ここから一歩(今のわたし)一緒に話しましょ!

今までの自分を振り返って、また一歩踏み出す力をつける自分日記(希望、夢を持つブログです)

まあ、どうでも良いかという気持

2011-02-26 | 考える

色んな考えがあり、その国その国で考える事も違う、今回 「まあ、どうでも良いか!」 という気持に正直なった。


 

考えの違いは有って当然、特に戦争の捉え方、国によって違う。 でも、同じ傷を負った人(被害者)という考えで思えば、分かってくる事がある。 今回、今年はそんな気持が沸々と湧いてきた。

昨日、63年前の原爆投下、平和宣言を広島市長が読み上げ、恒久平和を願っていた。  インドでもそして、ドイツでも。

このように原爆は酷い事と世界へ発信出来る日本、63年経っても「あんな事は無かったんだ!」と黙認を余儀なくされ否定され、傷を深める被害者も居る中。

反対の立場の人達を見たとき、去年の気持が湧かなくなった。 どうしてと言うと未だに戦争を否認し、真実を話さない人達が反戦と言っても、歯が浮く感じがするように成ってきた。

戦争はきちんと受けとめて、被害だけを言うのではなく、加害の部分も受けとめて前に進まないと、本当の「平和宣言」は出来ない気がするようになった。 こんな気持に成ったのは今年が初めてかも知れない。

 

それまでは広島・長崎の原爆投下黙祷、そして平和宣言と厳粛に思っていた。 でも、被害者に対してはどのような宣告をしてきたのだろう? 認めない、そして反対に馬鹿にして、何もなかったのだと言い続ける人達が居る。

自分たちの主張を認めるように、他の国の被害者に対しても戦争被害を黙祷できるような、そのような教育が戦争反対するだけではなく、真の戦争教育が必要だと思った、複雑な日だ。


なので、他のブログ(戦争美化派)を見たりすると、分かっていないな~とやはり私は思う。


「まあ~、どうでも良いかなという気持が、そう思わないと居られない気がした」


最後まで分からないのかも知れない、立場、その人達の立場に成って考えてみないと、理解できないことかも知れない。



赤塚不二男さんじゃないけれど  「これで良いのだ!」 と納得した方が楽かも知れないな~と思う。 私は「お粗末君ではなく、おそまつ君を愛読した世代」 あの頃、楽しみでよく読んだ。 先日、訃報のニュースが流れていた。

謹んで御冥福をお祈り申し上げます。



北京オリンピック開会式、戦後63年被害に遭った人が癒されるには、その現実は確かに有りましたと認めて、友好は始まるのかもしれないと複雑な気分に成った。


他人の傷に向き合うのは、難しい事だなとしみじみ感じた・・立場とか??


一面でしか見ていない人の発言は悲しいものがある、正直な気持!!


まあ、どうでも良いか! 世界観は??と思うけれど・・ まあ、花でも咲かせておこう            


一面ではなく多面的に考える事が出来たら、と思う。

 

                                  数年前に思った事      2008・8・3の記録