『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

青木一重(あをきかずしげ)

2015-08-24 20:11:15 | 信長公記の蔵:人物篇
青木一重(あをきかずしげ)

〔現代かなづかい〕あおきかずしげ


 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


所右衛門。徳川家康に仕える。

1570年6月姉川の合戦に参戦し、朝倉・浅井方

    の真柄十郎左衛門直元を討ち取る。

1572年惟住(丹羽)長秀、ついで羽柴秀吉

    に仕え使番・黄母衣衆となる。

1585年摂津国豊島郡及び伊予国・備中国

    などに一万石を与えられた。

1587年九州の役に従軍。

1588年従五位下・民部少輔に任じた。

関ヶ原の戦いののち大坂方に出仕、1615年

大坂夏の陣の直前に豊臣秀頼の使いとして

駿府に赴き、家康と会見したが抑留され、

大坂落城後に出家。のち幕府に仕え摂津国

麻田で一万石を領した。1628年8月死去。


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