経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

日本論要旨

2016-05-02 12:33:32 | Weblog
日本論要旨
1 聖徳太子
 和をもって尊となす、衆議性、政治の基幹としての仏教。
2 大仏開眼
仏教は、仲良く一緒に人の為、と説く。論理が広範で円転滑脱であるため仏教は国教になりえず、国家は精神的従って世俗的価値を独占できない。国家と民衆の距離は狭まり統治は寛容になり民衆は協調しやすくなる。
3 記紀神話
日本の政治思想の原点では政治と婚姻の密接な関係が表現される。日本人は性に対して寛容、過酷な統治はできない。結果として女房天下、女性が尊重される国。
4 万葉集
万葉集は官民共同で作られた大衆的作品。表出される感情は大胆率直多彩。性への態度も素直でおおらか。万葉集は日本人の情操の基盤。
5 神仏習合
 仏教の非国教性、国家による価値独占は不可、武士層の興隆。寺院武士は提携して発展。
6 摂関政治
 摂関政治は婚姻同盟であり、男女の共同統治。権威と権力の間に女性が一枚噛むことにより、権威と権力は分離され、権力行使は穏やかなものに。
7 勅撰和歌集
勅撰集編纂の意義は天皇が文化の帝王であり、文化を介して天の摂理に訴えかける神である事の示威証し、皇統の正統性の主張。文化の帝王という形象は天皇像を女性化する。勅撰和歌集は男女の共同統治の暗喩。和歌の作成は民族言語の形成、感情交流の円滑化、民度教養の向上に大きく貢献。
8 源氏物語
 源氏物語は、支配への衝動は近親相姦願望に基づくとし、性愛と政治の密接な関係を暴く。同時に露骨な近親相姦による政治を否定し、緩和された形態である摂関政治を弁証。天皇は摂関を超えた超越的存在、神としての権威を獲得。源氏物語は日本語日本文学日本的情操の確立に寄与、女の国日本を具体的に例証。
9 愚管抄
慈円は政治を動かす道理として、仏教、後見、民衆の三つの動因を設定。後見制の意義を強調、延長上に統治の世俗性を認め、武家民衆の政治参加を容認。政治現象は論理に従って動く、対立を媒介として変化する事を解明。
10 御恩と奉公
ご恩と奉公という封建契約は、経済財を媒介とした双務的契約。契約の当事者武士の人格は尊重される。武士と農民のあり方は連続的、下克上により農民は常に武士層に上昇、だから武士は相互に平等、部族制は解体される。武士は戦闘技術者、技術としての戦闘法に美を見出す。生死をともにし常に死を意識するが故に強い同性愛感情、団結と衆議の基盤。契約遵守、技能者意識、衆議性を包括したところに武士道倫理が出現。幕府の存在により権威と権力の分離が確立。同時に天皇制と武家政治は相互補完的関係に。
11 評定衆と貞永式目
評定衆と貞永式目の制定により、衆議性、柔らかい日本的民意集約方法が確立。
12 一揆、宮座、悪党
農民は郷村を作り座で評議し一揆に結集。彼らは大体平等。座での評議は評定衆の民衆版、民意表出の方法。農民間の関係は血縁から地縁に、旧来の部族氏族は解体。武士農民層を通じて常に起こる下克上。農村は武力の培養地、武士も農民も皆悪党。活発な経済活動、戦乱期とは裏腹に豊かな社会
13 連歌と茶道
茶会と連歌は身分に関係なく楽しめる大衆の生活文化。その精神は数寄、おかし、滑稽。共同性と即興性、自由な会話の連想、かけあいと遊び、相手の立場への共感、平等性。評定衆、座、と並び日本人の衆議性、集団帰属性、仲のよさを表す文化。
14 親鸞と日蓮
親鸞と日蓮は仏教、一般的には宗教に内在する否定の論理を明確に析出させ、現世の肯定の中に救済を見出し、信心を簡易なものとし大衆化した。人間と政治の発見、平等な人間が為す政治行為の弁証。
15 徳川幕藩体制
武士は本来農民。農民の持つ強い耕作権の延長上に武士が解雇されない由縁がある。相対的に貧困化する武士は経済成長に専念し、経済官僚、教養人になる。戦闘技術の保持者という職能意識ゆえに統治技術に専念。名誉心と独立心は強く、しかもそう豊かではない。衆議は武士の習い。評定会議は日本的民意集約機構の典型。武士のあり方を倫理的に集約した志操が武士道。
16 武士道、男道
武士道は戦闘技術者としての職能意識、死を共有する者同志の対等性と連帯感情、土地という経済財を媒介とする契約による人格の独立などの要因からなる。
17 元禄時代
江戸時代の初期に商品作物の栽培加工が盛んになり富は武士層から庶民層に移転。庶民は裕福になり武士は相対的に貧困に。幕府による経済へ直接介入、政府の中央集権化。貨幣改鋳、耕作権の保護、教育の重視、福祉政策などなど。
18 大岡忠相と田沼意次
田沼意次の政策は、幣制の中央集権化、金本位制、土地の商品化、商人資本の利用、間接税の重視、公共投資、経済成長策、幕府官僚の養成、蘭学解禁に要約されます。彼の政策には近代の経済論理が首尾一貫して通されています。
19 藩政改革(1)
重賢や鷹山の藩政改革は、藩政の中央集権化、藩官僚の育成、手形の利用、時として買オペ、流通貨幣量の増加、商品作物の栽培奨励、農村手工業の促進、商人資本の導入、公共事業、藩専売制、小農民下級武士の保護、民事事件の分離と寛刑、教育機関の設置と武士の情操の涵養、に要約されます。
20 藩政改革(2)
調所広郷と村田清風の政策を要約します。貿易、藩営銀行業、農村手工業の育成、藩専売制、実務官僚の養成、相互扶助組織の形成、藩札の利用、軍制改革、というところです。
21 江戸時代の経済政策
 幕政藩政改革の時期、現在の政府の政策のほとんどが出現しています。工業化、資本融資、間接税(流通税)、交易の自由化、貨幣流通量の増大、公共事業、有効需要喚起、信用取引、紙幣の使用、銀行機能、金本位制、買いオペなどの金融政策、貯蓄と投資、重商主義、行政改革、官僚養成、中央集権化、福祉政策、民事法制定、そして教育改革などなどです。これらの処置が幕藩体制によって行なわれました。江戸期の武家政治とはこういうものであり、これらの処置は維新後の日本の発展の基盤を提供しています。藩というミニ国家が行なった事績を経験として維新政府は政治経済政策を展開してゆきました。
22 荻生徂徠
荻生徂徠は、制度は衆議により作られるとして、身分制武家政治を否定。利を肯定し利への関与が政治経済であるとし、政治行為における公権力の積極的な介入を提唱。都市経済を重視し、その人為性の中に資本主義の本質を見抜き、農地売買の自由、流通貨幣量の意義を説き、民事法作成、専門職養成、行政の文書化、寛刑を主張。石田梅岩の社会契約説は庶民の政治経済への主体性を唱導。二宮尊徳は有効需要の意義を発見し、そこに経済立て直しの要を見る。18世紀の江戸時代は徳川合理主義ともいうべき思想的にも実践的にも多産で多彩な時代。
23 本居宣長
本居宣長は源氏物語の主題をもののあわれと捉え、それを基盤として古事記を解読。古事記の神々に徳性付与を拒否し、ただ浄い、明るい、素直な、人為によって汚されていない姿を与え、日本人もそうだ、と説く。神と人は一致。宣長は自己を神と為しつつ古事記を作成し、古事記に書かれている生き方を、かんながらの道、と言う。彼は天皇崇拝と権力への絶対服従と国粋主義、を説く。人間は支配され同時に支配する者という国学が内包する逆説。国学において人は神、人間は絶対的に平等。国学は民衆への講演を通して民衆の教養を高めまた維新の起爆剤となる。宣長は日本人の日本人たる由縁を強調。神は人、人は神、神と人は同じ、親鸞と日蓮の結論に酷似。
24 文化の守護者としての天皇
天皇は江戸時代を通じて儀礼の執行者、文化の守護者。天皇朝廷は深く民衆文化に関与。文化共有においてのみ円滑な統治が可能。天皇は文化そのもの、統治の背景深層。幕府はこの事をよく理解しておりだから天皇の存在を禁忌として民衆の眼から遠ざけた。安定した文化の保持は統治を柔らかく平等なものにする。
25 歌舞伎と浮世絵
歌舞伎と浮世絵は典型的な大衆文化。両者はおおらかに性愛を描写した反権力の悪所の文化。戯作俳諧浮世絵歌舞伎は相互に交流し大衆文化を盛り上げる。性愛の描出がおおらかであることは、社会が寛容である事の証左。 
26 村方騒動
村方騒動、郡中議定、若者組は農民の代表会議。武士と農民の衆議を組合わせると六つの衆議の輪。日本には既に議会制度に相当するものがあった。
27 処士横議
幕末維新の変革は草莽の処士の横議で開始。武士は彼らが属す幕藩から自由になり、彼らの習性である衆議を展開。平等という自覚。武士達は瞬時に幕藩体制を解体、瞬時に新政府に結集。文化としての天皇を神格化して政権の上に頂きその下方には衆議機関国会を開設。天皇と武士は仏教を介して絶妙な平衡を保つ。
28 明治維新
維新政府は、国会開設、東京遷都、農業の資本主義化、資産の金融化を始めとする諸種の近代化を極めて効率的に遂行した。武士は自ら率先して自らの階層の利益を放棄し、階層を解体した。東京遷都、靖国神社の創設は敗者との和解。事業はほぼ無血に行なわれる。
29 西郷隆盛
 維新の祖克。武士の集団自決。近代へ。武士道の延長としての近代。
30 福沢諭吉と渋沢栄一
 近代化、産業革命。自力でなした稀有の清潔な産業革命。

コメントを投稿