経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

武士道の考察(52)

2021-05-08 19:56:52 | Weblog
 武士道の考察(52)

第五章 仏と侍 戦闘そして救済
(仏教伝来)
 仏教は武士という社会階層そして彼らの心情倫理に、どんな影響を与えたでしょうか。私は、与えた、と言いましたが実際は形成した、と言うべきです。仏教なくして武士も武士道も存在しません。以下武士道との関連と言う意味で仏教を考察します。
 仏教は西暦500年前後インド北部に誕生しました。開祖は釈迦、尊称して釈迦牟尼あるいは釈尊と呼ばれます。釈迦が創始した仏教は以後多くの後継者に受け継がれ、部派仏教のアビダルマや般若経典を生み出し、西暦一世紀に現れた竜樹により論理的に統合されて大乗仏教となります。西暦一、二世紀ころ中国に渡り始めた仏教はこの地で新たな変化を蒙ります。天台華厳などの理論仏教や禅浄土などの実践仏教は中国で明確な形を与えられました。わが国には西暦552年欽明天皇の御代に、隣国百済から仏像といくばくかの経典がもたらされます。帰化人の一部ではすでに仏教は信仰されていました。仏教は経論律すべてを合わせると膨大な量の文献になります。中国からの経典輸入が一段落したのは平安時代初頭になります。
 仏教は単純に思想ではありません。なによりも救済論としての思想ですが、同時に学問であり思考のための論理であり、さらに建築絵画彫刻のなどを総合した芸術でありました。仏教は世界宗教の常としてある種の国家論をも包摂します。以上の意味で仏教は総合的な文化そのものです。そういうものに6世紀から8世紀にかけての我が国の為政者は接しました。多少のいざこざはありましたが彼らは仏教をほとんど抵抗なく受容します。蘇我馬子による法興寺、聖徳太子による四天王寺や法隆寺、天武天皇の建てた薬師寺、聖武天皇建立の東大寺などは仏教受容の記念碑です。留学僧たちは先進国唐王朝での仏教実践を学び、文献を持ち帰って学問としての仏教理解を進めます。それに伴い僧侶の養成や統制、寺院の管理などに関する法律も整備されました。ちなみに寺院や僧侶を管理する律令制の役所は玄蕃寮(げんばのりょう)です。仏教は律令政府にとって重要な文化であり思想でしたが、公式には外国文化として扱われました。ちなみに千年後の徳川幕府における最高行政機関である三奉行の筆頭は寺社奉行であり、これは大名役であり、他の二奉行に比べて一格上でした。
 奈良時代末には仏教のためのハ-ドウエア-が大体整います。この時期までに輸入された主な仏教思想は華厳・法相・三論・成実・俱舎・律であり、併せて南都六宗と言います。前三者は中国で再編された理論であり、律は戒律、俱舎はアビダルマ論の要約、です。当時僧侶はすべて官人であり、僧侶になる事も、僧侶として活動することも、僧侶としての生活もすべて国家により管理統制されました。僧侶の役割はまず国家鎮護の祈祷、そのための経典のズ唱です。従って仏教は実践性を欠き、理論と経文暗記に傾きます。僧侶が民間で説教する事は厳しく禁止されました。
 平安初期に最澄と空海が入唐して天台・真言の二宗を招来してから日本の仏教は実践性を帯びてきます。律令制が衰退し、寺院が国家経済に頼れなくなるに従い、寺院は独立採算制になりその分国家の統制から解放されます。最澄・空海の活動はそういう時代の空気に適合しました。最澄が持ち帰った天台宗は法華経を第一義とし、理論としては重要視されましたが、実践という点では空海の真言密教に押され、最澄の後継者たちも密教に傾斜します。平安時代前半は密教が主流です。日本の実践仏教は密教を先駆けとして始まります。密教はヨガ行と象徴解釈でもって自己と全宇宙との一体化を目指します。そして即身成仏、つまり生きている現実のまま解脱できると説きます。教えの秘奥はともかく、実際は加持祈祷になります。招福除災つまり身体安穏、祈雨、国家鎮護などの現世的欲求を加持祈祷でかなえることが求められます。身分の上下を問わず大衆が宗教に望むものはこの種の欲求の実現です。密教は特に貴族社会に歓迎されました。
 平安時代の中頃から宗教的情操は密教と微妙にしかも深くかかわりながら、浄土教へ推移します。10世紀に出現した空也の念仏唱導と、源信が書いた往生要集は時代を画します。以後、南無阿弥陀仏の口唱念仏が熱狂的に行われます。最大の魅力は簡便性と大衆性です。また人間の持つ罪業観を浄土教は強調し自覚させました。平安時代の仏教実践はまず密教そして浄土教が主流です。密教が実践そのものの端緒となり、それに重なりつつ浄土教が救済される個人の自覚を促します。法華経は、多分に呪物として祭られたきらいがありますが、重要な経典として尊重されます。禅定修行の端緒も出現します。天台本覚思想や神仏習合の考えも現れます。総じて平安時代は日本仏教がその方向を模索する時代です。
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「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社


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