こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

『私』を生きています

2010-02-28 14:18:15 | モラハラエッセー(離婚後)
 今月、元夫と離婚して3年、別居期間を入れると元夫から離れて5年以上の歳月が経った。
苦しい結婚生活を送っていたあの頃、こんな日が訪れるなんて想像もできなかった。時の流れは不思議だ。このような体験を繰り返すことで「時は経つ。物事は必ず変わっていく。」と教えられる。それが私に希望を与え、今日を生きる力になっていくのだ。
 私は今あの頃からは信じられないくらい、とても元気でしあわせだ。

 先日、引越しからそのままにしていた、写真やアルバムが詰まった段ボールを開けた。20代の時、友人との旅行や友人の結婚式で同窓会になった時の写真が出てきた。そして、元夫と旅行した時の写真も残っていた。私と元夫が笑っている。私は不思議な気持ちでそれを眺めた。まるで他人事のように昭和の時代を振り返っている感じだ。過去の遺物…確かにあれは私。

 それでも、このブログ綴り始めた頃が、昨日のことのように思える時もある。
掲示板などにコメントを入れるようになったのは、別居してからである。それでも元夫がこれを見て怒鳴りこんでくるのではないかと、過剰に神経を尖らせていた。しかし次第にその心配はないのでは、と思うようになった。なぜならその掲示板に綴られる世の夫たちは、私の元夫にそっくりだったからだ。こんなに元夫みたいな人がたくさんいたら、そこに私の体験を掲載したってわからないだろう。理不尽な言動に苦しめられている女性たちがなんて多いことか。
 そしてたくさんの、同じ体験をして苦しむ女性たちと言葉を交わし、勇気と希望を与えられた。また励まされて自分のブログを始めてからも、たくさんの方との交流によってどんなに慰められ、力づけられたか…。そのおかげで私は今、こうしてひとりで生きることができている。いや、ひとりではない。誰かと同居しなくても、私はネット上の仲間たち、仕事仲間や友人たち、いろいろな縁に支えられ、孤独を感じずに生活できている。どこかで誰かが私を思い、メールやコメントを送ってくれる。そんな誰もがそれぞれの場所で、がんばって生きている。皆に想いを馳せるだけで、私も力をもらうことができるのだ。


 元夫との関係の中で、私はいつも元夫のことで頭がいっぱいだった。元夫を怒らせないように、不機嫌にさせないように、気に入ってもらえるように、刺激しないように、笑ってもらえるように…。私は元夫をコントロールしようと足掻くことで生きていた。私は私を生きていなかった。改めて自分の体験を読み返してみると、胸が苦しくなる。涙ぐましい努力、そして元夫からの酷い仕打ちを見なかったこと、感じなかったこととして気持ちを無理やりリセットし、更に悪循環に巻き込まれていたこと…。
 自分で何とかしようと思っているときには、今の生活に執着してしまう。元夫さえ何とかできれば、私は元夫と生活していける、ということにとり憑かれるのだ。生きる方法はいろいろあるのだ、ということに全く目がいかなかった。
 しかし、あまりにも辛い生活に心が枯渇し、憎悪と恐怖で自分を見失いそうになった時、私は助けを得ようとネットを開いた。そこが自分を取り戻すための第一歩だった。そして元夫から離れることを夢想したが、当時はそれが現実にできるとも思っていなかった。それでも、この苦しみから逃れるべくあれこれ情報を得ているうちに、自分の中のイメージを少しずつ作っていき、ついに行動することができた。ただそれも、別居に踏み切った女性たちの体験談から、気持ちを後押ししてもらった。助けを求めれば、実はたくさんの支えや励ましが目の前にあったのだ。

 「今」の生活を変えることに躊躇するのは当然だ。しかし、「今」があまりに苦しく自分を痛めつけるものだとしたら、それは自分で変えることができる。最初は自分にそんなことができるなんて信じられないだろう。しかしできるのだ。まず「変えたい」と思い続けることが大切だ。思い続けることで、自分の思考が自然にその方向へ向かい、それに関する情報を集め、そのことで自分を助けてくれる人との縁を自然に引き寄せる。あとは自分の心の欲する方向へ、心が導いてくれる。

 私は別居するとき、頭のどこかではそれが信じられなかった。不動産屋に行き部屋を決めながらも「本当にできるのだろうか」「夫に妨害されて、結局できずに終わるんじゃないか」と思っていた。しかしその一方で私の心は「とまっちゃだめ、考えちゃだめ、早く次、次」と私を押し、行動させたのだ。私は自分にも助けられた。

 別居後の生活にも不安がいっぱいだった。この先どうなるんだろう。私はひとりで生きていけるのか…。そして私は生きていくために、ブログに体験を綴り、働き、自分を食べさせ、ひとりになったことによって得た安心や楽しさを思い、いろいろな人と出会い、つながった。
 ただひとりで考え続けるのではなく、行動することによっていい結果がやってくる。それは私が身をもって経験したことだ。

 私たちは、自分で自分を助ける力を持っている。先のことは心配だ。心配なら行動すればいい。行動すればそれが自分の助けになる。
 生きていれば、これからもいろいろな困難にもぶつかるだろう。でも時は必ず経つ。「今」の状態がずっとは続かない。辛抱強く自分の希望を持ち続け、その想いに近づこうと行動することで、思いもかけない力や助けを得、新たな自分が生まれるのだ。
 そして、私たちの人生は、私たち、即ち「自分」のものだ。誰がなんと言おうと「私」の人生に責任はもってくれない。自分の人生は、自分で好きに生きていいのだ。嫌だったら嫌だと、苦しかったら苦しいと言っていいのだ。努力も楽しみも、自分のためにすればいいのだ。
 もちろん、私たちはひとりで生きているのではない。家族や知人、友人ら、多くの人との関係の中で生きている。そこで時間を共有し、他人のために時間を使い、時には譲歩し、時には我慢することもある。しかしそれにはお互いがお互いを生かし、分かち合う関係だからできるのだ。一方的に支配したり搾取したり圧迫したりする関係であれば、そこから離れて自分の安全を守る権利が私たちにはある。

 自分の体は、摂取した食べ物を咀嚼し、分解し、栄養を体の細胞に与える。その何億という細胞たちは、黙々と自分の役割を果たし、自分の体を生かしている。私はまったく意識しないのに、心臓は休まず働き、細胞は分裂を繰り返しながら死んでいき、新たに生まれ変わる。私の体もこうして自分を生かすために日々生まれ変わっているのだ。私自身も「私」を保ちながら生まれ変わる力をもっている。

 生まれてから今まで、成長の過程の中で、その時々の様々な出来事の中で経験を積み、学び、その都度私は変化してきたのだろう。しかし離婚後の生活は本当に自分を変えたと感じる。過酷な生活で精神的にどん底を味わった後、自分を縛っていたものから脱皮した、そんな感覚なのだ。もちろんまだまだ縛られていることも、思いこんでいることもある。ただ何か心の重しがとれたというか、心の自由度が高くなったように思う。

 
 このブログは、私のモラハラ被害体験を綴っている。現在モラハラで苦しみ悩んでいる女性たちに伝えたい。どんなに苦しくても、必ず「今」は変わる。自分で変える力をあなた自身がもっている。そして人それぞれ変わる「時」がある。焦らず、願うところを思い続けてほしい、と思う。モラハラから離れても、人生の中の困難は常にあるだろう。でもあのモラハラと格闘しそこから離れることができれば、それが自分の大きな力になり、その後の困難に立ち向かう勇気になる。何よりも自分の魂を生きることができるのだ。そう私自身実感するし、新たな人生を送っている多くの勇気あるモラハラ被害体験者がそれを体現している。

 記事はもうこれ以上更新しないと思いますが、モラハラで苦しんでいる方々が、ひとりでも多く自分を取り戻すことができますように、心から願っています。
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離婚と希望 ~1年に想う~

2008-02-24 22:13:19 | モラハラエッセー(離婚後)
 今朝、起きてカーテンを開けたら、そこは静かな雪景色だった。軽やかに舞い飛ぶ雪を眺め、空を仰いだ。雪が世界を白く清めていくような、心の中をしんしんと鎮めてくれるような…。確か、1年前の今日は穏やかな晴れた空の下、離婚届を持って歩いたのだったな…。

 1年前の今日、私は離婚届を役所に提出した。結婚生活を続けていれば、10年を祝う直前だった。そう、結婚式では「10年後にまた皆を招いて、10周年パーティーをしよう」と、元夫は言った。
 その日は訪れなかった。

 それまでどんなに苦悩し、幾度も希望を抱いては粉砕され、絶望と憎悪に心を焼かれたことだろう。それでもなお、離婚が怖くて不安で、世間の目が気になって、離婚後の生活の惨めさを想像し、なかなか離婚に踏み出せなかった。
それでも、よく理解していたのだ。元夫と生活することが、どういうことなのかを骨の髄まで思い知っていたのだ。
 心通わない夫婦生活の、なんと虚しい日々を。夫と一緒にいることによって、逆に厳しく迫りくる孤独を。絶望と憎悪にまみれ、自分を見失っていく恐怖を。いつか取り返しのつかない恐ろしい出来事が起こるのではないかという予感を。夢も希望も持てない将来が待っていることも。温かい日々はやってこないことを。
どんなに求めても切望しても泣き叫んでも笑顔を向けても、元夫と笑いあう日々が訪れる可能性は、時間を経るごとに限りなくゼロになっていくことを。

 元夫と別居してから待っていたのは、穏やかで優しい日々だった。家の中に誰も私を責める人はいない。誰も私に指図しないし、支配もしない。それがただ安らぎだった。元夫へにぶつけられなかった、怒りや悲しみが一時的に私を襲った。吹き荒れる心の嵐に戸惑いながらも、それをブログに綴り続けた。でも私は誰からも攻撃されることはなかった。離婚したことも、なかなか他の人には言えなかったが、今は少しずつ周囲の人に話をしている。私は現在、心から穏やかに日々を送っている。

 「一人で暮らすのはさびしくない?」「一人の食事はさびしくない?」と聞かれることがある。「全然さびしくないよ」と私は答える。それは真実だ。かつて、異常に神経をすり減らし震えながら食事を作ったあのころを思えば、今は本当に安らかに、自分の好きなものを好きに料理して、おいしく味わって食べることができる。

 二人の方がよっぽど孤独だった。いつも元夫のことで頭がいっぱいで、仕事が終わればすぐ帰宅し、休日だって元夫と過ごさなければならなかった。でも一緒にいるからといっても、お互い理解するには埋めようのない溝があり、ささいな言葉を交わすことにもピリピリし、常に電流にさらされているようなものだった。私は元夫と一緒に過ごすことで、精神的にも追い込まれた。さらに友人や仕事仲間との時間も持てずに、孤独を深めるばかりだった。

 今、私はひとりで生活している。でもそうしたいと思えば、いつでも友人に会え、おしゃべりを楽しみ、旅行をし、家に招き夜通しおしゃべりすることもできる。好きな時に仕事仲間と飲み、実家に帰り、昔の友人と久々の再会も楽しむことができる。そう、私は元夫と生活していたころよりも、ずっと大勢の人たちと会い、時間を共有し、つながることができているのだ。だからちっとも孤独ではない。
 家の中でひとりだからといっても、すべてにおいて一人、というわけではない。自分の時間を大事にしながら、求め、望めば他の人と思う存分つながりをもつことができるのだ。

 いったいどちらが孤独というのだ?

 別居生活はある意味楽だった。結婚している、という事実を変えなくてもよかったから。なかなか離婚できなかったのは、元夫というよりも、世間の目が気になっていたからだった。離婚に偏見を持ち、離婚を受け止められないのは自分だった。
でも、離婚したら、それは怖くないものだった。むしろ、私を多くの人と結びつけ、私の人生を豊かにしたのだった。

 今月、私は40歳になった。思えば30代は、元夫のモラハラにひたすら振り回された年代だった。40になれば人生、後半戦だ。残りの後半は、納得できる人生を送りたい。自分の好きなように、理不尽な我慢はしないで、有意義な時間をもって日々を過ごしたい、と思う。

 こんな人生になるなんて…!と、あれこれ想いを馳せつつも、これからの人生が楽しみだ、と思っている。


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人との距離感

2007-10-21 23:19:52 | モラハラエッセー(離婚後)
 先日、ネットで料理関連のことを調べていたら「腹六分」という言葉が目にとまった。何かと思って検索してみたら、「人付き合いは腹六分」という言葉だった。これは「オーラの泉」というテレビ番組の中で美輪明宏が話していた言葉らしい。私はこの手の番組は殆ど観たことがないが、この言葉には惹かれるものがあった。
 意味は、「他人に対する感情(喜びも怒りも)を『腹六分』に押さえておけば、自分自身も必要以上にそれらに振り回されることなく、周りとの関係を良好に保つことができる」ということらしい。また、他人のいいところだけを見ればいい、ということでもあるそうだ。それは夫婦であろうが、友人であろうが同じだというのだ。
 ただもう少しこの言葉を調べていたら、どうも出典は福沢諭吉らしい。福沢諭吉は「人付き合いは腹六分目」と言い、人と深すぎる付き合い方をせず、適度な距離感をもって様々な人たちと平等につきあったという。

 人付き合いは腹六分…そうか、それでいいんだ。その言葉がすとんと腑に落ちた。

以前私は、親しい人ほど、距離が近い相手ほど、相手のことを疑わず10割理解することは無理だろうが、8~9割方は理解しなければと、受け入れなければと思いこんでいたところがあった。それが相手への誠実さを表すための姿勢だと思いこんでいた。
 だから、私は一度心を許した友人との関係は、よもや裏切られることなどあるまいと疑うこともなく、一度信頼した友人が例え泥棒になろうとも私はいつまでも友人だ、という確固たる思いがあった。

 そして、元夫に対しては、「お互い認め合って結婚したのだから、お互いの信頼は揺るぎないはず」と信じていた。お互いが結婚相手と決めたからには「その関係は変わらないはず」と思いこんでいた。
 だから私は、元夫から怒りをぶつけられても、罵倒されても、「これはきっと機嫌が悪かったから」「親からの虐待体験の傷ゆえに過剰反応するんだ」と、お人好しにも思いこんでいた。いくら夫婦だからといっても、言っていいことと悪いことがあると思うが、そんなことにも気づかず、いつも私自身へ悪意をもって攻撃されているとは思えず、「短気だから」とか何かと理由を付けて受け流していた。そう思えた頃はまだしあわせだったかもしれない。それとも都合の悪いものには蓋をするという、私の無意識の習性がそう思わせたのだろうか…。

 モラハラ加害者にとっては都合のいい受け取り方をする私の気質や雰囲気があったせいか、私は結婚してから、元夫以外の人からも同じような被害を受けた。いずれも最初は親しい間柄となり、私はその関係を露ほども疑わずにいたら、無防備の私に不意打ちをかけてきたのだ。そして私はその不意打ちをただ甘んじて受けた。信じていたから。まさか信頼関係のある私達の間にそんなことがあるなんて思えなかったからだ。

 しかしそういう関係もありえるのだ。私はもっと柔軟に当たり前に感じなければならなかった。理不尽な言動、不愉快な態度、どんな理由であれ、そのような行為を他人に向けるというのは、誰が誰に対してもおかしなことなのだ。たとえどんなに近しい人であれ、身内であれ、感じることを麻痺させてはいけないのだ。

 親しい人との関係が揺るぎないと思いこんでいた私のこころの奥底には、もしかしたら親しい人は私を裏切るはずがない、私を嫌うはずがない、私に悪意を持つはずがない、そして私の望むような関係になるのだという、コントロール欲求があったのかもしれない。
 どんな人でも私の意志に関係なく、様々なことを思い巡らせ、時に思いがけない状況になり、そして変化する。それが当たり前なのだ。
 私は他人に変わらない永遠を求める。変わらない信頼、変わらない好意。しかし私自身はどうなのだろうか。他人に求めるように私は変わらないのか?相手に対する私の感情、思考に変化はないのか?私は他人には変わらない忠誠心を求めたが、相手の要求に応えられなかったとき、私は誠実に相対したのか?素直に「それはできない」と言わずに、ただ笑ってその場をごまかし、やり過ごそうとはしなかったのか?

 モラハラ加害者は、自分を120%理解させることを相手に求める。自分の思うように、望むように、欲求するまま、まるで相手は自分と一心同体のように感じなければいけないし、それを感じられない相手は、加害者にとって激しい怒りの対象になる。
 多分、人は相手を理解すること、あるいは自分を理解してもらうことを9割以上求めたら、そこには支配と束縛しかなくなってしまうのかもしれない。

 腹六分くらいがちょうどいいのだろう。ちょっと寂しいくらいが、ちょっと嬉しいくらいでいいのだ。相手の存在を侵害せず尊重できる関係なのかもしれない。私はそれではいけないのかと思いこんでいた。それでいいんだ。腹六分のつきあいが、相手を侵害せず私を支配させず、お互いに依存しすぎず、それぞれの存在に責任を持った関係なのだろうと、今だから実感できる。

 なんだか楽になった。


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過去、そして今

2007-10-08 12:25:43 | モラハラエッセー(離婚後)
 先日住宅街を歩いていたら、金木犀の香りに、ふと木々を仰いだ。今年の秋は暑いと思いながらも朝晩の気温はぐっと下がり、日も短くなってきた。空にはいわし雲、夜は虫の音も聞こえる。

 この10月、元夫から脱出して丸3年になった。離婚してからは約8ヶ月だが、物理的にも精神的にも元夫から離れられたのは、3年前だ。
 必死の思いで決断した別居だったが、どこかで夢のようでもあった。別居を夢想しながらネットで賃貸情報を検索し、「こんなところがいいかな」なんてあてもなく考えていた。夫への不満を溜め込み、恐怖や憎悪が暴発しないよう押さえ込みながらも、この現実が変わるなんて思えなかったし、自分が変えられるなんて信じられなかった。そんな私が一片の光を見いだしたのは、ネットで綿々と綴られる、顔も知らぬ女性達の吐露した夫婦間の苦悩だった。夫からのDVやモラハラへの告発、そして敢行の末、次々と報告される別居や離婚。「皆、すごいな…」私の硬直した心が動き始めた瞬間だった。それでも実際に動き出すまでには相当な時間を要したが、少しずつ現実を変えようとするエネルギーが自分の中に湧き起こってきたのは確かなことだった。

 そしてついに元夫の一言から、奮起して自分を駆り立て別居準備を始めたのだったが(『賽は投げられた』)それでも心のどこかで「本当に別居できるのだろうか」と思っていた。不動産屋に行ったときも、段ボールに自分の物を詰めているときも、どこかで「これは現実なんだろうか」と自分のしていることを夢のように感じていた部分もあった。ややもすると立ち止まり考え込みそうな自分に、必死にハッパをかけ「止まっちゃダメだ。考えないでとにかくするんだ」と言い聞かせ続けた。そして、10月の澄んだ青空の広がったある日、私は元夫と生活した場所に背を向け、ともに過ごした時間を絶ったのだった。
 あのような覚悟と決断は、私の人生上でも滅多にないことだろうと思う。結婚ですら、こんなに思い詰めなかった気がする。

 別居後は堰を切ったように、自分の心情や元夫の様々なモラハラ行為、そして言いたくても言えなかった元夫への思いの丈を掲示板やブログで綴ってきた。そこで同じ闘いを続けていた方々、顔も知らぬ方々から、たくさんの、本当にたくさんの温かい共感と力強い励ましをいただき、モラハラで受けた傷から流れる血を止め、癒していただいたからこそ、自分自身を取り戻し、落ち着いて自分の生活を日々送ることができていると思っている。

 あれから3年、だんだん私の中で結婚生活の記憶が遠のいていく。私はずっとひとりで生活していたのではないか?と錯覚するくらいだ。
 ただ、かつて元夫からのモラハラによって、叩きつけられ踏みにじられ切り裂かれた心の後遺症はやはりある。テレビや映画で、恋愛ものや夫婦、家族の葛藤が描かれるドラマは殆ど観なくなった、というより観られなくなった。元夫が好きだったプロ野球の試合もまったく観ないし、何回もプロ野球ニュースなんて出てくると不愉快になることがある。たまに何かのきっかけで、元夫への怒りややりきれなさが沸々と湧き起こってくるときもある。そんな時、ああ、私は元夫と生活していたんだ、と思い知らされるのだ。それも仕方のないことだ。事実なのだから。
 たまにそんな気持ちになっても、今の生活は変わらないし揺るがない。穏やかで安心で安全、自由である。

 かつて元夫と生活していたときは絶えず不穏、恐怖、危険、服従だった。あのまま元夫と生活していたら恐ろしい事件が起こったような気がする。夫婦や親子間に溜め込まれていた恐怖と憎悪が、容量を超えはじけ飛んだときの凄惨さを、世の中のニュースは流し続けている。あまりに痛ましく、残酷な現実だ。
 現実を変えるためにできることとは、恐怖の存在や場所自体を変えようとしたり破壊することではなく、その人や場から離れて自分の安全を守ることから始まるのだと思う。

 ひとりの暮らしは、特に「素晴らしい!」と絶賛するようなものでもなく、淡々と日々が過ぎていく。誰かが何かをしてくれるわけでもないので、自分で生活を作っていく。ゴキブリだって自分でとらなければいけない。楽しみも自分で作り、小さな出来事を喜ぶのも自分の感性しだいだ。ときに家族のいない寂しさを感じることもある。でも何よりも、穏やかで安心で安全、自由だ。そのありがたみは心底痛感するし、私が私自身でいることのできる大切な条件だと思う。
 もう金輪際、恐怖と憎悪にまみれた生活は送りたくない。もう二度と。
 

 今日もどこかで脱出している人がいる。自らの人生を取り戻すために決意している人がいる。どうかその後の歩みが守られますように…心から祈りたい。


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ある便り

2007-08-27 23:56:25 | モラハラエッセー(離婚後)
 私達は様々な人間関係の中で、いい関係を結ぶこともあれば、腹のさぐり合いのような関係もあろうし、時には折り合えない関係もあるだろう。そして、怒ったり傷ついたり悲しんだりする関係もあるだろう。
 私も多くの人たちと、いろんな関係や状況を体験してきた。人との出会いに恵まれ、沢山支えられたし、もちろん不愉快な関係もあった。

 原家族との関係は別として、私には、他人との関係で酷く傷つきのたうち回った経験が3度ある。ひとりは元夫。ひとりは元上司。いずれもこのブログ上で掲載しているモラハラの加害者達だ。
 そしてもうひとりはある友人だ。

 この友人は、仕事の取引先の会社に勤めていた派遣社員だった。数年前、たまたまある仕事で一緒になった。年齢が同じだったこともあり、以前夢中になった音楽や趣味の話しが一致して盛り上がり、その後、連絡を取り合って会うようになった。その友人とはいろいろな話しをした。家に泊まりに行ったこともあった。連れだってコンサートにも行った。私はその友人を心から信頼していた。

 しかしある時ひょんなことから、彼女は私から得たあまり公にできない仕事関係の裏情報を、自分の会社の同僚や上司に得意げに話していたことが発覚した。彼女の会社は私の職場の取引先であり、お互いの会社の情報については、慎重に取り扱わなければならない。些細なことから、信頼関係がこじれ、職場に損益をもたらすかもしれないのだ。
 私は彼女の軽率なおしゃべりに青ざめ、「そのようなことはやめて欲しい。私は友人だからこそ信頼して伝えたのであって、他人には伝えてほしくない。ましてや仕事関係者には話すことについてはルール違反ではないか」と、やんわり抗議した。
 しかし彼女は、その抗議の意味が理解できなかった。「お互いの職場を思って、必要な情報だから気を付けて伝えた」と言ったのだ。

 私はそのような考え方に心底驚いた。そして彼女は、個人的な関係における話しに対して、公私混同してしまう人だということがわかったのだ。仕事への姿勢も、価値観も違うのだろう。人間関係の持ち方も、実は私とは全く違うのかもしれない。そう思い至るまでも随分な時間を要したが。

 結局、私は仕事上の成り行きから、彼女の所属する会社の上司へ、「軽率に情報を(友人を介して)流してしまったこと」に対して謝罪に行ったのだ。それは非常に恥ずべき事であり、私自身の信用問題にかかわることだった。彼女が詫びるべき問題だったにもかかわらず、なぜ私がこんな屈辱的な思いをしなければいけないのだ…。私はその後、その会社に対してしばらく気まずく憂鬱な思いをもちながら仕事せざるを得なかった。
 しかし彼女はその深刻さに気づかず、またいつものように私に笑顔を向け、いつものように付き合おうとしたのだ。
 私はもう彼女に笑顔は向けられなかった。ただ不信感だけが膨らんでいった。一度は信頼しきっていた友人に対する自分の思いにも自己嫌悪を抱いた。できればまた仲良くつきあいたい、という気持ちもあったがもう無理だった。
 その相反する思いに自分自身も長い時間苦しんだし、友人からメールが来ても連絡をとらなかった。そのことすら苦渋の判断だった。

 いつしかその友人とは疎遠になったのだが…。
昨日、彼女が私のケータイにメールしてきた。私は慎重にそのメールを読んだ。彼女からの内容は、久し振りだということ、思い起こせば気になることをしてしまったこと、それを謝りたいし、友人としてまた会いたい、というものだった。

 あれから2年近くになるのに…彼女も気にしていたのか、と一瞬思った。同時に、当時のやりとりがまざまざと思い浮かび、不愉快な思いがどこからか湧き起こってきた。
 あの時、私の立場をまったく配慮しなかったあなたの言動に、どんなに驚き不快にさせられ、苦しめられたか…。
 会って話そうか、という気にもなりかけたが、すぐに会うのはやめようと思った。もう相手に合わせる必要はない。不信感を心のどこかに抱きながら、友人づきあいはできない。
もう私は誰に対しても無理することはないんだ。自分を押し殺す必要もないんだ。


 私が最も傷つけられたこの3人の共通点は、出会った頃は魅力的で好印象な人物だったこと。そして親密な関係となり、私自身が一度は心から信頼していること。
 それが…安心しきっていたら、背中からいきなりナイフでざっくりと切り裂かれるような仕打ちを受けるのだ。それはとても信じがたい出来事なので、なかなか受け入れられないが、恐るべき仕打ちはその後何度も繰り返されることになる。そして私は感じることが怖くなるのだ。あんなに親密な関係だった人からこんな仕打ちをうけるはずがない。これは現実じゃない。またいつものように優しい笑顔を向けてくれるはず…、と。


 最初から印象が悪ければ、不快な思いをさせられてもそれは当然のこととして受け止められる。思い入れがない人相手だったら、仕方がないとあきらめられる。

 この経験から私は思う。人を最も深く残酷に傷つけることは、信頼しきっている人物から、まるで信じがたい想像すらしなかった状況に貶められ、打ちのめされ引き裂かれるような仕打ちを受けることである、と。

 そう、世の中にはそのようなことをする人もいるんだ。私が悪いから相手が豹変するのではなく、相手自身がもつ問題のために、このような混乱し矛盾した言動を平気で行うのだ。これは私の問題じゃない。相手の問題だ。
 私は、変だと感じたら、その感覚に正直になればいい。私が傷ついたら、それは真実なのだから、感じないふりをしなくてもいい。


 仕方ないよ。そんな関係もある。でも私が気がついたなら、そんな関係はもういらない…。そんな関係をもってしまったことを責めるのではなく、気づいたら離れればいい。そう、私はいつだってそこから離れることができる。私はいつでも自由に選べるのだ。
 そうなんだよ、ね






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「今」を生きるということ

2007-08-09 23:55:33 | モラハラエッセー(離婚後)
 私達はこの世に生を受けた瞬間から、自分の時間を生きている。意識しないまま時間を感じ、泣き、要求し、笑い、怒り、満たされてきた。それはすべて自分のものだった。
 そして自分を意識し始めた頃から、他者の存在を知り他者によって生かされている自分も発見する。そこから他者の欲望、他者の要求を自分の時間に組み込もうとしながら、それが自分の望みと拮抗する矛盾に苦しむことになるのだ。

 私が元夫と生活していた頃、私の頭の中は常に元夫で一杯だった。なぜか。

 例えば私が元夫と話したい、と思い話しかける。そうすると元夫は「おまえの日本語はおかしい」「俺がテレビを見ているのがわからないのか?」「そんなつまらない話しはどうでもいい」と反応する。すると、私はそのことで頭がいっぱいになってしまうのだ。ちゃんとした日本語を話さなくては…こういう言い方で大丈夫だろうか(まず言いたいことを復唱する)。今はテレビとか新聞を見ているから黙っておかなくては。この話題は話したら嫌がられるかもしれない…。こんな思いに囚われ続けることになる。

 この料理はおいしいし私も好きだ。だから夕食に作ろう、と思って夕食を用意する。すると元夫は「なんだこれ、まずそうだな」「食べたくない」「臭いが変、いらない」「俺にこんなモノを食わせる気か」と拒絶反応が返ってくる。するとまた私の頭はそのことでいっぱいになってしまう。このメニューで大丈夫だろうか…なるべく夫の好みのメニューを作ろう…。また怒るだろうか…。不機嫌になって怒鳴るかもしれない…。

 今日は職場の忘年会があり、元夫に帰りが遅くなることを了承してもらった。でもその時の元夫は不機嫌な顔をしていた。忘年会の最中も夫の顔色が頭に浮かび時計ばかりが気になってしまった。とても盛り上がっているが、そろそろ帰らないと元夫が大変なことになる。先に帰らせてもらおう…。

 このように、モラ元夫は私がよかれと思うこと、やりたいと思うことをことごとく否定することで、モラ元夫自身の考えや感情に私が支配されるようにし向けた。その方法は功を奏し、私は何をするにもまず元夫が何を考えるか、何が好みか、どのようにすれば機嫌を損ねることがないか、ということで常に頭をいっぱいにしていた。そしてそうすることで、元夫の機嫌を良くし、元夫からの愛情を受けようとしていたのだ。しかし、それを喜んでするのではなく、元夫への恐怖から、何とか元夫が怒らないように、と怯えながら元夫の望むものを必死に探っていたのである。

 
 私は元夫と生活しているときは、常に元夫のことに時間を費やしていた。何をするにも、どんな時間を過ごすにも、「夫だったらどう思うだろうか。こんなこと言ったら怒るだろうか」「出かけたいけど、夫が反対するだろうからあきらめよう」「夫はこの料理を食べてくれるだろうか」「また夫が無視した…なんでだろう」「こんな時間になってしまった…夫にまた怒られる」「夫はなぜ怒るのだろう」「夫にいつ話しかけよう…」「夫の足音が怒っている…どうしたら機嫌が戻るのだろう」
 こうして、私は自分の時間の殆どを、元夫のために使っていた。私は次第に自分を見失い、自分をおざなりにし、不毛な夫との関係に自分の時間を消耗していた。自分の時間…それは自分の人生だった。そう、私は自分の人生を自分のためにではなく、夫への愛情のためにでもなく、元夫から与えられる恐怖を必死でコントロールするために消耗していた。元夫の過去の言動を気にし、今日の言動に怯え、明日の言動について想像し不安になり…そう、私はまったく私自身のために時間を使えず、私自身を生きることができなかったのだ。だからもちろん、私自身の感情も想いも、希望も…押し殺し蓋をしていた。

 人は様々な人との関係の中で生きている。多分自分のためだけに時間を使っている人は殆どいない。家族のために時間を使い、仕事のために時間を使い、友人と過ごすため自分の時間を使う。しかしそれは、自分自身も必要としている時間なのだ。家族と心地よい生活を送るために自分と家族の分の料理を作る、家の中を掃除する。仕事のために時間を使っているのは、自ら選んだその仕事を通してお給料をもらって生活し、自分が社会で役割を持ち、仕事を通した様々な人間関係の中で自らが成長するため、でもある。誰かのために生きている、と言う時には、その人自身がその誰かを必要としているから、自ら欲しているから、その『自ら』を生きているのだ。
 それがもし、その『自ら』がなく、全く他者の欲望、他者への恐怖で自分が全く望まないのにロボットのように動かされているとしたら…あるいは自ら望んでいるのだと錯覚させられているとしたら…その行き先には自らの魂の死が待っている。
 私がモラ元夫と生活していた最後の方では、私の魂はかなり末期症状を呈していた。元夫の意味不明な不機嫌、罵詈雑言、に戸惑い、苦しみ、何とかいい関係を取り戻そうと努力したものの、私自身は繰り返されるモラハラにすっかり疲弊していった。そして常に暗い表情になり、常に怯え、恐怖に突き動かされながら日々を送り、そのうちに私自身の中にも夫への憎しみが生まれ、増幅し殺意をも抱いた。その先は破滅しかなかった。自分を見失うとは、ほんとうに恐ろしいことだ。


 先日、私は友人夫婦と一緒に花火を見た。少し前から約束をし、仕事が終わってから友人宅に向かった。そして友人夫婦と花火を見ながら、興奮し、手を叩き、花火への感動を思い思いに言い合い、食事をしながら時間を忘れて世間話をした。
 その時改めて思ったのだ。私は心から望んでこの場にいるのだ、と。誰に気兼ねもせず、誰に怯えることもなく、友人とともにこの時間を楽しんでいる。これが私自身の時間を生きる、ということなのだ、と改めて強く実感した。そうだ、思い返せば私は元夫と別居して以来、少しずつ自分の感覚を取り戻し、「私」が望むことを少しずつ実現していったのだった。そこで、はじめて自らを生きる、ということが少し理解できた気がするのだ。

 他人と過去は変えられない、と言う。変えられるのは自分と未来だ、と。
 過ぎ去った昨日のことはいくら思ってもどうしようもない。明日だって、実際に明日がくるかわからない。私達は常に「今」しか生きられないのだ。その「今」を精一杯生きるしかない。だから今、自分なりにできることをすることが大切である。それが明日へつながっていくのだ、とある人が話していた。これはお釈迦様の教えらしいが…。
 やはり自分自身を生きている、という感覚がなければ「今」を実感できないように思う。よりよい「今」を生きるには、「自分」が主体でなければならない。誰かのことで頭がいっぱいだったり、常に未来ばかり不安に思っていたり、過去のことばかり思っていても、それは「今」を生きていることにはならない。

 私達は「今」しか生きられない。その「今」は、常に私達の手の中にある。「今」はいくらでも変えられる。そして「今」はいつも私自身のものなのだ。
 モラやそのしがらみと離れた今、心から自分自身の「今」を感じている。

絶えず恐怖に怯える「今」、あるいは他人のことで頭をいっぱいにして「今」を生きるのか。自分で行動し満足し誰からも脅かされない「今」を生きるのか。
 
 そしてきっと誰もが自分の「今」を生きることがきる。気づきさえすれば…

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なんだったのだろう

2007-07-21 19:15:38 | モラハラエッセー(離婚後)
 先日の台風が過ぎたあたりから蝉の声が聞こえ始めた。そして街路樹周辺にある植え込みの葉に、蝉のさなぎの抜け殻を見つけた。子どもの頃、雑木林の中でよく蝉の抜け殻を見つけて集めたものだ。それをカーテンにつけて遊んだことを思い出す。

 離婚して5ヶ月が過ぎた。離婚する前から別居生活を長く送っていたせいか、特に生活の変化もなく、私はずっとひとり暮らしをしていたのではないかと錯覚するくらいだった。元夫も以前の住居から引越していったので、住んでいる地域も私の家から電車で1時間ほどの距離になり、生活圏が重なることもなくなった。結婚生活を思い出すことも少なくなっていた。

 昨晩は職場で少し残業をしていた。いい加減疲れて頭が回らなくなり、帰ることにしたら同僚も帰る、ということで一緒に駅まで歩くことになった。外は暗くいつの間にか雨が降り出していた。私達は置き傘を手に取り、職場を後にした。雨の中、同僚とおしゃべりしながら歩いていたら、駅の近くにあるおいしいパン屋さんに寄ると言うので、「じゃあついでに私も買にいくわ~」といつもとは別の通りに入って歩いた。道行く人々は、傘を差している人もいたが、急な雨に濡れながら歩いている人もいた。
 もうすぐ商店街にさしかかるというとき、うつむいて濡れながら歩いている男性がこちらに向かって歩いていた。顔を見て、ドクンと心臓が鳴った。元夫ではないか!?私は傘を持ち直し、同僚の話にうなずきながら歩いた。男性はそのまま私達の横を通り過ぎていった。途端に同僚の声が聞こえなくなってしまった。

 …あれは元夫だったような気がする…多分、元夫だ…生きているんだ…大きなカバンを持っていたが、多分趣味であるスポーツをしようと仕事帰りにわざわざ来たのだろう(以前に元夫はその駅の最寄りにある、あるスポーツ教室に行っている、と話していた)。金曜日の夜にこうして歩いているのなら、今もひとりで生活しているのだろう…元夫は私に気づいたのだろうか…いや、気がつかなかったみたいだった…でも気づいても知らん顔していたのかもしれない…私のように…

 めまぐるしくいろいろな思いが頭の中を駆けめぐった。何かすごく変なもやもやした気分が私の心を覆った。突然同僚の声が耳に入った。「ウメさん、どう思う?あれじゃあ仕方ないよね」「え?あぁ~、ごめん、ちゃんと聞えなかった、もう一度話してくれる?」同僚はいぶかしげに私を見つつも再度話してくれた。そしてパン屋さんに行き、それぞれ別の方向の電車に乗った。

 私はひとり、電車の中で複雑な感情を覚えていた。元夫とは、結婚生活を送っていたのだ。かつて非常に親密な関係であり、家族であったのだ。元夫からのモラハラに苦しみながらも、私は元夫に食事を作り、洗濯をし、同じ屋根の下で暮らしていた時期があったのだ。
 それがこうやって街で偶然見かけても、声もかけずにすれ違う他人になっている。これは一体なんなんだろう?
 あの結婚生活はなんだったのだろう?2人で過ごし、積み重ねた時間はなんだったのだろう?元夫のモラハラはなんだったのだろう?一体なんのために結婚したのだろう?その生活があたかも初めからなかったような、元夫とのこの関係はなんなのだろう?
 次々と湧き起こる問いと苦々しい想い…。

 私達は本当に赤の他人になったのだ…。かつての親密なつながりがぶっつりと切れる、その経験の厳しさを、改めてまざまざと突きつけられたあの一瞬だった。

 家族のつながりを断ち切るような別れは残酷だ。離婚、死別、断絶、失踪…。それでも人は生きていく。血を吐くような苦しみ、あるいはいまだのたうち回るような痛みとともに生きていく。
 それでもいつか、時が流れていつか…血は止まり痛みが和らぐ時がくる…。そしてきっと、悲しみを乗り越え、生きていくことができる。そしてその時、自分を支えてくれるたくさんの力を感じることができるのだろう。私は力を得、私自身を取り戻すことができる。苛酷な体験を糧として、きっとよりよい人生を創っていくことができるはず。

- そう信じて、自分を信じて生きること

 そんな私のこころの声が聞こえた。


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しあわせとは

2007-07-05 23:19:02 | モラハラエッセー(離婚後)
 ある知人がふと言った言葉。「私の考えるしあわせとは、死ぬ直前まで歩けることです」と。私は密かに衝撃を感じた。「歩ける」ことは今の私には当たり前のことで、それができるからといって、歩けるだけでしあわせと感じることはほとんどなかったからだ。

 その知人は寝たきりになった高齢者の介護の仕事をしていた。寝たきりになった老人の怒り、あきらめ、苛立ち、嘆き、無気力、絶望を嫌というほど感じ、投げつけられてきた。そして寝たきり老人を介護する家族の苦悩。それを見ていると、つくづく「歩ける」ことがどんなにしあわせなことかが、骨身に染みるという。

 「しあわせ」という感覚とは何なのだろう。多分「満ち足りた」とか「喜び」という感覚に近いのかもしれない。そしてそれはその時々の文化や社会状況によって作られる感覚なのかもしれない。

 若い女性に向けられる「しあわせメッセージ」は、きれいになって恋愛し、意中の男性と結婚することだ。何十種類もある女性用雑誌の中身は判で押したようにファッションとお化粧とダイエットと恋愛、そして習い事で溢れている。それは「若い女性はきれいでかわいく装えば、男性にもてる」裏を返せば「女性はきれいにかわいくしていればよい。専門知識や社会情勢など知らない方がいい。ましてや政治なんかに関心は持たないでいい。いつも男性にとってきれいでかわいい、料理上手で少々無知で、男につくす女でいたほうがお得」というメッセージなのだ。以前、女性向け雑誌の中には政治や社会情勢に関する記事を盛り込んだものもあった。ただその雑誌はいつの間に消えていた。

 私はといえば、残念ながらファッションに走るお金もセンスもプロポーションもなかったが、やはり10代~20代の頃は恋愛が高い関心事のひとつでもあった。友人と会えば「誰か好きな人できた?」「彼氏は?」という話題で盛り上がった。そしてそれは20代を越えると結婚相手という要素を含むようになる。運命の人=結婚相手=しあわせ という図式である。
 もちろん、生物学的には人間という種が存続するためには子孫が必要だ。自然界と同じく自分の遺伝子を残すためには、少しでも生きていく上で有利な条件の相手(人間の場合は、健康で頭脳優秀で財力があり人間社会を生きる上で有利な条件を兼ねている人)を選ぼうとするだろう。それは動物だって同じようなものだ。しかし人間には、そこに社会的価値観が加わるのだ。「しあわせ」という価値観が。

 皮肉なことに、私の結婚相手は遺伝子を残す上での有利な条件はあった。即ち健康で頭脳優秀で財力があったのだ。過去の結婚歴では子どももあり(ということは子どもを作れるということ)、少々年上だったので、社会的な地位もあった。そういう生物学的意味においての選択はよかったのかもしれない。しかし実際は自然界のようにはいかなかった。
 
 社会的意味を賦与された「しあわせ」を実現しようと、私もどこかで焦っていたのかもしれない。結婚すればしあわせになれる。特に恋愛結婚だったらお互いが求める相手と一緒になるのだからしあわせになって当然…。お互いにどんな思惑を抱いているかも意識できないまま結婚したのかもしれない。
 多分、元夫も私も原家族で得られなかったものを相手に求めた。元夫は自分の頭の中だけに存在し、そして自分の欲求を即満たし、限りなく自分を許し与える理想の母親像を求めた。そして私はありのままの自分を受け止め理解してくれる両親像(特に母親)を元夫に求めた。相手に求める手段はこれまた社会的な影響を強く反映していた。つまり元夫は私に理想の母のように完璧な家事と世話を求め、私は元夫を理解し世話することで私に感謝し私を受け入れる人格を元夫に求めたのだ。

 そしてそれは実りのない闘いと奪い合いの始まりだった。

 元夫と付き合っていた頃、そして暮らしていた頃もしあわせな感覚はあった。しかしそれは麻薬のような感覚だったのかもしれない。積み重ねも連続性もない一瞬のしあわせ。そのしあわせは、モラハラという絶望から身を守る一瞬の麻薬だった。元夫が優しくしてくれればそれは麻薬となって、その後のモラハラも何とか耐えられたのだ。
 しかしその麻薬も耐性と効力が徐々に失われていく。もう夫の優しさという麻薬も与えられなくなり、自分の願いを叶えない妻に向けられたむき出しの憎悪に晒されたとき、私は「しあわせ」の幻影をついに見失ったのだ。

 そしてひとりになった時、「しあわせ」の幻影が様々な夫婦、家族を苦しめていることに気づくのだ。ニュースは夫婦や家族間の虐待や殺人を絶えず流し続けている。ネットでは夫婦や家族問題のブログが溢れている。私達は一体何を求めているのだろう?

 独身であれば結婚すればしあわせと思う。夫婦だけの生活が続くと子どもができればしあわせと思う。子どもがひとりできればひとりではかわいそう、2人目ができればもっとしあわせだと思う。そしてこどもや夫の世話に追われれば、独身は気楽でしあわせ、と思う。年老い介護される我が身を嘆き「ぽっくり死ねればしあわせ」と思う。
 もっとお金があればしあわせなのにと思い、持ち家があればしあわせと思う。もっとやせればしあわせと思い、きれいであればしあわせになれるのに、と思う。
 そして夫さえ暴力(モラハラ)を振るわなければしあわせなのに、と思い、夫が浮気さえしなければしあわせだったのに、と思う。

 果たしてそうなのだろうか?多分私達は現実から目を逸らすために、「もし~だったらしあわせなのに」と思いこんでいるのではないだろうか。多分その時々に置かれた状況によってしあわせの形は変化する。その時々の社会情勢によってしあわせは微妙に操作されている。

 私は、今しあわせだ。やりがいのある仕事を持ち、贅沢しなければ生活できる収入がある。落ち着ける住居があり、ゆったりくつろげる時間を持っている。おいしいものを料理して味わい、ともに楽しめる友人もいる。そして私を脅かす存在はいない。

 奇妙なことに、私はひとりでいることがしあわせなんて感じていいのだろうか、という感覚を持ったこともある。男性とペアでないとしあわせと言えないのではないか?と。それもある種の社会通念に縛られた価値観なのだろう。

 私達はもっと心を自由にして、自分の感覚に正直になっていいのだと思う。こうでなければしあわせになれない、と思いこむ必要もない。

 しあわせを感じるとは、自分自身の心の在りようなのだろう。そして「しあわせ」とは特別なものでなく、「歩く」と同じように、ごく当たり前のできごとなのかもしれない。「普通」の感覚がしあわせということなのかもしれない。


 そんなことを思いながら、今日1日無事に過ごせたことに感謝。

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2007-06-17 22:25:08 | モラハラエッセー(離婚後)
 先日仕事のことで他の会社に出向いたとき、昔の職場時代にある仕事で少しの間だけ一緒になったヨモギさんと出会った。「もしかしてヨモギさん?」「あれ?ウメさん~!お久し振り~!」「やっぱりヨモギさんだったんだ~!お元気でした?」「何とかね~。ウメさんは今どこにいるんですか~?」
 彼女は私と同い年で、個人的にはほとんど話したこともなく、その時も仕事上の話しで終始した人だった。彼女はその後2回ほど転職し、現在の会社に2年前就職したと言った。私達は、昔出会った頃のことを懐かしみ、ロビーでひとしきり立ち話をした。私は彼女の面白おかしい転職話しに大笑いしたが、その時ふと彼女が言った。

「ウメさん、昔会った頃は全然笑わなかったね」
 私ははっとした。

「そうだった?私ってそんなに笑わなかった?」「うん。全然笑わない人だと思った。今みたいな感じではなかったよ」「あの頃は仕事がしんどかったからね~…」と言いながら、突如モラハラに苦しんでいたときのことがまざまざと蘇り苦々しい思いが湧き起こってきた。同時に、彼女にあの頃の私を見透かされたような気がして、複雑な居心地悪さを感じた。

 そう、彼女と会った時、私はモラ元上司から散々モラハラ被害を受け、ついには分所に異動(左遷)させられたのだった。その分所に彼女は仕事のことで訪れたのだった。あの頃の私は職場モラハラと元夫からのモラハラで、心身ともにモラ毒に冒され、どす黒い澱が常に心にあった。見えない暴力によって虐げられる恐怖、先の見えない真っ暗な日々…。出勤の時も、帰るときも私はいつも暗い表情をしていた。どうしてこんな人生になってしまったのだろう、と思いながらも、そこから逃れることもできず、逃れる術も考えられずに重い体を引きずるようにしていた日々。過去の記事『透明な鎖』でも述べたが、どうしてこんな自分になってしまったのか、どうしてこんなに絶望的な人生を送っているのかわからなかった。
 それでもせめて仕事の時は明るく振る舞わなくては、とも思っていたのだがこの頃は、もう自分の中の限界だったのだろう。分所に左遷されてまで、愛想笑いもする気力もなくなってしまったのかもしれない。そんな私の暗い表情を彼女は印象的に覚えていたのだ。

 あの頃の私はそんなに暗い顔をしていたんだ…。

 今の私は自分でも自覚するくらいよく笑うようになった。ひとりの生活でも穏やかさを感じ、道端の花々や新緑の匂いに季節の豊かさを感じ、自分だけのためにもおいしい料理を作って出来栄えに喜び、好きなときに友人と会いその時間をゆったりと楽しんでいる。その心のゆとりは、きっと顔に現われているのだろう。そして以前の私とは全く違う雰囲気を醸し出していることだろう。
 そういえば少し前にも同じようなことを言われたのだった(『残像』)。かつての職場の後輩が私の会社に訪れたとき、「なんだかウメさん、雰囲気が変わりましたね」と言ったのだ。その時は、それ以上意味を深く聞くこともなかったのだが、多分そういうことなのだと思う。

 ヨモギさんと最初に出会ったのは、もう6年も前のことになる。もうそんなに時が経ったのだ。あの頃は本当に辛かった。いや、辛いというか自分を失った心が抜け殻のようになっていた。その空虚な心を埋めようとしても、ただあるのは惨めさと絶望と無気力と憎しみだけだった。

 あの頃、今の生活が待っているなんて、夢にも思えなかった。想像もできなかった。
 あれから6年もたったなんて。こんな日がくるなんて…。
 ああ、なんてことだろう。人生は、きっと変えられる。自分が変えるのだと信じれば…。

 仮死状態だった私のこころが、息を吹き返している。モラハラから離れたことで、いろいろなところから力を得、こころが生き生きと動いている。穏やかな毎日を獲得したことで、自分を守り生かしている。

 笑えなかった私…よく生き延びたね。。。


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本当の孤独とは

2007-06-06 22:16:50 | モラハラエッセー(離婚後)
 今日、仕事のことで本社に出向き用事を済ませて帰ろうとしたら、営業から帰ってきたばかりの先輩胡桃さんにばったり会った。「あら、ウメさん今日はどうしたの~?」「A企画のことで資料を届けにきたんです」「急いで帰らなくてもよかったら、ちょっとだけお茶飲まない? 私も喉かわいたし~」というお言葉に甘えて、休憩室でコーヒーを入れてもらった。
 胡桃さんは、もう40才過ぎているが、3才と7才の子持ち。だが、だんなさんが家のことも協力的なので、仕事を続けている、うらやましいキャリアウーマンだ。
 
 コーヒーを飲みながらなぜか老後の話しになった(最近こんなんばっか!)。「私の知り合いの男性で、仕事はばりばりだけど結婚もしないでひとりでいる人がいるんよね~。でも家事もけっこう自分でできるし自分なりに生活楽しんでるから、あんまり人付き合いしなくても平気って言ってるんよ。でもそれって寂しいんじゃないかと思ってたんやけど…」
 ひたすら聴き入る私。
「私なんて、子どものママ友から仕事関係から、夫の家族から、いろんな関係があって、ちょっとややこしいけど、その方が年取っても寂しくないんじゃいかって私は思ってたわけ。でも年取ったらそうそう出かけるのもおっくうになるし、人間関係ややこしいのはかなわんし。もしかしたらひとりで楽しめる人の方が、年取ってひとりになっても全然平気で暮らしていけるのかもしれへんね~」
 そこではじめて私は大きくうなずいた(←自分を思った・笑)。
「むしろ、ひとりでもそれなりに生活を自分で楽しんでる彼の生活スタイルの方が、老人になっても全然平気なんじゃないかな~、なんて思っちゃった。きっと年取ってもひとりで何かと楽しんで暮らせる気がする~」
「そうですよね~、私もそう思いますよ~~」強くうなずく私(爆!)。

 高齢者の自殺やうつが問題になっていた頃、東北のある地区に住む高齢者達に、自殺を考えたことがあるとか、うつ症状の有無に関する調査結果を聞いたことがある。家族と暮らしている高齢者と、独居の高齢者とどちらが自殺が多かったか。

 答は専門家の予想を超える衝撃的なものだった。
実は、家族と同居している高齢者の方が自殺率がずっと高かったのである。
 この調査では、家族の中で遠慮し、孤立し、居場所を失う高齢者がいた。身内の中にいながら孤立を感じるよりもひとり生活を好きに送っている人の方が、うつも自殺も少なかったのだ。

 家族の中の孤独。夫婦の中の孤独。
身内の中にいる孤独はまた厳しいものがあることを、私は身をもって知っている。
「家族こそ理解し合える、支え合える」という幻想。「夫婦だからこそわかりあえる」という幻想。
 家族だから、誰よりも厳しく、きつく、怒りを、恨みをぶつけてしまう。夫婦だからこそ、「理解しないおまえが悪い」と、あからさまに憎しみをぶつけ、自分の思いや期待を相手に押しつけようとする。そして自分の欲求を満たさない相手(妻or夫or子or親)が悪いんだ、自分の言うことを聞かない奴は、懲罰を与えるのが当然だ、と、そこは世にも残酷な拷問部屋となってしまう。外には届かない悲鳴、心の叫び。そして、『家族なのだから、いつかはわかりあえるはず』『夫婦なのだから、理解し合わなければいけない』『家族なのだから我慢しなければいけない』、という呪縛に苦しみ、徐々に自らを失う苛酷な日々。

 もちろん、温かい家族も多いだろう。お互いに喧嘩したり泣いたりしながらも、思いやり、お互いが支えとなり、家族はいい、としみじみ噛みしめる家族。家族への賛歌、母親への思慕は歌になり文学になり、心の拠り所となる。

 しかし…家族でいること自体がとても苦しく、お互いが無理している家族も多い。暴君がいて、他の家族はじっと我慢している、という場合もある。絶えず怒りに怯え、顔色を窺いながら息を詰まらせる夫婦、親子がいる。

 ひとりで生きる力があるのなら、苛酷な環境からは一刻も早く離れた方がいい。家族の欲望を優先して、自分の魂が息も絶え絶えになっているのなら、思い切って飛び出してみるといい。
 はじめはひとりでいることの不安に戦くかもしれない。寂しさに打ちひしがれるかもしれない。
 しかし、すぐにひとりで生活する平安に気づくはずだ。誰も自分を脅かさない。誰も自分を責めない。誰も自分を攻撃しない。誰も自分を蔑まない。
 それがどんなに、自分の糧になることか。縮こまっていた自分が大きく伸びをし、肺いっぱいに酸素を取り込むことができるか。

 ひとりでいることは、実はまったく怖くない。将来のことを考えたりすると、不安になることはある。これからひとりで生きていけるのだろうか、という不安もある。しかし、常に誰かに脅かされる日常はない。
 2人でいるほうがよっぽどコワイ。家族で過ごすことのほうが、よっぽど苦しい。

 15才から家を出、結婚して夫のモラハラに遭った私の結論だ。

 でもそれでいいのだと思う。家族は万能じゃない。家族も人間だ。そして人間は不完全だ。親だって、夫だって、それぞれの人生を歩み、自分の理解できる範囲でしか、ものごとを捉えられなかったのだ。自分の尺度でしか解釈できなかったのだ。それを当然のことと思って、相手も当然わかると思って、押しつけただけだったのだ。単に自分の器の中にある狭い知識の中から、勝手に判断して、相手にぶつけただけだったのだ。
 それをわからせようとしても、無理がある。理解しようとしても、わかりあえない。自らがわかろうと一方通行でなく、お互いが、相手に心を開かなければ無理だ。

 求められない家族だったら、離れればいい。わかりあえない夫婦だったら、離れればいい。いつまでも固執し、いつまでも執着し、いつまでも変えようとし、いつまでも恨みを持ち続けると、自分の魂が死んでしまう。

 私は自分で生きることができるのだ。他人からの応援を受けながら、自分も時に応援しながら、自分の力で生きていくことができる。そう信じればできる。
 
 
 私達は、生きていける。信じよう、自分の可能性を。自分の力を…!



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