ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

歴史における個人の力

2007年02月17日 | ニュース・現実評論

歴史における個人

最近というか、ここ二、三年、金融業界にとりわけ不祥事が多いことに国民は気づいていると思う。損害保険業界では、昨年は損保ジャパンと三井住友海上で保険金の不払いが明らかになって、両社は業務停止命令を受けたし、保険金の未払い事案について業務改善命令が出された東京海上日動火災保険株式会社の石原邦夫社長がテレビで頭を下げていたこともまだ記憶に新しい。

生命保険業界においても、明治安田生命の保険金未払いなどが明らかになったのをうけて、金融庁は、国内の全生命保険会社38社に対し、保険金の「支払い漏れ」の件数、金額の報告を求める命令を出した。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20070216mh06.htm

そして去る15日には、三菱UFJフィナンシャル・グループ傘下の三菱東京UFJ銀行の畔柳信雄頭取に対し、金融庁が国内の法人向け全店舗で新規の法人顧客への融資の7日間停止を命じるなどの行政処分を行なったばかりである。業務上横領事件などを起こした財団法人「飛鳥会」との不適切な取引を、旧三和銀行時代から長年続けて改善されることもなく、内部管理体制などに問題があると判断したのである。

こうした大手金融企業の不祥事にからんで、企業のトップが深深と頭を下げる様子をテレビの画面の中で見ない月がないくらいである。それほど、金融業界はいわゆる企業の法令遵守(コンプライアンス)の問題で、金融庁から業務改善命令をしばしば指導を受けている。

最近になってそれほど急に金融業界に不祥事が増えたのだろうか。決してそうではないと思う。不祥事ははるか昔からあった。バルブ経済の時期には、大手銀行の頭取が闇世界との取引に絡んで自殺する事件などもあったし、金融業界は深刻な債権不良問題に長年苦しんでいる間に、闇世界との関わりをいっそう強めたはずである。ただ、それが表面化しないだけである。

官庁と土木建築会社のいわゆる談合問題も、大蔵省が財務省と金融庁に編成変えになり、金融行政と監督行政の機能が分離され、また独禁法が改正、強化されたりして、最近になってこうした業界にようやく監督行政が機能し始めたにすぎない。

もちろん、こうした不祥事の摘発も、それを実行する人間が現場に存在することなくして不可能であることはいうまでもない。こうした不祥事の摘発が明らかになったのも、曲がりなりにも、小泉改革で竹中平蔵前金融相が、金融庁長官に五味広文という有能な長官をトップに据えたからである。諸官庁がどのような行政を行なうかは、根本は国家の最高指導者である首相の地位にどのような人物がつくかということが決定的であるとしても、実際の行政の実務では、長官クラスの力量に左右されることが多い。現在の安部首相の支持率低下も、周囲に有能な大臣、官僚を配置できないでいるためでもあるだろう。

また、昨年12月には三菱東京UFJ銀行が、アメリカの金融監督当局からマネーロンダリング監視に不備があるとして業務改善命令を受けたのに引き続いて、三井住友銀行が米国の金融監督当局から業務改善命令を受けている。

日本の不正義がアメリカから明らかにされる場合は多い。かっての田中角栄や小佐野賢治らが関係したロッキード汚職事件もアメリカでの議会の証言から発覚したものである。売買春にからむ人身売買の問題でも、アメリカ国務省は日本の取り組みに懸念を示している。残念ながら、正義の感覚について、聖書国民との差を示しているということなのだろう。

五味広文という長官を迎えて、ようやく最近の金融行政が消費者の方に顔を向けて行なわれはじめたということである。これが本来の国民のため行政なのである。日本国民はそれを体験する機会がなかっただけである。いわゆるグレーゾーン金利の問題で、消費者金融に暴利を許してきたのも、最近になってようやく行政は重い腰を挙げた。それまで長年の間その影で、どれほど多くの国民が泣いてきただろう。行政や組織でどのような人間が指導的地位につくかで、国民の幸福が大きく左右されるのだ。

知事や行政官庁のたった一人のトップが、国民全体の方に顔を向けて正義を追求するだけで、国民は大きな恩恵を受けるだろう。人類の歴史に大きな足跡を残す者は英雄とも言われる。しかし、社会は英雄のみでは成り立たない。

先日にも、自殺をはかろうとした女性を救助しようとして(この女性がなぜ死のうとしたのかも問題だが)殉職した板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長のように、また秋霜烈日の伝統を守る検察庁などに黙々と働く無名の人がいる。社会は確かに英雄によって進歩するのかも知れないが、それを支えるのは、名もなき庶民という真の「英雄」である。彼らによって、これほど腐敗し堕落した不正義のはなはだしい日本社会もかろうじて持ちこたえられているといえる。

やがて国家全体の行政が国民大衆のために行なわれるようになれば、どれほど国民は幸福を享受できるだろう。そうした国家の国民の愛国心は黙っていても強まる。それを実行できるのは本当の民主政府であるが、残念ながらそれをいまだ日本国民は持ちえず、歴史的に体験する機会ももてないでいる。しかし、それは遠い日のことではないかもしれない。

(07/02/19一部改稿)

 

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