ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

戦後民主主義の人間群像

2007年10月27日 | 教育・文化

 

協栄ジム、亀田家処分を発表…興毅は「反則指示」認め謝罪(読売新聞) - goo ニュース


戦後民主主義の人間群像


少し前に、亀田一家兄弟がボクシング界に華々しくデビューしたとき、この一家と兄弟に戦後民主主義の新しい日本人像の典型を見るような気がして、この兄弟や一家についての感想を書いたことがある。

戦後日本人の、その品格のなさ、モラルの退廃をこの兄弟に象徴的に見るような気がして、新しい戦後日本人像として、こうした人格が生まれてくる日本の「文化的」背景について考察してみようと思ったからである。

悲しきチャンピオン―――亀田興毅選手一家に見る日本人像

一年ほど前に、数学者、藤原正彦氏の新書『国家の品格』が大ベストセラーになったけれど、その背景には、日本社会から事実として品格が失われつつあるという本能的な自覚が日本国民の間にも感じられているからだろうと思う。

心配していたとおり、今回の件でも亀田興毅君は一連の汚い反則行為について謝罪はしたけれども、人間は仮面を脱ぐように、そんなにはすぐに人格を取り替えられるものではない。

この一人の亀田興毅君の背後には、何十万人の小興毅君、何百万人の小大毅君の存在があるはずである。そして、こうした一人一人の日本人の累積が日本人像となって映る。彼を戦後民主主義の日本人像の典型と見るのは、偏見にすぎるだろうか。

そこには幸福な人間関係に必要な文化的な潤いや、芸術的な香気とか、高い道徳性とかは薬にしたくともない気がする。かって諸外国から礼賛されもした伝統的な礼儀正しさや慎ましやかさといった面影はない。

二十一世紀の日本人は、こうして無数の小亀田興毅君のような人格を自分たちの身近な隣人として、付き合いながら生きてゆかなければならないのである。果たしてそんな社会が暖かく幸福感にひたれるものになるだろうか。

 

 



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