稲葉典通(いなばのりみち)[1/2]
〔現代かなづかい〕いなばのりみち
※記事は2回に分けて投稿です。
※下線部は信長公記以外の記事によります。
彦一。貞通の長男。母は斎藤道三の女(むすめ)。
1567年生れ。
1575年7月良通は京から下る信長を曾根城に迎え、
孫典通たちに能をさせて接待する。
1582年父貞通の譲りを受け美濃国曾根城主となる。
1582年4月森長可が川中島海津に在城し稲葉貞通
が飯山に陣を取っていると、芋川親正が
一揆を蜂起させ、飯山を取り囲み大蔵城に
立てこもる。信長方から稲葉重通・稲葉
通明・稲葉典通・国枝、信忠方から団忠直
が遣わされる。森長可が切り崩し、飯山に
在陣し、稲葉貞通は諏訪本陣に戻る。稲葉
重通・稲葉通明・稲葉典通・国枝は安土へ
戻り、この次第を安土城勢に報告する。
1582年の本能寺の変後は羽柴秀吉に属す。
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1567年生れ。
1575年7月良通は京から下る信長を曾根城に迎え、
孫典通たちに能をさせて接待する。
1582年父貞通の譲りを受け美濃国曾根城主となる。
1582年4月森長可が川中島海津に在城し稲葉貞通
が飯山に陣を取っていると、芋川親正が
一揆を蜂起させ、飯山を取り囲み大蔵城に
立てこもる。信長方から稲葉重通・稲葉
通明・稲葉典通・国枝、信忠方から団忠直
が遣わされる。森長可が切り崩し、飯山に
在陣し、稲葉貞通は諏訪本陣に戻る。稲葉
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