経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

いつまで原爆被災にこだわるのか。

2017-08-11 17:25:53 | Weblog
いつまで原爆被災にこだわるのか?
 数日前の新聞(朝日毎日)に8月6日および9日の広島長崎への原爆投下の記事が載っていた。被災者慰霊の式典で安倍総理が弔辞を述べたところ記事には「どこの国の首相か」という反問が被災者の中からあったという。核兵器禁止条約締結に日本が反対ないし保留していることへの批判としてそういう声が載せられていた。結論からいえば私は、日本はこの条例に賛成するべきでないと思っている。現在核兵器を保有している国家は米英仏露シナインドパキスタン北朝鮮それに多分イスラエルであろう。これらの国はそれぞれの事情国益により核兵器を保有しているのであって、日本が非保有国と保有国の間を調整し禁止条約に賛成するように動いても保有国が賛同同調するはずがない。無駄な行為というものだ。シナや北朝鮮を説得可能だと思えるであろうか。また非保有国の大多数は核兵器を開発できないか、その必要が目下ない国であり、彼らも状況次第では核保有に転じる可能性は十分にあるのだ。条約は国連が主導している由だが、国連には条約を順守させる能力はない。また世界記憶遺産で根拠なきまま南京事件で虐殺があったかのようにされたことを鑑みれば国連など信用できないことは明らかだ。
日本は唯一の被爆国だからこの条約に賛成しなければならないという。この文脈から条約に賛成しない日本政府特にその代表である安倍総理は「どこの国の首相か」と言われるのであろう。
いつまで日本はあるいわ日本の一部の人は、被爆国原爆被災者という立場に甘えているのだろうか。被爆国民だから核兵器開発には一切反対しなければならないという論理は全くおかしい。昭和20年8月に原爆は落とされ推定10万人から20万人の人が死んだ。無残である。しかしこれは戦闘行為なのである。戦争とは殺し合いであり悪意の応酬だ。アメリカは日本に原爆を投下した。もし立場が逆なら日本もアメリカに同様の行為をしたであろう。
前大戦は総力戦であり敵は前線の兵士だけではない。銃後の民衆も的に成る。大砲を撃つ人間もその大砲を作る人間も相手国から見れば敵でしかありえない。総力戦であれば敵国の都市を破壊し民衆を殺戮することは当然であり極めて目的合理的な行為になる。また一部の人は原爆の災害を特殊視するが、殺戮された数からいえば現爆投下による被害と同程度ないしそれ以上の被害は他の手段で与えられている。サイパンがおちてから東京名古屋大阪は米軍機による大空襲を受けた。その死者数は数十万人に及ぶ。核兵器で殺されるのも焼夷弾で焼き殺されるのも死ぬことには変わりはない。何も原爆による死者が特殊な扱いを受ける権利はないのだ。被爆者だからと言って自己を特殊視あるいは特権視して発言する権利はない。同様のことは沖縄戦にも言える。沖縄は唯一の国内戦場となったから特殊な扱いを受けるべきだと言うような主張をあるが、既述のごとく沖縄戦の死者数10万人をはるかに超える数の市民が戦争で死んでいる。これに南洋で戦死した兵士を加えれば膨大な数になる。
原爆被災者という立場を特殊なものとして自己を特権視し正義感ぶって平和の祈りをささげ核兵器所持に反対するのは勝手だが、だからと言って戦争がなくなるわけでは決してない。戦争が行われないのは、民衆が平和の願いを持つからではなく、相手国の報復が恐ろしいからだ。平和は戦力の均衡によってのみ保たれる。これは恐怖の均衡と言ってもいい。力だけがすべてなのだ。もし大戦中の日本に核攻撃の能力があればアメリカは決して日本に原爆を投下しなかっただろう。現在の日本で十分な武装をせず、ひたすら平和を願い、しかも裕福な富を持つ国は他国の侵略を招きかねない。ナチスドイツに侵略されたチェコソロバキアがいい例だ。
戦力の均衡によってのみ平和が保たれるとするなら、日本は急ぎ核武装をするべきだ。核兵器を所持しそれを潜水艦に搭載し、いつでも報復するぞという姿勢を見せてのみシナや北朝鮮からの核攻撃は防止できるのだ。北朝鮮は核兵器とミサイルを開発しいつでも先制攻撃すると豪語し強迫している。こんな時唯一の被爆国だから全世界に向かって各兵器を廃絶し平和の祈りをささげれば事足りるというような発言は、極めて非合理的であり、独善的であり、偽善的である。馬鹿々々しいにもほどがある。被爆者という立場を特権視し思い上がり唯我独尊に陥っている。
元に戻る。朝日毎日新聞には「どこの国の首相」という言葉が大体的載っていたが、この発言は具体的には誰のものなのか?発言者個人が特定されなければ話は曖昧である。記者あるいわ新聞社による憶測推測の可能性だってある。もしそうなら捏造であり印象操作だ。その行為は極めて悪質である。