『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

平手長政(ひらてながまさ)

2019-01-23 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
平手長政(ひらてながまさ)

〔現代仮名遣い〕ひらてながまさ


五郎右衛門。平手中務丞政秀の長男。信長が長政の

愛馬を所望したところ長政が断った為、平手中務と

信長の不和が始まったとされる。


 ※源平盛衰記巻十四では、右大将平宗盛の請い

  に対し源仲綱は始め拒んだが、父三位入道頼

  政の忠言もあり「木の下」を宗盛に送った。

  仲綱の再三の返却要請に対し、宗盛は「木の下」

  を返さず「南鐐」(なんれう)を下した。さら

  に仲綱がこの馬を惜しんでいたのを憎み、「伊

  豆」「仲綱」と呼んで引きずりまわした。これ

  が遺恨となり、頼政謀反の一因となる。筆者は

  「妙に勇ましい乗り物など用いないほうがよい

  のである」と意見を述べ、例話として穆王の八

  駿・文帝の千里馬をしめしている。


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