青木一重(あをきかずしげ)
〔現代かなづかい〕あおきかずしげ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
所右衛門。徳川家康に仕える。
1570年6月姉川の合戦に参戦し、朝倉・浅井方
の真柄十郎左衛門直元を討ち取る。
1572年惟住(丹羽)長秀、ついで羽柴秀吉
に仕え使番・黄母衣衆となる。
1585年摂津国豊島郡及び伊予国・備中国
などに一万石を与えられた。
1587年九州の役に従軍。
1588年従五位下・民部少輔に任じた。
関ヶ原の戦いののち大坂方に出仕、1615年
大坂夏の陣の直前に豊臣秀頼の使いとして
駿府に赴き、家康と会見したが抑留され、
大坂落城後に出家。のち幕府に仕え摂津国
麻田で一万石を領した。1628年8月死去。
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〔現代かなづかい〕あおきかずしげ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
所右衛門。徳川家康に仕える。
1570年6月姉川の合戦に参戦し、朝倉・浅井方
の真柄十郎左衛門直元を討ち取る。
1572年惟住(丹羽)長秀、ついで羽柴秀吉
に仕え使番・黄母衣衆となる。
1585年摂津国豊島郡及び伊予国・備中国
などに一万石を与えられた。
1587年九州の役に従軍。
1588年従五位下・民部少輔に任じた。
関ヶ原の戦いののち大坂方に出仕、1615年
大坂夏の陣の直前に豊臣秀頼の使いとして
駿府に赴き、家康と会見したが抑留され、
大坂落城後に出家。のち幕府に仕え摂津国
麻田で一万石を領した。1628年8月死去。
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