574年7月信長父子の河内長嶋成敗に参戦し、

    信長の軍勢として早尾口の先陣を

    つとめる。つづいてしのはしの一揆

    を撃退。ついでしのはし攻撃をつとめる。

1578年6月信忠から兵庫・高砂の路次警護の

    替番を命じられる。


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